表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/26

石の記憶

 朝の工業区は、霧が薄く鉄骨を縫っていた。

 今日はシーラとの合同任務。回送隊の護衛、D帯の小規模戦闘を想定した札だ。


「退路は五本に増やした。合図も長短の組み合わせで拡張してある」


 私は端末を示しながらシーラに説明する。


「前回の"逃げ方v2"、今日試してみます」

「了解。私は導線防壁で帯を張るね。あんたの退路だけ厚く守る」


 シーラは腹部の石を軽く叩く。

 カン、カン。


「六十分で、三分の道を引く」



 任務は順調だった。

 回送隊の荷車が前を行き、私たちは左右に展開して視界を分担する。

 ノイジーの小群が二度現れたが、いずれもシーラの防壁で受け、私が分断して膝を落とす。


《ノクト:HB ×1/位相+0.2°(許容)/石温 +2.1℃》

《シーラ:静圧偏差 +1.0%(安定)/石温 +0.7℃》


 数字は正常。設計は通っている。

 HUDの隅で、戦闘モードの残り時間が淡々と減っていく。


《132》


 その時だった。

 岩陰から、白い影が飛び出した。

 動きが速い。獣の残像が三つ、同時に跳ねる。

 私の視界が一拍遅れた。疲労か、判断ミスか。


(間に合わない――)


 HB0.8を踏む指が、0.1秒遅れる。

 被弾が確定する。ヴェイルの薄い箇所、右肩上部。

 数字が脳内で赤く点滅する。


 その瞬間――


 私の恐怖より、一瞬早く光が走った。

 石が、勝手に跳ねた。

 私の指示より先に、出力が上がる。

 ヴェイルが右肩を厚く覆い、白い影の爪が膜の表面で滑る。

 火花が散り、衝撃が肩を撫でるが、貫通しない。


《出力:35%→58%(0.08s)/位相:+0.31°(過補正)》

《警告:意図不明の過出力/操機士入力:検出されず》


 私は息を呑む。


「……今、私は指示を出していない」


 シーラの声が通信に入る。


「ノクト!? 今の反応……速すぎない?」

「速い。私より0.2秒早い」


 白い影が地に落ち、砂に消える。



 私は操縦桿を握ったまま、動けなかった。

 指が震えている。

 呼吸が浅い。

 心拍が、まだ速い。


(石が、私より先に動いた)

(私が死ぬ前に――)

(私を、救った)


 HUDのログを確認する。

 出力が跳ねた瞬間、操機士側の入力記録は空白だ。


《操機士入力:検出されず》

《石出力先行:0.18s》


 0.18秒。

 私の恐怖が、指に伝わるより早く。

 石が、動いた。


 それは技術か。

 それとも――


「ノクト、大丈夫?」


 シーラの声が、遠い。


「……はい」


 声が掠れている。


「大丈夫、です」


 でも、大丈夫じゃない。

 胸の奥が、冷たい。


(石が、私を庇った)

(でも――)

(それは、私が望んだことなのか)


 私は深呼吸を手順に落とす。

 一拍吸って、二拍吐く。


《任務継続:OK》


 私は操縦桿を握り直す。

 シーラが言う。


「……今の、記録しといた方がいいよ」

「はい」


 任務を続ける。

 でも、胸の奥の冷たさは、消えない。



 任務を終え、ヤードに戻る。

 装甲の縁に指を置き、二度叩く。

 カン、カン。

 親方がレンチで応える。

 カン、カン。


「帰還、成立。……顔が変だな」

「ログを、見てください」


 私は端末を手渡す。親方は波形を眺め、眉をひそめる。

 時間軸を拡大し、出力の跳ねた瞬間を何度も往復する。


「……お前じゃないな」

「はい」

「石が先に動いた」


 親方の声は低い。叱責ではない。職人の、現象を見定める声だ。


「消耗品が……学習する?」


 私は石を見つめる。胸スリットの中で、石がわずかに明滅している。

 いつもと変わらない。規則正しい。心拍に近い。

 親方はレンチで梁を軽く叩き、短く息を吐く。


「学習じゃねぇ。"癖"だ」

「癖……」

「長く使い込むと、石に操機士の癖が焼き付くことがある。珍しいが、ある」


 親方は続ける。


「お前の恐怖だろうな。石が覚えてやがる。言うなれば、"残り火"だ」


 その言葉が、胸骨に沈む。


「残り火……」

「おう。お前の」


 親方の目が、私を見る。

 何かを察した目。けれど、深追いしない目。


(燃やした夜の、残り火)


 少し前の記憶が甦る。

 前の世界で、夜を燃やしてコードを書き続けた日々。

 その残り火で温まっているだけ、と自分に言い聞かせた朝。

 この石は、その夜を覚えている?



 シーラがベイの脇から顔を出す。


「ノクト、大丈夫?」

「……はい」

「石が庇ったんだって?」

「庇った、というより……先に動いた」


 シーラは腹部の石を見下ろし、小さく首を傾げる。


「私の石は、そんなことしないよ」

「……普通は、しない?」

「うん。石は道具だから。命令を待つだけ」


 彼女は少し考えてから、笑う。


「でも、悪いことじゃないよね。助かったんだから」

「……そう、ですね」


 私は頷く。頷けるはずなのに、喉の奥が詰まる。

 シーラは肩を軽く叩いて去っていく。

 親方もレンチを肩に担ぎ、ベイの奥へ消える。


 私は一人、石を見つめる。

 表面に走る傷、補修の痕、指先が触れた場所。


(お前は、私を覚えている?)


 問いかけに、答えはない。

 石は明滅するだけ。規則正しく。心拍に近く。


 でも――


 私は拳を握る。

 爪が手のひらに食い込む。


(お前は、私より先に動いた)

(私が恐怖を感じる前に)

(私を、救った)


 それは感謝すべきことなのか。

 それとも、恐れるべきことなのか。


(私は、石に祀られている)

(石が、私を守ろうとしている)


 親方の言葉が、頭をよぎる。


「祀る前に、冷やせ」


 でも今は逆だ。

 私が石を祀っているのではない。

 石が、私を祀っている。


「……祀られてる、のか」


 声に出すと、言葉が空気を重くする。

 私は装甲の縁を、もう一度撫でる。

 冷たい。でも、私の体温を知っている気がする。



 夜、貸し間の机で、端末を開く。

 任務ログの異常値を見つめる。


[LOG] anomaly: mana_core self-initiated output

timestamp: 14:23:08.142

output_delta: +23% (0.08s)

operator_input: none detected

advance_time: 0.18s(操機士入力より先行)

result: 被弾回避成功

status: unexplained

note: "残り火"


evaluation:

- 石が操機士の恐怖を予測

- 0.18秒の先読みで被弾を回避

- 結果:生還


question:

- これは技術か、祀りか

- 石は私を「守って」いるのか

- それとも、私を「祀って」いるのか


conclusion:

答えは出ない。

でも、今日は――

救われた。


 保存音が短く鳴る。

 私は窓を少し開ける。夜風が紙を揺らす。

 遠くで梁が二度鳴った。

 カン、カン。


 胸スリットの石が、心拍に合わせて一度だけ明滅した。

 私は触れない。祀る前に、冷やせ。

 でも――


(お前は、私の夜を覚えている)

(私が燃やした夜の、残り火)


 そして――


(お前は、私より先に動いた)

(私を、救った)


 端末の画面に、カーソルが規則正しく点滅する。

 石をただの「消耗品」と割り切れない違和感が、確信へと変わり始めている。

 数字では測れない何かが、そこにある。


 私は端末を閉じ、石に視線を落とす。

 明滅が、一度だけ心拍とずれた。

 0.18秒、先に光った。


 恐怖より、先に。


 灰色の犬は、消耗品ではない何かを胸に、明日へ歩き続ける準備をする。

 燃やした夜の残り火を、抱いて。


 その残り火が、今日は私を救った。

 でも――

 救われることに、慣れてはいけない。


「祀る前に、冷やせ」


 私は呟く。

 石は答えない。

 ただ、わずかに明滅するだけ。

 私の心拍より0.18秒早く。


 次は0.2秒か。

 0.3秒か。

 それとも――


 私は首を振る。

 考えるのは、明日だ。

 今日は、生きて帰れた。

 それで、十分だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ