晴天の空に曇天をかざす
済(2022.10.28)
一章の修正作業はこれにて終わりとさせていただきます。――――長かったなぁ……(2022.10.28)
◇ ルーン
特に理由があったわけじゃない。
ただ、なんとなく、嫌な予感がした。
「チィッ!」
リューゴ兄ちゃんの舌打ちが聞こえた時にはもうすでに体が動いており、その服の襟へと手を伸ばしていた。
ロイデバンと呼ばれていた人がこちらに向かってくる前に、一瞬だけ目が合った。でも、向こうはあまり気にしていなさそうだ。
「――――最後に――――し――――ぼうか――――」
この時、音はもうまともに耳に入って来てはいない。間延びした聞き取りづらい音だった。その代わりに、周りがよく見えた。
おじいちゃんが地面を蹴り、杖を持った人が杖を構える。わたしの背後からは、モフが追いかけて来ている。ソフィ姉も手をこちらに向け、壁を出すつもりのようだ。
「――――」
リューゴ兄ちゃんが上体を反らしていたから、襟はすぐに掴めた。そして引き寄せようとしたけど、長さが足りない。体が小さいんだ。
「――――」
――――あぁ。よく見える。
遠くの空で浮かぶ雲の陰影と形まではっきり見える。まぶしいくらいの太陽がオレを照らし、でも黒い太陽の影によって遮られる。
それは、とても怖かった。黒い炎でより怖く見えた、というものじゃない。目の前の、ロイデバンそのものが『悪夢』に見えた。
「ぁ――――」
呟きが漏れたのは、必然だった。そして――――
これだけの人数がいる中で誰も死ななかったのも、必然と言えるのかもしれない。
リューゴ兄ちゃんが無事とは言えないまでも。
モフに抱えられて地面に倒れたボクとリューゴ兄ちゃんは、二人まとめてその場で動けなくなった。
今まで広がっていた視界が、急に狭くなった。
「ぅ……ぁぁ……」
そして想像を絶する頭痛が、ボクを襲った。
◇
『黒炎』の特性とは何だろうか。
『紅炎』がその熱量と規模を以て生物を燃やし尽くすものであることに対し、『黒炎』は対象の精神を燃やす。
故に、肉体的な影響は与え得ない。ただし、心を徹底的に壊しに来る。
リュウゴが幾度もの『死』の体験をしたのは、この『黒炎』の特性故だ。
ルーンの頭痛はこれとはまた別のものなのだが、感化されたからこそであるのかもしれない。
「チッ、愚図が……」
エルムの悪態はリュウゴに向けたものだ。その心中を表すとしたら、「明らかにやばそうなの食らいやがって」といったところだろう。
エルムには、この攻防で『黒炎』が及ぼした影響が視えている。せいぜい今にも無くなりそうであったリュウゴの意識が完全に沈黙したことくらいだろう。リュウゴがこれで死ぬような奴でも、後遺症が残るような奴でもないことを、エルムは知っている。
リュウゴとモフの側で倒れているルーンは、何らかの別の反動であると、エルムは結論付けた。
ただしそれは、エルムのように高い認識能力を持っていればこその現状確認だ。他にもアーサーやモフは経験則から状況を把握出来ているが、素人と言って差し支えない者はそうもいかない。
「ルーンちゃんッ!」
ソフィアの悲鳴のような声が上がり、展開された【聖域】がロイデバンと、ロイデバンを押さえていたアーサーを弾く。これに対抗しようと、自らの【アーク】を使おうとして腕を壁に向けたロイデバンをアーサーが妨害した形だ。この妨害に、さらにエルムの『碧風』も加わる。
「フン……仕留め切れんか」
「さっさと帰れっつってんだろうが」
そのロイデバンの呟きに、昔を彷彿とさせるアーサーが目を細めながら冷たい眼差しを向けていた。ロイデバンはビリビリとその殺気を感じる。
「ルーンちゃんッ!ルーンちゃんッ!」
「ぅ……ソフィ…ぇ……」
頭を抱えたルーンの具合は、悪い。自分から少し眠ると言って気を失ったリュウゴのことも気にはなるが、ソフィアにとって現在進行形で苦しむルーンの方がよっぽど心配だ。なお、具合の悪さで言えばリュウゴの方が圧倒的に最悪である。
(私は……何もできないっ……!)
自らの無力を嘆きながら、ソフィアは目に涙を浮かべる。ルーンの体に触れるも、その体を抱えて名前を呼ぶことくらいしかできない。
「ぅぅ……」
「はいちょっとごめんね~」
妙に間延びした口調で、しかしそれまでよりも緊迫感を感じさせる声音で、モフがルーンの様子を見る。そして毛むくじゃらの腕をルーンの頭に乗せ――――
「フッ」
ぽん、と叩いて気絶させた。相変わらず顔色は悪いままだが、それでも先ほどまでと比べると随分とマシだろう。
「ソフィアちゃん、ルーンちゃんを見ててあげてね。ついでにこの子たちもお願い」
そう言ってモフはルーンと、すぐ側で倒れたままのリュウゴをソフィアに任せた。
「あの二人もどう動くかは分からないし~まだ続くようだったらねぇ~……ボクもいつまでもボヤボヤしてられないからさ」
「我も……身を灼くからなどという言い訳は使えんな」
涙で滲んだソフィアの視界に写ったモフとグレンは、とても心強く思えた。
パンッ!
「やめだ」
強く両手を叩いたロイデバンが、突如そう言った。
「残した方が面白そうだ」
ロイデバンが一体何を考えているのか、余人には伺い知ることはできない。ただし、長年の付き合いであるアーサーと、リノ、ジーンを置いて。
「本当は初めからそうするつもりだったんだ。ただ、思いの外盛り上がったからな。戦いを楽しんでしまった」
(やっぱまだまだ全力じゃねぇか……こっちはもうほとんど余裕がねぇってのに)
ツナギ、リュウゴはお互いに全力。いや、それすら越えた。グレンも消耗が激しい。
エルムも自身の手札がもう2,3ほどしか残っていない事実を噛み締めながら、内心で悪態をついた。ロイデバンの底はまだまだ見えない。
「で?結局どーするのー、バン」
地面に寝転がったリノが両腕で頬杖をつきながらロイデバンに尋ねた。
「一年だ。一年後、また来る」
それを聞いてアーサーの眉が動く。エルムの表情も険しくなり、不快感を露にしている。
「アーサー……それと『無限』、小僧ら、鳥」
ロイデバンの視線が、アーサー、エルム、リュウゴ、グレンの順に動く。口元は、もうずっと前から歪んだままだ。
「そして、お前たち」
「ッ!」
ロイデバンの視線は、今度はソフィア、ルーン、そしてモフに向けられる。気絶しているルーンはともかく、目が合ったソフィアはその迫力に圧されながらも視線を外さない。いや、外せない。
「強くなれ」
その言葉を聞いたソフィアは、意味が分からなかった。
(強く??いったい何が目的……!?この人はいったい何がしたいの……!?)
「……」
顔にも多くの毛が生えているモフだが、その容姿故に表情を読み取ることは難しい。ただ、きっと無表情だったのだろう。
「そして……飽くなき闘争をしようじゃないか」
「――――この戦闘狂めが……」
「それが俺だ、アーサー」
アーサーは、今ここでロイデバンと戦うか、一年後に持ち越すかを思案する。
(最悪は避ける……)
そして、今ここでの全滅というリスクを選ばなかった。リュウゴ、ルーンという戦闘不能者を抱えた上で、手負いとは言え未だ強敵であるロイデバンに挑むことを良しとしなかったのだ。
アーサーが負ければ他の人物も殺されるであろう。アーサーも負ける気はないが、手負いのロイデバンがどれだけ恐ろしい存在で、どれだけ頼りになる存在かを知っているが故の結論である。
一人なら、このまま戦った。たとえロイデバンが手傷を負っていなくても。しかし、今のアーサーは一人ではない。
故に、今回の抗争はこれで終わりである。
「――――退け」
「ああ」
お互いに目を見合えば分かる。そして、両者とも確信にも似たある感覚があった。
それは――――
((次に会う時には……どちらかが死ぬな))
と。
お互いに、死ぬのは自分かもしれない。もしくは両方であると確信を持てた。二人とも生き残るということには決してならないという確信が。
この長い――――アーサーとロイデバン、そしてヤマト、キリマと仲間たちの旅路は、もう何度目か分からない終着を迎える。500年以上にも渡る長い旅路が。あと、一年で。
アーサーのすぐ横を通るようにロイデバンが歩き出す。もう、これ以上言葉はいらない。
「行くぞお前ら」
ロイデバンはリノとジーンに声をかけた。
「ルーンちゃんとサヨナラできないのは残念だけど……また今度ね。じゃ~ね、ソフィちゃん」
「ハァ……どこまで能天気なんだ」
場の空気を読まないリノの発言に、ソフィアは言葉を返すことができない。そもそも、そんな余裕はない。
代わりに、モフが言葉を返す。
「――――またね」
「うん、バイバ~イ」
相変わらず表情は読めないが、その時のモフはどこか寂しげな雰囲気を醸し出していた。
そして森の出口へと消えて行くロイデバンたちを見ながら、誰一人として言葉を喋ることはなかった。
一分ほど経過した頃、片目を閉じたエルムが大きく息を吐き出した。
「もう戻ってこねぇだろう。大分離れたのが視えてる」
「ご苦労じゃったな……エルム」
「あー……さすがに疲れた。俺も寝る」
「大丈夫だよ。ボクとアーサーが運ぶから」
「頼む」
それだけ言い残し、エルムの体から力が抜ける。カランと杖が地面に落ちる音がし、エルムが大の字に寝転がる。リュウゴと同じく、力尽きたのだ。脳を酷使しすぎた。
(さて……)
アーサーは今回の抗争について思考を巡らせる。
(一年か……)
それは、ロイデバンが提示したタイムリミット。これまで生きてきた時間と比べれば、あまりにも短い。
(どうしたものか……)
アーサーが見上げた先には、蒼空が広がっていた。




