祀られる死に石
報酬の封筒が、いつもより少し厚い。
D+任務を連続で完遂した結果だ。私は組合の受付で封筒を受け取り、重さを確かめる。
新品の石を買える額には、まだ届かない。
でも、あと数回任務をこなせば――
(いや)
私は首を振る。
新品の石を買う選択肢は、もう考えない。
古い石で、帰れている。
それが全てだ。
◆
夕暮れの工業区。任務帰りの道すがら、シーラと並んで歩いていた。
まだ、彼女との関係が冷え切る前。
石を交換するかどうかで、何度も議論を重ねていた頃。
「ねえ、ノクト」
シーラが立ち止まる。
広場の一角に、古びた祠があった。
煤けた石柱に、死に石の欠片が吊るされている。魔素灯の代わりに、古い油灯が細く揺れる。
老人が立ち止まり、額を石柱に近づけて何かを呟く。
子供が母親の裾を引き、「あれが守ってくれるの?」と訊く。
母親は軽く頷き、子供の手を引いて通り過ぎる。
祠の足元に、風化した札。
《灯火台 鎮魂の欠片》
死に石だ。
燃え尽きた石の欠片。もう出力を返さない、ただの燃えかす。
スクラップ。廃材。
それを、昔から人々が祀っている。
「……まだやってる人たちがいるんだ」
シーラの声が、わずかに沈む。
「昔からの風習、ですか」
「うん。土地によって形は違うけど、どこにでもある」
彼女は祠を横目に見る。
「死んだ石を祀れば、生きてる石が長持ちするって。でも、ただの燃えかすだよ」
「……はい」
私は頷く。頷けるはずなのに、喉の奥が詰まる。
広場の隅で、子供が小さな石の欠片を抱えて遊んでいる。
欠けた石。亀裂だらけ。誰かの機体から外された残骸。
子供は笑いながら、石に話しかけている。
「これがぼくを守ってくれるんだ」
シーラが小さく吐き捨てる。
「スクラップを祀ってるだけ。意味がない」
私は何も言えない。
自分のポケットに、古い石への執着があるから。
◆
食堂に入ると、親方が隅の席で煙管をいじっていた。
私たちを見るなり、顎で合図する。
「座れ。話がある」
私とシーラは向かいに腰を下ろす。
親方は煙を吐き、短く言う。
「死に石を祀る連中が増えてる」
「……増えてる?」
私は首を傾げる。
「昔からの風習じゃないんですか」
「昔からあるさ。だが、最近妙に熱心な奴が増えた」
親方は続ける。
「工房の裏でも、灯火台が三つ立った。坑夫が毎朝手を合わせてる。石の欠片を持ち帰る奴もいる」
「危ないですね」
シーラが眉をひそめる。
「死に石は不安定です。稀だけど、爆ぜることもある」
「おう。だが止まらねぇ」
親方は私を見る。
「お前はどう思う」
私は視線を落とす。
ポケットの中で、古い石の重みを感じる。
「……土着の風習なら、杭と同じで消えないもの、ですか」
「杭と同じ、か」
親方は短く笑う。
「そうだな。帰還音が生者の杭なら、死に石は死者の杭だ。どっちも、忘れねえための印だ」
シーラが首を振る。
「でも、祀っても石は戻りません」
「戻らねぇ。だが、忘れねぇ」
親方の言葉が、胸骨に沈む。
◆
食後、私は一人で祠へ戻った。
夜の広場は静かだ。
油灯だけが、細く揺れている。
祠に近づく。
吊るされた死に石の欠片。表面に亀裂が走り、光を失っている。
でも、この石も、かつては誰かの機体で走っていた。
誰かの恐怖と共に、三分を、六十分を、走り続けた。
(そして、燃え尽きた)
私は祠の前で立ち止まる。
手を合わせるべきか。
それとも、これは迷信だと割り切るべきか。
(祀る、とは何だ)
石を神様のように扱うこと。
技術ではなく、信仰として接すること。
でも――
私の古い石は、私より先に動く。
それは技術か、信仰か。
(私は石を信じているのか)
(それとも、石の数字を信じているのか)
答えは出ない。
でも、わかることがある。
死に石を祀る人々は、数字を信じていない。
でも、私は数字を捨てていない。
ログを取り続けている。
(私は、両方だ)
(数字も、石も)
その矛盾を抱えたまま、私は歩き続ける。
私は祠に手を合わせなかった。
でも、背を向けることもできなかった。
ただ、立ち尽くす。
死に石と、生きている石の境界で。
「……わからない」
声に出すと、言葉が夜気に溶ける。
◆
翌日、任務前の整備中。
親方がグレイハウンドの胸スリットを点検していた。
「お前の石、また先読みしてるな」
「……はい」
私は端末のログを見せる。
昨日の任務で、石が私の入力より0.37秒早く動いた記録。
親方は短く息を吐く。
「この挙動、もう『癖』じゃ説明がつかねぇ」
「どういうことですか」
「学習してる。お前の恐怖のパターンを」
親方はレンチで梁を叩く。
「石は記録媒体じゃねぇ。ただの電源だ。学習する機能なんて、ねぇはずなんだ」
「……でも、実際に」
「実際に起きてる。それが問題だ」
親方は私を見る。
「制度は、これを認めねぇ。石が学習するなんて、祀りと同じだって言われる」
「でも、私は祀ってません。計測してるだけです」
「わかってる。だが、制度はそう見ねぇ」
親方はレンチを置く。
「お前が祀ってるんじゃない。石が、お前を祀ってるのかもしれねぇ」
その言葉が、胸を突く。
石が、私を祀る。
私の恐怖を記録し、私を守ろうとする。
それは、私を「神様」として扱っているのと同じか。
「……わかりません」
「わからなくていい」
親方は煙管を咥える。
「ただ、忘れるな。祀られる者は、いつか祀る者になる」
その言葉の意味を、私はまだ理解できない。
◆
夜、貸し間の机で、端末を開く。
広場の祠の写真を見返す。
死に石の欠片。
燃え尽きた、誰かの残り火。
私は新しいメモを作る。
note: 死に石と生きている石
question:
- 祀るとは何か
- 祀られるとは何か
- 石は私を祀っているのか
- 私は石を祀っているのか
observation:
- 死に石を祀る風習が増加
- 私の石は学習している(0.37s先行)
- 制度はこれを認めない
- 親方:「石が、お前を祀っているのかもしれない」
conclusion:
- 答えは出ない
- でも、この石で歩き続ける
- 祀る/祀られるの境界で
analysis:
死に石を祀る人々=数字を信じない、記憶を信じる
私=数字も信じる、石(記憶)も信じる
矛盾を抱えたまま、歩く
保存音が短く鳴る。
窓を少し開ける。夜風が紙を揺らす。
遠くで、誰かが祠に手を合わせている影が見えた。
老人か、子供か。
暗くて、わからない。
でも、その影は静かに立ち去り、夜に溶けた。
私は古い石を握りしめる。
冷たい。でも、私の体温を知っている。
(お前は、私を祀っているのか)
(それとも、私がお前を祀っているのか)
石は答えない。
ただ、わずかに明滅するだけ。
私の心拍より0.37秒早く。
広場の祠が、夜の中で静かに佇んでいる。
昔から、そこにあったように。
これからも、そこにあり続けるように。
灰色の犬は、祀る者と祀られる者の境界で、明日へ歩き続ける。
燃やした夜の残り火を、胸に抱いて。




