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おこがましいにも程があります




 ――まさか、惚れた娘が自分の主兼親友を好きになるなんて、誰が想像出来る?


 確かに、胡蝶は美人だし可愛い。

 女性からの人気も高いし、男でも慕う人間は大勢いる。

 全く予想出来ない事態ではないが、それでも、楓雅にとって、これほど落ち込むことはなかった。


 お前は本当に阿呆だな。

 胡蝶から、何度こう言われたかわからない。

 返す返すと言い続けた青い髪飾りも、結局、いつまでも楓雅が持っている。


 窓辺から凱旋を見下ろしていた少女は笑っていた。

 丸みを帯びた白い頬を桃色に染めて、まるで、極楽を見たかのように幸せそうな表情をしていたのだ。

 理由はない。

 たぶん、好奇心。いや、一目惚れだったと思う。


 その少女が鳳凰院左内に連れられて宮中の宴に来ていた様子は、おぼろげに覚えていた。

 宴の席での彼女は酷く陰鬱そうな目つきで、まるで、独りで置き去りにされているような顔をしていた。

 しかし、あのとき、同じ人物が全く異なる表情をして笑っていたのだ。

 なにが彼女をそうさせたのか、純粋に興味があった。


 人が変わるのには、理由がある。

 楓雅は胡蝶に初めて会ったとき、周囲から「お前は一生をかけて、この皇女を守るのだ」と言われた。

 胡蝶はその頃から気が強くて正義感に溢れており、文官を目指していると言っていた。

 だが、ある日を境に「やはり、私は武官になることにした。楓雅、剣を教えてくれないか」と頼んできたのだ。

 楓雅には理由がわからず、酷い疎外感を覚えた。

 それでも文句を言わず鍛え上げた結果、今では自分と肩を並べるほどの立派な武人に育ってしまった。

 あのときの疎外感と、なにが胡蝶を変えてしまったのかという興味が、楓雅の胸にはずっと眠っていたのだと思う。

 もしかすると、あの少女もなにかがあって、変わったのかもしれない。理由が知りたくなったのだ。


 理由を知ってしまうと簡単なもので、恋だとわかった。

 しかも、あろうことか、相手は胡蝶である。

 けれども、楓雅はそのときから、あの笑顔を自分の手で咲かせてみせたいと思うようになっていた。

 理由は特に見当たらないので、やはり、一目惚れと説明してしまうのが妥当だろう。

 最初は確かに好奇心だったが、彼女のことを考えるうちに、頭から離れなくなってしまったというのが正解だ。

 無意識のうちに綺羅のことを考える自分がいた。


 あの表情は自分ではなく、胡蝶に向けられているのだと、わかっている。

 それどころか、自分はあからさまに敵意を剥き出しにされて、嫌いだ嫌いだと連呼される始末。罵られるのは好きだし、その様子が可愛いので悪い気もしないが。

 彼女の邪魔になるよう、わざと胡蝶の前に立って視界を塞いでやるなんて、子供みたいなこともした。


 綺羅を誰か他の男に嫁がせたくなかった。

 鳳凰院左内が娘の結婚相手を思案しはじめていると聞いて、楓雅は居ても立ってもいられなくなった。

 元々、決まりかけていた長谷川家との縁談は、先方に押し付けられたようなもので、浅野家側からはあまり良い顔はされていない。破談にしたところで、楓雅が責められることはほとんどなかった。

 相手の娘も家柄の違いに悩んでおり、快く申し出を引き受けてくれた。話を聞くと、他に想い人もいたらしい。

 そのあとで、胡蝶に頭を下げて、帝から綺羅の嫁ぎ先として自分を推薦するよう頼んだのだ。


 自分でも馬鹿だと思った。


「わたくしの馬鹿」


 薄っすらと浮かび上がる意識の中で、声が聞こえる。

 楓雅は、まだ重い瞼をこじ開けて、状況を確認しようとした。

 陽が落ちているのか、暗い部屋に行燈の灯が揺れている。

 布団の傍らで慌てる影を見つけた。

 黒蜜色の髪に縁取られた少女の白い顔を見て、楓雅は目を見開く。


「あ、あのッ。その……」

 綺羅が慌てて顔を伏せてしまう。

 楓雅は重い身体を起こそうと、頭を持ち上げた。

「まだダメ動いてはなりませぬ。安静にしなければならないと、お医者様に言われましたので……その、わたくし、監視役ですから。勘違いされては困ります。看病ではなく、監視をしております」

 適当に誤魔化しながら、綺羅は楓雅から視線を逸らした。

 いつもと同じだが、いつもと違う態度の変化を読み取って、楓雅は眉を寄せる。


「どうしたんですか?」

「どうも致しませぬ!」

 様子がおかしい。

 綺羅は楓雅のことを嫌ってはいたが、こんなに挙動不審になることなどなかった。

 目も合わせてくれないので、楓雅は耐え兼ねて浅く息をつきながら身体を持ち上げる。

「だから、動いてはなりませぬ」

「もう大丈夫みたいですよ。それより、綺羅嬢の様子が変です」

 言うと、綺羅は明らかに動揺した様子で、「変ではありませぬっ!」と叫んだ。

 何かあったのは明白だ。

 楓雅は逃げようとする手をつかんで、こちらを振り向かせた。


「――ごめんなさい」


 ポツリと呟かれた謝罪の言葉。

 それが何を意味するのか、楓雅にはわからなかった。

「わたくし、あなたのこと少しも見ようとしませんでした。一方的に胡蝶様の代わりにされたと思い込んで……本当、馬鹿です。うつけにございます」

「どういう」

「わ、わたくしは聞くつもりはなかったのですよ。でも、胡蝶様が自業自得だとおっしゃるので、自業自得なのでしょうね! いい気味にございます!」

「虎姫……? え、なにを聞いたんですか? 虎姫から、なにか言われたんですか?」

 慌てて聞き返すが、綺羅は黙ったまま恥ずかしそうに俯いてしまった。


 もしかすると、全部露呈してしまったか?

 綺羅と結婚するために裏工作したことも、髪飾りを返せなかったことも。

 ほくそ笑みながら、「馬鹿め」と言っている胡蝶の顔を思い浮かべて、楓雅は天を仰いだ。


「……穴があったら入りたいって、こういうときに使うんですね」

「それは、こちらの台詞です!」

 二人の間に微妙な空気が流れる。

「いっそ、二人で穴掘って入りますか?」

「どうせ、死んだら同じお墓に入るのに、何故(なにゆえ)、今から穴暮らしをしなくてはならないのですか。絶対に嫌です。お一人でどうぞ」

「同じお墓に入ってくれるんですか?」

 聞き返すと、綺羅は自分の失言に気づいて頬を真っ赤に染めてしまった。

 その様子があまりに可愛らしくて、楓雅は唇に笑みをこぼす。


「あなたのことなんて、大嫌いなのですから! そ、そうですわ。あなたといれば、胡蝶様にお会いできますから。そのおまけとしてなら、ついてきても構いません。おまけです!」

「それでもいいです。俺は、いつか虎姫の代わりになれますか?」

 楓雅はおもむろに綺羅の身体を自分の方へ引き寄せ、美しい黒蜜色の髪に触れた。

 綺羅は驚いて身を強張らせたが、すぐに楓雅の手を振り払ってしまう。


「胡蝶様の代わり? おこがましいにも程があります……胡蝶様は、胡蝶様。あなたは、あなた。同列に語る価値もございませぬ。わたくし、あなたを胡蝶様の代わりだと思うことなどございません」

 意地っ張りで、可愛げのない言葉だ。

 しかし、楓雅は急に嬉しくなって、もう一度、綺羅の身体を引き寄せる。

 腕の中で綺羅が抵抗したが、今度は離さなかった。

 どうせ、自分が行った醜態は全部露呈してしまっているのだ。

 むしろ、開き直った気分で楓雅は暴れる綺羅を強く抱きしめた。


「嬉しいです。そんな風に言っていただけるなんて」

「な、何故、今のが嬉しいのですか。やっぱり、変態ですッ。不埒ですッ。破廉恥男! 離してくださいっ」

「綺羅嬢の声だったら、可愛い楽器の音色みたいなものですから、一日中罵倒されても平気ですよ。むしろ、もっと罵ってください。いっそう愛おしくなります」

「な……ッ。そ、そのような恥ずかしい言葉!」

「根性無しと言われたまま引き下がれません。全部バレたんですから、恥なんて今更です。それに、綺羅嬢も毎日虎姫に叫んでいるじゃありませんか。似たようなものです」

「そ、それはッ……あなたのような変態と一緒にしないでください!」

「いくらなんでも、俺は過剰追跡(ストーカー)行為なんてしたことないから、悔しいけど変態対決には負けますね。これから、綺羅嬢を越えるようにがんばってみせますよ」

「一緒にしないでくださいませ! って、何故、わたくしが胡蝶様を観賞していたと知っているのですかっ!?」

「物陰から虎姫を観賞する綺羅嬢を観賞していましたから。変態的な可愛さでした」

「そちらこそ、過剰追跡(ストーカー)ではありませんかッ! っていうか、わたくしは変態でもありませぬ!」


 綺羅は必死に否定しようと、楓雅の胸めがけて平手を振り上げた。

 だが、楓雅は易々と綺羅の手首を掴んだ。胡蝶に比べると、随分と読みやすい。

「一発二発お見舞いされるのは、とても嬉しいのですが」

 楓雅は優しく笑いながら、綺羅の手を握る。

「俺の祖母の祖国では、こうやって、指輪を渡して想い人に愛を伝えるそうですよ」

 懐から取り出した青い髪帯(リボン)を綺羅の薬指に巻く。

 肌身離さず持っていたので、少し傷んでしまっているが髪飾りは元の持ち主の指にしっかりと戻った。

「か、返しに来るのが遅すぎます……」

 綺羅は照れているのか、困ったように俯いてしまった。

 先ほどまでと違って大人しくなり、これはこれで可愛らしい。楓雅は綺羅に罵られたり睨まれたりした記憶しかないので、新鮮な気分だ。


 腕の中の少女は、まだ胡蝶に向けるような笑顔は咲かせてくれない。

 それでも、いつか、自分の手で咲かせてみせよう。


 彼女の心を胡蝶ではなく、自分のことで埋め尽くしたい。


 そう心に誓いながら、楓雅は愛しい人を優しく強く抱きしめる。



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