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姉弟

久しぶりに顔を合わせる太陽が、目と肌に痛い。

この2年間ですっかり重たくなった体を動かすのがしんどい。

総じて、やる気が起きない。


 なのに目の前のこの女は、どういうつもりなのかやる気に満ちている。

まるで大きなプロジェクトを達成しようとしているといった類の顔だ。


 ……遊びだろうが。


 飯田茂は2年前まで一般企業に勤めていた。

過去形なのは今は休職中だからである。


 大学を出て、社会人になったものの、待っていたものは年に12回ポッキリの休みと、700時間越えの残業と、

営業ノルマの壁の大きさ、同時に実力よりも上司にうまくゴマを擦れる人間が得をする社会だった。


 正直やりたい職種ではないことも原因の一つだ。


 真面目な茂は体よりも先に心を壊し、ここ2年は部屋からもあまり出なくなってしまった。



 やりたいことがない。やりたいことを見つけてしまうのも、怖い。



 とどのつまり、茂は生き詰まっていた。


 茂のことを温かく受け止め、同時に焦り出したのは家族である。

このままではまずいというので、何かのきっかけにと、

姉である美沙子はこの日、茂を連れて毎年挑戦している鉄道会社の謎解きイベントに引っ張り出したのだ。


 正直、難易度は高くなく、謎解きがそこまで得意でもない美沙子は、それでも謎を解きながら色々な駅や、付近の名所、公園、施設に出かけるのが好きだった。


 1時間近く並んで手に入れた、二つの黒いクリアファイル。

『キング・オブ・キング アイデア K 6602』と書かれたクリアファイルの中身は、

紙が2枚。それぞれ、『A』、『K』と書かれている。


……それだけである。


 美沙子は混乱した。なんというか毎年もう少し、親切というか、出題問題とかが入っていて、それをミッション的に解くという、わかりやすい内容だったのだ。

これでは、AとKをどうすれば良いのか、なんのことかわからない。


「『秋葉原』のことかなあ」


 山手線の路線図を睨みながら美沙子が言う。

思考を働かせる気もない茂は、別のことを考えていた。


 ……妙なサイズの紙だ。B5でもA3でもない。どうやって出力して印刷したんだろう?

手間かかることやるなあ……と横目で思い、強すぎる日差しにうんざりしていた。


 太陽の光は、セロトニンを分泌するから人間の精神衛生上良いとされているが、今の茂にとっては不快以外のなんでもなかった。


「ねえどう思う?」


 美沙子は茂に話を振るが、家を出て、1時間並ばされ、日干しにされた茂はもはやダウンしていた。


「うんそーじゃない?」


「ちょっと真面目に考えてよ!」


 茂は、正直なぜこんな事に付き合わされるのか? を考えたかった。

頭もまるで働かないが、このままだと永遠に付き合わされるのではないかという恐れも芽生えつつあった。


「……『A』と『K』だから『秋葉原』というのは安易な気がする」


「じゃあ何よ」


「そもそも、なんで『A』と『K』って考えるんだ?」


「それを考えるゲームなわけじゃない」


「……『K』と『A』の可能性もあるぞ」


「なるほどー? ……で? それが?」


 茂の猫背は日差しで悪化し、もう真っ直ぐ立ってはいられない状況にまで追い込まれていた。


「自分で考えろよ……そういうゲームだろう。

 『K』と『A』?………わかった『K』and『A』だ」


「え、なにそれ。R and B的な?」


「……(ため息)繋げて読んでご覧」


「ええ? K アンド A」


「だあ!」


 茂は、その辺りの適当な壁に指で、『KandA』と書いた


「『KANDA』! 『神田』!! わかる!? 『か ん だ』!!」


「……あ。 あー!! なるほどー!! 茂頭いいじゃん!! さっすがー!」


 貢献したのだからこれで帰してはくれないか……日差しで頭が破裂しそうなんだ……

茂の姿勢はついに手を膝に乗せて『く』の字になった


 二人は中央線で神田駅に向かった。

よほどの用事などない限り、都民でも神田駅で降りるなんてことは滅多にない。

THE オフィスタウン それが神田である。


「……で? 神田のどこに行けばいいって?」


「知らないよお……」


 あたりを見回すと、黒いクリアファイルを持った人間が数人いた。

どうやら同じことを思ったのが何人かいたらしい。

しかし、やはり同じように神田のどこに行けばいいのかわからず、手詰まりの状態のようだった。


 茂は、『K』と書かれた紙をなんと無しに眺めていた。

左手で紙を持ち、右手はグーにして、親指と小指だけ伸ばす。

その奇妙な形の手を紙に押し当てていた。


「……なにしてるの?」


「……20センチだ」


「え?」


「用紙のサイズが20センチ四方なんだよ。こんな規格の用紙はない。

 コストや手間を考えるんだったらわざわざこんな面倒な紙に印刷しないよな」


「……20センチって……定規もないのにわかるの?」


「定規ならあるよ」


 茂は、奇妙な形のままの右手を美沙子に見せた。


「自分の体で物差しを作っておくんだ。俺の場合、これで10センチ。

 右腕を伸ばして、中指の先から左胸の辺りまでがだいたい1mだ。……社会で生きるために身につけた術だよ」


「あ、そう……で? その20センチが何なの?」


「もう一個気になるのが、 なんで2枚に分けたのかだ。

 さっきも言ったけど、こんな面倒なサイズの紙に印刷するんだったら、1枚に『A』と『K』とかけばいい。もしくは両面印刷だ。

 なんで2枚も用意したんだ?」


「??…… さあ?」


 茂の姿勢は、90度から110度くらいにまで復帰していた。

スマホで地図アプリを開く。


「例えばだけど、神田 2ー20なら?」


 検索して出てきたのは、鉄道とは何も関係なさそうなオフィスビルである。


「ええ……考えすぎだと思う。 正解だとしたら、難しすぎない?」


「難しすぎるから、誰も解けないんだろ?」


「まあ、確かに、そうね……」


 いつの間にか、茂の姿勢が160度くらいまで回復していた。

これは良い兆候かもしれない、と、美沙子は茂の『推測』に付き合ってみる事にした。


 神田駅から、神田神保町2ー20まではそこそこの距離があった。茂と美沙子は神田駅の西口を降りて、

複雑に入り組むビル街を少しでもショートカットしようと、アプリを眺めながら目的地まで歩いた。


「なあ……ところで、これクリアしたら何を貰えるんだ?」


「そう! それがすごいの!! クリアしたら、ハワイ旅行に抽選できるんだよ!? で、競争率だいぶ低いだろうから、

 解いたらもう、ハワイ旅行みたいなもんでしょ!?」


「ハワイ……」


 暑そうだ……そして日差しが強そうだ……今の自分には最も興味のない地だった。


「なんだってそんな所に……」


「……パパとママにさ、親孝行みたいなこと、できてないじゃん。あたし達」


「……申し訳ないとは思ってるよ」


「そうじゃないの。だから、挑戦だけでもしてみたらいいんじゃないかって」


「ふうん?……」



 言葉もぽつりぽつりと、そこそこの距離を歩いた。



 ……その建物は、なんの変哲もない、ビル街の住民しかいなさそうなビル街、

しかも人間一人がかろうじて通れる『隙間』のような道の真ん中にあった。


「流石に、ないよ。こんな所には」


 歩き疲れた美沙子がいう。


「……そこに何か書いてある」


「え?」


 茂が指した壁には、確かに文字とも汚れともつかない小さな模様が描かれており、

そこには、『KOK IDEA K 0662』と書かれていた……


模様はよく見ればQRコードのようだ。



「すごい!! 茂!! よく見つけた!! 天才!! 茂天才!!」


 美沙子は疲れを忘れて静かなビル街で大声を出した。


「これでハワイ旅行だね!!」


「どうかな……」


 茂は、早速QRコードを読み込んでみた。


 読み込んだ瞬間である……。茂のスマホの画面が一瞬ノイズが走ったように思えた。

それだけではない。遠くに見える電子広告にもノイズが一瞬走り、

この時間帯本来消えているはずの電気看板が一瞬点灯したのだ。

皆同じ瞬間である。


 美沙子はただならぬことが起きていると直感した。


 

 ……茂のスマホの画面には、鹿と馬の合いの子のような奇妙なキャラクターのイラストと共に、こう書いてあった。


『アウトーー!!

 引っかかったでやんすね?」

 これはトラップでゲスよ!!』


 ……ふざけた文章とイラストだ。まるで世界観がわからない。


「何これ…… え、わざわざこんなことする!!?」


「……」


 茂は、スマホの画面をじっと眺めていた。


「わかったぞ!!」


 今度は茂が大きな声を出した。


「わ! びっくりしたあ……」


「姉貴、今すぐ帰るぞ!」


「え、なに? わかったんじゃないの?」


「わかったから『帰る』って言ってるんだ!!」


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