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天に刃向かう月  作者: 宮湖
19/44

15 卑怯者の不覚悟

完結済みではありますが、読み易いように改行等手直しをしております。


宜しければご覧下さい。

 15 卑怯者の不覚悟



「これだけ現場が点在だと、次の犯行予測も堕……(まと)の住処も絞り込めないな」


 独白でも周囲を憚り、千砂は慌てて言い換えた。

 こういう話は、何処から漏れるか分からない。用心に越した事は無いのである。


 甲斐から内々の依頼を受けたその日の午後、「どうせ気になって他の事等手に付かんのだろう」との師匠の有り難いお心遣いで半日自由(やすみ)を貰った千砂は、四件の現場を巡る事にした。

 現場百篇とやらである。


 流石に犯行同時刻には彷徨けず、せめて同じ順番でと出たは良いが、これが存外一苦労だった。思わず独り言ちた通り、現場が点在し過ぎているのだ。


 吉蝶の家から最初の殺害現場まで、早足でも二刻以上を要し、小塚を気取って周辺を検分していたら、あっと言う間に夕刻である。

 まだ日の長い時節、今夜は仕事が無いから良いようなものの、これでは悠長に寄り道も出来ぬ。おまけに何だか空模様まで怪しくなって来た。


 参ったな、と千砂は頭を掻いた。

 色々調べたい事が有ったのだが、人海戦術を多用出来る小塚が繁盛する訳である。

 明日はその小塚から、また仕事が回ってきている。午前中、序での様に甲斐が持ち込んでいたのだ。忠実(まめ)とでも言おうか、甲斐の動きに抜かりは無い。


 外出目的を敢えて口にせずとも、矢張り明敏なお師匠様はお見通しで、出る間際、蛾眉を顰める様にして低く漏らした。


「果たして堕妖は、狂っているのだろうか」


 心を喰われ、自我が崩壊し、人間的な思考は存在しないとされる堕妖。

 瘴気を放ち、人を襲う化け物。故に「憑かれた」と言われる。

 発狂している様にしか、見えぬ。


「もし、狂っているのではないとしたら……」


 一体この元人(だよう)は、何を求めているのだろうな。


 そう呟いた横顔は、酷く――千砂が胸騒ぎを覚える程に、深刻だった。


 聡明な吉蝶、英明な退治屋。

 その鋭利な頭脳と犀利な菫の双眸から齎される見識は、天眼通とでも言うべき力。

 だが、並外れているからこそ、一隻眼は諸刃の剣に等しい。


 吉蝶が呼吸するが如く自然に視える光景、順当に至る結論に、周囲は到達出来ない。

 吉蝶の思考ならば当然の帰結が、凡人には脳漿を振り絞っても浅慮にしかならない。


 吉蝶は、何を危惧しているのか。

 吉蝶こそ、一体何が視えているのか。


 何に――憂慮を。


 手掛かりも無い儘、千砂はのろのろと惨劇跡の一つに背を向けた。

 甲斐が説明した通りの貧民屈、舗装されぬ区画に、てんでに縄を渡して筵を引っ掛け、風さえ防げぬ様な折板を凭れさせ、湿った土の上に茣蓙が在れば上等な、「南」の象徴……否、南()象徴する場所。

 饐えた臭いが鼻を衝き、城壁の陰に人の形をした影が蹲る様な。

 現実が澱んだ様な。


 此処で一日をやっとの思いで生き延びる姉に、殺されるだけの理由が有ったか。

 残された妹に、苦しまねばならぬ罪が有ったか。

 解らない。

 解らないのは――殺された理由か。

 或いは、殺した理由か。


『私達には理解出来ぬ、だが殺害犯には通じる、歴とした理由』


――どんな理由だ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 では、理由が有れば、狂人とは言われないのか。

 違う。

 その理由を万人が……少なくとも大勢が、最低でも誰かが、理解出来ない時に、狂人と言われるのだ。……此処に来れば、理由(それ)が摑めると思っていた訳ではないが。


 ああ、と千砂は気付いた。

 だから吉蝶は、自分達に「獣では有り得ない論拠」を説いている時点で既に「殺した理由が解せない」と言ったのだ。


 きっと吉蝶は、賢明なる我が師は、弟子がやっと摑んだ思考(てがかり)を、既に乗り越えているのだ。

 それも恐らくは一瞬、天啓の如き閃きで。

 だから呟いたのだ。問わず語りに。

 けれど、不敏なる自分は、まだその差を埋められぬ。

 退魔力だけではない。


――これが天稟、天賦の才か。


 そんな事を考えていた所為か。


 気付くのが遅れた。


 家路を辿っていた筈なのに、何処かで辻を間違えたか、見覚えの無い家並みに取り囲まれて漸く、千砂は足を止めた。


 見る間に巨大化した北の空の黒煙の様な塊とは別に、濃い茜の影が空から綺麗に軒先に垂れて、家屋で切り取られた先には逸早く夜が溢れ――湧く様に。


「!」


 千砂は目を瞠った。


 ()()()()()()()()()()()()()()


 時は。


 逢魔が時。


 誰そ彼時の。


 辻。


――拙い!


 千砂は瞬時に身を翻した。

 吉蝶の最初の訓辞は「勝てぬ妖から逃げるは恥に非ず」だ。

 見習いが勝てぬのは当たり前、見栄を張って挑むのは、勇気ではなく無謀と言い、無謀は馬鹿のする事で、自分の弟子に馬鹿は要らぬと。

 だが。


「そんな……!」


 踵を返して僅か数歩で、千砂は踏鞴を踏む事になった。

 獲物(かずさ)を挟み撃ちで仕留めんと狙ったが如く、前後に闇の塊が、蹲った子供程は有る黒い塊が、地面から染み出す様に無数に生まれ出していたのだ。


 左右に目を走らせれば、在る筈の茅屋は融け去り、瓦礫の代わりに矢張り粘度すら感じさせる黒塊が、ねっとりと滴る様に宙に浮かび上がっている。


 だが、嘘だろ、と千砂が呻いたのは、退路を断たれたからではなかった。


 再度瞠目したのは、絶体絶命の窮地に陥ったからではなかった。


「……此処まで……!?」


 こんな、退治屋の犇めく地の果てまで。


――()()()()()()()()()()か。


 泣き声の様な、呟き。


 千砂は知っていた――否、恐らく知っているものと、同じだと思った。


――あれは、罪の証。


 呆然とする千砂の前で、闇の一つがぶるりと震えた。と、呼応する様に他の塊も身を揺らし、悍しい振動が、千砂の自由を絡め取る。


「くっ」


 我に返って抵抗しようにも、闇の濃度が高過ぎた。

 一際大きな塊が、獣の(あぎと)の様に裂ける。

 ひょお、と恐ろしい音が、千砂の頰を撫でる。

 虚無に、吸い込まれる。

 だが。

 逃れる方法は――()()


「……契、約の……!」


 ある人が生命と、自由と引き換えにくれた。


「護法の盟……約に、従……」


 千砂の胸が、懐の物が熱くなる。

 逃さじと振動の拘束が強まり、闇の顎が目睫の間に迫る。

 濃い妖気に息が詰まり、だから気付いた。


 違う。


 ()()()()()()()()()()


「去れ! 我、上なるものに連なる者!」


 カッと閃光の音すらさせて、千砂の胸元から峻烈な光が迸る。


 光の軌跡は闇を千々に裂き、或いは押し流し、一瞬の昼が戻った後には、藍が混じった茜が黒々と空を覆っていた。


 拘束を解かれた千砂は、思わず地面に膝を付く。

 荒い呼吸で周囲を見回せば、吹けば正しく飛ぶだろう荒屋はそれでも厳然と在り、力無い目の住人達が、遠巻きに此方を窺っていた。

 どうやら()()()に誘い込まれていたらしい。

 背に嫌な汗を感じながら、千砂は服の上から懐に入れた物を押さえた。

 緊張と恐怖から解放され、今更の様に、早鐘の如く打つ鼓動を感じる。

 だが、感じたかったのは、その上の、物。


――これは必然で、予定調和か。或いは。


 立ち上がり、僅かにふらつきながらも改めて周囲を確認するが、矢張り何の気配も痕跡も無い。

 異界とも言うべきあの異様な街並み、辻に迷い込んでいたのは、きっと玉響の事なのだろう。だが、あれに呑みこまれていたら。


 ふと、ある考えが浮かんだ。


 それこそ、博雅な師が豊富な経験と併せて閃く「勘」とは異なり、言葉に依らず、言葉で筋道立てて説明しては淡く消え去ってしまう様な、儚く、摑み所の無い、漠然とした、何ら裏打ちするものの無い考えではあったけれど。


 あれが、()()()()()()()()()()()()()()()


 胸を押さえる手に、更に力を籠める。


 偶然の遭遇、だとしたら。


 これは、未だ吉凶定まらぬ予感。

 けれど、靄より不定形なその考えに平静を奪われたのか、鼓動が五月蠅い。呼吸が苦しい。


 もしかしたら、自分は、()()()()()()()()()()()()()()

 だが、動く為には。


――明かすべきか。


 確証は無いのに。


 しかし、人命が。


 ただの、勘かもしれないのに。


 可能性が有るなら。


 千砂は唇を嚙んだ。

 己の中に無数の自分が居て、二派に分かれて喧々囂々と主張している様だ。

 その論議の題目は、詰まる処。


――保身か、正義か。


 それに尽きるのだけれど。


 千砂は鼓動を抑え付ける様に、態と大きく息を吸った。

 緩慢を意識した呼気が、情け無い程震えているのが判った。


 自分独りでは何も出来ない。解決出来ない。誰一人――己自身さえ救えない助けられない助からない。


 それは解っているのに、どうしても語る決心がならなかった。


 何の為に、困難を承知で退治屋を志したのか。

 茨の道と承知で、歩むと決めたのか。

 自分の覚悟は、この程度だったのか。

 あまりの不甲斐無さで目の奥が熱くなる。

 湿った風が、責める様に耳朶を掠めた。

 自分が世界一の卑怯者になった様な気がして、酷く居た堪れなかった。






お読みいただき有り難うございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


星を掴む花

竜の花 鳳の翼


も、ご覧下さると嬉しいです。

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