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不死のまち  作者: 白本富久
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黄色い沢庵


「由布子ちゃんがおうちに入ってきたとき、なんだか足音がたくさん聞こえた気がしてね。お母さん階段の方覗いたんだけど、由布子ちゃんの後ろに黒い犬が居たように見えたから…」

「えっ…」


 黒い犬。ヒヤリと、体が凍りつく。目を見開いたまま動きを止めた由布子の口から、噛りかけの豚カツが転げ落ちた。


「おい由布子、何やってんだよ。行儀悪いぞ。

母さんもさあ、見間違いなんじゃねえの?オレ隣の部屋に居たけど由布子がドスドス階段上ってくる音しか聞こえなかったしさあ」


 早くも本日のメインのトンカツを食べ終えた二千翔は、付け合せのキャベツの千切りを頬張っている。やっぱり、そうなのかしらと頬に手を当てる母に、疲れてんじゃねえの? と今度は祖母お手製の黄色い沢庵をぼりぼり音を立てて食べる兄、私も見なかったけどねえ、と呟く祖母の言葉が耳を素通りしていく。


 硬直状態から溶けたらしい由布子が、ぎぎぎと音がしそうなほどぎこちなく首を動かし兄の方を見遣ると、兄もぎょっとした表情になった。母と祖母に遠慮したのか、二千翔は声のトーンを一段下げ、由布子との距離を詰めた。


「おまえ、顔真っ青だぞ。まさか心当たりがあるんじゃねえだろうな」

「いや…え、うん。いや。ない…」

「本当に? 神に仏、お狐様に誓って嘘は言ってないって言えるんだろうな?」


 怪しい、と片眉を器用に顰める二千翔。一方の由布子は兄の言葉にぎくりと体が揺れた。あまりにもわざとらしい動揺の仕方に二千翔の疑いは深まる一方だ。


 この地域の神様はお狐様であるという認識が共有されているため、「神」が関係する言葉は大体「お狐様」に変換されて言われることが多いのだが、今回はそのことが仇となった。

 ただでさえ母の言葉に狼狽えていた由布子に、平常通りの様子で「お狐様? あーうんうん。誓える誓えるー」なんて言う度胸はない。神社の中に入ることも出来ず、あまつさえ友人を置いて神社から逃げ帰ったことからもわかるように、由布子は非常に小心者なのである。


「お、おぉおおぉおにいちゃん」

「お、おう」


 抑えられない動揺が迸る声につられて、二千翔もどもりながら返事をした。


「ご、ご飯終わったら、わ私の部屋でげえむしよう」

「…は?」

「だ、だからあ、ご飯食べ終わったら私の部屋でゲーム」

「はあー…? 話ごまかすにしても、おまえ…下手すぎるだろ…」


 呆れたような話し方だが、拒絶の色はない。由布子はどこか悲壮感漂う表情で、兄に懇願することにした。家族間に恥も外聞もないのだ。


「お、おねがい!」


 由布子は落とした豚カツもそのままに、今にも二千翔に飛びかからんばかりに頭を下げた。母と祖母は静観を決め込んだようで、すでにご近所さんのたわいもない話を再開させている。


「お、おお…」


 妹の鬼気迫るような表情に、二千翔は若干のけぞりながらうなずきを返していた。

 いったい何なんだと小首を傾げる二千翔に対し、由布子の頭の中はまさに恐慌状態であった。わずかに残っていたらしい理性の紐がかろうじて由布子の意識を引き留めているという、まさにギリギリ、あも一歩でも踏み出せば急転直下、崖下に真っ逆さまというような心情だ。



 だって、言えるわけない。


 お祖母ちゃんの言いつけを破って、お狐様の社まで行った上に「お狐様」だと自称する黒い狐に出会ってしまったなんて。その上、「不死にしてやる」宣言をうけ、膝の上から落として逃げ帰ってしまった。

 罰があたる。きっとそう糾弾されるに違いない。黒い犬らしきものを見ていないお祖母ちゃんだって、きょうの話を聞けば「私も黒い何かを見た気がする。やはりたたりじゃ!」とかなんとか言って大騒ぎするだろう。



 一人固まる由布子の傍ら、二千翔はしばらく妹を観察していた。

 相変わらずこの世の終わりみたいなかおをしたり、急にうつむいてうめき声を上げたりと尋常な様子ではないが、由布子の挙動不審は今に始まったことではない。

 だんだん飽きて来たため自分の食事を再開したが、ふと由布子の皿の上に取り残されていた豚カツに狙いを定め、箸でかっさらった。無反応の由布子を横目にかぶりと頬張る。それを目ざとくみていた母の叱責が飛んだ。


「こら! 二千翔ちゃん、取るんなら由布ちゃんが落とした方にしなさい」

「……」

「まだ欲しいんならお祖母ちゃんのをあげるよ」

「…いや、うん。もういいや、すいません」


 結局のところ、わざわざ怒られると分かっていることを自分から言う馬鹿は居ないということである。


「由布ちゃんは」

「なんでもない…」


 母の言葉を遮るようにして呟いた由布子は、ゆっくりと体を起こした。そうして、盗られた豚カツに何ら言及することなく食事を再開した。どことなく青白い顔で好物であるはずの豚カツを頬張る妹の姿に、二千翔は罪悪感を抱いたのか、皿の上にこっそりと黄色い沢庵をひと切れ乗せた。



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