第二之巻 生傷
再編集をおこないました。
話の内容は一切変わりませんのでご安心ください。藤波真夏(2017年5月12日更新)
陽が森から出た時、朝日が昇りかけていた。長い時間あの森の中にいたのだな、と実感した。丹波のお屋敷に戻ると丹波がお屋敷の前をウロウロとしていた。
「丹波さま?」
陽が声をかけると丹波が驚いた面持ちでやってくる。そして心配そうな声を上げる。
「陽! どこにいっていた?! 姿が見えなくて心配したぞ!」
丹波に向かって申し訳ありません、と陽は謝罪した。その後、丹波や雅姫からどうしていたのか、と状況を聞かれた。陽は隠すことなく全てを話した。
夜中に白い光が見えたこと、それを追ってアヤカシの森へ足を踏み入れてしまったこと、そこでアヤカシの少女に出逢い人間を憎んでいると知らされたことーーー。
一通りを聞いた丹波はそうか、と考え込んだ。
「でも無事でよかったです」
雅姫も優しく微笑んだ。
丹波はもう少し屋敷で休んでいけと言うも陽は気持ちだけ受け取って自分の家へ帰っていった。陽が家に帰るといつもの寂しい一人での生活が待っていた。
一日過ぎていくことに陽の心は穴が開いたように気持ちがモヤモヤとしてしまっていた。心がまるで紐みたいなものに締めつけられるような気分だった。仕事終わり、家に戻りいつものように灯りをともす。
「あの首飾り・・・どうしよう」
棚の段にはあの森で拾った首飾りが置かれており、どうしようかと陽は悩んでいた。陽は明日の夜に首飾りを返しに行こうと決心した。
すると陽の家の外から、
「陽! 今いいか?」
その声を陽は聞き覚えがあった。扉を開けると達兵衛が笑って立っていた。
「おじさん?!」
「どうだ? 今日、一緒に飯食わねえか?」
達兵衛の勢いに押されて陽の家に達兵衛夫婦がやってきて達兵衛の妻である志津が台所で料理を開始する。
「どうしたよ、真面目な陽らしくねえな」
達兵衛が言うと陽は心配をかけまいと無理に笑って見せた。
「おじさんは心配性だなあ。別に俺はそんなことないですよ。一人暮らしは結構長いんで・・・」
陽の笑いはしばらくして静かに消えていった。やはり達兵衛に嘘はつけないと悟ったのだった。十六夜という不思議な雰囲気をかもしだすアヤカシと出逢ってからというものの、一人に疑問を抱かなかったのに急に今の生活が寂しく感じてしまう。
これもアヤカシの力なのか? 禁忌を破って森に入ってしまったからアヤカシたちの逆鱗に触れたんじゃーーー。
陽の頭の中はその考えで溢れかえる。
志津の手料理を食べていると次第に抱えていた思いが溢れだしてきた。
「お前は独りなんじゃない。俺らがいるじゃねえか」
達兵衛の言葉が陽の心にじわじわと浸透していく。陽の目から一粒の滴が垂れる。それは暖かい光に反射して輝いた。
十六夜の首飾りは家の灯りに反射して妖しく輝いた。陽の心をかき乱したのはやっぱり十六夜の力なのだろうか。陽は志津の飯を食べながら決心した。
アヤカシの森に行ってあの首飾りを返してこよう。それにあの十六夜のことも気になる・・・。
使命感と好奇心に駆られ陽は次の日の夜、人目を避けてアヤカシの森へ入っていった。昼間に入って人に見られたら大騒ぎになりかねないと懸念したからだ。
アヤカシの森へ単独で足を踏み入れた陽は声を出して言う。
「十六夜! 君が落とした首飾りを返しに来た! お願いだ、姿を見せてくれ!」
陽の声は驚くほどに森の中へ響き渡った。陽は終始驚いた。すると森の奥深くから足音が聞こえてくる。
陽が身を固くしていると、やってきた人物の着ている着物に見覚えがあった。白と水色の着物、頭には薄い着物をかぶっていた。
「十六夜!」
陽が声をあげた。しかし十六夜は恐ろしい形相で睨み付けた。美しいはずの緑色の瞳は歪み獲物を狙う獣の如く、陽を見据えている。
「私は言ったはずだ。もう二度とここに来るな、と。でも人間にしては流石だな。その言いつけを破りのこのことやってくるその度胸! 愚かだ、本当に人間は野蛮で愚かな生き物だ」
陽は十六夜からの憎しみを向けられ体が委縮してしまう。その場から動くことなどできない。
「覚悟しろ、人間」
十六夜がものすごい速さで陽に攻撃を仕掛けようとする。陽は思わず持っていた首飾りにありったけの想いを念じた。
お願いだ、助けてくれ!
するとその願いが届いたのか、また声が二人の耳に届いた。
「ちょいまちぃや! 十六夜! 人間をこれ以上傷つけたらアカン!」
その言葉に驚いて十六夜は動きを止める。陽は声の方向に視線を向けた。そこにいたのは、
「・・・イタチ?」
イタチが一匹ひょこひょこと陽のところへやってくる。イタチの姿はだんだんと変わり人間の姿に変化した。
「え?!」
陽は驚いた。藍色の着物を着た風神丸だった。耳に生えたイタチの耳を軽く震わせると陽に近づいた。
「わりぃな。怪我はねえか?」
陽はああ・・・と言葉を返すことしかできなかった。
「俺は風神丸ってんだ。俺はアヤカシカマイタチなんだ。風を操るアヤカシなんやで!」
風神丸は陽に手を差し伸べて立たせた。そして二カッと笑う。
「風神丸・・・。何故、こいつを助ける。こいつは禁忌を破ったんだぞ!」
十六夜の口から辛辣な言葉が風神丸に浴びせられた。うっとおしくなったのか風神丸は髪の毛をくしゃくしゃとかいた。そして陽を見て言う。
「お前、名前は?」
「陽・・・だが」
「陽か。人間にもいい名前のヤツはいるんやなあ! それより、陽の目的は何も禁忌をまた破りに来たんじゃないんやろ?」
風神丸に言われて陽はコクンと頷いた。陽は十六夜の前に一歩、また一歩と近づいた。十六夜はまだ警戒を続けた。陽は懐から首飾りを取り出した。
それを見た十六夜は瞳を見開いた。
「これ君のだろ? 初めて逢った時に落ちているのを発見したんだ」
十六夜は驚いた表情のまま横目で陽を見続ける。陽の視線は十六夜の顔に一点集中していた。一瞬もブレずにただ十六夜だけを見続けている。
こいつ・・・、人間のくせにこっちを見続けている・・・? 何だ、この純真な視線は・・・。
十六夜は思った。
そして布の擦れる音が聞こえたかと思うと、首飾りの持つ手に冷たい感触が走る。十六夜の手が優しく触れていた。十六夜は首飾りを取ると見つめた。
「人間のくせに・・・変わった奴だな・・・」
十六夜は呟いた。風神丸は十六夜に向かって言う。
「いいか、十六夜。こういう人間もいるんや。人間全部が悪いだなんて俺は思わねえ。もう少し自分に素直になったらどうや?」
風神丸は心を開こうとしない十六夜にこのような言葉を何度もかけてきた。しかし十六夜は聞く耳を持たなかったのに対し、陽の行動により十六夜の心は微かに解け始めている。
しかし、十六夜は陽の顔を見るなり衣を翻し、森の奥へ帰ってしまった。
「十六夜・・・!」
陽が言いかけると、風神丸が止める。帰るのもあれだ、と陽と風神丸が岩に腰かけ話し続けた。
「十六夜は昔からああなんだ。気に病むことなんかねえよ」
「風神丸は人間をどう思っている?」
風神丸は俺か? と軽い口調で返してくる。
「俺は人間が好きなんや。人間とアヤカシが出会う事が禁忌だなんてどうしても思えないんよ、俺は。確かに人間の中には悪い奴もおるが、それと同じくらい人間だってアヤカシと同じで生きてるんや。俺はその良心に賭けたいって思うとる」
風神丸の抱く思いに陽は空を見上げる。その夜景は陽がいつも見る風景とは変わってとても美しく感じた。
陽は風神丸に改めて礼を言うと一人でアヤカシの森を後にした。
一方一人で森の奥へ向かって歩く十六夜は立ち止っていた。手に握られた首飾りを首にかけた。またそれを握るとあの時の気持ちが伝わってくる。
「手・・・暖かかったな・・・」
十六夜は陽に触れた手を見つめる。陽の手のぬくもりが今になってジワジワと浸み出て来る。
何だ、この気持ちは・・・。今まで感じたことのない・・・。やつめ、私をどこまでかき乱せば気が済む!
十六夜は苛立ちを覚え、ずんずんと歩いていく。その様子を樹の影から見つめる人影がひとつーーー。十六夜とは正反対に赤く派手な着物を大胆にも胸元を少し広げて着た女性が。
頭にはキツネの耳。かつて美しい女性の姿で大君を誑かしたと言われる、アヤカシ玉藻前である。彼女はアヤカシ玉藻前の九十九である。
「避けられない運命・・・あの男と出逢って、あんさんの運命は変わり始めるよ・・・。これが運命ね・・・」
意味深な言葉を言うと、九十九を呼ぶ声が聞こえた。
「九十九。そんなところで何をしておる」
「長・・・。別に何もしておりませんよ」
九十九は笑って帰っていった。十六夜はそんなことにも気がつかず一人で岩に腰かける。頭から覆っていた薄い着物を外して顔を露わにした。
緑色の瞳、艶のかかった黒い髪、明るい色の紐で作られた花をかたどった髪飾り。一見すれば人間と大差はない。
「陽・・・」
十六夜は虚空に向かって呟いた。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。藤波真夏(2017年5月12日更新)