世界の終わりとはじまりについて
〇キルビエールの『創世記』
世界の終わりとはじまりについて───。
おお、わが詩神ムサよ! われにこの世界のはじまりを見せ給え! 否! 種から芽が出る前に花の枯朽があるように、この世界のはじまりのさらに前、世界の支配者だった「神の民」の栄華と彼らを滅亡させた竜と巨人の戦いの情景をわが両の眼に映し給え!
神の民。われわれは彼らのことをそう呼ぶ。彼らは古の神々を殺しつくしたあと自らが神となり「大地の支配者」「世界の王」として君臨した。彼らの神殺しの力は凄まじく、彼らの造る飛翔する舟は天空の海を星から星へと走り、生命の鎖を操る彼らの魔道は新しい生物を思い通りに造り出せるほどだった。
神の民の繁栄は長くつづき、その数はついには100億人を越え、世界の器から零れ落ちそうになる者もあった。彼らの力ならばあの赤い星に移り住むこともできたが、彼らの心が大地に縛り付けれていたため移住する者はなく、神の民たちは大地に溢れていた。長い繁栄と増えた人口は神の民の精神を腐敗させ荒廃させた。神の民同士の戦争は絶えず、その激しさは増す一方だった。古の神々を一柱残らず殺すような種族なのだ。元来が好戦的な性格だった。
しかし、戦争は神の民の力をさらに向上させる糧にもなった。彼らの知識は宇宙の深海の底に到達するほどにまで深まり、彼らの知見は世界の果てで起こった事柄でさえ見通せるほどにまで広がった。彼らの魔道は宇宙の秘密が記された石板の文字を書き換えることさえも可能にしようとしていた。
神の民の傲慢さと怠惰さが、全知全能の神の逆鱗に触れた。神は彼の軍勢を神の民の頭上に顕現させた。一方、地下深くで幽閉の身にあった邪悪と反逆の王は神の思惑を妨げるという理由だけで彼の軍勢を神の民の世界へと派遣した。天使と悪魔の軍勢は空を覆い隠すほどの数だった。元々敵対の関係にあった天使と悪魔は時を置かずして戦争をはじめた。天使も悪魔も神の民の存在など忘れてしまい、自らの戦いに没頭した。しかしその戦火で神の民の半数が焼き払われた。
支配者として君臨していた神の民が栄華の絶頂においてその文明もろとも死に絶えようとしていた!
しかし神の民は座して死を待つことはしなかった。神の民の復讐がはじまった。彼らは彼らの魔道で竜と巨人を創造し、天使と悪魔に対抗させたのだった。竜と巨人の炎の威力はおぞましいほどだった。不死であるはずの神の御使いたちの肉を焼き、魔王の手下たちの骨を砕いた。戦闘の種族である神の民らは、たとえ敵が神や魔王であったとしても、躊躇いなく挑み、容赦なく焼き捨てた。神や魔王でさえその狂気に恐怖した。天使と悪魔の軍勢は三分の一に減り、撤退した。
神の民の勝利! しかしそれは終わりのはじまりであった。自身で創り出したふたつの最強の兵器は新たな争いの種子となった。竜と巨人は、自らの力を誇示し、強者は一人でいいと主張した。そして相手を先に抹殺することを競いはじめたのだ。なんという愚かさ! 世界を二分する大戦争は、空を燃やし、大地を溶かした。竜と巨人の発する火炎は海一面に広がった。噴火と地震が間断なく続いた。黒い雨が世界中を濡らした。
神の民の生き残りは、赤い星に移住した者もごくわずかにはいたが、ほとんどが鎖で繋がれた囚人のように大地から離れることができなかった。彼らは無気力に世界の死に付き従うだけだった。
竜と巨人の戦争は世界を破壊し尽して終わった。竜は天空を住処とし、巨人は地中深くに潜ったとされている。世界は死の国となった。
しかし腐葉土から樹木が芽吹くように、死の大地にも新たな生命が誕生した。はじめの三日間で新しい樹木や花々が生まれた。次の日に海に住まうものが、その次の日に大地を駆けるものが生まれた。六日目に亜人や半神族や小人族といった種族が生まれた。そして七日目にわれわれ人族の始祖であり母であるエイリスが誕生した。世界のはじまりである。
世界の終わりとはじまりの詩をいま詠い終えたわれは悟る! われらは竜と巨人の兄弟! 神の民の子! どうかこの命を讃え給え!
〇『創世記』解説
作者キルビエールは旧アジャ歴400年前後に生存したとされている神話的な詩人である。「キルビエール」という語は「死を歓迎する者」を意味する。現在の研究でもなお、キルビエールが実在していた人物なのか、作り上げられた架空の人物なのかの結論はでていない。彼の著作とされているいくつかの作品のなかでもこの『創世記』はもっとも有名で、旧世界の終わりと新世界のはじまりのリアルな描写は歴史学的にも価値があり、過去を検証する貴重な史料となっている。
作中でおもに語られる「神の民」については、各地の伝承やおとぎ話にまで登場するほどわれわれにとっては身近な存在ではある。圧倒的な力をもつ支配者であった彼らに由来すると思われる遺跡はわずかに残されており研究がされているが、あまりに複雑な構造物でありわれわれの理解を超えている。しかし同時にそれは「神の民が実在していた証拠」でもある。
「全知全能の神」「魔王」「天使」「悪魔」といった概念はわれわれには馴染みのないものであるが、おそらく「侵略者」の比喩ではないかというのが現在の定説になっている。「天使」と「悪魔」というふたつの勢力が神の民の領土内に侵攻してきた三つ巴の戦闘状態を表現していると考えられている。
また、神の民が天使と悪魔に対抗する兵器として開発した竜であるが、現在でも一部の辺境地域では竜神として崇められている。竜が詠っていた詩が現在の呪文や祝詞の源流とされ、「竜の言葉」という表現がつかわれるのもそのためである。ちなみにわれわれの始祖の名「エイリス」にも「竜の言葉」という意味がある。
巨人についてはわれわれはほとんど知らない。各地に「巨人の足跡」と呼ばれる遺跡があるが、それが本当に巨人に由来するものかどうかの真偽もたしかではない。
〇ある科学者の手記
20XX年5月2日
今朝7時過ぎ、わが子が生まれた。3200gの元気な女の子だ。私の人生でこれほど意義のある出来事があっただろうか。私はこの日のためにこの世に生を受けたにちがいない、と思えるほどだ。母子ともに経過良好。いまは二人ともベッドで静かに眠っている。
医療の崩壊したいま、子供をとりあげるのが素人の私一人では妻も不安だったろうに。とはいえ、私は最後にへその緒を切っただけでほぼ傍観者だったわけだが。妻が本当に頑張ってくれた。ありがとう、ミーシャ。
竜と巨人が姿を消して三日が経つ。あの七日間の戦闘で生態系は壊滅的なダメージを負ったことだろう。さらに地球の大気、土壌、海洋は相当汚染されたはずだ。これで既存の生物たちの絶滅は決定事項となった。われわれ人類も含めて……。金持ちの一部が火星に逃げたという情報もあるが、国家間の足の引っ張り合いで遅れに遅れた火星開発だ。無事に火星に辿り着けたとして、とても生き残れるとは思えない。
わが子が誕生したとき世界はすでに終わっていたなんて……私はあの子になんて言えばいい?
20XX年5月3日
誰が読むでもない告白をここにしたい。こんな気分になったのはきっと子供が生まれたからにちがいない。
私は裏切者である。侵略者である『天使』に亡命し、さらに『天使』らを裏切ってふたたび地球に戻った。
半情報思念体『天使』たちの目的は「進化のダイナミズム」だった。物質的な実体を持たない彼らにとってわれわれ有機生命体の進化のダイナミズムは価値があったらしい。私は地球の存亡よりも『天使』らの科学力に惹かれた。そして彼らの元へ亡命した。
彼らの科学力。『事象の地平面』情報のリプログラミング──通常の物理情報すらも改変可能な技術、それはもはや魔法とおなじだった。人類がまだ仮説を立てたにすぎなかった理論を、彼らはすでに使いこなしていた。私はむさぼるようにして彼らの知識を学んだ。
その後に現れた『悪魔』たちは『天使』と同じ半情報思念体だったが『天使』とは敵対する別勢力だった。『悪魔』は某国に接触し『天使』の目的(地球侵略)の阻止を企んだ。某国は『悪魔』の力を借りて超兵器を開発しようとしていた。それが『事象の地平面』情報のリプログラミング技術によって造られた怪物・巨人だった。
国家間のパワーバランスが崩れることを恐れた米国は私に接触してきた。そして私は巨人と同じ『事象の地平面』情報のリプログラミング技術をつかった怪物を造った。それが竜だ。私が世界滅亡の要因のひとつを造り出したのだ。わが子の未来を奪ったのは他でもない、私だ。
20XX年5月5日
ミーシャが不安定だ。将来への絶望。以前なら二人で死を選んでいただろう。しかしいまはこの子をどうにかして生かしたいという気持ちがある。食料の蓄えは5年分以上ある。しかしその先は……。
『天使』と『悪魔』の戦い、人類が参戦し『天使』『悪魔』『人類』という三つ巴状態での戦闘、『天使』と『悪魔』撤退後の竜(米国)と巨人(某国)の代理戦争とつづいて地球の半分の生命が死んだ。土も汚染された。食料の確保は不可能だろう。
考えうる打開策はふたつ。
ひとつは『アリス』をつかって地球環境の改変を試みてみること。『アリス』──『事象の地平面』情報を上書きし実行するプログラミング言語。その命令は文字ではなく「歌」だ。人類には発音不可能な歌であるため特別な発声装置が必要だ。竜と巨人はそれを搭載していた。しかし今手元に発声装置がなく、しかも環境改変という大規模なリプログラミングができる自信が私にはない。
ふたつめの案は、人体を遺伝子操作によって環境に適応するように改造すること。私は一時期「キメラ・プロジェクト」に関わっていた。そのときコピーした無数に生み出された奇形児たちの残骸──遺伝子情報の部品を、私は持っている。さらに「竜の声帯(『アリス』の発声が可能)」の遺伝子情報も。
ジーン・デザインした遺伝子構造体をウイルスに載せて人体に注入する。成熟してしまった私やミーシャは無理でも新生児ならばまだ間に合う……私はなんていうことを! 私は悪魔だ! 自分の子供に、生まれたばかりの赤ん坊に、なんという恐ろしいことを!
こんなことを考えるのはもうやめよう。残された時間を三人で過ごそう。短い時間かもしれないがミーシャとあの子と三人で幸せに過ごそう。あの子を愛そう。そうだ、まず名前だ。ミーシャが目を覚ましたら名前について相談しなければ。
20XX年5月7日
ミーシャが死んだ。私はどうしたらいい。
20XX年5月9日
アリス、と名付けた。
20XX年5月11日
私は決心した。実行にうつすことを。いまやらなければ。時間はそれほどない。
すまない。本当にすまない、ミーシャ。
アリス、愛しているよ。