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それは、恋だったのでございます。




 高らかに鳴り響く笛の音が、帝都の空気を震わせている。


 鳳凰院家の一人娘綺羅(きら)は、何気なく、窓の外を覗いた。

 この日は、西方で戦果を収めた武官たちの凱旋行進が行われている。

 このような行進の風習はこの国に馴染みはないが、異国の影響だ。

 西方のルリスではじまり、隣国の華国が真似し、瑞穂でも執り行われるようになった。

 瑞穂帝国は今や、大陸随一の大国である。数百年前までは極東の島のみが領土の閉鎖的な国であったが、今では恐れぬ者はいないほどの強国だ。

 侵略した土地や、交易を結ぶ国の文化が目まぐるしく行き来しているのだ。本来の瑞穂特有の文化に加えて、多くの物と人で溢れかえっている。

 大通りには多くの人々が詰め寄り、華やかな行進を見物していた。文官である父も宮中に参上していることだろう。

 綺羅は畳の上で嘆息し、部屋の中へと戻ろうとする。

 武骨で荒々しい武官たちの行進など、見ていても楽しくはない。


「あ……っ」

 唐突に吹きつける突風。


 その風にさらわれて、綺羅の黒蜜色の髪が解け、青い髪飾りが宙を舞ってしまう。

 西方から来た商人が売りつけていった絹の品だ。髪帯(リボン)というらしい。

 髪飾りは風の流れに乗って行進の方へと飛んでいく。


 今流行している華国の文化を真似た三階建ての屋敷。

 異国情緒のある丹塗の窓から綺羅は身を乗り出し、髪飾りを追った。

 だが、無情にも髪飾りを伸ばした手に掴むことは出来なかった。

 手を伸ばしても、紅い刺繍の施された着物の小袖が外へ放り出されるばかり。

 まるで、眼窩の行進を見物して手を振っている格好になってしまう。


 ひらり、ひらりと、青い髪飾りが舞う。

 だが、不意に飛んできた髪飾りを受け止めて、綺羅を振り返る者の姿があった。


 立派な黒い馬に乗った武官。

 その人物は、髪飾りが落ちてきた方向を探って、まっすぐに綺羅の方を見上げた。


 遠くからでもわかる凛々しい視線に、綺羅は射抜かれた。


 眩しい太陽の光を吸う艶やかな黒髪、しなやかに馬を乗りこなす体躯は細い。

 他の武官たちよりも明らかに小柄であるにもかかわらず、鮮やかな存在感を放っている。

 それは、その武官が皇族の証である紫紺の衣装を着込んでいたからではない。

 瑞穂帝国の象徴である桜の花にも劣らぬ、いや、それ以上。強くて凛々しくありながらも、夜空を舞う夜蝶のように儚く美しい。


 まるで、天から遣いがいるのだと錯覚してしまった。


 生まれて初めて胸の奥が熱くなり、踊るように楽しい感覚。


 ――綺羅がそれを「恋」だと思い至るのに、長い時間はかからなかった。




 † † † † † † †




 綺羅は憤りを露わにして、廊下をドカドカと闊歩した。

「綺羅様。お、落ち着いてくださいまし」

「わたくしは落ち着いておりますッ! ……絶ッ対に許せません!」

「全然、落ち着いておりません! そんな風に歩いては、せっかくの打掛も、綺麗に結った髪も台無しですよ!」

 侍女が止めるのも聞かず、綺羅は小さな唇を憤怒で結んだ。


 十五という年齢にしては少し幼く見える顔は真っ赤になっている。

 綺羅は父親がいる洋間の扉をガンガン叩いた。洋間では、「ノック」をするのが良いらしいと、異国の商人が教えてくれたのだ。

 異国文化が好きな父、鳳凰院左内(ほうおういんさない)の趣味で、屋敷の外は華国風の派手な丹塗、内側はルリス風の洋間と瑞穂風の和室が混在する不可思議な造りになっている。

 宮中でも流行りの様式で、「ドレス」や「タキシード」で宴に出る者もいた。綺羅も時々、「スカート」を楽しんでいる。


 綺羅はふぅっと息をして、返事を待たずに打掛の裾を摘まみあげ、問答無用に蹴破ってやる。

 壁にかけてあった額入りの絵がバタンッと落ち、扉の蝶つがいが悲鳴をあげたが、構うものか。

「父上、何故(なにゆえ)にございます! 嫌にございます、あのような殿方との結婚などと!」

 公家の姫にあるまじき剣幕で侵入した綺羅を、室内にいた人物が振り返る。

 一人は書き物机の上で肘をついたままポカンと口を開ける父鳳凰院左内。

 昔は結構な美丈夫だったというのに、今では言い逃れの出来ないハゲだ。


 もう一人は、青年だった。

 来客がいるとは思わなかった。綺羅は一瞬で我に返り、羞恥で頬を染める。

 しかし、綺羅はその青年の顔を以前にも見たことがあると気づいて、唇を結んだ。

 恥ずかしさで紅潮させていた頬を、再び怒りで塗り替える。

「綺羅、あまり無礼をするな。こちらは、浅野家のご嫡男で」

「存じております。浅野楓雅様でしょう? お父様、何故、このような不貞者が屋敷にいらっしゃるのでしょうかッ!? ああ、腹立たしい。虫唾が走りますゆえ、即刻追い出して頂けませぬか!」

 そうだ。綺羅がこの男を知らないはずはない。

 いつもいつも、綺羅の邪魔をするように視界に入る、この憎たらしい男を。


 楓雅は唐突に罵声を浴びせられて、驚いた表情で綺羅を見ていた。

 だが、すぐに笑顔を作って、娘の不躾を叱ろうとする左内を宥める。

「元気な姫ですね。楽しみが出来ましたよ、結婚生活に」

 楓雅の言葉を聞いて、綺羅は顔をしかめた。図々しいにもほどがある。

「わたくしは、絶対に認めませぬ!」

 まさに宣戦布告。

 綺羅は言い切りながら、涼しい顔の楓雅に対してビシッと人差し指を向けた。

「このような男と結婚など、絶対に致しません! あり得ませぬ!」


 ――まさか、恋敵が私の夫になる男だったなどと、誰が想像しておりましょうか!



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