24 反逆者の意志
完結済みではありますが、読み易いように改行等手直しをしております。その際「25 居ない筈の者」と分割しております。
宜しければご覧下さい。
24 反逆者の意志
「知人か」
無表情の甲斐から詳細を聞くや、吉蝶は短くそう訊ねた。
息を切らせた甲斐が、拳を握る。
「……まだ若いが、見所の有る奴で……。今回、俺が人手を集めてるって聞いて、向こうから助勢に駆け付けてくれた……潜りの」
夏至に向け、夜明けが早まる時節だが、未明の薄明路を疾駆して来た甲斐は、話す内に、表情の抜け落ちていた面に複数の激情を見せた。
堕妖への瞋恚、及ばなかった己の不甲斐無さへの怒り、若者を死に追い遣ってしまった悔い、不手際の自責、知己を失った哀しみ……。
先程帰ってからの数刻の間に、甲斐はすっかり面変わりした様だった。
激情の波を努めて抑え、甲斐が語った処に依れば、北東で消えたのは、大店が多く借りる蔵街で働く人足で、悪漢が勾引に来ても返り討ちにしてやると息巻く程の、見事な体躯を誇っていたそうだ。
それ故、独りで荷の積み出しをしていて、隣の蔵に居た仲間が、休憩になっても現れぬと様子を見に行った時には既に、若者は影も形も無く、消える寸前まで手にしていただろう荷が、蔵の床に、ぽつん、と、落ちていたと言う。
一方、西門付近には、炎風時、役に立たぬ御札が売られる神社が在り、潜りの青年ともう一人の被害者である近所の老婆は、その境内で惨い姿で見付かった。
老婆と青年には面識が有り、独居の老婆を、孤児で矢張り身寄りの無い青年が、日頃から気に掛けていたそうだ。
老婆の隣人の話に依れば、老婆は深夜まで見回る青年の為に、握り飯を作って差し入れすると言っていたらしい。
恐らく、境内で待ち合わせた処を襲われたのだろう。これまで同様、正面から巨大な手の一撃。
青年に戦闘の形跡が無い事から、そちらが先に襲われたと思われる。
或いは、老婆を庇ったか。
以上の報告の間、一切口を挟まなかった吉蝶だが、甲斐が口を閉じるや冷然と言い放った。
「惰弱な。退治屋なれば、仲間の死に直面する等、珍しくもなかろうが」
その儘踵を返し、自室に引っ込んでしまう。
今の千砂には、吉蝶の意図が解る。
故に責める声を上げなかったが、流石にもう少し言葉を選ぶべきではと甲斐を窺うと、大男は自嘲の笑みを浮かべて、額を押さえる処だった。
甲斐と吉蝶の付き合いは、千砂のそれより当然長い。
その分、互いの言いたい事が通じる様だ。
「……不様な処を見せた。謝っといてくれるか。ただでさえ貴重な時間を割かせちまって」
「……言わなくても解ってると思いますよ」
だと良いが、と、甲斐は今度は苦笑して、懐から無造作に藁半紙の束を取り出した。
「あれから調べた分だ。見辛くて悪ぃが」
いつも甲斐が寄越す書付は、もっと上等な料紙に読み易い流麗な手蹟だが、今差し出されたのは、滅茶苦茶に折り畳まれ、字も乱れ踊っている。
普段はここから情報を精査し、清書しているのだろう。その手間も惜しまねばならぬ状況で立ち止まっている暇は無いと、吉蝶は厳しい言葉と態度で示したのである。
怒りをぶちまけたいのなら堕妖を見付けろ。お前は堕妖専門の退治屋集団小塚の頭領だろう、と。
吉蝶は甘えを赦さない。他人に対しても自分に対しても。
だがそれは、この過酷な慶寿に暮らす上で、退治屋として生きていく上では、当然の事なのだ。
僅かな油断が、生死を分ける。
上に立つ者ならば余計に、それを忘れてはならない。
それを悟れぬ馬鹿者は見捨てられるだけだが、本当に見捨てるのが吉蝶が吉蝶である所以だ。
容赦無い。
短時間の小塚の戦果を有り難く受け取り、吉蝶の自室へ向かう。
今は甲斐を見送らない。吉蝶に情報を上げ、判断の材料にしてもらう方が先決だからだ。
甲斐も無言で小塚に戻る。
自室の吉蝶は、文机の前で思案に暮れている様だった。
甲斐からの紙の束を受け取る表情に僅か疲れが見えて、千砂は意表を突かれる。
「……何を突っ立っている。鬱陶しい」
「あ、いや……何か、疲れてるみたいだなと」
つい答えれば、吉蝶は眉間に皺を寄せた。
「本当に、お前は、私を何だと思っている」
師への敬服が無いなと、吉蝶は嘆いた。
勿論その間も、藁半紙の乱筆から目を離さない。
「酷い誤解が有る様だが、私の身体は、疾っくの昔に棺桶に足を突っ込んでいるのだぞ」
「……は?」
千砂は激しく瞬いた。
意味が解らない。
「いや、だって……朱雀の補佐は」
「それは体力の話だ。大昔に瀕死の重傷を負ってな。四体を封印して身体を補ったのだ」
千砂は一瞬凍り付いた。
「い……や、待て待て待て。それ違うだろ!? 四体を封印しようとして死に掛けた、だろ!?」
「四体とも倒す心算でいたぞ。四体共に深手負わせたが、妖の再生力に、私の退魔力が追い付かなんだ。最後の玄武に手間取って、死に掛けた。助かるには四体を身体に封じ、妖の回復力を我が物にするしかなかったのだ」
吉蝶は淡々と話を続け……爆弾を落とした。
「だが、いくら上妖でも、生命までは補えなんだ。傷が深過ぎてな。身体だけ再生させても、生命までは繫げなかった。だから、時を止めた」
今度こそ、千砂は本当に理解不能に陥った。
「……と、止め?」
「正確には、時の流れを妖力に換えた。幸いと言うか、四体の妖力は無尽に有ったからな」
駄目だ。完全に全く理解出来ない。
「私の身体には最早、老い、老化、成長と言った現象は訪れん。時の代わりに、四体の妖力が消費されるのだ。生身の身体には違いない故、生命を維持する為に栄養の摂取や排泄等は必要だが、栄養を糧に身体が発育する事は起こり得ん。髪や爪が伸びるのは、老化や成長ではなく、身体の生命活動に付随する現象の様だ」
耄碌せんのは有り難い事だがな、と嗤う吉蝶に、虚言の様子は無い。元より、吉蝶はそんな性質ではない。
千砂は一度、額から顎までをゆっくりと撫でてから、低く訊ねた。
「……何で俺にそんな話をする」
数刻前に感じたばかりの吉蝶の謎。
それがまさか、こんな解かれ方をするとは。しかも齎された秘が大き過ぎる。
展開が読めず慎重になった千砂を、誰が責められようか。
「先程の、甲斐の言」
仕組まれている様だと。
「有体に言えば、あれが――癪に障った」
とんでもない答えに、千砂は一瞬顎を落とした。
子供の癇癪かと思ったのだ。
しかし。
「私は常に、叛逆する事を、抵抗者である事を貫くと決めて、ここまで来た」
吉蝶は書面に目を落とした儘、物語を読む様に続けた。
世に生を受けた存在であるのに、その生を否定された時から、根本を拒絶された時から、そう決めたと。
世の条理等、知ったことか。
世界が自分に不条理を押し付けるなら、自分がそれを世界に返して何が悪いのか。
それが吉蝶の、存在の意味。根源。
戦う理由。
「お前を弟子にしたのも、奇跡とは、予定調和の中に在るものではないと考えたからだ」
奇跡と告げられた、邂逅。
出会うのが定めなら、邂逅は奇跡になり得ない。
定めではないなら、出会わない。
ならば、邂逅が奇跡の儘、出会うならば。
それを運命の反目とは、言えないだろうか。
時の流れから切り離される事を是としたのも、それが時の流れへの抵抗に思えたからだ。
予定調和と言い、運命と言い、造物主の意思と言い、天命と言う。
どの選択も結局は必然で、意味の無い抵抗で、空しい駄々なのかも知れぬ。
だがそれでも吉蝶は、生き方を変えようとは思わない。
そう在る事を自分で決めた。
それが、断言出来る唯一の事だからだ。
だから吉蝶は傲慢な程に不遜であり、そして、倣岸なまでに悔いぬ。
貫く――のだと、千砂は漸く理解した。
吉蝶の強さの所以を。
得心が行った。
「大妖に会うとか言ってたのって、ひょっとして、大妖なら身体を直せるかもって……?」
「違う。私は今更、己の状態を変えようとは思わん。これは、私が生きる為に得た力だ」
殺される運命を蹴り、生きる為に妖を受け容れた。――そう、それは最初の抵抗。
「それに、今は四体の妖力で均等に賄っているが、時の復元力は凄まじいぞ。もし、四体を解放しても生きる手段が有り、それを実行したら、その時には、私が不自然に生命を繫いだ事で、本来私が死んでいたら出会わなかった相手、生じなかった事に反動が起きるかもしれん」
「……それって」
「無に帰する、のだ」
撓み続けた枝が、恐ろしい勢いと力を以て元に戻る様に、堰き止められていた水流が堤を破る様に、正しい状態に直ろうとする激流が、不自然な状態を容認していた反作用が。
在るべき――正しい姿に、還ろうと。
「故に、四体の解放等論外だ。……どうにかなるならしてもらいたいのなら一体居るが」
千砂は最後の部分は聞かなかった事にした。
「大妖には元始から在り、時を鳥瞰出来るものも居ると聞く。私の選択が大局的にはどんな目を出してきたのか、見極めたかったのだ」
時の流れを鳥瞰し、或いは遡り、或いは先へと泳ぐ。
神にも等しき稀有なる存在。
人がその能力を得たならば、未来見と言われ、過去視と言われる。
巫である。
故に、大妖ならば知るかと思った。
自分が生きている間に、答えが出るかと。
「だが、いかんな。大妖にはそうそう巡り会わんし、大体、他に答えを求める方が誤りだ」
「……念の為に訊く。今、四体を解放したら」
「決まっている。私の棺桶の蓋に釘が打ち付けられるだけだ。時は本来、否応も無く流れるもの。生命有る存在は、死からは逃れられん」
死には、誰も抗えない。
死なぬ事。
これも吉蝶の抵抗で、叛逆。
お読みいただき有り難うございます。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
星を掴む花
竜の花 鳳の翼
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