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技術的警告と監査

 廃工場地帯から帰還したヤードは、朝だというのに、鉄の管から吐き出される白い蒸気で、まるで夜が戻ってきたかのように霞んでいた。

 私はシーラと共に、報告用端末を親方に提出した。

 身体の奥に昨日の赤黒の冷たさが残っている。六十分の膜を食い破られたシーラの機体には、わずかに擦過痕が残っていたが、私のグレイハウンドは無傷だった。

 親方はログを眺め、表情を曇らせる。


「……また、先に動いたな」


 彼の低い声に、私は息を呑む。端末の画面を確認する。


《任務38:石先行挙動 0.41s/操機士入力:検出されず》


 前回の0.37秒より、さらに早くなっている。


「加速してる」


 親方の声が、静かに重い。


「0.18秒から始まって、三週間で倍以上だ」


 私は頷く。頷けるはずなのに、喉の奥が詰まる。



 その時、ヤードの重い扉が開いた。二人組が入ってくる。灰色の制服、胸に札管理局の紋章。

 親方が私に短く合図する。小さく頷き、私は姿勢を正した。


「組合から派遣された監査官だ。お前の石の件で来た」


 監査官の一人が前に出る。四十代、整った制服。彼の態度は慇懃だが、目には技術者としての鋭さがある。


「ノクト・アッシュ。操機士登録番号、確認させていただきます」



 私は端末を差し出した。

 監査官は端末を受け取り、過去三ヶ月のログを展開する。その手つきは正確で、淡々としている。

 ベイの中は静かだった。監査官がグレイハウンドの胸スリットを指し示す。中で、拳大の石がくすぶっている。中古、寿命間際。効率37%。


「過去三ヶ月の任務ログを確認しました」


 監査官は端末を操作しながら、淡々と言う。

「複数の任務において、操機士入力より先に石の出力が発生した記録があります」

 彼は画面を回して私に見せる。そこには、私が記録した石の先行挙動のログが並んでいる。


《任務17:出力先行 0.18s/操機士入力:検出されず》

《任務23:出力先行 0.22s/操機士入力:検出されず》

《任務28:出力先行 0.31s/操機士入力:検出されず》

《任務32:出力先行 0.34s/操機士入力:検出されず》

《任務35:出力先行 0.37s/操機士入力:検出されず》

《任務38:出力先行 0.41s/操機士入力:検出されず》


 監査官は画面を指でなぞる。


「三週間で0.18秒から0.41秒。倍以上の加速です」


 私は反論する。


「異常ではありません。石が私の操作パターンを学習し、危険予測に基づいて先行挙動を起こしただけです」


 監査官の目に、わずかな懸念が浮かぶ。それは敵意ではない。技術者としての心配だ。


「『学習』。その言葉を使われましたね」


 彼は端末に何かを記入する。


「石は記録媒体ではありません。学習する機能も、設計されていません」


 彼は一拍置く。


「でも、あなたのログは確かに『学習』を示唆している。それが問題なんです」



 監査官は続ける。声に個人的な感情はないが、技術者としての誠実さがある。


「学習が制御されているなら、問題ありません。でも――」


 彼はグラフを表示する。石の先行時間の推移。右肩上がりの曲線。


「加速しています。0.18秒から0.41秒。次は0.5秒か。0.6秒か。1.0秒か」


 私は息を呑む。


「制御できています」

「今回は」


 監査官の声が、わずかに強くなる。


「ログを見ました。石が暴走し、退路B-2を塞いだ。あなた自身が『過学習』と記録している」


 私は唇を噛む。


「あれは――逆相入力で制御しました」

「今回は。次は?」


 沈黙。

 監査官は私を見る。その目に、わずかな共感が見える。


「あなたの技術は認めます。ログも正確です。計測の精度は、組合内でも上位です」


 彼は続ける。


「でも、石があなたより速くなり続けている。いずれ、制御が追いつかなくなる」


 親方が口を挟む。


「石の交換を強制するのか」


 監査官は首を振る。


「いいえ。推奨です」


 彼は端末を操作する。


「ただし、加速する異常挙動が確認される間、安全評価のため、新規任務の発行を保留します」


《任務札発行権限:審査中》


 私のHUDの右上、操機士ステータスが、白から黄色へと変わった。


「これは懲罰ではありません。安全のための予防措置です」


 監査官は私の目を見る。その目に、個人的な悪意はない。本気で私の安全を心配している。


「石の異常が解決されれば、すぐに審査は終了します」


 彼は一拍置く。


「新品の石を購入してください。応答遅延が18ミリから8ミリに改善されます。位相誤差も半分以下。事故率が下がります」


 私は拳を握る。指先が白くなる。


「……この石で、帰れています」

「今は」


 監査官の声が、静かに響く。


「でも、いつまで?」



 監査官は書類を片付け、立ち去ろうとする。その背中に、私は声を絞り出した。


「監査官。質問があります」


 彼は振り向く。


「石の学習を、組合は認めないんですか」


 監査官は短く息を吐く。


「認める、認めないではありません。理解できないんです」


 彼は続ける。


「石が学習するメカニズムは、解明されていない。再現性も不明。制御方法も確立されていない」

「つまり――」


 彼は私を見る。


「あなたは、誰も歩いたことのない道を、地図なしで歩いている。それは勇敢かもしれない。でも、危険です」


 監査官は去り際、もう一度振り返る。


「あなたは優秀な操機士です。死んでほしくない。だから――石を交換してください」


 扉が閉まる。重い音が、ヤードに響いた。



 沈黙。

 親方は、レンチを作業台に置く。シーラは、黙って自分の機体の点検を続けている。

 私は端末を見つめる。黄色い警告マーク。


『審査中』


 審査中――という名の、事実上の停止。


「親方……」


 声が震えている。


「監査官の言うこと、正しいんですか」


 親方は短く息を吐く。


「正しいかどうかは、俺が決めることじゃねぇ」


 彼はレンチを握り直す。


「だが――奴の言う通り、加速してる。それは事実だ」


 シーラが、作業の手を止めずに言う。


「ノクト、石を交換すれば――」

「交換しません」


 私は即答していた。


「この石で、帰れてます。0.41秒の先読みも、全部把握してます」

「でも、監査官が――」

「監査官は正しい」


 私は認める。


「加速してる。それは事実。でも――」


 私は胸スリットの石を見上げる。


「この石がなければ、死んでた。昨日の任務でも、死んでた」


 シーラの手が、わずかに止まる。


「……それは、石に依存してるってことだよ」


 彼女の声は、湯気のような柔らかさを失っていた。


「制御じゃない。依存だよ」


 私は彼女を見る。彼女は、作業を続けながら答える。


「シーラさんは、監査官の言うことが正しいと思うんですか」

「正しいと思う」


 シーラは言う。声が、冷たい。


「加速してる。止まらない。いつか、制御が追いつかなくなる」


 彼女は工具を置き、ようやく私を見る。その目に、恐怖が見える。


「あんたの石、いつか暴走する。そのとき、巻き込まれるのは誰?」


 私は言葉を失う。


「……巻き込みません」

「保証できないでしょ」


 シーラの声が、震える。


「私は、制度を信じる。数字を信じる。あんたの石は――信じられない」


 彼女は工具箱を閉じ、立ち上がる。


「考えて。時間は、あまりない」


 シーラはベイを出ていく。私は、彼女の背中を見送る。



 その夜、私は端末を開く。


『任務札発行権限:審査中』


 黄色い警告マーク。私は、仕事を失った。まだ完全な凍結ではない。でも、事実上の無職だ。

 報酬の封筒を開ける。前回の任務分。これが、当面の生活費の全てだ。


(新品の石を買えば、審査は終わる)

(札が戻る。仕事が戻る。シーラとの関係も、元に戻る)


 でも――

 私は胸スリットの石を見上げる。薄暗い中で、石がわずかに明滅している。私の心拍より0.41秒早く。


(お前は、私を覚えている)

(私が燃やした夜の、残り火)

(お前は、私を救った)

(0.18秒で、0.22秒で、0.31秒で、0.34秒で、0.37秒で、0.41秒で)


 監査官の言葉が、頭をよぎる。


「いつまで?」


 私は拳を握る。爪が手のひらに食い込む。


(わからない)

(0.5秒になるのか)

(1.0秒になるのか)

(どこで止まるのか)

(でも――)


 私は端末を開き、新しいメモを作る。


analysis:

監査官の指摘:


加速している(事実)

制御が追いつかなくなる(可能性)

石を交換すべき(推奨)


私の反論:


この石で帰れている(事実)

0.41秒の先読みを把握している(事実)

逆相入力で制御できる(前回で実証)


でも:


暴走した(事実)

加速は止まらない(事実)

次も制御できる保証はない(不明)


シーラの指摘:


依存している

いつか暴走する

巻き込まれる可能性


conclusion:

監査官は正しい。

シーラも正しい。

でも、この石を手放せない。

理由:

......わからない。


 保存音が短く鳴る。

 理由がわからない。技術的な判断なら、交換すべきだ。でも、できない。


(これは、依存なのか)

(慣れなのか)

(信頼なのか)


 答えは、出ない。

 窓を少し開ける。夜風が紙を揺らす。遠くで、誰かの機体が帰還する音がした。

 カン、カン。

 帰還成立の音。私には、まだ聞こえる。でも――


 いつまで?


 私は端末を閉じる。

 明日、親方に相談しよう。審査中の操機士に、何ができるのか。


 灰色の犬は、黄色い警告を胸に、不安な夜を過ごす。

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