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3(ひと踏ん張り)

「は?」どうやらおれは、足首の国に行ってたらしい。大事なところを聞き落したに違いない。

「ム所なら安全でしょ?」

「バカ云え」

「なんで?」

「ム所の中には悪党がワンサカいるんだぞ」

「アンタも仲間入りじゃん」アリゾナはにこっと笑った。「良かったね、半ちく者からイッパシの悪党になれるよ!」ぐっと親指を立てて見せた。

 デンバーは思った。この女を買いかぶり過ぎていたようだ。「入るならお前さんからどうぞ」

「いやいや」アリゾナは哀しげに首を横に振った。「アタシなら結構。ご遠慮させて頂きます」

「おれだってゴメンだ」

「折りを見て出してやるからさ?」

「その折りってのはどのくらいだ?」

「そんなのアタシが知るワケなかろうもん」

「お前、バカだろ」

「まぁ、賢くはない」

「随分と謙虚だなぁ、おい!」

「素直で謙虚は美徳なの」

 嗚呼、なんと小面憎いジャジャ馬暴君疫病神であることか! このバカ女を張っ倒せるなら、悪魔に魂の半分くらい喜んで差し出せるとデンバーは思った。いや三分の二だって充分だ。今、この瞬間に契約成立なら、余命が十年くらいになっても、その価値はある。たぶん。いや、やっぱ十五……二〇年くらいは残して欲しいかな。

 ふと、アリゾナが黙っているのにデンバーは気がついた。今まで饒舌だったヤツが口を噤んで、真剣な眼差しを自分の肩越しに向けているとなると気味が悪い。何か悪い予感がする。

「どうした」訊かずにいられなかった。

 しかしアリゾナは、「しぃっ」と鋭く、視線を動かさずに注意した。

「おい、本当にどうしたんだ」余計な不安を煽るなや。

 ややあって、アリゾナは小さな溜め息を漏らした。それは妙に色っぽくて、デンバーはなんだかうんざりさせられた。

 アリゾナは、拳を顎に宛て少し考え、ふっ、と傍を離れた。

「何処に行く?」

「バスルーム」何を当たり前のことを、とでも云うように。「聞き耳立てないでよ?」

「小便か」

「ンコ」

「ドア閉めろよ!?」

「当たり前じゃん」心なし不機嫌そうに鼻を鳴らし、「ちょっくら出し入れしてくるわ」手をひらひらとさせながら、歩み去る。

 びっくりするほど下品な女だ。しかし、デンバーは思い出した。それは彼女と初めて会った夜のこと。あの夏の終わり。浜辺と花火と潮騒と。隣に坐った女がでっかいトランペットを尻で鳴らした。恥じらいもなく、ひとこと「失礼」。なかなか堂に入った様子に興味を憶え(好奇心は猫をも殺す、とは良く云ったものだ)、声をかけたのがそもそもの発端なのだ。なんでも晩飯のタコスが良くなかったそうな。だからって慎みってモンが一片もないってのはどうなんだ。世間一般で云う、野卑で粗暴な知り合いがいないワケでない。それより下品となると、あれより下(それとも上か?)は、なかなか思い当たらない。

 大物だ。ある意味に於いて。

 それが第一印象だった。そして、局所的方面からすれば芸術性の高い店の踊り子をしていると教えられた時は、冗談だと思った。しかし、花火で彩られたサマードレスの裾からのぞく足は、普遍的方面からして芸術性の高さを認めざるを得ないものであった。すらりと細く長く流麗で。あの瞬間、全ての音が消え去った。世界には、足だけが存在していた。

 ンコに行った女が戻ってきた。

「快便か」なんとなしに訊ねて後悔したが、女は別段気にしたようでもなく。「どちらかと云えば便秘気味なンだけどね」云いながら、アリゾナはテープを手に取り、ビィッと引っ張り、千切ってデンバーの口を塞いだ。次いで、目にも貼り付けた。「ゴメンね。剥がす時はゆっくりしてあげるから。でもそのキュートな睫毛は諦めて」

 デンバーは、すでに逆らう気力も萎えていた。

「じゃ、アタシはもうひと踏ん張りしてくるから、ママがいない間も良い子にしてるんでちゅよ?」

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