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器の小さい男は、嫌われますことよ?

 この日も、親衛隊の集まりで胡蝶を観賞すべく……いや、務めを果たすために宮中へ向かう。


 瑞穂には多種多様の民族が住んでおり、人種の坩堝(るつぼ)とも言われている。

 公家には瑞穂人の血が濃い傾向があったが、庶民は混血でも大して驚かれない。それに比例して文化も入り混じり、生活様式も変わりつつあった。

 そのため、宮中に仕える官職も、試験を受けて宮に住まう庶民層と、慣例で屋敷から通う公家層がある。女の場合は、後宮へ入るという道もあった。

 皇子や皇女に平等な帝位継承の機会が与えられる国だ。官職もある程度の平等が約束されていた。

 もっとも、綺羅にとっては宮中の仕事は胡蝶を見るための口実でしかなかったが。

 出世を望んでいるわけでも、皇族の妻になろうという野心もないので、そこまで頑張らなくても良いのだ。


 綺羅は重いため息をついた。

 先日、馬車に細工がされた一件で、綺羅の父左内は娘の許嫁(仮)を酷く心配した。

 そして、事件の折に身を挺して庇ってくれた楓雅に、綺羅自身からも礼をするべきだと命じたのだ。

 確かに、楓雅はあのとき、綺羅を庇ってくれたかもしれない。しかし、あれはただの弾みだ。成り行きでそうなったに過ぎない。


 後ろを歩く侍女が手にしている包みを振り返り、綺羅は頭を抱えた。

 中は侍女が手作りした餡の上菓子だ。

 こんなものを渡して、綺羅が作ったと思われては、何を勘違いされるかわからない。恐らく、父はそれを計算に入れているのだろうが、憂鬱だ。


「綺羅さん。いらっしゃったのね」

 いつものように綺羅が現れるなり、会長の鶴子が駆け寄った。

 鶴子の長谷川家は豪商で、試験を通って宮中に来ている。

 と言っても、庶民の中では裕福で、ほとんど公家と変わらない。いや、下手な公家より金持ちである。今日も金糸の施された見事な打掛を羽織っていた。

 彼女の家を成り金だと蔑む者もいるが、胡蝶様愛好家は平等だ。それに、綺羅も鶴子が優しい人間だと知っている。


「先日は大変だったそうですね、大丈夫ですか?」

「え、ええ。まあ……大したことはございませぬ」

 心配そうに顔を覗きこまれて、綺羅は思わず苦笑してしまう。

 馬車の一件は、もう噂になっているらしい。


「あら、こちらは何です?」

 侍女が持っていた包みを指差されて、綺羅はとっさに「お菓子です」と返事をしてしまう。

「わ、わたくしが作ったのでは、ございませぬッ。たくさんありますので、お一ついかがですか?」

 綺羅がぶっきらぼうに籠を押しつけると、鶴子が笑う。

 そして、中を見て声をあげた。

「まあ、手作りの上菓子だなんて……ふふ、浅野様に差し上げるのね」

 どうして、楓雅にあげる菓子だとわかったのだろう。


 包みを覗き込んだ瞬間に綺羅は「げっ」と下品な声を上げそうになってしまった。

 上手に造られた色とりどりの餡の菓子。

 夫婦のように並べられた赤と青の男女を模した形をしていた。

 よく出来ているし、美しすぎて食べるのが勿体ない見事な逸品だが、これはない。まるで、仲のいい夫婦だ。

 侍女と父の趣味に絶句して、綺羅は涙が出そうだった。

 綺羅の後ろでは、侍女が満面の笑みを主張させていた。殺意すら覚える良い笑顔である。

 胡蝶になら、喜んで差し出すのに……。


 そうしているうちに、稽古場に武官たちが集まりはじめる。

 それを確認して、親衛隊の女官たちが声を輝かせる。綺羅はいったん、菓子の包みを足元へ置き、稽古場を覗き見た。

「今日も素敵……ため息が出ちゃう」

 甘いため息と黄色い声援を混ぜながら見つめる乙女たち。

 綺羅も大きな瞳を輝かせた。


 やはり、こうして胡蝶を眺めている時間が一番幸せだ。

 こんなに楽しくて幸せで輝かしい時間は、望みもしない結婚生活では手に入らない。

 胡蝶を見ていると、いつまでも胸が弾んで、どれだけ時間が経っても飽きないのだ。

 三年前、凱旋行進のときに胡蝶を見て以来、この気持ちは薄れない。


 胡蝶は、綺羅を救ってくれた。


 鳳凰院の所有する領地で生まれて、綺羅は長閑な田園地帯の屋敷で育った。

 稲穂と田畑に囲まれ、のんびりと暮らしていた。

 仮にも公家の姫なのだからと、礼儀作法だけは一通り身につけたが、役に立つ日など来ないと思っていたくらいだ。


 しかし、年頃になると帝都の屋敷に連れられて、無理に宮廷行事に引っ張り出される毎日。お世辞と美辞を並べ立て、腹の中を探り合うだけの人間関係。

 そんな生活に嫌気がさして、綺羅は屋敷の中に引きこもるようになっていた。

 こんなものは、自分読み物や人伝いに聞いた都の様子とは違う。都会はもっと素晴らしいものだと、勝手に思っていたのかもしれない。

 ただの甘え。そう言ってしまうのは簡単だ。

 同時に、大人になれない自分自身を酷く嫌悪もした。自分が子供のようなことを言っているとわかっていたからこそ、嫌だったのだ。


 けれども、胡蝶に会ってから変わった。

 男装の皇女に会おうと、宮に仕えるようになったし、親衛隊に入って友達も出来た。

 引きこもっている間は口数が少なかったが、今では、すっかり明るさを取り戻している。


 胡蝶に会ってから、世界が一気に明るくなったのだ。あんなに嫌だった社交の場だって、少しも苦ではない。

 心の支えがあるだけで、人はこんなにも変わることが出来る。

 ただ屋敷の中で過ごしていた灰色の人生がパァッと広がり、眩く輝きはじめた。


 以前はよく宮に寝泊まりして、胡蝶を物陰から観賞したりもした。

 また、ああやって一日を過ごしたいものだ。

 予期せず水浴び現場を目撃したことは、一生忘れまい。絵心があれば、絵画に残したいくらいだ。


 過剰追跡禁止の法――いわゆるストーカー禁止などと言って、綺羅を摘まみ出した武官のことは今でも恨んでいる。

 だいたい、綺羅は過剰追跡者(ストーカー)ではない。

 ただ物陰から迷惑をかけないように、胡蝶を観察していただけなのに、失礼する話だ。


 綺羅にとって、胡蝶は支えだ。

 彼女なしでは、もう生きていける自信がない。


「ああっ、また浅野様が邪魔を……そこに立ったら、殿下のお姿が見えないじゃない!」

 一通りの訓練が終わると、また楓雅が女官たちの視線を遮るように胡蝶と話している。

 仕事柄、仕方がないことではあるが、苛立つ女官も多い。綺羅も当然、その一人だ。


 だが、程なくして楓雅と話していた胡蝶がこちらへ視線を向けてきた。

 彼女は何か面白そうに笑いながら、楓雅の肩を軽く叩いている。

 少し意地悪そうな笑い方だ。こんな顔もするのかと思うと、興奮を隠しきれない。

「きゃっ、見て。胡蝶様がこっちに来るわ!」

「え、ど、どうしましょう。こ、心の準備がッ」

 女官たちが張りつく木格子に歩み寄る胡蝶。

 スッと伸びた姿勢の良い背筋に、長く垂れ下がった黒髪がしなやかに揺れる。

 凛々しく、そして可憐な美しさは、言葉で形容出来るものではない。


「綺羅はいるか?」

 唐突に名前を呼ばれ、綺羅はパチクリと目を見開いた。

「は、はいッ」

 返事をすると、他の女官たちが羨ましそうに綺羅へ視線を注ぎながら、道を開けた。

 綺羅は窓の向こう側で凛とした笑みを湛える胡蝶を見て、顔を緩めてしまう。

 鼻血が出たらどうしよう。

 心配していると、侍女が鼻噛み用のちり紙を差し出してくれた。用意が良くて、優秀な侍女である。


 胡蝶は身をひるがえし、稽古場の側面についた引き戸を開ける。

 そして、軽やかな動きで外まで出た。

 段差を降りる仕草一つとっても完璧にして完全。美しさの権化であると、綺羅は確信した。


 女官たちの間から失神する勢いで熱狂的な悲鳴が上がり、周囲の空気が華やかに染まる。

 綺羅は呆けたように、少し背が高い胡蝶を見上げた。

 こうして近くで見ると、男装の凛々しさだけではなく、女性的な丸みや艶やかさも充分に感じることが出来る。

 まさに、人間の究極の姿と言えるだろう。絶対にそうだ。


「虎姫、何してるんだ。余計なことして!」

 稽古場から、今度は楓雅の声がする。

 胡蝶を追ってきたのだろう。


 麗しの皇女。

 皇女と恋仲を噂される従者。

 そして、その許嫁(仮)。

 女官たちは奇妙な三者を興味津津な様子で見つめて、妄想にふけっている。

 明日辺り、誰かが好き勝手書いた同人誌(妄想の書き殴り)を持参するかもしれない。


「皆さん、今日は帰りましょう。胡蝶様たちの邪魔をしてはいけませんよ」

 気を利かせて言ったのは、会長の鶴子だった。

 女官たちは不満そうにしていたが、渋々と退散しはじめる。

 原則、親衛隊は胡蝶に迷惑をかけてはならない。

 観賞はいいが、お触りと迷惑行為は厳禁。嫉妬による嫌がらせも禁止だ。それが規則で、皆心得ている。

 綺羅の場合、胡蝶から声をかけているので、容認されたようだ。

 もっとも、結婚すると決まっている上に、その許嫁(仮)が目の前にいるので「安心」と判断された節も大いにある。


「では、どうぞ」

 いつの間にか放置されていた包みを女官の一人が渡してくれる。

 見たことがない顔だが、きっと、新入りなのだろう。胡蝶の鑑賞には、多くの女官が訪れるので、たまに見慣れない者もいたりする。

「え? あ、ああ……ありがとうございます」

 そういえば、こんなものも持ってきていた。

 稽古がはじまり、女官でいっぱいになってしまったので、侍女に渡すことも出来なかったのだ。というか、忘れていた。

 いっそ、誰かに踏まれていればよかったのに。と、綺羅は少しがっかりした。


「では、失礼致します」

 鶴子が一礼して、その場を去る。

 楓雅は鶴子を見て、なにか言いたげに口を開いていた。だが、その暇を与えずに、鶴子はそそくさと歩いて行ってしまった。

「え、ま、待って」

 綺羅も鶴子を追いかけようとしたが、不意に、華奢な身体を後ろからつかまれる。


「綺羅、少し付き合え……ああ、すまない。まだ呼び捨てても良い了解がなかったな」

 胡蝶に覗きこまれて、綺羅は頬をほのかに染めた。

 そして、首をブンブン振る。

「全然、大丈夫ですッ。むしろ、本望にございます。胡蝶様になら、呼び捨てでも、仇名でも、イヌやクズと呼ばれても構いませぬ! それをネタにご飯五杯は食べられます!」

 胡蝶に名前で呼んでもらえるなんて、夢のようだ。

 綺羅はとろけてしまいそうになりながら、笑みを咲かせた。


「虎姫、余計なことするなよ」

 振り返ると、楓雅も立っていた。

 ずっとそこにいたのだが、敢えて視界に入れないよう努めていたので、気がつかなかった。

 胡蝶に比べると、蟻のような存在感なので仕方がない。仕方がないったら、仕方がない。

「虎姫」

 楓雅が困惑した様子で胡蝶の手を引く。

 だが、そんな幼馴染を見て、胡蝶は不敵な笑みを浮かべた。

 そして、胡蝶は綺羅を自分の方に引き寄せた。瞬間、綺羅の顔が真っ赤に染まる。

 いよいよ鼻血を我慢出来るか不安だった。


「良いじゃないか、私だって一役買わされたんだ。いつもの変態行為の仕返しだと思え。それとも、妬いているのか?」

「ああ、悪い? 物凄く妬いてるね。絵面がソレっぽい分、余計に」

「傷つけられて悦ぶ変態なんだろう?」

「それとこれとは別。そんな姿見せつけられて、笑っていられるほど俺は変態じゃない」

 楓雅が珍しく苛立ちを露わにしながら言う。

 彼は綺羅たちの前に歩み寄ると、二人を無理に引き離そうと手を伸ばす。

 しかし、胡蝶が動きを読んで綺羅を腕の中に抱きすくめ、後ろへさがる。


 そんなに密着するなんて……あらぬ妄想が爆発して、綺羅は顔のニヤケが止まらなかった。

 男らしく振舞う胡蝶だが、身体の感触は女性らしくて少し柔らかい。

 背中に小振りな山が当たり、気がおかしくなりそうだ。

 大まかなサイズを予測してしまい、少し不憫になるものの、むしろ、それがいい。巨乳な胡蝶様なんて、邪道にございます!

 ああ、ダメ。

 鼻血が出てしまう。綺羅は荒ぶる思考を抑えるので精いっぱいだった。


 しかし……女同士でいても嫉妬する男なんて情けない。

 綺羅は軽蔑のまなざしで楓雅を見た。

 確かに、道着を身につけた胡蝶と綺羅の組み合わせは、何も言わなければ男女に見えてしまう。

 けれども、いくらなんでも、自分の許嫁(仮)と一緒にいるだけで嫉妬するなど異常だ。

 胡蝶は武官なのだから、普段はもっと嫉妬する相手がいるはずだ。

 それとも、そのたびにいちいち腹を立てているのだろうか。


 綺羅は何だか勝ち誇った気分になり、胡蝶の腕に思いっきり身を委ねた。

 そして、小さな唇に悪戯な笑みを浮かべてやる。

「小さい男ですこと」

 想い人を自分のものにする根性がない上に、嫉妬深いなんて、本当にダメな男。

 綺羅は半ば呆れながら、小さく笑声を転がした。


 綺羅の言葉を受けて楓雅は奥歯を噛む。

 そして、逃げる胡蝶の肩を捕えた。

 だが、その反動で綺羅の身体が大きく揺れ、持っていたつい包みを手放してしまう。


 落下しそうになる包みを反射的に楓雅が受け止める。

「おっと」

 楓雅は見えかけていた中身に視線を落とした。

「そ、それは……!」

 恥ずかしい形の菓子を見られて、綺羅は顔が真っ赤になってしまう。

「父上が無理に持たせたのです……わたくしは不本意ですけど!」

 そう言い放つと、綺羅は楓雅から顔を背けた。

「綺羅嬢が作ったのですか?」

「そんなわけがないでしょう。胡蝶様のためならともかく、誰があなたのために」

「虎姫のためなら、作れるんですか?」

 問われて、綺羅は唇を震わせた。

 自慢ではないが、菓子どころか料理も作ったことがない。

 公家の姫など、何処もそういうものだ。

 むしろ、自分で作るなど、作法を知らない田舎者か、たいそうな変わり者である。綺羅も昔は田舎暮らししていたが、そういうことには興味が向かなかった。


 しかし、綺羅は唇をツンと尖らせると、得意げに鼻を鳴らした。

「当然でございます。しかし、あなたには絶対に作りませぬ!」

「じゃあ、虎姫に作ってあげてください。俺はそれを分けてもらいますから」

 綺羅はとっさについてしまった嘘のせいで追い詰められて、顔を真っ赤にした。

 もしかして、嘘だとわかっていていじられているのだろうか。

 そうだとすれば、楓雅は相当に性格が悪い。

 やっぱり、この男とは結婚出来そうにない。そんな思いが強まっていく。


「でも、これは有難く頂きますね。ありがとうございます。どこから食べようかな?」

 綺羅の気も知らず、楓雅は涼しげに笑って夫婦型の菓子を手に取った。雛壇に飾ってもおかしくない出来の見事な菓子が、楓雅の手の上で嬉しそうに座っている。

 楓雅は紅い衣を着た菓子を、控え目にかじった。


「お前……見ているこっちが苛々するんだが」

 何かに呆れて、胡蝶がため息をついた。

 胡蝶は綺羅を離し、大袈裟に腕を組む。彼女がなにに飽きれているのか知らないが、綺羅はその仕草すらも美しいと、感嘆の声を漏らしてしまう。

 なにもかもが完璧だ。


「何のために、父上に頼んでやったと――楓雅?」

 不意に、異変に気づいた胡蝶が眉を寄せた。

 綺羅も何事かと思い、楓雅に視線を戻す。


 道着をまとった長躯がゆっくりと傾いていく。


 その様を見て、綺羅は唇を手で覆う。

 胡蝶が何かを叫びながら、倒れた楓雅の身体を揺する。


 綺羅は何も出来ないまま、何もわからないまま、ただその場に立ち尽くした。



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