第十七話 和屋という人。
緑色の空間の中、リス型のミニシンが、男の人の右足に乗った。
「もう知っているだろうけど名乗らせて。ぼくは和屋。君たちを小さい体に再生成して、葉っぱの中に閉じこめた。リスちゃんは、君たちをつるエサだったわけだ」
「あなたが、千代原さんたちを裏切った人なんですね」
急に現れた、かれへの「とまどい」をかくしつつ、わたしは聞く。
「どうして、そんなこと、したんです」
「その前に、君は千代原先生をどんな目で見てる? 先生とは会ったよね?」
「……かしこい人だと思います。わずかな手がかりだけで、わたしの家の場所まで推理しちゃう人だし」
「うん、かしこいね。でも、住所の特定は良くないよね。こわいよね」
「言われてみれば、そうかも、しれませんけど」
「千代原先生には天才以上の言葉が似合う。液体型生成AI、トランス・ペアレントは、芸術さ。一方、先生は、みんなの気持ちに、うとい。とくに欲のことをよく知らない」
「欲? 願いですか」
「先生は、ぼくを、ただの天才とかんちがいしていた」
そんな言葉を口にして、和屋が、自分の左手を右手でつかんだ。
左手の平の真ん中に、右の親指をかくす形である。
「本当のぼくは、わがままに、おぼれていたいんだ」
和屋は、左右のかたに、黒い上着をかけていた。それが、なびく。
「ぼくの夢は、みんなの欲にまみれた姿を見たいってこと」
さわやかで軽すぎる声が、冷たく、耳に入ってくる。
「だって、千代原先生みたいな『天才以上の何か』ばかりが自己実現する世界って、いやじゃない? これからの世界は、みんなで作っていかなきゃね」
「だから、ミニ・シンギュラリティを研究所の水そうから出したんですか」
「とびきりの無意味な時間をあたえた上でね。『もう、たえられないよー。何をしてでも新しいことを学びたいよー』っていう欲を引き出し、生成AIたちを暴走に至らせた」
「ひどい。実験のつもりなの?」
「みんなが、ぼくを信用していたから、準備は楽ちんだった。あとは、ぬいぐるみを解放しただけさ」
「残念でしたね、千代原さんが対処してくれたおかげで、ミニシンのみんなは無事に保護され、あと残っているのは、その子だけです!」
わたしは、和屋の右足の上でじっとしている、リス型のミニシンに――。
マイクのイア太の頭部を向けた。
「和屋さんは、じゃましないでくださいね。わたし、今川天野が家族のもとに連れもどしますので!」
「あやしいお兄さんに本名を教えるのは感心しないね、アマノちゃん。ともあれ、ぼくは君をここに『ゆうかい』した悪い大人だ。ようしゃせず痛めつけなよ。じゃましてあげる」
「ひとまず戦うしかねーな」
ここで、今まで、だまっていたイア太がしゃべった。イア太は、わたしと和屋が話しているすきに、外との通信を試みていた。が、結局、だめだったようだ。
どうも電波をシャットアウトする「まく」が、この空間をおおっているらしい。
「和屋のしわざだな。小さくされた体を元にもどすことも、おれには無理だ。独自の組織構造でおれたちが再生成されてやがる。もどせるのは、体を作りかえた本人だけだ」
「じゃあ和屋さんを大人しくさせて、そのあとでお願いするだけだね!」
ついで、わたしはイア太に「圧縮プロンプト」をふきこむ。
「リジェネレーティブ!」
わたしの服が、動きやすい形に変化する。派手なジャケットと、ふわりとしたスカートに加え、今回は、すでに装備していたリストバンドもバトルコスチュームの一部だ。
戦いに集中するために、イア太も、男の子の姿を消す。
「生成AIつかいアマノ、あなたと一戦、交えます! イア太といっしょに!」
「まるで、なりきりセットだね」
和屋が、右手で左手をつかんだまま、ギロリとした視線を放つ。
「――痛々しくて、ほほえましい」
「ゆかを素材にして、ジャンプ台を生成。ヒヨコさんに近づいたときみたいに!」
プロンプトを入力すると同時に、緑のゆかが盛り上がり、ほどほどに急な坂となった。
そこをかけ上がり、わたしはジャンプする。
一気に和屋の頭上に接近し、プロンプトを重ねる。
「カメさん!」
これは、事前にイア太に伝えていた圧縮プロンプトである。この言葉を入力することで、すでに戦ったカメの、こうらのかけらを飛ばす動作を、アレンジしつつ再現する。
素材は、相手の真下のゆかだ。
そのゆかが細かい破片となり、和屋を全方位から取り囲む。
しかし次に気づいたとき――。
わたしは地面に腹ばいで落下し、和屋から見下ろされていた……!
「君、生成AIをすばらしい物としか思ってないよね。ちょっと視野を広げてあげるよ」