猫と猫
「どこのどいつニャ」
「お前こそ誰ニャ」
「俺は猫ニャ」
「それは見れば分かるニャ」
「名前は特にないニャ」
「そうなのかニャ!?ならばいい名乗り文句を教えてあげるニャ」
「なんニャ?それは」
「我輩は猫である、名前はまだないニャ」
「…それがかっこいいのニャ?」
「選ばれた猫にしか名乗れない憧れのセリフニャ、羨ましいニャ」
「ならこれからは『マダナイ』と名乗ることにするニャ」
「そうじゃないニャ…」
「ニャ!?」
「家猫、家猫、」
「なんニャ?マダナイ」
「あの薄い板に写っているのはなんニャ?」
「あれは野球ニャ」
「やきう?」
「そうニャ人間が投げたボールをもう一人の人間が打つニャ」
「…それは楽しいのかニャ?」
「多分、あれをやったらご主人様がおいしいご飯をくれるのニャ」
「ニャるほど、でも絶対にあのボールが飛んできたら遊んでしまうニャ」
「そこはご飯のために我慢ニャ、でもあのボールとってもはやいニャ」
「そうなのかニャ?」
「ときそくいちごーいちと出ているニャ」
「…それは速いのかニャ?」
「多分、我々のもうスピードで走ったぐらいの速さニャ」
「成る程、それは速いニャ」
「家猫、家猫」
「なんニャ?マダナイ」
「人間がへんな物に耳と口を当ててパクパクしてるニャ」
「たまにあぁやってうちのご主人は誰もいないのにお話してるニャ」
「お前のご主人は大丈夫なのかニャ!?」
「多分錯乱しているのニャ、玉ねぎの食べ過ぎニャ」
「それは大変だニャ…」
「玉ねぎは怖いニャ…」
ブルルン!ブルルン!
「いっ、家猫!家猫!人間を乗せた変な奴が俺の縄張りに!」
「落ち着くニャ!語尾がとれてるニャ!」
「は!危なかったニャ」
「我々のアイデンティティーニャから気を付けるニャよ」
「あいでんててーってなんニャ?」
「…多分ひげみたいなものニャ、なくなったら困るニャ」
「それは困るニャ」
「ちなみにあれはバイクというものニャ」
「ばいく?」
「凄く速くていつも人間を運んでいるニャ」
「ときそくいちごーいちぐらい速いのかニャ?」
「多分もっと速いニャ、ときそくごーまるまるぐらいは出てるニャ」
「凄いニャ」
「ひなたぼっこニャ…」
「マダナイ!大変ニャ!」
「どうしたニャ?」
「今日集会が開かれるニャ!」
「それは大変ニャ!ばっちり決めて行くニャ」
猫の集会というのは今までに様々な説が上げられている、お見合い説、縄張りが被った者同士の顔合わせ説などが有力であるが、イギリスでは猫の集会についての論文でこう出ている『猫があまりにも動かないので分からない』と
「有意義な集会だったニャ」
「そうニャね」
「家猫、家猫」
「なんニャ」
「何をみているのニャ?」
「これは桃太郎という絵本ニャ」
「聞いた事がないニャ」
「ならば教えてやるニャ、桃から生まれた人間が犬と猿とキジを仲間にして鬼を退治する話ニャ」
「納得いかないニャ、仲間にするのは猫、猫、猫ではないのかニャ」
「多分桃太郎は犬派ニャ」
「なるほど、愚かニャ」
「全くだニャ」
「見てくれてありがとニャ」
「またくるニャ」
作者「見てくれてありがとうございました、猫のモデルはうちの猫二匹です、今回、極力会話文だけで書こうと思ったのはこの二匹の猫の色とか、おしゃべりしてる場所とかを想像してもらいたかったからです、手抜きじゃないよ!少しでもクスッとしてくれれば幸いです。ありがとう!」
「我々のおしゃべりは終わらないニャ」
「次見に来たときは我々のおしゃべりが増えているはずニャ、楽しみにしておくニャ」