プロローグ:ようこそ、そして、
◇
「じゃあ、行ってきまーす!」
そう言って少年、天野龍吾は家を出た。休日だから家にいる母親と姉に聞こえるように挨拶をして。
冬はもうすっかり過ぎ、手袋やマフラーはいらない。それどころか、龍吾が着ている服は生地の薄い春用のものだ。前のチャックを開けたパーカーがよく目立つ。
「さて、走って行くか」
今日は新作ゲームの発売日だ。と言っても、サービス開始は昼の12時。日付変更と同時にアクセス可能というものではない。一介の学生である龍吾にとって、徹夜はあまり健康によろしくないだろう。エナジードリンクを飲んで、学校を休んでまでイベランを駆け抜ける彼には余計なお世話であろうが。
「ハア、ハア」
別に貧弱というわけではないが、ほとんど全力疾走しているとさすがに息が切れる。それでも龍吾が顔に浮かべるのは笑みだ。もう楽しみで楽しみで仕方がないという表情だ。
天気は快晴。春の陽気と共に忌々しい花粉が飛ぶ。
目的地は、ゲームショップ『フロント』。龍吾の家から徒歩5分。もっとも、今現在は走っているのでそれよりは早く着くだろうが。
『フロント』はゲームショップでありながら、マンガやアニメDVDなども取り扱っている。そのおかげで、幼い頃からこの店に入り浸っている天野龍吾少年は立派なオタクだ。
それだけではなく、龍吾が人生の師と仰ぐその店の店主からは、性格の部分に多大な影響を受けている。彼の性格について語るなら、中二病と天の邪鬼も付け加えておこうか。
そうこうしている内にデカデカとした看板が見えてきた。緑を基調とした看板に、たくさんの絵が描かれている。あまり統一感がない絵柄は店主の仕業だ。
信号を待ち、横断歩道を渡るともう店は目の前だ。
息を整え、口元に笑みを浮かべてドアに手をかける。まだ見ぬゲームの世界に想いを馳せて……
「さあ、俺の冒険が今……」
◇
ドアを開けると、真っ白な世界が広がっていた。龍吾はフリーズしている。
「……ッ!いやおかしいだろ!?」
硬直からは復帰したが、まだ現実を受け止めることが出来ない。
そもそも、『フロント』の内装はこうじゃない。ドアを開け、左手には小さなクレーンゲーム、右手にはそれぞれのコーナーに繋がる大きな通路がある。断じてシンプルを極めたような真っ白な内装ではない。
「すげえ……果てが見えねえ……」
人は許容量を越えると現実逃避するのだろうか。少なくとも龍吾はそうだった。もっとも、現状把握に努めているので、わりと余裕があるのかも知れない。
「ん?なんだありゃ……?」
龍吾が何かに気付く。そこでは、現在進行形で摩訶不思議な現象が起こっていた。空間が歪んだと思えば次の瞬間、極光が世界を包んだ。
「クッあぁ!!」
光を直視してしまったため、目をやられた。目の奥の激痛に悶えながらも、龍吾の直感と言うべきか、それが何かを捉えた。
「ア…ド…ーグ……」
声がした。かすれた女性の声だ。
「500年ぶりね……」
どうやら声のかすれは最初だけだったようだ。引き込まれるような美しい声音だ。
500年、それが何を意味するのか、龍吾には知るよしもない。それでも龍吾はこの異常事態の中心であろう目の前の女性に問いを投げかける。
「えーと……?どちら様で……?」
困惑していないと言えば嘘になる。だが、龍吾は図太かった。
そして、問いに対する返答は……
笑みだった。
心なしか怒気を孕んでいるように感じる。背筋が凍るようだ。知らぬ間に地雷を踏んでしまったのだろうか、そんなことを思いながら龍吾は再度目の前の女性へと向き直る。
龍吾の目はもうまともに見えない。それでもかろうじて見えたのは、風にたなびく白の衣服と長い黒髪だけだった。
神様みたいだな、と不意に思った。それと同時に龍吾は、ある一つの結論を導き出した。
(あ、これ異世界転生的な……)
その推測はほとんど正解と言っていいだろう。
だんだんと薄れていく意識の中で龍吾が思ったことは、
(母さんには迷惑をかけるな……)
そしてもう一つ、
(ゲーム……したかったな……)
◇
そして運命は動き出す。
龍吾は――――リュウゴは、ここではない別の世界へ。
本人の意思とは関係なく……
――――もしくは望み通りに。在るべきカタチへ。




