第3話
「あかぎ」の格納庫。
F-35BJが騒然と並んでいるのを見ると、「あかぎ」が空母であると実感できる。
一番手前のF-35BJのコクピットに、西島はヘルメットを被り座っていた。時々戦闘機のコクピットに籠ることがあり、一人きりになり思考を巡らすのには最適の場所らしい。それともかつては日防空軍のパイロットだったことを思い出させるのに最適の場所なのか。ヘルメットを被りバイザーを下せば、かつて自分もキャノピー越しに見えた青空が広がって見える気がした。
キャノピーを開きヘルメットを外すと、西島はF-35BJを降りて格納庫を後にした。
「群司令、それでは防衛出動ではなく海上警備行動での対応ということですか?」
「現時点で相手が何処か分からない以上、事実上の宣戦布告となる防衛出動命令よりも海上警備行動で対応させる。妥当な判断だと私は思う」
第5航空護衛隊群が呉について、対馬に漂流した潜水艦のことが知らされ、新波は不審船ではないので防衛出動が発令されるものだと思っていた。対馬の領有権を強硬に主張している高麗連邦の潜水艦だと思われたが、もし本当に高麗連邦だとしたら状況はかなり厳しくなる。
「群司令、高麗連邦なら駐留米軍が撤退する際に流出した兵器、さらに第三国を通じて中東や東欧から流れた兵器を相当ため込んでいます。ベトナムや中東への派兵で実戦経験も積んでて、軍の運用も洗練されてます。もし我々が出てくると読んでいるとしたら」
「間違いなく読んでいる」
新波が言い終わる前に格納庫から戻ってきた西島が言う。
「日本に切り込んでくるのなら、『あかぎ』の戦力データは喉から手が出るほど欲しいはず。必ず我々を叩きに来る。群司令、現場海域の航空優勢の確保が第一です」
海江田が頷く。相手の真の戦闘力と機動力を知るためには、軍事行動を起こすしかない。確かに、相手が高麗連邦なら、先制攻撃を仕掛けてくる可能性が高い。
「現在対馬では長崎県警の機動隊、銃器対策部隊、福岡県警の特殊部隊SATを動員して、逃亡中の乗組員達の行方の捜索に全力を当たらせています」
首相官邸の執務室で、古谷は警察庁長官の宇佐美浩二と警察庁警備局長の龍崎健からの報告を聞いていた。部屋には古谷の他に益岡、矢口、佐藤がいて、皆が閣僚の中でも信頼できる人物達だ。
宇佐美が説明を続ける。
「総理、潜水艦の艦内を捜索した結果、逃亡中の乗組員達は極めて高いレベルで訓練された特殊部隊の可能性がありまして、もし何らかのテロ攻撃がミッションとして与えられているとすれば」
「ちょっと待ってくれ。テロなんて恐ろしいことを言うなよ」
テロと言う言葉を聞いただけでも血の気が引く感じがした。
「絶対にマスコミにはテロという言葉は使うなよ。収拾がつかなくなる」
「はッ」
「対馬の住民に対して避難勧告は出しているのですか?」
矢口が宇佐美に聞く。
「潜水艦が座礁している現場付近の住民には不発弾処理の名目で避難指示を出しましたが、対馬全体に対しての避難勧告は出していません」
「何だって、武装した乗組員達が逃走しているのにか?!」
益岡が声を上げる。宇佐美が言おうとすると「私から説明をします」と龍崎が言う。
「避難勧告を出しましても、住民は避難しません」
「避難しないとはどういうことだ?」
古谷が聞く。
「目の前で事件が起きていない限り住民は避難しませんし、ましてや潜水艦から逃走した乗組員が何人いるのか分かっていない今の時点で、対馬全体に避難勧告を出せばかえって混乱を招く恐れがあると判断しました」
龍崎が話終えると、宇佐美が話し出す。
「警察は事態の解決に全力を挙げますが、相手によって限りがあります。場合によっては防衛軍に協力を要請するかもしれません」
宇佐美から視線を流され、佐藤が古谷に言う。
「総理、海上警備行動の発令と同時に、対馬駐屯地に駐屯する日防陸軍対馬警備隊にも待機命令を出しています。何かあれば直ぐに出動させることができます」
対馬警備隊は「山猫」の異名を持つ日防陸軍の精鋭部隊の一つだ。逃亡中の乗組員達が高麗連邦軍の特殊部隊だとしても十分に対処可能だと思われた。
「とにかく乗組員達の国籍を明らかにすることが先決です。もし、高麗連邦軍だと決まれば、我が国に対する侵略行為と見なし、高麗連邦に対して断固たる姿勢で対応しなければなりません」
矢口の言葉に内心驚かされるが、国際的には矢口のスタンスの取り方が普通なのだ。
「分かった。では、宇佐美長官。よろしくお願いします」
「分かりました」
宇佐美と龍崎が執務室を出ていく。
その後に佐藤が古谷に話しかける。
「総理、実は高麗連邦のことで気になることがあります」
「気になること?」
「もしかして、例の空母のことですか?」
矢口が応える。
「確か、『イ・スンシン』という名前だったか?」
益岡が佐藤に聞く。
「そうです。すでに試験航海も終えて、実戦部隊の東海方面艦隊に配備されています」
「『イ・スンシン』・・・、『テマド』に続いて挑発的な名前だな」
古谷が呆れるように呟く。
「イ・スンシン」は豊臣秀吉の朝鮮出兵の時の文禄・慶長の役で朝鮮水軍を率いて日本軍を撃ち破った李舜臣に由来していて、高麗連邦となった今でも日本の侵略者を撃ち破った英雄として讃えられている。
「テマド」はドクト級強襲揚陸艦の2番艦で、高麗連邦側の竹島の呼び方「独島」と、対馬の呼び方で「テマド」、いずれも竹島と対馬は自国の領土だと主張する表現の仕方で、空母の名前に侵略者の日本軍を撃ち破った英雄の名前をつけることからも、高麗連邦の日本に対する挑発的な態度が表れている。
佐藤が続けて古谷に話す。
「そこで総理、ご報告することがあります。万が一の事態を考慮し、小笠原諸島海域で訓練中だった日防海軍の第5航空護衛隊群を急遽呉に向かわせ待機させてあります」
「第5航空護衛隊群・・・」
益岡が古谷に目を向ける。
「『あかぎ』か。確か艦長は」
「はい。日防空軍出身の西島一佐です」
「西島・・・」
古谷にとってもその名前は忘れることはできない。
「あかぎ」艦内で行われた政府、防衛省・防衛軍高官、各国大使、米軍関係者、そしてマスコミを招いた壮行会でのことだった。
「日本近海における領土・主権を巡る緊張は益々高まってきています。日本近海における危機に対応する新たな抑止力として、この『あかぎ』が遺憾なくその存在力を示すことができれば、安泰を願う国民の期待に必ず応え得るものと信じます」
スピーチを終えた古谷に第5航空護衛隊群群司令に任命された海江田より西島が紹介される。
「大任を拝命した西島です」
西島が一歩前に出て一礼する。
(最年少での一佐昇格だと聞いていたが。なるほど、若いな)
「米海軍ノーウォーク基地での研修や、空軍から海軍への転属は大変だったと思うが、もう慣れたかな?」
「はッ、人間は新しい玩具を手にすると、使ってみたくなるものです。ですから、それを手にする者の強い心構えが問われると思っております」
西島は涼しげな表情で、自信に満ちた目でじっと古谷を見て応えた。
「その通りだ、西島一佐。私も一国の首相、そして防衛軍の最高指揮官としてそれを肝に銘じている。貴官もそうあってもらいたいと願い、期待している」
握手をしようと、西島に手を差し出す。
「はッ!!」
古谷の手を握り、握手を交わす。
「国民からの血税三千億を投じて造られた艦を玩具か・・・」
古谷が西島の言葉を思い出して苦笑する。
佐藤が古谷に声をかける。
「総理、西島一佐は人一倍強烈な愛国心を持った防衛官です。彼に任せて大丈夫かと私は思います」
「そうだな」
旧自衛隊/防衛軍出身である佐藤が言うには間違いないのだろうが、古谷は妻から止められていた煙草が吸いたくなった。