1.Fallen
当作品はフィクションであり、登場する国・組織・人物などについて実在のそれらとは関係がありません。
その瞬間部屋の空気が液体になるのではないかと思うような温度になった。
もちろん比喩であり雰囲気がとても気まずい状態と言う意味である。
「……して、結城陽里一等陸士。これは一体なんだね」
齢六十に届くであろう白髪の、だが未だ体の衰えが見えず服の上からでも筋肉の付きようがわかる男は自身に与えられた特別な部屋の特別な席にどっすりと座って目の前に立つ青年――陽里に紙を見せる。
「何と言われても転属願届です」
陽里は何かおかしい点があるか今しがた提出したその書面を改めてよく読み返すがやはり何も誤りはないと確認する。
「何か足りないものがあったでしょうか?」
事前に何が必要か調べたのだが転属に必要な書類が他にもあるのかもしれない。見落としがなくても必要書類表に記載し忘れで載ってなかったのかもしれない。
そう思って陽里は席にふてぶてしく座る男――特A師団師団長に尋ねる。
「貴様、ここをどこだと思っている!! 第一兵団特A師団だぞ!」
師団長は机を叩いて声を荒げる。
「存じております」
陽里はこれに対して怯む様子もなく淡々と返す。
「エリートの中のエリートだけが配属出来るここより望む場所などないであろう!!」
そんな陽里の態度に対してますます怒りのボルテージが高まったのであろう。部屋が反響するほどの声で陽里を怒鳴りつける。
だが、事実この男は自身の言葉に対して真面目に、僅かたりとも一片の疑いもなく思っていた。
彼も特A師団に配属され、当初から師団内で活躍し、功績を上げ、あの手この手で同僚を蹴落としてこの地位まで登ってきたのだ。
そしてゆくゆくは第一兵団の兵団長として、あわよくばさらに他の兵団をも束ねる元帥になろうと画策しているのだ。
そのような向上心の塊とも言える彼にとっては陽里が態々この出世街道から飛び降りる行為が全く理解出来ずにいた。
「転属理由ですがご覧の通りです」
陽里は紙を受け取りすぐさま差し出す。
「何が退屈だと言うのだ!」
転属理由の欄を要約するにやる事がなく退屈だと書いてある。
(功績を1つでも多く上げ、手柄を掠め取り、同僚を貶め、上官に媚びを売る。やる事など溢れるほどにあるであろうに!)
師団長は陽里の言う“退屈”が何か全く理解出来なかった。
「ここにいても今まで培ったものが発揮出来ないので」
その言葉を聞いて師団長は理解する。
「何を馬鹿な事を。態々死にに行きたいのか?」
「死ぬつもりなど毛頭ありません」
陽里は自信を持って言い返す。
「……ふん、愚か者め。所詮若造は若造か」
ここにきて師団長は陽里に対して失望した。彼が陽里に対して抱いた期待もあったのだ。
だがやはり期待とは裏切られるものなのか、と彼は溜め息を僅かに漏らしたのだった。
「では転属の許可を頂けると?」
一方で師団長の言葉を是と取ったのか陽里は僅かに期待を帯びた顔になる。
「兵団間での異動は軍規で禁止されている。よって兵団内でのみ許可しよう。異動は明日だ。後で泣きついて地に額を擦り付ける訓練でもする事だな」
そう言って師団長は書類に許可印を捺す。
この判断が彼にとって正しかった事なのか大きな間違いだった事なのかはかなり後になって知る事となる。
しかし後の歴史家の間では連合歴80年――西暦に直して2243年の6月12日は大きな分岐点であっただろうと議論されている。
(転属先を迷った結果がA師団か、大して変わらない気がするな)
そう陽里はそう思っているが周りからすれば大きな違いがある。
特A師団とは1000人に1人が配属出来るエリートのエリートによるエリートのための狭き門である。
ここに所属する事は人生の成功を保証されると言う事で、死への恐れはなく財には困らず幸福な人生を手に入れられるのである。
この特A師団に配属されるためには死ぬ程の努力と恵まれた才能、そして強大な運が必須とされる。
つまりこれ以上のものを持たない限り人生の成功は約束されないのだ。
一方でA師団。
所属数は特A師団と変わらないが特A師団に入れる=A師団にも入れる実力を持っていると言うことから500人に1人が配属出来るエリート集団と言えよう。
A師団は人生の成功が約束はされていない。何故ならば――
「聞いた? 最近太平洋側から奴らが攻めてくるんだってよ」
「えー、それじゃあ第二も第三も意味ないじゃーん」
「ま、A師団の奴らが盾になってくれるからここは安全だな」
すれ違い様に陽里は男女の会話を聞き、顔には出さないがほくそ笑む。
(A師団でなら戦えるな)
A師団――現在最も危険な地帯で活動する師団である。
次の投稿は本日21時となります。
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