第廿三之巻 終焉
更新しました。最後まで読んでくれたら幸いです。藤波真夏
十六夜は夢を、いや彼岸を見た---。
目の前には真っ赤な彼岸花。どうやら自分は死の帰路に着いたらしい。ゆっくりと足を動かすと、
「お待ちなさい」
後ろから呼び止められる声がした。無意識に振り返るとそこにいたのは黒い髪に緑色の瞳。十六夜と同じ。
「あなたは力を使い果たした。良き方向に・・・。でもやるべきことはまだ残っているはず」
「え?」
「彼に、言わなきゃいけないことあるんでしょ?」
十六夜は思い出す。陽にいつか言わなきゃいけないことがあると、自分で言っていた。その女性は静かに微笑んだ。
「貴女が、瀬織津姫?」
「そう。私はヒノモトを守る水の守護神瀬織津姫。貴女の・・・母にあたる」
記憶をなくしていたあの時とは違う、懐かしさ。取り戻して全てがわかる。寂しさと嬉しさがこみ上げてくる。
「私が神滅したとき、幼い貴女を大君が呪術をかけて記憶を奪い玉に閉じ込めた。記憶がなくなれば時間は永遠に止まったまま。体は成長しても年はそのまま。何百年という長い時間を過ごした・・・」
真実が少しずつ明らかになっていく。瀬織津姫は愛しい娘との再会に胸を馳せるももう時間がなかった。瀬織津姫は消えてしまう。これは十六夜の幻想にすぎない。
「待って! 行かないで!」
「闇美津波、いえ十六夜。後悔のないことをしなさい。貴女に受け継がれているのは私の魂そのもの。刻まれたものに抗うのです。これは貴女の命。私のものではない。後悔のない選択肢を選ぶのです。いいですね?」
十六夜は頷き、そのまま意識を手放した。
「・・・」
陽の意識が回復した。傷はふさがり健康な体そのものだった。何が起きたのかは知らない。それよりも陽が心配したのは、
「十六夜?」
周囲を見渡すが十六夜が見つからない。すると木のそばに力なく寄りかかっている影が見える。
「十六夜!」
駆け寄ると力なく倒れ、体は真っ赤な血で染まり魂を抜き取られたようになっていた。陽はすぐさま十六夜を抱き上げて顔を寄せた。すると陽の気配に気づき十六夜が瞳を開ける。緑色の瞳は生気を失いかけており、色がない。
「しっかりしてくれ!」
「陽・・・。怪我は治った?」
「え? まさかこの傷・・・十六夜が?」
「ああ。私の最期の力を・・・お前に注がせてもらった。これで陽はもう大丈夫・・・」
この言葉で全てを理解した。十六夜が自分の命を犠牲にして自分を助けたのだと。
「なんで、このままじゃ十六夜は死んでしまう!」
「私は使命を・・・果たしたまで・・・。こうなる、運命だった」
陽は嫌だ、嫌だ、と首を振って現実を受け入れようとしない。しかしいつの日か言おうとしていた言葉を紡ぐ。決意を込めて---。
「十六夜・・・・君が、愛おしい---」
十六夜は目を見開いた。涙を流してこちらを見つめてくる陽に十六夜は命が尽きる最期に心が一瞬で熱くなった。
血で汚れた着物を握りしめて陽は強く語った。嘘はついていない、いやつけるはずがない・・・。陽は嘘なんか今まで一度も付いていないのだから。
「私もだ・・・陽。お前が愛おしい・・・。でももう私は消えてしまう・・・」
今まで黙っていた想いを十六夜が紡いだ瞬間、暖かい光に包まれて十六夜の体がだんだんと薄くなっていく。命が尽きかけ、このままでは神滅---光の粒になって消えてしまう。
「嫌だ! 消えないでくれ!」
十六夜を消させまいと陽は手の握る力さえも失った十六夜の体を腕に抱きとめて強くその体を奪う。
陽の想いを崩すように十六夜の体はだんだんと薄くなっていく。涙を流してただ逝かないで、と懇願する。すると十六夜の手が不意に動き出す。首につけていたヒスイの首飾りを引きちぎった。そしてゆっくりと陽の着物の懐に入れた。
「え?」
「陽に出会えたこと・・・、私は忘れない。私は数百年の時を捻じ曲げられ、生きてきた・・・。でもようやくこれで・・・全て、終わる・・・」
「やめてくれ!」
「お前は太陽のような人・・・。凍りついた心を溶かしてくれた恩人・・・、そして私にとっては、何にも代えがたい愛しい人間・・・。先に逝ってしまうのは惜しいが・・・、天上界で、いつまでも・・・見てる、か、ら・・・」
その言葉を最後に十六夜の体は光に包まれ、陽の腕の中で儚く消えてしまった。十六夜は光の粒となって神滅した。
陽はその場を動けなくなり地面に腕を叩きつけて、悔し涙を流した。その嘆きの声は周囲に轟いた。
陽は自分を責めた。どうして助かってしまったのか・・・、と。
近くから見ていたのは風神丸だった。風神丸は元の姿に戻っていた。彼も十六夜が神滅する一部始終を見ていた。話しかけづらいと考えたが風神丸は声をかける。
「陽・・・」
「なんで・・・俺だけ・・・、助かってしまったんだ・・・っ、ああっ---」
言葉は陽には届かない。心の優しい陽は十六夜という一人の女のためにここまで泣いた。その光景は瀬織津姫を失った千智のようだった。
すると陽の懐から緑色の光が漏れる。懐を弄ると出てきたのは十六夜が最期に託したヒスイの首飾り。まだ光り輝いている。心臓が鼓動を打つように点滅していた。
「十六夜・・・」
さらにこみ上げてくる悲しみ。それは風神丸も同じだった。
「十六夜は天に還ったんや。光っているのはまだ彼女が生きてるって証拠だと思う。俺らにはまだやることがあるやろ?」
陽は思い出す。真夜中に現れた藤原千智の魂を---。
『運命に抗え---』
彼は確かにこう言った。もしこの流す涙が千智の魂に刻まれたものだとするならばこの後することは、十六夜を追い詰めた浦波王への『復讐』である。
だけど陽は心が優しい。復讐はやってはいけない、と念を押された。
「・・・抗う。俺は、こんな結末は御免だ---」
陽は悲しみを胸のうちにしまいこみ、涙を拭いた。風神丸が心配していると陽の顔つきが変わった。
「陽?」
「屋敷へ戻るぞ。丹波さまの元へ行かなくては・・・」
「そうこなくちゃな!」
十六夜の託したヒスイの首飾りを今度は陽が身につけた。陽の胸のあたりでゆっくりと点滅している。
風神丸も白いイタチの姿に変化し、定位置である陽の肩の上に登った。するとどこからともなく薄い布が流れてきた。女性が旅の際顔を隠す布だ。その布には見覚えがある。
「・・・十六夜の布だ」
陽は手を伸ばして布を掴む。それが一体どこから流れてきたのかは知らない。が、森を焼かれていたためほころび一つなかった。
陽はそれを掴み馬に乗った。手綱を引き馬を動かす。馬はその自慢の脚力で戦場を駆ける。ヒスイは依然として点滅している。風神丸は振り落とされないように陽の着物に爪を立てて耐えている。
「十六夜が助けたこの命、無駄にはしない! 俺は、抗い続ける!」
一方、丹波の屋敷内では女たちが慌てていた。もう朝廷軍は屋敷の外を取り囲まれていた。子供だけでも逃がそうと考える者たちもいる。松風を護衛する小百合も覚悟を決めていた。
「松風さまだけでもお逃げください!」
「なんでだ?!」
「私のことは大丈夫です! あなた様が亡くなってしまってはこの国は壊れます!」
小百合が説得するも松風は首を縦には振らなかった。無理矢理にでもと考えたがそれでも松風は拒み続けた。すると屋敷の門が破られたことを知らせる声が届いた。
迷っている暇はなかった。
小百合は武器を構え松風を自分の後ろに配置させ警戒態勢に入った。屋敷の中庭は敵味方入り乱れ多くの者が傷つき死んでいった。小百合の元にも兵士が入ってきた。その度に小百合がなぎ払っている。
部屋の中が遺骸と朱色に染まっていた。松風には決して見せなかった惨さである。しかし松風は少し慣れた様子だった。陰謀に巻き込まれてから心はたくましく、武士のように成長していた。
「怪我はありませんか?!」
「ああ」
やりとりをした時、背筋が凍りついた。
「まさか・・・、死んでいなかったのか?」
聞き覚えのある声。松風の表情は一瞬で凍りついた。二人が顔を同時に向けるとそこには冷ややかな顔をして刀を握る浦波王の姿があった。
「浦波、さま・・・」
すると浦波王は持っていた刀を小百合の脚めがけて振り下ろす。小百合の脚からは大量の血が流れ小百合の苦し声が聞こえた。押さえてもなかなか血が止まらない。
「小百合!」
松風が手で小百合と一緒に止血をする。松風の手も小百合の血で真っ赤になっていく。松風の恐怖に満ちた顔で自分の父を見上げた。浦波王は幼い自分の息子に刃を突きつけた。
「何をする」
「小癪な真似をする女狐がいたもんだ、いやアヤカシか・・・」
小百合がアヤカシだと一瞬で見抜いた。頭の回転が早い浦波王は笑った。
「ここで死ね、その血でこの国の礎となれ---」
浦波王が刀を振り下ろす。すると小百合が松風の背中を押し逃し、自分は避ける。どうやら狙いは松風らしく松風だけを見つめている。浦波王は松風を狭い部屋のなかで追いかけ回した。刀を振り下ろすも間一髪で避けることが幾度とあった。しかし、松風の素早さは次第に力をなくしていく。
「もう降参か?」
浦波王はついに部屋の角に負傷した小百合と松風を追い詰めた。小百合は僕が守る、というように前へ立ちはだかる。しかし反抗する術がない。何よりこのままでは小百合が命を落としかねない。
「その動き、立派だったぞ。父として誇りに思う」
「僕はあなたを父として思っていない。優しい仮面をかぶった卑劣な王だからだ!」
「そうか。言葉のたとえも上手くなったな。しかし、松風。お前はここで死ぬ。このアヤカシの女と一緒に。死ね---」
松風は小百合をかばうように手を握る。
もはやこれまで!
そう思った次の瞬間、カチャッと二本の刀が向けられる音がした。
「それまでだ」
浦波王が振り返るとそこには小百合の声を聞いた鎌清と丹波が刀を向けていた。真剣な顔で睨んでいる。
「主人・・・、鎌清・・・」
小百合は安堵の表情を浮かべた。どうやら中庭の兵士は鎮圧したらしく、残りの兵は逃げていった。残っているのは親玉の浦波王だけだ。
「もうおしまいです」
丹波の指示で浦波王の手に縄がかけられた。浦波王が拘束される。刀を払いのけ、浦波王はついに捕らえられた。何千人もの死者を出した計画は崩壊した。
「私を裁けるのか? 私は大君の一族。神にも等しい一族だ!」
浦波王が白を切る。すると部屋の奥から現れたのは緑色の規則正しい光。足音とともに声がした。
「裁けるさ。大君の一族は神にも等しい? 笑える。大君の一族はかつて自らの地位を確立するためヒノモトに宿る神たちを神滅させた罪がある。おかげでヒノモトの神はすべていなくなった。重罪中の重罪だぞ。それでも助かると?」
陽だった。
神を滅したというのは重罪に価する。その裁く権利は自然に松風へと渡る。松風はまるで他人を見るかのような視線で丹波に命じた。
「丹波。悪いけどミヤコの牢屋に入れてくれないだろうか?」
松風は丹波に命じると浦波王を連れてミヤコに向かう早馬で届けた。早馬ならすぐにつく。裁かれるまで犯罪者として牢屋で蟄居することだろう。
「小百合。確かか?」
鎌清が小百合に寄り添い布で小百合の傷を塞ぐ。小百合は安堵したように鎌清にからだを預けた。そして松風も小百合に抱きついていた。体は小刻みに震えていた。裁きなどしたことない無垢な少年。勇気のいることを吐いて松風は泣いていた。
「ごめんなさい。小百合・・・」
「松風さまが無事で何よりです」
部屋の奥に突っ立っていた陽も安心した顔をしていた。しかし十六夜の姿がないのに気が付いた小百合はそのことを問う。陽はヒスイを見せて事の顛末を伝えた。
それを聞いた三人はショックのあまり言葉を発せずにいた。
彼女もまた浦波王によって命を奪われた神様なのだ---。
戦いがひと段落して陽たちは後始末に追われていた。死者を墓地に丁重に葬り、アヤカシたちは森へ帰って行った。
松風の無事が確認され松風はそのまま大君の座に戻ることになった。そこでミヤコに帰る。陽と最後に話した際、勇気を持って裁くと決意していた。
さらに言うと風神丸も森へ戻って行った。
「またいつか、会おうな!」
風神丸らしい言葉だった。いつ会えるのだろう、と陽は胸を馳せた。
部屋に取り残され陽の心はぽっかり穴があいてしまっていた。十六夜を失ったショックが大半だ。
運命に抗った。俺は決して人を殺さない。きっと良きように裁いてくれる。
陽はそれからしばらく十六夜を思って泣き続けた。その悲しみは陽を強くしていた。ヒスイの首飾りはそんな陽を静かに見守り続けていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。感想、評価等よろしくお願いします。藤波真夏




