第拾七之巻 軍神と水の守護神
更新しました。最後まで読んでくれたら幸いです。藤波真夏
同じ頃、アヤカシの森では。
アヤカシ木霊の子供達が口々に言い合う。
「ねえねえ。あっちの森のアヤカシ、死んだって」
「声が聞こえたよ」
「僕たちは、死んじゃうの?」
アヤカシ木霊の耳は恐ろしい出来事も読み取る。それを不安な表情で見つめるアヤカシがいる。九十九だ。
目の前の大きな岩はいつも十六夜が笛を吹く場所であるが、今はいない。人間の世界へ行ってしまった。寂しげな瞳を向けていた。煙管を吸い煙を口から吐き出すと、フフッと笑った。
「なんの用ですか?」
後ろにいたのは長だった。長は少し笑った。九十九の妖力は素晴らしいと褒める。
「何、月を見たかっただけじゃ」
長は夜空を見上げて月を見る。光は森を照らし地面が明るい。九十九が長に話しかけた。
「長、どうしてあのお嬢さんを封印したんです?」
長はしばらく黙りゆっくりと語り出した。
「九十九。お前にもあの時の記憶はあるじゃろう。昔、人間に反旗を翻し大洪水を起こしたあの時を・・・。十六夜のなかにはあの大洪水に匹敵、いやそれ以上の妖力がうごめいているのじゃ。それを我らの反乱の糸口にしようと一度封印させたんじゃが・・・」
「それが、裏目に出た・・・と?」
長はその通りと頷いた。十六夜の力を溜めるため、封印をつけたものの陽が封印を解いてしまった。長は人間の手に十六夜が渡ることを一番恐れた。
「人間との確執が今、取り返しのつかないことになっている。十六夜は最後の切り札だったんじゃが・・・」
「しかし、あの坊やは十六夜をどうこうとか考えておりんせんよ。純粋に一緒にいたい、って思ったまでや。人間の男は、まことおかしゅうておかしゅうて」
九十九は笑った。すると長は封印を解いたのが陽であることを思い出す。純粋な想いが妖力を凌駕したのかは分からない。
謎が謎を呼ぶ---。本当の戦いが間近だということを承知しながらも、気になって仕方がなかった。
朝。
陽は鎌清に稽古をつけてもらった。陽の腕は日を重ねるごとに上達している。本当に若き軍神の藤原千智を彷彿させる何かを持っていた。
「陽。君は腕をどんどん上げている。だからこれを教えなくてはいけません」
「?」
鎌清がいつになく真剣だ。なんだろう、と待っていると鎌清が口火を切った。
「刀は自分の身を守るのと同時に多くの命を奪う道具にもなります。使い方を見誤ることはしないでください。誰しも人を殺すことに慣れていることなど絶対にありえません。その覚悟をつけてください」
死への覚悟・・・。
刀を持つものの誰もが通らなければならない道。陽はその場所についに立たされた。考え込んでいると疲れがたまったのでしょう、と鎌清は部屋へ帰らせた。陽が部屋に戻るとそこには、
「松風さま?!」
松風がちょこんと座っていたのだ。
松風の顔を覗き込んで驚いた表情を見せる。そして少し涙を目に浮かべて笑顔を見せる。
「陽。僕は大君の血を継いでるぞ! 僕は大君だ!」
なんのことかさっぱり、と言うと松風は昨晩のことを細かく教えてくれた。なるほど、と陽は頷いた。でも心は晴れない。
「どうしたのだ?」
「実は・・・」
陽は死への覚悟のことを話す。これは身分の垣根を越えた絆の表れだった。松風は幼いながらも話を聞いた。分からないところは多少あるものの松風の言葉で陽に伝えた。
「人を斬らなくてはいいのではないか? 少し痛めつけるだけ、とか。僕にはそれぐらいのことしかわからぬ。丹波や佐野、小百合にしてみたら甘い考えかもしれないが」
松風は笑った。でも陽は松風の言葉を受け止めた。自分なりのけじめをつけようとこの場で決めた。
礼を言うと松風は良かった、と笑った。
「僕も御所を抜け出して少しは変わることができただろうか」
「変わりました、松風さまは」
その言葉に松風は年相応の笑顔を見せて喜んだ。この笑顔を亡くなった潮内親王に見せたらどれだけ喜ぶか、と陽は思った。そして話は変わり、陽は夢の話をした。
「夢?」
「俺にそっくりな武士みたいな男が立っているんです。でも誰かの名前を叫んで泣き崩れて・・・。でもその悲しみが俺にも伝わるんです。それが今、自分が経験したかのような」
「変な夢だな」
松風も頰を膨らませて言う。
「でもそれが本当なら陽はあれだ。若き軍神にそっくりだな!」
若き軍神?
陽の思考が停止した。松風がどうしたのか、と聞くと松風にその根拠はどこですか? と聞いた。
「実はまだ大君でなかったとき、書物を読むのが結構好きで朝廷内の書庫に忍び込んだことがあるのだ。そこで見たのだ、ヒノモト一の若き軍神と讃えられる藤原千智の記録をだ」
陽はその話を知っている範囲で聞かせてほしい、と申し出る。松風は構わないが、と答えた。
「丹波さまや鎌清さまも知りたがってたから連れてきます。二人にも聞かせてあげてください」
陽は自分の部屋に丹波と鎌清を連れてきた。
「陽。それは本当か?!」
丹波の大きな声が聞こえてくる。部屋に到着し深々と丹波と鎌清は頭を下げた。そして陽が続けた。
「お待たせしました。おねがいします、松風さま」
松風は頭のなかの引き出しを探りながらあの頃の記憶を呼び覚ます。そして小さな口が静かに動き出し語り出した。
藤原千智が武術に優れさらに教養も身につけていた男というのは知っているか?
はい。
藤原千智はある日自分の住んでいる村で怪我をして困っていた。そのとき、女が一人現れて彼を介抱したのだ。彼女の名は「瀬織津姫」、通称瀬織と呼ばれたという。
二人は意気投合ししばらくはずっと一緒に暮らすほど仲が良かった。でも、彼女は千智に隠している秘密があったのだ。
一体なんだ?
瀬織津姫というのは我が国を守る守護神です。主君。
神様?!
そうだ。瀬織津姫は古の時代からヒノモトを守る守護神。彼女は千智にこれを知られるのがとても怖かった。ところが自分が力を使っているところを千智に見られてしまうのだ。
もうおしまいだ、と瀬織津姫が思ったが千智はそれを受け入れたのだ。千智は彼女との絆を壊したくなかったのだ。その絆はだんだんと特別なものに変わっていった。---でも悲劇は起きた。人間がアヤカシたちを追い詰めた大戦があったのだ。そこで瀬織津姫は罪を疑われ、滅せられてしまったのだ。
?!
それを千智は間近で見ていたと言う。彼は誓った、必ず仇は取ると・・・。しかし抵抗虚しくアヤカシの仲間とみなされ壮絶な討ち死にをしたのだ。
これが朝廷の書庫にあった藤原千智の記録だ。
あまりにも語られている話とは違う切なく悲しい物語。
しかし陽はそれ以上に思うことがある。
俺と十六夜が出会ったときと同じだ。瀬織津姫が水神なら、おばばが話した昔話とつながる!
繋がる共通点。導き出される答えを陽は静かに着実に掴んでいった。
丹波の屋敷には武器などが集められ兵たちも集められた。いつ朝廷軍が攻め込んでもいいように。男たちは力仕事にかりだされ汗水を垂らす。夜になればみんな疲れ果てて眠る。そんな毎日が続いた。
そんな夜。
陽は疲れてすぐに眠りについてしまった。風神丸も丸まって寝ている。ごそごそと物音がするのを聞き、あくびをして風神丸が縁側へ向かう。そこにいたのは、
「十六夜。どうしたんや?」
「風神丸、お前はいつまでそんな姿でいるつもり? 元の姿のほうが案外楽だと思うんだが・・・」
「こっちで慣れたわ。陽の肩に乗るのが俺の務めみたいなもんやからな」
「能天気なやつ・・・」
十六夜が呆れた表情を見せる。ずっと封印されていて長い間見ていない表情。いつも保護者面をしていた風神丸にとってこんなに安心した日はなかった。十六夜は縁側の柵を超えて地面に足をついた。
「森へ行く」
「なぜや?! また行けば封印されるかもしれへんぞ!」
「自分のなすべきことだからだ。陽は私を暗闇から光のある世界へ引き戻してくれた。私ができるのは、月の悲しみの光を希望の光に変えることくらいだ」
十六夜は着物を翻し、覚悟の面持ちで森の中へ入る。その顔に風神丸はイタチの姿から元の姿に戻って森へ戻っていった。
屋敷には松明があるが森には何もない。木々が生え、風が葉を揺らし十六夜たちに話しかける。
すると十六夜と風神丸が立ち止まった。
暗闇からアヤカシたちが姿を現した。長が中心となり、九十九やカルラなど勢ぞろいだ。十六夜は身を固くした。相手は何をしてくるかわからないからだ。
「戻ってきたのか?」
「いや、違う。あることを伝えに来た」
すると十六夜は何やら呪文を唱え、水を細かくして空中に浮かせる。そして自分が伝えたいことを水にスクリーンのように映した。
「もうすぐ、この村に朝廷軍が来る。アヤカシを殺す話だったが状況が一変した。この国全部を掻き乱すようだ。アヤカシ人間問わず惨殺される」
十六夜の言葉にアヤカシたちは動揺を隠せない。そして十六夜の口から重要な言葉が発せられた。
「この村の長はアヤカシに味方をし、朝廷軍に反旗を翻す」
さらに驚いた。禁忌の掟を破りアヤカシと人間が手を取り合うことを指している。
「十六夜。おぬしの言葉を信じてよいのか?」
長が十六夜を見上げた。十六夜は自分を封印した長が恨めしくて仕方がない。しかし今はそんなことを考えている場合ではない、と雑念を捨てる。
「私は一体誰なんだ? 私の使命はなんだ、とずっと考えてきた。人を恨み、今まで様々な罪を犯した。でも私はずっと暮らしてきたアヤカシたちを見捨てたりなんかできない。私にはあの村の人間にもアヤカシにも恩や報いがある。あいつに教えられた・・・」
十六夜の脳裏に浮かんだのは陽との出会い。出会いは最悪なものだった。変な人間と思っていた時その優しさと暖かさで十六夜は心を徐々に開いていった。
今の心の暖かさをくれたのは陽なのだ。人間は儚く弱い。すぐに死んでしまう。アヤカシの私が貴方を守れるのなら---。
「人間が太陽ならアヤカシは月。私は・・・あいつの、月になりたい。月の光は悲しみと儚さの象徴。その光を希望の光に変えたい!」
十六夜の緑色の瞳は以前より純粋で真っ直ぐで意志のこもった瞳だった。
すると九十九は十六夜に近づいた。九十九の胸元から甘い香の香りが漂う。
「あんさん、人間に恋してるねぇ」
「・・・」
「つっけんどんか・・・。でもなあ、忠告しとくで。あんさんの力はアヤカシの上を行く。自分が一体何者であっても受け入れる覚悟はできとるんか?」
「覚悟してないなら私はここに来ていない」
威勢のいい言葉に九十九はクススと笑って長を見る。
「長、十六夜を信じましょう」
九十九の一言でアヤカシたちは十六夜の言葉を信じた。十六夜はよかった、と安堵の表情を見せる。風神丸も安堵の表情。これでアヤカシ内の諍いは終焉を迎えた。
長は十六夜に分かる範囲で教えてくれた。
「十六夜。お前には過去の記憶がない、そうじゃな?」
「ああ」
「過去の記憶は封印されたんじゃ。封印したのは数百年前の人間の国の長じゃ」
十六夜の記憶を封印したのは数百年前の大君だった。数百年前といってももう本人は死んでいるのだから会えるはずはない。
すると長が話題を変えた。
「お前の封印を解いたあの人間。血でわしの封印を解いたのだ。たった三滴の血でだ」
「陽の血? 人間の血には力が宿っているのか?」
長はずっと考えていた。彼と顔を合わせる前から知っているような気がしていたからだ。するとずっと傍観していた風神丸が言う。
「俺思っとったんや。陽の刀さばきはどこかで見たことあるゆうてな。あの若き軍神、藤原千智のようやと」
藤原千智の名前を聞いた長が驚きの表情を見せる。長の頭の中でバラバラだった情報が合わさっていく。
「これで全て繋がった・・・。おそらくやつは藤原千智の生まれ変わりじゃ。お前の封印を解いたのが何よりの証拠じゃ」
「どこが?」
「あの封印はお前の中にある魂が惹かれている者の血で封印は解けるようになる仕組みじゃ。過去の記憶を持たぬお前にはうってつけの技じゃ。だが、それが人間の血で破られた、となると、藤原千智しかありえんのじゃ」
藤原千智と関係している? 私が? わからない・・・、私の中の魂は私じゃないのか?
「あやつと関係を持ったのは瀬織津姫じゃ・・・」
「じゃあ私はそいつの生まれ変わりってことなのか?!」
十六夜はどんどん真実に迫っているような気がした。しかし長はこれ以上語らなかった。
あとは自分で探すがよい・・・。あの者とありのままで向き合えるようにじゃ・・・。
あの夢を思い出す。あの女性は一体誰だったのか? 自問自答を繰り返す。しかし何かが邪魔をして思い出せない。
十六夜は一人で森を出て屋敷へ戻っていく。
「私たちが知らない何かがまだあるのかもしれない。なんとかしなくては・・・。記憶は今どこにあるんだ・・・」
十六夜が考え事をしているまさにその時、朝廷にいる浦波王の部屋にある箱が光る。中には水色の玉が美しく輝いていた。
「美しい・・・。これほどの輝きは初めてだ・・・。さては、持ち主のことを感じるのか?」
玉は光を未だに発し、途切れない。
すると浦波王は家来を呼びつけてこう言う。
「気が変わった。私も向かおう」
「それは危険でございます。お考え直しください」
「案ずるな。私は武術ぐらい心得ておる。人を殺すことなど造作もない」
家来はすぐに鎧の準備を始め、馬を用意する。そして玉を持ち、鎧に着替えるとミヤコから急いで朝廷軍のいる陣地へ向かった。
待っていろ、悪神よ---!
ミヤコには馬の蹄の音が妙に響いた。天候は荒れ次第に雷が鳴り出す。それは丹波たちの屋敷にもやってきた。
まだ幼い子供は雷が怖くて母親にすがっている。
「っ?!」
その雷に松風も目を覚ました。ここまで大きい雷は生まれて初めてで驚いた。松風が胸をなで下ろして安堵した次の瞬間、
ゴロゴロ・・・ピシャーン---!
今までで大きな雷がどこかに落ちた。これには松風も心臓が止まるほど驚いて大声を上げてしまった。
「うわああ!」
布団に潜り込み震える松風。本当は雷は大丈夫だったのに、陰謀に巻き込まれてから見るもの聞くものが全部新鮮に感じて、逆に警戒心が生まれて恐怖心が芽生えていた。
大君の血筋を引きながら公家たちに裏切られ逃げ惑い、大切な人の死に際した。心がかなり敏感になってしまっている松風は雷も怖がってしまう。
「松風さま?!」
誰から部屋に入ってきた。手には灯りを持っている。そして聞き覚えのある声がした。松風はすぐにわかり布団から勢いよく飛び出した。
「小百合!」
松風は小百合に抱きついた。小百合は松風の部屋に灯りをつけた。暖かい光に照らされて小百合の顔が目に入る。
「か、雷が・・・怖くて・・・」
「そうでしたか。安心しました」
小百合は自室へ戻ろうとしたが、松風が着物の裾を離さない。
「怖いのだ・・・。小百合」
小百合は布団の上に座り松風は小百合の膝に頭を乗せて横になる。指は小百合の着物の裾をつかんでいる。まるで母に甘える赤子のように---。
その無邪気な顔に小百合は口元を緩めた。それと同時に湧き上がる決意・・・。
「松風さま」
「小百合?」
「私はあなた様に隠していることがございます」
「隠す・・・?」
松風はハッとして頭を勢いよく上げて小百合を見る。松風が考えたのは銀髪。
「知ってるぞ。小百合、病気・・・なのに。こんなお願いしちゃって・・・」
小百合は驚く。どうやら銀髪は見られていたものの病気と勘違いしていたことに。小百合は静かに違います、と答えた。驚いて目を見開く松風。
小百合は銀髪を見せた。本当に綺麗な銀色だ。
「これは病気のせいではありません。私の証なのです」
「私の証?」
「私は人間ではないのです」
松風の頭に浮かんだのはたった四文字の言葉だった。それを口にすると小百合が消えてしまいそうで怖い。しかし、止まらない。
ア ヤ カ シ ?
口が勝手に動いていた。小百合は笑顔で頷いた。
「なぜだ! なぜ、僕に教えてくれなかったのだ?!」
松風が取り乱し小百合に迫った。目からは涙が溢れて止まらない。
「初めてお会いした際、私は松風さまに聞きました。もし私がアヤカシなら? と。そしたら消えてもらいます、とおっしゃっていましたので。私はずっと考えてしまいました。私は松風さまにとって卑しい存在なのです」
全ての真実を話し小百合はただ謝罪の言葉を述べた。でも松風にとってみれば小百合は人間と間違えるほどの優しさを持った女性。そして姉の代わりのようなものであり母のようなものでもある。
小百合に母の面影を重ねていた松風はアヤカシであろうと小百合という者を知っている。松風は小百合に抱きついた。するとすすり泣く声が小百合の耳に届く。
「小百合を傷つけたのは・・・僕だったんだ・・・。すまない、すまない・・・」
松風の行動に自然に手が動く。頭を撫でて背中をさする。自分でも何をやっているのかわからなかった。
「小百合。僕は、アヤカシが嫌いじゃ、ない。むしろ尊敬してる・・・。僕にとって小百合は・・・母上なんだ」
小百合はようやく確信した。このざわめく感情は母親としての本能だと。
「松風さま、何があっても小百合がお守りいたします。ご安心してお眠りください」
松風はしばらく泣き続けてきたが、小百合の心臓の音が心地よかったのか眠った。小百合は松風を寝かせ掛け布団をかけた。
広いヒノモトのどこかで様々な想いと野望が渦巻く---。
運命の日は刻々と迫っていた。
最後まで読んでくださりありがとうございました。いよいよラストスパートに突入です! 頑張って再編集頑張ります! 感想、評価等よろしくお願いします。藤波真夏




