プレーンクッキーとクレームブリュレ
急に糖分が欲しくなったので。
「ふぁー もうだめぇー」
羽仁千代子は机に突っ伏す。電気は煌々とついていて、独り言が気にならない程ざわざわしていた。
デザインの案、何にも思い浮かばない。もう今日は無理だ。エネルギー不足だ。
一旦家で考えて、明日朝一で頑張ることにする。
そうと決まれば、帰宅の準備をする。残ってる人に、声をかけてから、ビルの外に出る。兄に「これから帰ります」とメールを送った。これは、念願のデザイン会社に働きに出てからの習慣だった。
実家暮らしで現在は兄 香と二人暮らしだ。両親はどっか海外で働いてる。千代子が高校生くらいになってから、本格的に海外での仕事に打ち込み出して、パリだのロンドンだのあっちこっち行ってて(今どこにいるんだろ、後でお兄ちゃんに聞いてみよう)と思って聞くの忘れるレベルだ。
兄は職場が自宅なので、ほとんど自宅にいる。過保護で、帰る時には、絶対にメール送れ、夕飯食べてても食べてなくても、何があっても送れ、としつこく念を押された。おかげで、”こ”を入力すると予測変換で”これから帰ります”が出てくる。
くったくたの足を引きずってホームに向かうと、見るからにエネルギーの残数をゴリゴリと削りそうな満員列車が来る。
(うわぁ、トラブルかなんかあったのかなぁ……)
かろうじて小柄な千代子一人分のスペースに入り込む。むぎゅーと後ろから押され、右から左から押され、ドアが開くたびに、ぽいっとホームに追い出され、慌てて乗り込み、それを繰り返して、やっと自宅の最寄りの駅に着く。
気分は、へろんへろんだった。
こういう時はれいちゃんのキラキラお菓子が食べたくなる。
れいちゃんこと、須賀礼人さんはお隣さんで兄の友達だ。友達以上の関係だ。むかしからモテモテだったが、女の子に告白されると「ごめんね、羽仁一筋だから」と断っていた。なぜかキャー!!! と黄色い歓声があがっていた。糖蜜とか蜜糖とか不思議な単語が聞こえていた。なぜ、お菓子の材料?
小さい頃から、よくうちに遊びに来ていた、自分で作ったお菓子を持って。
でも兄は甘いの嫌いだから、私がもらってた。バレンタインのハートのミルクチョコレートも! 私の好みのストライクゾーンど真ん中ストレートのミルクチョコレート! 気軽に
「はい、礼人の。」
と渡して来た。けど、
「いいの!?」
と言ったら
「なんで駄目なんだ」
と兄が呆れたように言う。
「だってバレンタインのだよ!」
というと少し考えて
「今更だろ」
と言われる。それもそっか、と納得する。するなよ自分。と後から何度も思ったけど、それだけ、美しいミルクチョコレートの誘惑には勝てなかったのだ。
許可を得てから、念入りに写メを撮って、一眼レフ持ってきて撮って、レフ板用意して激写して、食べるのを惜しんでいたら、「早く食べろよ……」と呆れたように言われた。わかんないかなぁ この乙女心!
れいちゃんのお菓子はすっごく上手いのだ! 造形も美しいが、味もすごく美味しくて、密かに「キラキラお菓子」と呼んでいた。サクサクのミルフィーユ、ふっわふわのシフォンケーキ、なにより一番好きなのは、絶妙な甘さと苦さのチョコレート!
今は兄と共同経営で「I love Choco」(通称:らぶちょ)という名のお菓子屋さんをやっている。
(うう、思い出すと食べたくなってきたよぉ。星がオペラの金粉には、見えないかぁ センスないな私。)
と空を見上げながら夜道をだらだら歩く。
(丸い月はクッキーみたいで美味しそうかも)
足を止めて手を伸ばしてみる。どうやっても絶望的なくらいに届かない距離だった。
「はい、お月様」
と手の平に何かが乗る。こんなとこ見られた!という恥ずかしさと思いがけず手の乗った驚きと落とさないようにしないと!と慌てるのとでごっちゃになって、おっとっとと手を下ろす。
どこも欠けた所のない芸術的な丸さのプレーンのクッキーだった。うわぁと思いがけず感嘆の声をあげて、空に掲げてしまう。お月様と重なる。
ってそんなことしてる場合じゃなかった!
「あ、ありがとう! れいちゃん!」
振り返るとれいちゃんは笑っていた。なんでー!
「どういたしまして」
と言う声も震えている。
「もぉー!」
と言いながらも、突然現れたキラキラお菓子に感動していた。食べるのもったいない。大切に保存しておきたい、でも、バターの甘い良い香りが誘う。
そうだと思いつき、夜空に浮かべて写メを撮る。距離を変え、角度を変え、色味を変えて、そうだ、場所も変えてみよう、って一人で、また夢中になっていた!
それをれいちゃんは優しい目で見つめていた。
気が済むまで撮りまくってから半分こにして、れいちゃんと食べる。サクサクのホロホロのバターのいい香りと、もうっもうっとにかく絶妙なバランスで! と感動を伝えると、れいちゃんが
「ありがとう、喜んでもらえてうれしいよ。」
と甘い笑顔を浮かべる。
「これとか良くないですか!」
比較的良くとれたの写メを見せる。
「ん?」
と顔を寄せると大好きな甘い香りが! うわわっ、顔赤くなる! ほっぺた赤くなってるー!
「いいね! 美味しそう。」
と微笑む。うっかり恋に落ちてしまいそうな甘くて優しい表情でいう。
でも駄目だ! お兄ちゃんの恋人だし、と崖っぷちで踏ん張る。
「帰ろっか。あんまり遅いと香が心配する。夕飯は?」
「……食べちゃいましたぁ……」
職場でお昼の残りのコンビニおにぎりを……。
「そっか。まだ入る?」
「もちろん!」
こくこくと力強く頷く。
「よかった」
と嬉しそうに、チョコレートがテンパリングできそうな温度で微笑む。
むしろ、れいちゃんのお菓子を食べられない時は私が死ぬ時だ! それ以外ありえない! 絶対に! と豪語すると、頭の中でお兄ちゃんが「お前なら化けて出てきてでも食いそう」と嫌味な口調で言う。そんなことはー! ないとは言い切れないー!!!
頭の中の兄を追い払いながら、
「それにしても、なんで店の名前がチョコなの?」
昔からの疑問を口にしてみた。すると、
「んー」と少し迷ってから「チョコが一番好きなんだ。」
と笑いながら言う。
「私も!」
れいちゃんは少し首をかしげる。「私もれいちゃんのチョコが一番好き!」
ふっと笑って
「僕のなんだね。」
と言う。
「うん! れいちゃんの!」
さっきまでの気分と打って変わって、ふわふわと歩く。スキップまでしちゃう!
キラキラお菓子のおかげで明日からまた頑張れそうな気がしていた。
「ただいまー」
と声をかける。
「おかえりと、礼人もお疲れ」
と手をあげる。れいちゃんも手をあげてパチンと手を合わせる。やっぱり、想い合ってるんだなぁと少しうらやましく思う。
同性愛をとても美化している友人がいるけど、現実は意外とあっさりしていて、抱擁とか口づけとかしているとこを見たことがない。
いや、でも、異性愛でも家族の前ではしないか、と一人納得する。
恋人なんていたことないけどねー
仕事用のスーツを脱いでぐでぐてする。
「ちーちゃんお菓子あるよー」
と階段の下かられいちゃんの声が飛ぶ。
「あっ、はーい!」
急いで部屋着 きれいめなやつを着る。
タッタッタッと降りていくと香ばしい甘い香りがする。プラス、バニラの香り……これは!
「クレームブリュレ!」
つい扉を開けながら叫ぶ。と兄は苦笑している。
「餌付けされてるなー」と。
そんなことないと言いたかったけど何一つ言い返せない!
「せーいかーい」
目の前に、れいちゃんが出来たてのクレームブリュレを置けば、魔法のように、むーとしていた顔が一瞬で輝く。
「うわぁ!」
丁寧にカラメリゼされていて、色合いも絶妙。割っちゃうのもったいない! このままガラスケースに入れて美術館に展示しなければ! と思っちゃうくらい!
ついつい器の周りをくるくる回って見てしまう。うわー!うわー! 写メしなければ! パッシャーパッシャー、「何枚撮るんだよ」という兄のボヤキも耳に入らないくらい、時間忘れて、散々撮りまくって、兄が
「いい加減早く食え、明日もあるんだろ」
と言う声ではっと我に返り、しぶしぶ、スプーンで軽くつんつんする。この瞬間が好き。割れそうで割れないところ。と語っても兄は
「さっぱりわからない。合理的じゃない。」
と言い切られる。
「食べるまでの過程にも、1口1口にも物語があるんだよ。ロマンだよねー」
とれいちゃんがにっこりと笑う。合わせて
「ねー」
と笑い合う。兄は少し納得がいかない顔をしていたがふっと笑う。
「お兄ちゃんだってお菓子屋さんなのに!」
「俺は経営の方だからいいんだよ。」と笑う。「あと、デザイン系がなぁ」
と呟くように言う。
デザイン系、少しドキンとして力が入ってパリンとなる。
(おおっ、やっと!)
と嬉しいような少し残念なような想いと一緒に、ひとすくいする。とろぉーとしたカスタードクリーム。甘いけど甘すぎず、卵が! コクが! とろけ具合がー!!!
「もう、れいちゃんのお菓子しか食べられない……」
というとその様子を楽しそうに眺めながら、
「他の方が美味しいって言われたら妬いちゃうよ……」
「ケーキを?」
と聞き返すと、れいちゃんはふっと笑って、兄は
「なんでだよ」
と呟く。
「そこは餅かなー」
「え、和菓子も作っちゃうの!?」
驚いて言うとなぜか二人とも笑っている。兄は何か苦笑という感じだった。
「ちーちゃんに言われたら手出しちゃいそう」
と言うと、
「辞めとけ」
と兄が呟くように言う。「今んとこは」
と付け足すように言う。
れいちゃんが作る和菓子もきっと美味しいんだろうなぁと想像する。
(もちもちの皮に包まれた甘酸っぱい苺大福とか。もうすぐ暖かくなってくるから、つるんつるんで小豆の味がしっかりした水ようかんも美味しそう! うん、私、洋菓子派だと思ってたけど和菓子も好きかも!)
と想像していると
「な?」
と兄が呆れたように言う。れいちゃんが
「ほーんとだ」
と溶かしたチョコレートに蜂蜜を加えて、飽和限界まで砂糖を練りこんだような甘い声と笑顔で微笑む。
悩みも疲労も仕事のこともすっかり溶けていった。
読んでいただきましてありがとうございました。
お察しの通り、ちよことれいとの話です。タイトルが全てです。
というか、続きとか展開とか正直なんも考えてないです。
短編のつもりで書いてたんだけど、こういう関係をだらだら書き続けるのも面白そうな気がして連載にしてみました。
長期戦になりそうなので、お付き合いよろしくお願いいたします。