12 凶爪の被害者達
完結済みではありますが、読み易いように改行等手直しをしております。その際「11 甲斐」と分割しております。
宜しければご覧下さい。
12 凶爪の被害者達
事の起こりは三週間前、慶寿南東の城壁傍で、貧民女性の惨殺死体が発見されたのに端を発する。
正面から、巨大、且つ鋭い爪に引き裂かれたが如く、右腕と両下肢は根元から千切り取られ、首と左腕だけが、文字通り皮一枚で、辛うじて胴体と繫がっている状態だった。
「こう……右の爪で、袈裟懸けに斬られたみてぇによ」
その凶爪の軌跡の儘、裂かれた腹部からは臓器がはみ出し、そのあまりの惨さに、妖相手に凄惨な現場など見慣れている筈の軍一札も正視出来ず、嘔吐する者が続出したと言う。
「即死だったろう事が、せめてもの慰めだな」
「獣、或いは卑妖の仕業ならば、遺体で足りぬ所は無かったのか?」
「場所が悪ぃや。壁内とは言え、貧民屈だぞ。あの辺は野犬も多いから、襲った奴が喰ったのかどうか、判別出来ねぇんだよ。襲われたのは、多分子の刻。現場は襤褸茣蓙と簾で囲っただけの家から、通り一本出た直ぐでよ。一緒に暮らしてる妹が熱出したってんで、なけなしの金掻き集めて、藪医者に薬貰いに出た処を」
――不幸にも。
「薬代は」
「遺体の傍の、血だらけの巾着の中に。妹に確認したら、持って出た全額在った。金に困ってる貧民でも、流石にあの遺体から、金目の物引っ剥がそうとする鬼畜は居なかった様だぜ」
「物取りにしても、貧民から儲けようとは思わんだろうしな。辻斬りならば、得物が妙か」
「そもそも人には無理だろう。鋸振り回したって、あの傷にはならねぇよ。縦しんば何か道具で可能だとしても、してのける精神は人じゃねぇや。気が知れねぇよ。狂ってる」
「だがそうすると、手だけでも子供、そうだな、十歳位の子供程度の大きさの獣と言う事になるぞ。そんな巨大な獣の話等終ぞ聞かんし、夜行性で徘徊しても、直ぐに見付かるだろう。北がそこまで南に無関心だとは思えんが」
吉蝶が南北差に言及したのには訳が有る。未だに存在が考え難い大型獣を念頭に置き、一番可能性が高い下妖の仕業と断定しないのは、二人目の被害者が北の人間だったからだ。
最初の事件から十日後の深夜、恐らくは丑の刻になろうかと言う頃。
二人目の被害者は、北部の豪商野村屋の番頭だった。商売自体は息子に任せ、気軽な隠居生活の大旦那が、年甲斐も無く別邸に女を囲い、その為番頭は夜昼も無く呼び付けられ、別邸と本宅を日に何度も往復する破目に陥った。そこを襲われたのだ。
「野村は裏で、随分阿漕な高利貸しをしてやがって、番頭もかなりの悪だったらしい。その筋の怨恨の線も、無い訳じゃねぇんだが」
殺され方は矢張り、巨大な獣の爪一撃。
「野村に恨みを持つ者が、貧民街での事件を知って便乗、殺害後に擬装した、とか」
千砂の案に、甲斐は律儀に頷いた。
「役人はその考えも棄ててねぇ。けどなぁ、だとしたら、おっそろしい恨みの深さだぞ。言ったろ、死体の腹掻っ捌くなんぞ、真面な心持ちで出来るもんじゃねぇ。これが無きゃ、下妖が入り込んでるってんで、片が付くんだが」
北部豪商は、高い塀とお抱え一札で、警備を固めている。
近くには、元老院警備の軍も居る。そこに下妖が侵入可能とは考え辛い。
野村番頭だけを別件とした方が、確かに話が早いだろうが、それにしては殺され方が異常過ぎた。
「四肢切断に、頭部も。腹部の重度の裂傷……流石に北部に野犬は居ないだろう?」
「……美味い残飯狙いの野良犬が結構」
後、猫と鼠も、と付け加えられ、吉蝶はち、と舌を打って、顔を顰めた。
「殺すのを愉しんだ風ではないな?」
「あん?」
「猫は獲物を一撃で殺さん。本当に一撃なら、間違い無く即死だろう。逆に、四肢を順に切り、腹部を裂き、最後に首を落としたのなら、発狂出来ねば地獄の苦しみだ。人の深い恨みなら、簡単には殺さんと思うのだがな。巨大な獣なら、千切った四肢の肉も喰うのではないか? 一人分の臓器で腹が膨れるとも思えん」
吉蝶は惨い事を平然と口にする。
「三件目は何処だった? また同じだろう?」
「あ、ああ。三件目は五日前、つまり二件目から……ひぃふぅ……六日目だな。時間は矢張り子の刻、九つ半にはなってねぇ。場所は西だ。南西の城壁から、通り二つ入った辺り」
「あの辺は、兵卒の襤褸官舎通りではなかったか? 惨殺事件より、痴情の縺れの喧嘩沙汰の方がらしいだろう。人知れずそんな大事をやってのけられる場所ではない筈だが」
吉蝶の感想に、甲斐は痛ましい表情を見せた。
訊けば、三人目の被害者は、正しくその恋人との痴話喧嘩が原因で、奇禍に遭ったのだと言う。
殺害時刻が詳細なのも、家を飛び出した女性を、喧嘩中でも最近の事件で心配になった男が少し遅れて捜しに出て、変わり果てた姿の恋人を発見したからだった。
男は、吉蝶が口にした通り、慶寿軍の最下位兵で、退魔力は欠片も持たぬ一般兵。
その為襤褸官舎に押し込められ、安普請の官舎では、派手な口喧嘩は筒抜けだったと言う。
二人の間では喧嘩はしょっちゅうで、カッとなって殺害に至る事が皆無とは断言出来ぬ、と、周囲は正直に証言したが、同時に、逆に殺す程鬱積したものが有ったとも思えぬと、二人の関係を証言した全員が口を揃えたそうだ。
第一発見者でもあり、直前に口論していた事から、その兵卒は現在拘禁され取調べを受けていたが、その前の二件とも関連を示す物は何も無く、また拘禁中に四件目が起きた為、便乗犯で恋人を殺害したのでもない限り釈放されるだろう。
女性の遺体に取り縋る男を引き離すのが大変だったと、第一報を受け現場に駆け付けた甲斐は言った。
悲しむ様子からして、とても犯人とは思えない、と。
「身内や恋人があの遺体を見ちまったら……気の毒じゃ済まねぇや。況してや喧嘩の末じゃあなぁ。忘れようったって忘れられねぇよ」
「で、昨夜が四件目か……」
犯行は同じく真夜中子の刻。現場は東の城門前。何と被害者は、東門夜警の抱関だった。
「待て待て。警備兵ならば武装しているだろうに。矢張り抵抗の跡も無く正面からか?」
これには吉蝶も目を剥いた。
東門なら、昨日千砂達も通ったばかりだ。
「ああ。一撃ばっさり。これは間違い無ぇぞ。城門は、櫓に四名、中に二人交替が詰めて、城門両脇を一名ずつが立ち番するだろ? 先ず南側の兵が、何かが倒れる音を聞いた。あれ、と首を巡らせたが、北側に居る筈の同輩が居ねぇ。櫓に声を掛けたが、連中は外からの襲撃に備えてるから、城内には然程気を向けてなかった。仕方無ぇってんで、仮眠中の交替要員を叩き起こして門を頼み、城壁に沿って北へ数間歩いたら、先刻まで反対側の門前を護っていた仲間が、見るも無残な姿になってたんだと。手足一本ずつ切って甚振る暇は無かったろうぜ」
「数間? 真夜中では指呼の間と変わらんぞ」
「だから、何か倒れる音ってのが、同輩がやられて倒れた音だったんだよ。ちょうど、篝火の灯りの際を踏み越えた所でよ。これは四件目だってんで緊急配備回したが、獣なんぞ影も形も無ぇ。かなりの騒動だったんだがな?」
「昨夜は疲れて直ぐに休んだんだ。仕事の後で、鬱陶しい馬鹿の相手もしたんでな」
吉蝶の舌鋒は辛辣である。斑との件は既に周知の事実らしく、甲斐も呆れた表情で北の方角を一瞥した。
潜りに仕事を斡旋している事から知れる様に、甲斐も札とは縁が無い。小塚自体が潜りの集団なのだ。
日頃から甲斐は、札位に値せぬ札持ちに手厳しかったが、随分前に、斑には付ける薬が無ぇと見捨てていた。
「で?」
すっかり温くなってしまった茶を飲み干すと、吉蝶は昨日の千砂へと同じ様に問うた。
「で、って、何だよ」
「何故、私にそんな話を持ってくる」
「深読みすんなって。序でで悪ぃが、ちょいと立ち寄ったんだって」
「惚けるな。小塚頭領自ら動いているのは、情報屋としてか、それとも本業か?」
「だから今ンとこは六四で情報……待て、お嬢、お前まさか」
甲斐が身を乗り出す。
脇で聞いていた千砂も、はっと身を強張らせた。
「確かに、お前は私の知る限り、慶寿一の情報屋だがな。正直に言え。早々に此処へ来た目的は何だ。それとも、泣く子も黙る小塚の頭領が、私から無料で話を聞こうと言うのか?」
「師匠。死人が出てるのに」
意見が欲しくば金を出せ。
情報屋には真に尤もな請求だが、弟子でも、否、弟子だからこそ諫めねばなるまい、と意を決した千砂に、人は必ず死ぬものだと、吉蝶は平然と返した。
「守銭奴根性で言っているのではないぞ。発言には責任が伴うと言う話だ。私は慈善事業をする心算も、放言をする気も、毛頭無いからな」
鮮やかな菫の一瞥で弟子の出過ぎた発言を封じると、返す眼差しで大男を睨め付ける。
「守秘義務は理解してやる。まあ、大方、妖の侵入を易々と許した等と認められん軍上層部が、秘密裏に動く駒として、小塚に白羽の矢を立てた、と言う処だろうが。或いは、お前自身にな。動いているのが小塚なら、情報収集、最悪、騒動になっても、標的は堕妖だと周囲に思わせられるし、実際、ただの獣の可能性は限り無く低いのだしな。だから言え。頭領が動く程度には依頼を受けているのだろうが」
「お嬢!」
ここまで言っても言質を与えぬ吉蝶に、甲斐は怒声の様な悲鳴を上げた。
「解ってるんなら勘弁してくれよ」
「小塚頭領ともあろう男が誤解するな。金を貰えば発言には責任を取ると言っているのだ」
報酬次第では今回の件、小塚の背後に退治屋吉蝶が居ると公言しても良いのだと。
「お嬢ぉ……」
「大男が情け無い声を出しても、何の感銘も与えんぞ。寧ろ気色悪い」
容赦無い。千砂は心の涙をそっと拭った。
「甲斐、諦めろ。それともお前は、此処に態々世間話をしに来たのか。それなら、茶一杯分は付き合ってやっただろうが。さっさと帰って、自分の仕事をするが良い。私と話をするのが仕事だと言うのなら、仕事相手に対価を払うのは当然だろう。私が茶飲み話でうっかり口を滑らせるとでも侮っているのなら兎も角な」
これは最後通牒だ。言外の圧力に、男二人はぎょっとなった。
情け無くも少女に迫力負けした大男は、到頭肩を落として観念した。
「……分かった。お嬢、頼む。だがな、公表は出来ねぇんだ。解るだろ、お嬢が動いたとなると、話が大きくなり過ぎるんだ。厄介な奴等も首を突っ込んできたがるしな」
甲斐が何に配慮しているのか、千砂にも理解出来た。同時にうんざりする。
対妖の防御を固めた城塞慶寿でも、妖の侵入を完全には防ぎ切れていないのが現状だ。
卑妖は城壁各所で対処可能、仮に侵入を許しても、此処は退治屋の一大都市。依頼に関わらず、見掛けた退治屋が始末してくれる。
仮に貴妖が力で突破しても、精鋭が警固する北だけは安全だと言うのが一般の認識であり、軍と北部の売りなのだ。
だが、今回の一連の事件は、軍一札を憚って、表立って口にはされぬが、到底獣の仕業とは思えない。
逆に言えば、下妖以上絡みとしか考えられないのだ。
にも拘らず、二人目は北で襲われた。
妖だと認めれば軍は面目丸潰れ、何より北の安全神話が崩壊する。
妖気不感とすれば、慶寿退治屋全員の恥であり、大問題だ。
これから炎魔襲来の時期を迎えるのに、周辺町村の動揺は計り知れないものとなるだろう。
因って、甲斐の依頼主は、何が何でも、ただの妖の凶行とは公認出来ない。
だがそれが堕妖ならば、話は少々異なる。
人は最初から慶寿内に居たのだからと侵入に関して言い訳が立つし、これまでの堕妖の認識を変える必要が有ると、話を摩り替えられる。
謂わば堕妖は、軍と慶寿の退治屋(吉蝶を除く)の矜持と現実、札持ちと潜りの力関係等々を最大限考慮した、落とし所なのだ。
なのに堕妖不専門の吉蝶が公然と動いたのでは、仮に小塚に助言すると主張したとしても、一体誰が信じるだろう。
大き過ぎる波風が立ち、疑念の怒涛が北を押し流すに違いない。
吉蝶はそれだけの影響力を持つ者であり、堕妖に関して小塚に比肩する存在は無いのだ。
そして、吉蝶が動く、即ち、下手人が妖だと知れれば、吉蝶を出し抜き名を売ろうとする身の程知らずが必ず現れる。
「吉蝶に勝つ」或いは「貴妖を単独で倒す」。
現在この二つ以上に、己が札位に箔を付ける方法は無いからだ。
大時化の海以上の狂濤源となる少女は、大男の政治的配慮を、ふん、と鼻で嗤ったが、最終的には納得した。
巷間の無責任な噂や尾鰭がどれ程厄介か、衆目の的は身に染みている。
お読みいただき有り難うございます。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
星を掴む花
竜の花 鳳の翼
も、ご覧下さると嬉しいです。