21 天の呪いの如き
完結済みではありますが、読み易いように改行等手直しをしております。その際「20 勾引と神隠し」と分割しております。
宜しければご覧下さい。
21 天の呪いの如き
「俺の退治屋としての力は、四札にも届くか怪しいお粗末な退魔力だけ。勉強不足で知識も足りないし、武術に優れた才が有る訳でもない。でも俺は、退魔力とは別にもう一つ、別の力を持って生まれて来てしまった……」
そしてそれが、退治屋を志す理由の一つ。
どうしても語尾が震える。吉蝶の無言の促しに、千砂は一度、大きく息を吐いた。
もしも、と思う。
もっと早くに吉蝶と会えていたら。
あの人は、助かったろうか、と。
「……もう一つの力は、退魔力の逆」
破邪でもなく破魔でもなく、否、これは力と言うべきでもない。
人格を、存在を、完全に無視した天与の……何と言うべきか。
「俺の血と肉は、妖には格別美味らしい」
「何?」
運命の悪戯との言葉があるけれど、これは悪戯と言うにはあまりに――悪意に満ちた。
「……格を、上げられるんだそうだ」
卑妖は貴妖に。妖雑でさえ、事によっては上妖に。
上妖ならば……大妖に。
力を絶対とする妖が、求めて已まぬその術は。
「俺を、喰えば」
「な……」
流石の吉蝶も息を呑んだ。
千砂の血の一啜り、肉の一嚙みで、妖は新たに甚大な力を得られる。
浴びる程血を呑めば、妖雑でさえ上妖にもなれる。
そして、心臓を喰らえば。
「全てが……大妖に」
錯覚する。
自分の生命が、ただその為に――妖の餌となる為に、在る様に。
まるで、天の呪いの如き。
「……だから、お前は退治屋に……」
幼少時――生まれた時から、それで生命を狙われ続けた。
襲い来る妖を恐れ、周囲からも疎まれ厭われ恐れられた。死を覚悟したのも、一度や二度ではない。
人の悪辣な罠で殺され掛けたのも、矢張り一度の事ではなかった。
よくぞここまで生き延びたと我ながら思う。
勿論、自分独りの力ではないけれど。
「よくもここまで生命が有ったものだな……」
同じ事を思ったらしい吉蝶の感嘆に、こんな時なのに千砂は笑ってしまった。
「慶寿は、俺にとっては荊州なんかじゃない。間違い無く、この世で最も安全な都市だ。身を守る方法を学べるし、妖に遭遇する危険は増すけど、それを相殺して余り有る退治屋の数、ここまで展開した術壁も、他の国では望めない」
奇しくも大昔の商人が、商売の絶好機と妖の危険を天秤に掛け、前者を採った様に、他国と綾京で妖の出現率に大差が有っても、千砂はもう、綾京以外では暮らせなかった。
慶寿は紛れも無い千砂の楽天地だった。
「しかし、血だけでもとは……。今までにお前の血肉で妖格が上がった事があったのか?」
「一度だけな。子供の頃に妖雑に襲われて。その時は血が二、三滴掛かっただけだったから、村の若衆で何とか倒せたけど」
「……嫌な事を訊くぞ。人間にも殺されそうになったのだろう。……どうやって助かった。周囲から疎まれていたのなら、村八分にされて飢え死にだってしそうなものだが」
本当に吉蝶は遠慮が無い。
「両方とも、俺が異質だったから、かな。妖にとって価値が有るのは、生きている俺の身体から直接摂取したものらしいんだ」
簡単な例を挙げるなら、転んだりぶつかったりして擦り剥いた時、地面や壁に付いた血や皮膚では、妖には用を成さないと言う事だ。
「死体では意味が無いのか……」
「だから、俺を殺したら、怒り狂った妖の群れに復讐されると思われていたんだ。時々、恐怖心で暴走して俺を殺そうとした者が現れても、それで周囲が必死に止めた」
だが積極的な害意が無いだけで、悪意と敵意は妖並みに……否、人語を解する人である分、妖以上の憎悪を向けられる事には変わりなかった。
群衆の中の孤独、無関心な放置は、幼い子供には過酷過ぎた。
護ってくれる筈の親は真っ先に逃げ、村から死なぬ程度の食料を与えられて生命を繫ぐ暮らしだった。
それでも何とか耐えてこられたのは、たった一人だけ、同じ境遇の理解者が居たからだった。
だがその人も直ぐに失い、その時、自分の世界は一度、壊れた。
退治屋を目指そうと決めたのは、壊れた――己が壊した世界を目の当たりにした時。
怒りの儘に取り返しの付かぬ振る舞いをした、その惨状の中で。
「異質、か……」
何を思ったのか、吉蝶がぽつりと呟く。
「無事だったのは、妖の数も関係有るかな。生まれ故郷では、妖の襲撃なんて年に一、二回有るかどうかだったんだ。それも精々が下妖で。綾京に来て、あまりの数の多さに驚いた。これだけ退治屋が居ても人手不足になる訳だ」
努めて明るく、不自然は重々承知でそう言うと、吉蝶は追及の手を一応は緩めてくれた。
「その、故郷だが。その容貌からするに、お前は森の民だろう。森の民は、妖を一種の神の様に敬っていると聞いたが、それでもお前への扱いは、矢張り非情なものだったのか?」
グラネリアの東に、海の様に広く深く広がる大森林。
其処に暮らす森の民は、大妖を神と崇めると伝わる。
大妖の力を鑑みれば、神格化も理解出来るので、妖を呼ぶ千砂への対応も、他の国よりかはましになりそうなものだが。
「森の最深で、存在も怪しい大妖を祀っているのは、神職一族。俺はもっと西の小村だった」
苦いものが蘇る。
千砂の記憶では、非情な仕打ちは、妖ではなく人に、より多く与えられた。
既に無い故郷の思い出は、惨苦に埋まっている。
「血族婚を繰り返している訳じゃないのに、森の民の形は皆こんななんだ」
こんなと言いながら、千砂は己の髪を一房摘まんで軽く引っ張った。
亜麻色の髪は、一見森では目立ちそうだが、陽溜まりや木漏れ日に溶けると、不思議と違和感が無いのだ。
あの人は、もっと豊かで美しい髪だったか。
「俺も質問。さっき表に出たのは……」
「ああ。……あれは、青竜だな」
青竜か。これ、に気付いたのは。
千砂の緊張を知って知らずか、吉蝶は顔を顰める。
「拙いと思ったのだ。あれは正しく『私の身に危機が迫った時』だったからな。顕現だけで澄んで、真に幸運だった」
「異界の妖は倒したのか?」
「いや。青竜に気圧されて逃げただけだ」
何故、朱雀の制止をすんなりと受け容れてくれたのかに少々興味は有ったが、より差し迫った問題が在った。
妖気だ。
異界の天頂が裂けた時、青竜の尋常非ざる妖気も外界、つまりこの通常空間に噴出した筈なのだ。
あれを感じぬ退治屋が居たら、それこそ「潜り」である。
「それなら心配無用だ。既に手は打ってある」
「……因みにどういった……?」
「異界が出現した、とお偉方に報告したのだ」
嘘ではないぞ、と吉蝶は言う。
「神隠しの懸念が有った事が、好都合に働いたな。大規模な異界への道が開いた、と言っても誰も疑わん。異界から漏れた、で、丸め込める」
「……いや、まあ、確かに嘘ではないけど」
真実の半分しか告げてないだけで。
「先程文を出しておいたからな。そろそろ甲斐が確認に来るだろうよ」
お偉方とは、各流派の一札指導者と、潜りの中でも重鎮と一目置かれている者達の事だ。
退治屋界には、彼等の認識が退治屋の共通となる、との、暗黙の了解がある。
噂を裏付ける証拠が、泣く子も黙る吉蝶から提出されたのだから、老人達も頭から否定はしないだろう。
寧ろ、勾引を神隠しと公認する好機と見るかもしれぬ。
それにしても、先程とは、小塚に用を言い付けた時の事だろう。どこまで用意周到だ。
「それで、甲斐が来る前に、ある程度目星を付けておこうと思っていたのだが……」
と、吉蝶は地図と書付に目を戻し、話も戻した。
見よ、と二枚の地図を、千砂にも示す。
「これが怪異の報告が有った地点。そしてこちらが……勾引があったと思われる場所だ」
と、地図を重ねて示された千砂は目を疑った。
何と両事件現場が殆ど一致しているのだ。
「え……本当!?」
「妙な言葉を使うなバカタレ。しかし本当だ」
吉蝶は綴った書付を繰る。
「最初の事件に数日の差は有るが、怪異と神隠しは、ほぼ同時期の発生として差し障りは無い。甲斐の奴、巫山戯た真似をしてくれる」
吉蝶の言葉と瞳に剣呑さが宿る。
「え? どう言う事だ?」
「甲斐は、初めから、怪異と神隠しが関係有ると知っていた……少なくとも、関連を疑っていたと言う事だ! でなければ、私が要求した資料をここまで早く揃えられる筈が無い」
「あ」
確かに。
「大体情報屋なら、これを最も早く目に出来るんだぞ。気付かん訳が有るか! 私を謀ろうとは……甲斐め、あの熊狸!」
これ、と言いながら、吉蝶は地図と書付を怒りに任せて、ぺぺぺん、と叩いた。
しかし熊狸とは。どんな狸だ。そんな狸見た事が無い。
「へぇ、やるなぁ、甲斐さん……あれ?」
待てよ。
甲斐は、怪異と勾引、即ち神隠しの関連を承知で、吉蝶に話を持って来た。吉蝶が調べれば、勾引が神隠しである事も、怪異が神隠しに付随した現象である事も、直ぐに証明されると踏んでいた……期待していた事になる。
今、勾引が神隠しだと公表された方が都合が良いのは……ひょっとしてもしかしていや絶対に。
「怪異の依頼の筋はお偉方か!」
「十中八九、な」
「道理で、太っ腹な依頼人だと思った……」
駒に使われた怒りで、柳眉が角度を上げる。
「道の予測は出来んが、神隠し前に怪異があれば、付近の避難位は何とかなる。勾引で警吏が喧しいから、退治屋側から下手に口を出して余計な揉め事にならぬ様、私を使おうとしたのだろうよ。その目論見も潰える訳だが」
「え? 何でだ?」
「堕妖だ。今、人の大きな移動があるのは拙いと、話をしただろうが」
「ソウデシタ。……念の為に訊くが、神隠しが妖の罠だったって話、甲斐さんには……」
「誰が無償で教えるか! 私を欺こうとした罪、存分に思い知らせてやらんと気が済まん!」
「それは……結構な見物になりそうだなー」
――何か、漠然とした不安が有ったのだが。
千砂がその正体を知るのは、最後の事で。
甲斐の命運を思い、千砂は密かに合唱した。
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星を掴む花
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