シーラの石、ノクトの石
工房の午後は、鉄が温かく鳴っていた。
シーラの機体が作業台に据えられ、腹部の大きなスリットが開いている。彼女は両手で石を抱え、ゆっくりと引き抜いた。
拳二つ分の大きさ。表面に、髪の毛のような亀裂が三本、光の縁に沿って走っている。
「……亀裂が三本になったから。寿命だね」
シーラの声は静かだった。悲しみではない。淡々とした確認。
彼女は石を作業台に置き、新しい石を木箱から取り出す。
新品。傷ひとつない表面が、午後の光を滑らかに反射している。
スロットに滑り込ませる。接続音。
彼女の機体のHUDが立ち上がり、数値が並ぶ。
《魔力石:二級新品(効率 83%)》
《診断:応答遅延 8.2ms/位相誤差 ±0.09°/冷却効率 baseline +11%》
「うん。数値は安定。稼働時間も延びた」
シーラは満足げに頷き、古い石を布で包む。
私は作業台の端に立ち、彼女の手元を見つめていた。
胸の奥が、わずかに痛む。
「……惜しくないんですか?」
声が、思ったより小さく出た。
シーラは顔を上げ、首を傾げる。
「惜しい?」
「その石と、長く一緒だったんじゃ……」
「うん。半年くらい。港町の防衛でずっと張ってた」
彼女は古い石を軽く撫でる。
「でも、石は道具だよ。消耗品。惜しむものじゃない」
その言葉が、胸骨に沈む。
私は自分の胸スリットを見下ろす。
中で、古い石がくすぶっている。傷だらけ。寿命間際。
「でも……慣れを考えれば、総合効率は古い石の方が上だと、試算されています」
私は言う。声が、少し震えている。
「新しい石は応答が速いけど、予測が合わない。古い石なら0.2秒先読みできる。トータルで見れば――」
「ノクト」
シーラが割り込む。
彼女の目が、じっと私を見ている。
「それ、言い訳じゃない?」
言葉が、喉に詰まる。
「あんたが感じてるのは効率じゃなくて、"恐れ"だよ。新しい石に、あんたの"癖"が焼き付かないことを恐れている」
シーラの声は優しい。けれど、芯は冷静だ。
「慣れは武器だけど、甘えにもなる。新しい石に慣れる努力をしないで、古い石に執着してる」
「……でも」
私は言葉を探す。指先が震えている。
「否定できません」
シーラが、小さくため息をつく。
「あんた、石に祀られてるかもしれない」
その言葉が、胸を突く。
親方の言葉が頭をよぎる。
「祀る前に、冷やせ」
でも今は逆だ。
私が石を祀っているのではない。
石が、私を祀っている。
私は沈黙する。
どれだけ頭の中を探し回っても、否定できない。
◆
シーラは新しい石を装着し、機体を軽やかに起動する。
ヴェイルが滑らかに展開され、青白い光が工房の空気を押し返す。
数値は安定している。
応答が速い。位相誤差が小さい。冷却が効く。
シーラは満足げに頷き、機体を停止させる。
「私はね、石を信じてる。でも"石そのもの"じゃなくて、"石の数字"を信じてる」
彼女は私を見る。
「あんたは逆。石の数字じゃなくて、石そのものを信じてる。……それが悪いわけじゃない。でも、危ない」
「……なぜ?」
「石は壊れるから。消耗品だから」
シーラは古い石を手に取り、亀裂を指でなぞる。
「この子も、もう走れない。亀裂が四本になったら、フィールドが剥離する。そうなったら、私は死ぬ」
彼女は私に古い石を差し出す。
「だから交換する。数字で判断する。感情じゃなくて」
私は古い石を受け取る。
重い。冷たい。でも、誰かの体温を知っている気がする石。
「……シーラさんは、石に名前をつけますか?」
「名前?」
シーラが笑う。
「つけないよ」
◆
夕方、貸し間の机で端末を開く。
画面に、古い石のログが並ぶ。
補修の履歴、微細充填の記録、応答の癖、位相の偏り。
全部、私の手で書き込んだもの。
私は別のフォルダを開く。
石の先行挙動ログ。
obs_石の先行時間:
任務17: 0.18s(被弾回避)
任務23: 0.22s(退路選択)
任務28: 0.31s(ノイジー分断)
任務32: 0.34s(HB噴射)
任務35: 0.37s(前回任務)
グラフを生成する。
右肩上がりの曲線。
加速している。
《予測:次回任務 0.40s以上》
石が私の恐怖を学習し、先読みの精度を上げている。
それは技術的な進歩か。
それとも――
(依存、か)
私は拳を握る。
先読みが速くなるほど、私は石に頼る。
石に頼るほど、石は学習する。
学習するほど、先読みが速くなる。
正のフィードバック。
加速する、依存。
「……これは、進化なのか」
声に出すと、言葉が空気を重くする。
私は端末を閉じようとして――
もう一度、グラフを見つめる。
曲線の先。
0.5秒。
0.6秒。
1.0秒。
(どこまで加速する?)
(そして、加速の先に何がある?)
答えは、出ない。
石は記録媒体じゃない。
ただの電源だ。
消耗品だ。
でも――
私は端末を閉じ、胸スリットの石を見上げる。
薄暗い中で、石がわずかに明滅している。規則正しい。心拍に近い。
0.37秒、先に光る。
シーラの言葉が、胸の奥で反響する。
「石に祀られてるかもしれない」
私は自問する。
(私は、石を祀っているのか?)
(それとも、石に祀られているのか?)
答えは、出ない。
ただ、石が脈打つ。
私の心拍と、同期して。
でも――わずかに、先に。
◆
窓を少し開ける。夜風が紙を揺らす。
遠くで梁が二度鳴った。
カン、カン。
私は端末を開き直し、新しいメモを作る。
note:
シーラ=石は道具、消耗品。数字で判断。
ノクト=石は……何?
observation:
石の先行時間が加速している(0.18s → 0.37s)
次回任務:0.40s以上と予測
このまま加速すれば――
question:
「祀る前に、冷やせ」
→ でも、冷やせない。
→ 石に祀られている?
→ 加速の先に、何がある?
conclusion:
答えは出ない。
でも、この石で歩き続ける。
それが今の選択。
ただし――
加速を、監視する。
保存音が短く鳴る。
胸スリットの石が、一度だけ明滅した。
0.37秒、先に光った。
いや――
もう一度点滅する。
0.38秒?
0.39秒?
(加速している。今も)
私は息を呑む。
石は止まらない。
学習は止まらない。
依存は止まらない。
灰色の犬は、消耗品ではない何かを胸に、明日へ歩き続ける。
シーラの新しい石と、私の古い石。
二つの光が、工房の夜に静かに脈打っていた。
一つは安定して。
もう一つは、加速しながら。




