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天に刃向かう月  作者: 宮湖
23/44

19 降臨

完結済みではありますが、読み易いように改行等手直しをしております。その際「18 格差」と分割しております。


宜しければご覧下さい。


 19 降臨



 初めに気付いたのは、矢張り吉蝶だった。

 やや伏せがちだった目を瞠るや、爛、と燃えるが如く強い光を発して、ある一点を睨む。


「……来たか……!」


――否、一点ではなかった。


 珍しく微かな驚愕を孕んだ菫の双眸が、忙しく異変の群れを薙ぎ払う。

 鋭く斬る様な菫の軌跡、力と才知の光が追ったのは。


「……おい、嘘だろ……?」


 黒く濁った、無数の水面。


「此処は北だぞ!?」


 千砂の悲鳴じみた絶叫が合図となったか。


 黒変したのは、それまで清涼な竹林を増やしていた雨の残滓。


 その、石畳に散る水鏡全てが。


「!」


 一瞬で沸いた。


 派手な気泡が一斉に弾け、轟、と空気が歪む。

 反動で大地が揺れる。

 同時に吉蝶の手首で、しゃん、と涼やかな音が響いた。


「だから、人の話は聞けと言うのだ」


 蒸気の代わりに立ち上ったのは、瘴気。

 住宅街で、瘴気を拡散させる訳にはいかぬ。


「貴妖ならばと言ったばかりではないか!」


 弟子への叱責を呪に代えて、常ならば己と弟子を護るだけの結界障壁を、小路全体に長く広く展開させた。

 聞き慣れた金属音が届く限りに響き渡り、呪の壁を打ち立てる――筈が。


「何!?」


 今度は本当に稀有な、微量の狼狽が、吉蝶の声音に混じった。


 結界障壁が二人以外に作用しないのだ。


 瞠目する千砂が見たのは、地表から宙へと浮いた黒い水の塊が、歪んで縮んで、そして、あの、闇の塊に変じた瞬間。


「吉蝶! 異界だ!」

「何だと!?」

「此処はもう妖の結界の中だ!」


 異界。

 彼岸。

 彼方側。

 昨日の闇と同じ。


()()()だ!」

「何と!?」


 再度目を剥いた吉蝶に細やかな優越感を覚える余裕は、千砂には無かった。


 豪邸の輪郭が溶ける。

 竹林が根元から蒸発する。

 石畳も溶ける。

 溶けた雫が宙に無数の球体を放ち、その全てが黒く、深い、闇の塊。


――取り込まれた。


「派手に動いて何が釣れるかと思えば……」


 流石に直ぐに己を取り戻した吉蝶はそれだけを呟くと、冷徹な眼差しを馬鹿弟子に向けた。


「この巫山戯た結界から逃れる方法は」


 今必要な事しか訊かぬ冷静さは、退治屋として培ったものか、吉蝶本来のものか。


「……親玉を退けるしかない」


 けれど。


 千砂は、昨日と同様に懐を押さえる。

 だが感じるのは、恐怖と緊張で脈打つ鼓動のみ。熱は己の温もりすら分からない。

 駄目なのだ。

 ()()は、千砂にしか及ばない。

 ()()()()()()()()()()()()()()い。

 これでは吉蝶は助からない。


「その親玉はどいつだ!」

「多分……」


 障子に向けて、墨汁をたっぷり含んだ筆を振り払ったが如き無数の黒塊が震え始める。

 悍しい不協和音は、吉蝶の聖なる金属音を、何と打ち消し始めた。


 二人の周囲で、音の波紋が具現化する。

 虹色の振動音と闇色の浸食が火花を散らす。

 妖の手の内に居る分、この争いは明らかに聖法具に不利だった。


 見る間に拮抗する境界線が迫ってくる。


 結界障壁の際で、瘴気が、獲物の骨まで溶かして喰らい尽くさんと、涎を滴らせて待ち構える。


「千砂!」

「待てよ! もうちょっと!」


 黒い振動音が、視覚さえも攪乱する。

 焦りで惑乱された千砂の視界に、漸く巨大化した闇の顎が見えた。と同時に、圧迫する音が身体の自由を奪う。

 四肢に、咽喉に、絡み付く。


 闇の深淵の、蓋が開く。


「最後方! 一番大きい奴!」

「あれか!」


 遅いとばかりに咆哮一つ、呪符を乱れ撃って一旦拘束を退けた吉蝶が、間隙を衝いて跳躍する。


 人間業とは思えぬ体捌きで宙で姿勢を変えるや、ぱん、と打ち合わされた繊手が握るのは、退魔力で生み出した破魔の刀。

 眩い白光で脳天から一刀両断にしてくれんと、吉蝶が退魔の太刀を振り被った――その、影を。


 別の影が、()()()


 何と言う皮肉。

 破邪の光が人の目には強過ぎて、吉蝶の背後に忍び寄っていた別の黒塊が、死角に入っていたのだ。


 同時に吉蝶が、がくんと落ちる。


「吉蝶!」

「――(まず)……っ!!」


 千砂の絶叫と吉蝶の呻きが、敢え無く闇に塗り込められ――て。


 世界が、凍った。


「……え?」


 落ちる吉蝶を、舌舐りして待ち受けていた、闇の顎。

 繰り広げられるだろう惨い光景を恐れ、咄嗟に目を瞑った千砂は、身震いする程の冷気に、瞼を押し上げる事を余儀無くされた。


 そして見たのは、蒸発する様に霧散した闇の塊と、ふわり、と――だが凄まじい威圧感で降り立った、見知らぬ娘。


 それは、間違い無く吉蝶なのだけれど。


――違う。


 あれは……あれは。


『主の御身に危機が迫った瞬間覚醒と同時に顕現し、容赦無く敵を殲滅するじゃろう』


――ああ、これが。


 それは、降臨と呼ぶに相応しい存在の登場だった。


 白虎が抑えてくれていると言う意味が良く解った。

 とても比べ物にならなかった。


 さあっ、と音を立てて、全てが平伏す様に退けられる。


 ただ「在る」だけで万物が凍り付く。


 妖の最も原始的な衝動に忠実な。


 己に害を為す存在を赦さぬ。


「……青竜……?」


 それとも、玄武だろうか。


 知らず紡いだ実際の声か、それとも声無き声を聞いたのか。


 降臨した上妖が、緩慢な動きで(こうべ)を巡らす。

 光を宿さぬ眼窩は、菫色の薄い膜の下に、虚無の様な虚空の様な、何処までも堕ちるしかない淵の如く。

 それが無力な千砂(にんげん)を向いた瞬間、血が凍るかと思ったのだ。


 血の気が引く等との表現では追い付かぬ。


 圧倒的な、妖気。


 恐らく、今吉蝶の表に出た妖は、千砂に対して何の力も感情も向けていないのだろう。

 千砂はただの風景に過ぎぬ。

 路傍の石だ。

 意識の焦点に値しない。

 意味有る存在ですらない。

 ただ視線が過ぎた、それだけなのに、千砂は心臓を鷲摑みにされた様な気がしたのだ。


 これが、真の上妖か。


 これで、上妖か。


 底無しの双眸は千砂を通り過ぎると、その動きの儘ゆっくりと、異界の天頂を見上げた。


 それだけで、先の結界が上空でぴしりと裂ける。

 その力の差。

 格の違いの、何と大きい事か。

 裂け目から異空間の空気が吸い出され、逆巻く風に吉蝶の髪が舞い上がった。


――拙い。


 この儘では、妖気が外部に漏れる。

 吉蝶の事情が露見してしまう。

 だが、この場で自分に何が出来るものか。


 焦慮する千砂の鼓動が大きく跳ねたのは、上妖が、今度は明確な意思を持って、千砂を視界に捉えた時だった。


 翻る衣の裾と煽られる黒髪の間から、上妖が厳かに口を開いたのだ。


「……貴様が、白虎が言っていた変り種か」


 吉蝶の声に、深山の如き幽玄さと、溶岩の如き苛烈さを加え、僅かなりとも有る吉蝶(ひと)の感情を完全に排した様な声だった。


 意識を向けられただけで妖圧が増し、跪くのを堪えると、黒く歪んだ石畳の残滓に足がめり込んだ。

 吉蝶の障壁がまだ機能していなかったら、きっと自分は骨まで(ひしゃ)げていただろう。


「……貴様、妙な物を持っているな」


 ぎくりと肩を揺らした千砂に、妖が一歩を踏み出す。

 大波が迫る様な恐怖。


『周りが火の海になろうと死の谷になろうと構わずに、の』


 脳裏で反芻されるその言葉。

 だが、逃げられない。逃げ場が無い。


 圧力に抗して、胸を押さえる。

 駄目だ。飽く迄身体は吉蝶だからか、何の熱も感じない。そもそも通用するとは思えない。

 しても、()()()()()()使()()()()


――どうする!?


「……ち」


 八方塞の何処かに生き延びる術を必死で求める千砂へ、更に一歩を踏み出し掛けた妖が、何故か動きを止めて舌を打った。


「……小五月蠅い、朱雀め……」


 朱雀――その名に活路を見出し顔を上げた千砂に、妖は己の胸を――嘗て朱雀がそうした様に、吉蝶の胸を押さえて、重々しく告げた。


「小僧。詳細はこの娘に訊け……」


――あ。


 変わった!


 吉蝶が人形の様に頽れる。

 同時に消えた、一切の重み。

 渾身の力で抗っていた千砂も、勢い良く前のめりに倒れ込んだ。


「……あれで、上妖かよ……」


 安堵の息も荒く漏らす。

 大妖の間違いではないのか。あれを四体。一体吉蝶はどうやって封印したのだろう。


「……って、師匠! 吉蝶!」


 崩壊直中(ただなか)の異界では、走る事も儘ならぬ。

 それでも不確かな足元を泳ぐ様にして駆け寄れば、吉蝶は何とか身を起こした処だった。


「大丈夫か!」

「あんな雑魚に何と言う不覚……!」


 悔しさに歯嚙みする少女に手を貸そうとすると、その手が強い力で握られる。

 逃がさん、とでも言うかの如く。


「……どうやらお前とは、一度きっちり話を付ける必要が有る様だな」


 勿論、千砂に拒否権は無かった。







お読みいただき有り難うございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


星を掴む花

竜の花 鳳の翼


も、ご覧下さると嬉しいです。

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