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祀られる死に石

 報酬の封筒が、いつもより少し厚い。

 D+任務を連続で完遂した結果だ。私は組合の受付で封筒を受け取り、重さを確かめる。

 新品の石を買える額には、まだ届かない。

 でも、あと数回任務をこなせば――


(いや)


 私は首を振る。

 新品の石を買う選択肢は、もう考えない。

 古い石で、帰れている。

 それが全てだ。



 夕暮れの工業区。任務帰りの道すがら、シーラと並んで歩いていた。

 まだ、彼女との関係が冷え切る前。

 石を交換するかどうかで、何度も議論を重ねていた頃。


「ねえ、ノクト」


 シーラが立ち止まる。

 広場の一角に、古びた祠があった。

 煤けた石柱に、死に石の欠片が吊るされている。魔素灯の代わりに、古い油灯が細く揺れる。

 老人が立ち止まり、額を石柱に近づけて何かを呟く。

 子供が母親の裾を引き、「あれが守ってくれるの?」と訊く。

 母親は軽く頷き、子供の手を引いて通り過ぎる。

 祠の足元に、風化した札。


《灯火台 鎮魂の欠片》


 死に石だ。

 燃え尽きた石の欠片。もう出力を返さない、ただの燃えかす。

 スクラップ。廃材。

 それを、昔から人々が祀っている。


「……まだやってる人たちがいるんだ」


 シーラの声が、わずかに沈む。


「昔からの風習、ですか」

「うん。土地によって形は違うけど、どこにでもある」


 彼女は祠を横目に見る。


「死んだ石を祀れば、生きてる石が長持ちするって。でも、ただの燃えかすだよ」

「……はい」


 私は頷く。頷けるはずなのに、喉の奥が詰まる。

 広場の隅で、子供が小さな石の欠片を抱えて遊んでいる。

 欠けた石。亀裂だらけ。誰かの機体から外された残骸。

 子供は笑いながら、石に話しかけている。


「これがぼくを守ってくれるんだ」


 シーラが小さく吐き捨てる。


「スクラップを祀ってるだけ。意味がない」


 私は何も言えない。

 自分のポケットに、古い石への執着があるから。



 食堂に入ると、親方が隅の席で煙管をいじっていた。

 私たちを見るなり、顎で合図する。


「座れ。話がある」


 私とシーラは向かいに腰を下ろす。

 親方は煙を吐き、短く言う。


「死に石を祀る連中が増えてる」

「……増えてる?」


 私は首を傾げる。


「昔からの風習じゃないんですか」

「昔からあるさ。だが、最近妙に熱心な奴が増えた」


 親方は続ける。


「工房の裏でも、灯火台が三つ立った。坑夫が毎朝手を合わせてる。石の欠片を持ち帰る奴もいる」

「危ないですね」


 シーラが眉をひそめる。


「死に石は不安定です。稀だけど、爆ぜることもある」

「おう。だが止まらねぇ」


 親方は私を見る。


「お前はどう思う」


 私は視線を落とす。

 ポケットの中で、古い石の重みを感じる。


「……土着の風習なら、杭と同じで消えないもの、ですか」

「杭と同じ、か」


 親方は短く笑う。


「そうだな。帰還音が生者の杭なら、死に石は死者の杭だ。どっちも、忘れねえための印だ」


 シーラが首を振る。


「でも、祀っても石は戻りません」

「戻らねぇ。だが、忘れねぇ」


 親方の言葉が、胸骨に沈む。



 食後、私は一人で祠へ戻った。

 夜の広場は静かだ。

 油灯だけが、細く揺れている。

 祠に近づく。

 吊るされた死に石の欠片。表面に亀裂が走り、光を失っている。

 でも、この石も、かつては誰かの機体で走っていた。

 誰かの恐怖と共に、三分を、六十分を、走り続けた。


(そして、燃え尽きた)


 私は祠の前で立ち止まる。

 手を合わせるべきか。

 それとも、これは迷信だと割り切るべきか。


(祀る、とは何だ)


 石を神様のように扱うこと。

 技術ではなく、信仰として接すること。


 でも――


 私の古い石は、私より先に動く。

 それは技術か、信仰か。


(私は石を信じているのか)

(それとも、石の数字を信じているのか)


 答えは出ない。

 でも、わかることがある。


 死に石を祀る人々は、数字を信じていない。

 でも、私は数字を捨てていない。

 ログを取り続けている。


(私は、両方だ)

(数字も、石も)


 その矛盾を抱えたまま、私は歩き続ける。


 私は祠に手を合わせなかった。

 でも、背を向けることもできなかった。

 ただ、立ち尽くす。

 死に石と、生きている石の境界で。


「……わからない」


 声に出すと、言葉が夜気に溶ける。



 翌日、任務前の整備中。

 親方がグレイハウンドの胸スリットを点検していた。


「お前の石、また先読みしてるな」

「……はい」


 私は端末のログを見せる。

 昨日の任務で、石が私の入力より0.37秒早く動いた記録。

 親方は短く息を吐く。


「この挙動、もう『癖』じゃ説明がつかねぇ」

「どういうことですか」

「学習してる。お前の恐怖のパターンを」


 親方はレンチで梁を叩く。


「石は記録媒体じゃねぇ。ただの電源だ。学習する機能なんて、ねぇはずなんだ」

「……でも、実際に」

「実際に起きてる。それが問題だ」


 親方は私を見る。


「制度は、これを認めねぇ。石が学習するなんて、祀りと同じだって言われる」

「でも、私は祀ってません。計測してるだけです」

「わかってる。だが、制度はそう見ねぇ」


 親方はレンチを置く。


「お前が祀ってるんじゃない。石が、お前を祀ってるのかもしれねぇ」


 その言葉が、胸を突く。

 石が、私を祀る。

 私の恐怖を記録し、私を守ろうとする。

 それは、私を「神様」として扱っているのと同じか。


「……わかりません」

「わからなくていい」


 親方は煙管を咥える。


「ただ、忘れるな。祀られる者は、いつか祀る者になる」


 その言葉の意味を、私はまだ理解できない。



 夜、貸し間の机で、端末を開く。

 広場の祠の写真を見返す。

 死に石の欠片。

 燃え尽きた、誰かの残り火。

 私は新しいメモを作る。


note: 死に石と生きている石

question:

- 祀るとは何か

- 祀られるとは何か

- 石は私を祀っているのか

- 私は石を祀っているのか


observation:

- 死に石を祀る風習が増加

- 私の石は学習している(0.37s先行)

- 制度はこれを認めない

- 親方:「石が、お前を祀っているのかもしれない」


conclusion:

- 答えは出ない

- でも、この石で歩き続ける

- 祀る/祀られるの境界で


analysis:

死に石を祀る人々=数字を信じない、記憶を信じる

私=数字も信じる、石(記憶)も信じる

矛盾を抱えたまま、歩く


 保存音が短く鳴る。

 窓を少し開ける。夜風が紙を揺らす。

 遠くで、誰かが祠に手を合わせている影が見えた。

 老人か、子供か。

 暗くて、わからない。

 でも、その影は静かに立ち去り、夜に溶けた。

 私は古い石を握りしめる。

 冷たい。でも、私の体温を知っている。


(お前は、私を祀っているのか)

(それとも、私がお前を祀っているのか)


 石は答えない。

 ただ、わずかに明滅するだけ。

 私の心拍より0.37秒早く。


 広場の祠が、夜の中で静かに佇んでいる。

 昔から、そこにあったように。

 これからも、そこにあり続けるように。

 灰色の犬は、祀る者と祀られる者の境界で、明日へ歩き続ける。


 燃やした夜の残り火を、胸に抱いて。

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