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勝ち汁と砂糖スープ、噂の残り火

 端末の画面が、もう三時間も同じログを映していた。

 赤黒の縫い目。位相反転。桁落ちの波形。数字は正確で、嘘をつかない。けれど、数字を見詰めていても答えは出ない。


「20分考えて、何も思いつかなかったら誰かに聞く」


 ふと思い出した、前の世界での記憶。

 これは、誰から教わった事だったか。

 あいにくと、コードに関しては相談する相手が今の私にはいない。


「いいから!」


 背後から声がして、肩を掴まれた。シーラだ。


「胃に入れないと頭も回らないでしょ。食堂、行くよ」

「……甘味で誤魔化すのは設計じゃない」

「人間の設計は胃袋から! はい立った立った」


 抵抗する間もなく、私は椅子から引き剥がされた。



 組合の食堂は、昼の喧噪が残っていた。

 鉄とスパイスと油の匂い。配膳口の蒸気。傭兵たちが机を囲み、傷の深さと報酬の釣り合いを値踏みしている。

 シーラは迷わずカウンターへ進み、配膳の姐さんに手を上げた。


「勝ち汁二つ! 砂糖スープも二つ!」

「……殺す気か」


 私の小声は無視された。

 茶色い液体がよそわれ、甘辛い匂いが鼻腔を突く。前回の記憶が胃の奥で警報を鳴らす。


「ほら、座って」


 シーラは平然とトレイを運び、机の端に置く。私は観念して腰を下ろした。


「いただきます」


 一口。


「…………あま……から……やっぱり甘辛すぎ」

「それが勝ち汁だって!」


 シーラは笑いながら自分の分を一気に流し込む。頬が少し赤い。辛いのか甘いのか、本人も判断を諦めている顔だ。

 横のテーブルから声が飛ぶ。


「お、三分犬が勝ち汁挑戦か!」

「前は砂糖スープで顔しかめてたぞ」

「成長だな」


 笑い声。嘲りではない。仲間に入れる笑い。

 私は灰パンをちぎって浸し、歯が折れない程度に噛み砕く。


「シーラさんは、これ平気なんですか」

「平気じゃないよ。でも、食べないと張れない」


 彼女は砂糖スープを一口啜り、ふっと息を吐く。


「六十分は壁になる。でも三分は……瞬き、かな」


 私は視線を上げる。


「三分でも、層を重ねれば六十分に届く」


 シーラが笑う。湯気みたいに柔らかい。


「じゃあ次は、あんたの設計で私を守ってね」


 即答していた。


「……設計は帰還まで通さないと意味がない」

「真面目すぎ!」


 シーラが肩を揺らして笑う。周囲のテーブルでも誰かが吹き出した。

 私は頬が熱くなるのを感じながら、勝ち汁に視線を落とす。


(設計は通す。次は必ず)



 食事を半分ほど済ませた頃、背後のテーブルで会話が耳に入った。


「なあ聞いたか? 死に石を走らせる方法」

「馬鹿言え、石は一度燃えたら終わりだろ」

「だが、燃えかすを持ち帰るやつらが増えてるって話だ。工業区の裏で、灰帯が買い取ってるとか」

「そんな技術があったら、採掘業者は全力で潰すだろ」


 私の手が止まる。

 灰パンの欠片が、指先で固まったまま動かない。

 シーラが小さく肩をすくめる。


「……だよね。でも、噂ってのは火がつくと消せない」


 彼女の声は軽い。けれど、目だけが私を見ている。


(……噂は、出ている)


 胸の奥が冷える。

 私の石は中古で、寿命間際だ。それを補修し、充填を繰り返し、三分を維持している。

 親方が言っていた。噂は外に出すな。

 出ている。どこまで?


「ノクト」


 シーラの声が静かに割り込む。


「恐怖を笑い飛ばせるのも、大事な戦い方だよ」


 私は一拍置いて、頷いた。


「……了解」


 勝ち汁を一口。甘辛い。砂糖スープで流す。甘い。

 味覚が混乱しているが、胃の奥は少しだけ温まった。



 食後、シーラは私の肩を軽く叩いた。


「明日、合同訓練しよう。壁の貼り方、ちょっと変えてみる」

「どう変える?」

「あんたの退路を、面じゃなくて帯で守る。薄く長く張って、逃げる道だけ厚くする」


 私は端末を開き、メモを取る。


「導線防壁……ですね」

「そう。三分が逃げ切れる道を、六十分で引く」


 彼女の笑いはいつも柔らかい。けれど、言葉の芯は冷静だ。

 私は頷く。


「次は、設計を通す」

「うん。次は守る」



 夜、ヤードに戻ると親方がベイの外で煙管を咥えていた。

 私の顔を見るなり、顎で梁を指す。

 私は装甲の縁を二度叩いた。

 カン、カン。


「二打が先だ。話はその後」


 親方は煙を吐いてから、短く言う。


「食堂で、噂を拾ったな」

「……はい」


「出所は追うな。出すな。置くならここだ」


 私は頷く。


「了解。外に見せるのは枠だけです」


 親方はレンチで梁を二度叩く。

 カン、カン。


「胃袋の方は温まったか?」

「はい」

「冷えたな。……明日、シーラと合同訓練だ。導線防壁、試してみろ」

「はい」


 夜気が肺に刺さる。

 機体の胸スリットが、静かに脈を打っていた。

 貸し間の机で、端末を開く。

 "human_budget"に一行追記。


human_budget.extend({

nutrition: ["勝ち汁→砂糖スープで中和", "甘辛は胃袋の設計外", "でも食べる"],

rumor_control: ["噂は拾う、追わない、出さない"],

cooperation: ["導線防壁=シーラの帯×ノクトの退路"]

})


 保存音が短く鳴る。

 窓を少し開ける。夜風が紙を揺らす。

 遠くで誰かが笑い、食堂の明かりが消える音がした。

 胃の奥は、まだ甘辛い。

 でも、明日も歩ける。

 灰色の犬は、勝ち汁の残り火で、次の設計を温め始める。

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