騎士
ヒグマと呼ばれる熊をご存知だろうか?
日本においては陸上最大の種であり
大きいものは3m300kgの巨体で
50キロ程度の速度で走る捕食者である。
そのピラミッドの頂点である
ヒグマの生態の一つに
獲物への執着心というのがある。
夜を迎えても一向に吹雪はやまず
風が唸りをあげる音と
暖炉の薪が火花を散らす音
彼女が絵本をめくる音
そして時折混ざる極々小さな音
それに気づいたのはやはりライアンだった。
おもむろに立ち上がったライアンは
今しがたまで縫っていた物を少女に渡し言う
「我は勤めを果たしてくる」
ただそれだけ、やはり少女には解せないという風に首を傾げいた。
言葉は通じなくていい。
かるく少女の頭を撫で、ライアンは手早く防寒着を着ると黒塗りの弓を手に吹雪の中へ歩き出して行った。
猛吹雪の中、ライアンは自身の血が燃えるように熱くなっていくのを感じていた。
それは独特の唸り声が近くなる程に
若かりし日を思い出していく
サー・ライアン
彼がそう呼ばれていたのは30年も前のことだ
魔獣から国を守る為にと身を捧げてきた若き時代。
当時は給仕だった妻と出会い結婚し家庭を築いた。
よくある話だ
あの頃はまさに人生の絶頂期だった。
妻が手を真っ赤にするまで働いて買ってくれた弓は忘れられないほどの思い出で、そして人生で一番の宝物になった。
宝物はすぐに二つ、いや2人に増えた
娘は妻に似て読書が好きで読み聞かせるよう私をよく引っ張ってく元気な子だった。
困った俺を妻は微笑んでみていて…
幸せだった。
魔獣症にかかった2人が亡くなるまで。
魔獣の体液には動物を魔獣化させる力がある。
それは人間には効きすぎる毒で、
魔獣症にかかった人間は血の一滴、
骨の一片まで金属のガラクタへと変えられ
大小様々な屑鉄になる
致死率100%の病。
元気に笑顔を振りまいていた娘が
笑いかけてくれた妻達の慟哭が
身体が壊れる痛みに泣き叫ぶ様がいつまでも耳にこびりついて離れない
誰も、誰にも罪はなかった
ただ、只々ついてなかった
だから魔獣へ弓を向けた
危険な森に住み死を願った
まるで幽鬼のようだ
眼前の3メートルを超える巨体は
1人では手に余る化け物だ、
幽鬼如き捻り潰してくれるだろう
だが…
「だが今宵は違う!」
「幽鬼ではなく騎士として!」
「我が名はサー・ライアン!」
「幼子を守る弓となろう!」
黒塗りの弓から矢が放たれた。
機械の少女は迷っていた。
吹雪にライアンが消えてから数分経ってもドアを閉めようとも追いかけることも選べずにいた。
高性能な聴音機関のお陰でライアンが戦いに行ったことは分かっていた。
その相手が自分を瀕死に追い込んだ相手だということも、
だからこそ脚が地面に縫い付けられているんじゃないかと錯覚するほど恐怖し動けずにいた。
彼なら、あんなにも立派な体躯をした彼ならなどと、
何処かで薄い根拠だと否定しながらも考えてしまう。
機械になった彼女は未だ迷っていた。