こうゆうお仕事をしています、という話
――どこの国の人なのだろう。
同じ機に乗り合わせたハバロフスク航空のスチュワーデスたちは、その客をちらちらと盗み見た。
彼ら白人にとって東洋人の見てくれは謎に包まれている。そもそも、何処の国はおろか、幾つなのかすらも分からない。
青年のように見えるが実は、なんてことも珍しくない。とくに日本人は若く見える。ただ、
――日本人ではない。
理由は、話す英語のアクセントに華僑を思わせるものがあったからだ。
それにしてもこんな人が、なぜ、エコノミーに乗っているのか。
客にコーヒーを入れるためのカート。スチュワーデスたちは先を争って押したがった。いつもは仕事を押し付け合うのに、この日だけは違った。
「コーヒーをいかがですか?」
その客は言った。ありがとう、ちょうどほしいと思っていたところだと。
スチュワーデスの視線がコーヒーを入れながら素早く客の私物の上を走る。客は何か仕事をしていたのだろう。テーブルに万年筆が置いてあった。
その万年筆には、リー・コウアンと持ち主の名前が書かれていた。
ロシア共和国ハバロフスク空港。飛行機のタラップを降りたコウアンはコートの襟をかきあわせた。
入国手続きを済ませ、荷物を受けとって空港の外に出た彼はタクシーを拾った。
「わざわざ香港からねぇ」
タクシーの運転手が、バックミラー越しに彼の顔を見た。
「旦那、東洋人だからオラてっきり日本人かと思いましたよ」
ちなみにコウアンの先祖に日本人はいないが、日本人にかかわった記録は残っている。その日本人は良い人だったそうで、彼の先祖の危機を何度も助けたことがあるという。
そこで感謝の心を忘れないために、当主となる男性に日本風の名前を付けるのがしきたりとなった。……ちょっと何か間違って伝わっているような気がしないでもない。
そうこうしているうちにタクシーは、街の中心街から出てアムール川沿いの道を走り始めた。帝政ロシア時代の街灯が車窓を流れる。
「ところで、ほんとに行き先はそこでいいんてすかい?」
目的地は街から離れた場所にある古城だった。今は誰も住んでおらず、廃墟同然になっているらしい。
やがて古城が見えてくると、コウアンは車を止めさせた。
コウアンは車窓から空を見上げた。北国独特の曇り空が広がっている。タクシーが止まっている道は切り立った崖の上にあり、そのはるか下を深い鈍色をした悠久の大河が流れていた。
「もう少しそばまで行きましょうか?」
「いや、かまわん」
コウアンは破格のチップを運転手に渡し、タクシーから降りた。
「いいんですかい? ひゃー、こいつは嬉しいねぇ、良かったらここで待ってましょうか?」
どうしようか、とコウアンは一瞬迷った。川から吹く強風の中でコウアンはしばし考え込み、帰った方がいいと運転手に怒鳴るように告げた。
それを聞いた運転手が窓から身を乗り出した。
「もしかして、旦那、なんかヤバイ取引でもなさるんで?」
運転手の視線が探るようにコウアンを見る。まるで映画に出てくるようなスーツ姿にアタッシュケース。オールバックの髪型。そんな人物が、誰もいないはずの古城に用がある。運転手はいろいろと想像をめぐらせたようだった。そんな相手に、報酬を受け取るだけだがねとコウアンは言い、吹き乱される髪を手で押さえつけ、古城に向けて歩き出した。
「ここで待ってますからね!」
運転手の声がとぎれとぎれにコウアンの耳に届き、やがて聞こえなくなった。
ところで、なぜ彼がわざわざ香港くんだりからこの極東の地にやってきたのか、その訳なのだが、
一週間ほど前、手紙が彼あてに送られて来た。内容はこうだ。
――報酬が欲しければ誰にも知らせずに一人でここに来い。
仕事柄、顧客に呼ばれたら何所であろうとコウアンは赴く。それがエベレストの山頂でも、海のそこであったとしても。だからたかがロシアの極東の街くらい、彼にとってはなんと言うことはない。
それになんといっても手紙の差出人はコウアンの上得意でもある。少々物騒な相手ではあるが。
手紙には他に、届いた日から一週間以内に来ないと、支払いは困難になるとも書いてあった。そんなわけで、コウアンは自分に背後霊のようにくっ付いているボディガードに休暇をだし、いろいろと小細工をめぐらして一人でここに来たものの、様々な懸念が彼の脳裏をよぎった。そもそも、一人で来いと言うのに、どんな意味があるのか気になるところではある。しかも誰にも知らせずにとのオマケまでついている。
古城が近づくにつれ、どんどん空模様が怪しくなる。それを見てコウアンは思った。
――やはり誰かに知らせておくべきだったかな……(心細くなってきた)。
ぶるる、とコウアンは首を振った。古城への道を歩きながら彼は自分に言い聞かせるように思った。全く知らない相手じゃない。それに、何より代金を踏み倒されるわけにはいかないじゃないかと。
いくら儲からないとはいえ、慈善事業をやっているのではないのだから。
コウアンが到着すると、武装した男ら数人が古城から飛び出してきた。彼らはコウアンに銃口を向け、荷物を下に置けと指示をした。
彼らはコウアンにホールドアップさせ、体を調べ、武器などを持っていないことを確認すると、ついてこいと顎で彼に合図した。
「悪いがその前に、私の携帯を返してくれないか」
コウアンの言葉に、彼らは顔を見合わせた。身体検査の時に取り上げられたのだ。
「緊急の連絡があったら困るんだよ、だから」
男の一人が返事の代わりにコウアンの携帯を天高く放り投げ、弾丸を何発も撃ち込んだ。何をすると叫ぶコウアンの喉元に、そいつは携帯をぶっ壊した銃口を向けた。
銃の先で背中をつつかれながらコウアンは歩いた。古城の中は意外と綺麗に改装されていて、まるでちょっとした別荘の様な感があった。
男たちはコウアンを一室に案内すると姿を消した。一人になったとたん、コウアンの額から汗が吹きだしてきた。
「なんなんだ全く」
携帯電話は多分、彼の居場所を探知できるものが入っている。それを壊されたと言うことは……。
それにしても豪華な部屋だった。床に敷いてある絨毯は本物のペルシャ絨毯で、部屋の中に置かれた家具や調度品はちょっとした古美術品と言ったところだろう。彼はしばしの間携帯を壊されたことを忘れてそれらに見入った。だが窓に近づくと、彼の表情が怪訝そうなものに変わった。
「えらくまた用心深いことだ」
はめ殺しの窓は防弾仕様になっていて、しかも窓の外はすぐに崖になっていた。崖はアムール川の岸辺から反り返るようにして形成されており、下から登ってくるにはかなりの困難が予想される造りになっている。
それだけではなかった。部屋のいたるところに、監視カメラや盗聴器が仕掛けられていた。
「……」
「こんな場所にまでお越しいただいて恐縮です。ミスタコウアン」
と言ったのは、スラブ民族特有の、少し重たい雰囲気の顔立ちの男だった。男は部屋に入ってくると、待たせて申し訳ないと言いつつ、コウアンに椅子をすすめた。
彼はコウアンに仕事を依頼してきた人物で、名をイワン・ロヴィッチと言う。貿易会社を営む傍ら、とある武装集団のリーダーも務めていた。
「お部屋はお気に召しましたかな?」
イワンはソファにゆったりと身を沈めた。
「なにせ東洋一の財閥の御曹司にご滞在いただくのですからな。調度品にもこだわりましたよ」
部屋の奥にはベッドが用意されていた。
「イタリア製です。寝心地は保証します」
「その前に携帯を弁償していただきたい」
コウアンの言葉にイワンは首を傾げ、人を呼びつけた。するとさっきコウアンの携帯をぶっ壊した男が入ってきてイワンに何かを囁いた。
「ああ、それは申し訳ないことをしました。部下に悪気はないんですよ」
イワンはにこやかに言った。
「あなたに仕事を忘れてもらおうという彼の心遣いです。考えても御覧なさい。しょっちゅう携帯にビジネスの電話がかかって来たのでは、バカンスも楽しめないと言うもの。そうではありませんか?」
「私はバカンスをしにここに来たわけではありませんので」
コウアンは携帯破壊男をねめつけた。相手もこちらをにらんでいる。
イワンは苦笑して男を部屋の外に追いやった。
「いや、真に申し訳ないことをしました。ですがああいう連中は貴方にとって珍しいことじゃないでしょうに。なにせ世界で唯一、私どもの様な人間に武器を売ってくれる方ですからな」
そう、これが、リー・コウアンの「小売業」だった。
マフィアや武装テロリスト、果ては犯罪組織まで、彼は手広く商売していたのだ。武器を売って。
「確かにああいう類には慣れておりますが、それとこれとは話は別です」
とそこに、秘書らしい女性が、銀で装飾された皮の箱を持ってきた。
「まあこれでも召し上がって、機嫌を直してくださいませんか」
箱の中身はチョコレートだった。
「けっこうです。今ダイエット中ですので」
「そんなにスリムでいらっしゃるのに?」
イワンはわざと驚いたような顔をしながら、チョコレートを一つ口に放り込んだ。
「では葉巻はいかがです?ハバナから取り寄せた銘品ですよ」
「禁煙中ですので」
コウアンの答えに、イワンは苦笑いしながら、これはこれは用心深い、と呟いた。
コウアンはそれには答えず、持ってきたスーツケースを開けた。中にファイルに挟まれた書類がいくつか入っている。彼はその中から一つを選び出した。
「請求書の明細と、領収書をご用意しました。金額に間違いはございませんか?」
書類がイワンのごつごつした手に渡る。
イワンは盛大に葉巻を吹かしつつ、請求書を一枚一枚チェックし、軽く頷いた。
「間違いない」
明細には、天文学的な数字と、少々物騒な品物が列記されていた。
「お支払い方法はお任せします。貴金属でも構いませんし、お国の現金でも構いません。請求書に書かれてあるのはあくまで目安とお考え下さい。誠意をもってお支払いくださるのであれば、何らかの権利の譲渡ででも結構です」
そう言ってコウアンはスーツケースを閉めた。
ふと、何かが焦げる臭いがコウアンの方に漂ってきた。
コウアンが渡した書類が、葉巻の火で焼かれていた。
イワンの所業を半ば茫然と見守るコウアンの耳に、オートマチックの遊底を引く音が連続して聞こえてくる。少なくとも彼の背後に、五人はいるだろうか。いつの間に部屋に入って来たのか、それともどこかに隠れていたのか。どれも体の大きな、いかにも戦い慣れしていそうな男たちが、コウアンの退路を防ぐように立っていた。
「彼らが持っているのは貴方から買った銃です。性能をご自身の体で試してごらんになりますか?ミスタコウアン」
イワンは葉巻を大きく吸い込み、美味そうに吐き出した。
その頃。
古城の外に大きなトラックがやって来た。早口のロシア語が飛び交う。何か荷物が届いたらしい。
荷物は、誰が使うのか、ドライアイスを詰めた棺桶であった。




