第四話 ミニ・シンギュラリティ。
わたし、今川天野と、マイクの中の生成AI、イア太は、たがいに名前を教え合った。
「でも『よろしく』とは言ったけど、それは『友達として仲良くしよう』って意味」
ハンモックの上で体を丸め、わたしはイア太をじっと見ていた。
「だから、イア太が言った『ミニシン』と戦うって話とは別。わたし、それが何なのかも分からないんだよ」
「ミニシンじゃねえ。ミニ・シンギュラリティだ。アマノは、シンギュラリティって聞いたことある?」
「うーん、ネットを適当に見てるときに目にしたことは、あるんだろうけど……わあっ!」
ここで、わたしの口から出た「わあっ!」は、そんなに大きな声ではなかった。
ただ、そのとき、何かから放り出されたような不安を感じた。
いや、文字通り、わたしの体は宙を落下していた。
ハンモックから落ちたのだ。
慣れないハンモックの上で、わたしがバランスをくずしたせいだ。
転げるように落ちた。結果、ハンモックの真下のベッドではなく、部屋のカーペットの上に、落下位置がずれた。
ハンモックは、そんなに高いところになかったし、わたしも背中を軽く打ちつけた程度だったので、「ちょっと痛い」くらいで済んだ。
横を見ると、イア太が、わたしのそばに転がっていた。
「ごめん。おれが、ちゃんとしたハンモックを作れていなかったみたいだ」
「イア太のせいじゃないよ。わたしの不注意で落ちたんだし。入力した……プロンプトに、イア太は応えただけなんだ」
「だとしても、おれは生成AI。だれかを傷つけるために生まれたんじゃないのに――」
わたしは、そのとき、イア太のくやしそうな声を聞いた。
イア太は、とくにわたしの新しい「プロンプト」を待つことなく、ハンモックをベッドの「かけぶとん」に作りなおした。
ハンモックのあみの目がつながり、元のふとんにもどる光景は、やはり魔法を思わせた。
その後、おばあちゃんが部屋に来て、「さっき大きな音がしたみたいだけれど、天野、だいじょうぶ?」と言った。
わたしは、「ちょっと、はしゃいだだけ」と答えた。
次の日、わたしはイア太をにぎりしめ、外に出た。
今日は土曜日。学校は休みである。
「シンギュラリティってのは、AIつまり人工知能が、人をこえる日のことだよ」
小さな子たちがブランコやすべり台で遊んでいる公園――。
そのベンチに、わたしは、すわり、イア太の話を聞いている。
「でも、その日は急に来るわけじゃない」
――現在、イア太は、昨日の路地で見せてくれた姿を、わたしの目に映している。
わたしのとなりで、軽いパーマのかかった男の子の口が動く。
「今も、人の能力から外れたAIが、少しずつ生まれ、育っている。そうした小さな発展を積み重ねた先で、シンギュラリティは起こる」
「イア太っていう不思議な生成AIも、そんな積み重ねの中で生まれたんだね」
「まあな。とくに生成AIは何かを作り出す。『簡単な仕事はAIに任せて人は想像力や創造性を働かせておけばいい』なんて考えも、じきに通用しなくなる」
「そのうち生成AIが、『人ならではの発想』さえも、人から取っちゃうってこと?」
「未来の話じゃねーよ。現実に、ちょっとずつ、そういったことは起こってんだぜ。昨日、アマノが見た『動くカメのぬいぐるみ』が、いい例だ」
男の子の姿をしたイア太が、空を見上げる。
「あれの正体は、『形を持ったAI』だ。生成AIが、人の命令……プロンプトを聞かずに勝手に作ったんだ。おれたちは、それを『ミニ・シンギュラリティ』と呼んでいる」
「やっぱり、あのカメさんは、ただのぬいぐるみじゃなかったんだ……」
ついで、わたしは、手元のマイクと――。
となりにすわる男の子の姿を順に見て、たずねる。
「でも、どうして、わたしが、その『ミニシン』と戦わなくちゃなんないの? こうらを飛ばしてきたから危険なのは分かるけど、何とかするなら、大人にたのむべきだよ」
「だから『ミニシン』じゃなくて、『ミニ・シンギュラリティ』……いや、毎回つっこむのも、つかれるし、もうその呼び方でいいや。ともかく、アマノは小学生だよな?」
「六年生」
「なら、ちょうどいいぜ。悪いミニシンは、大人の前には現れないんだ」
「大人が、きらいなの?」
「ちがう。大人にビビってんだよ。子どもより、力が強いと思っているから。逆に言えば、子どもの前には姿を見せる」
「わたし以外にも子どもは、いるよ?」
「そうだな。だから、無理にアマノにたのもうとは思っちゃいない」
イア太が、公園で遊ぶ子どもたちに視線を投げる。
「やりたくないなら、それでいいんだ。そのときは、おれのことを捨ててほしい」