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不死のまち  作者: 白本富久
3/5

黒い狐



 「…なんで」


 小さな呟きは誰の耳に届くこともなく、風に溶けて消えた。鳥居の元で蹲るように膝を抱えた由布子は自身の履くローファーのつま先を見遣った。まだ卸してから3か月ほどだが、山道を歩くためか小さな傷が多い。側面は乾いた土で薄汚れていた。昨日は雨が降ったから泥が跳ねたのだろう、手を伸ばし指で軽く拭った。


 結局、あゆみと麻奈の二人に置いてきぼりにされた由布子は神域の入り口にあたる鳥居の下で二人の帰りを待つことにした。本心では、やはり二人が諦めてくれることを祈っていたが半刻程経った今も、どうも二人が帰って来る気配がない。


 ざわざわと木々が騒ぐ音を聞きながら由布子は額を膝がしらにつけて、深いため息をついた。夏服のセーラーにじわりと汗が染みるのを感じて瞼を落とす。

 太く大きな古木のつくる日陰にいるとは言っても、三十度を軽く超える真夏日である。自然、玉のような汗がふき出しては肌を滑り落ちてゆく。風があるのがせめてもの救いか、ととりとめもなく考えていた時だった。 


「わっ…」


 突風が吹いた。由布子のお下げ髪が風に靡く。

 思わず目を瞑ると、風に乗ってふわりと何かが香った。それは今まで全く感じられなかった妙に甘やかな匂いだ。由布子は顔をあげ、その風が吹いてきた方向、御社の方を見遣った。

 しかし周辺には、先ほどまでと何ら変わりなく風に葉を揺らしている古木があるだけで特別変わったものがあるわけでもない。御社には基本的に人はいないから、香を焚いていたという線も薄いだろう。感じた甘い匂いを出すような存在もなく、自分の勘違いだったのだろうか、と由布子は訝しんだ。

 

 太陽が、雲に隠れたのが辺りが薄暗くなっていく。

 大粒の汗がこめかみをつたい流れ落ちていく、その瞬間だった。



「お前は、願うか」



 それは、硬質な、けれどどこか曖昧な音であった。


「…え…」

「お前も、願うか」


 辺りを見回すが、声の主はどこにもない。むしろ、これは果たして声なのかと由布子は思った。言葉を紡ぐその音は、まるで音源が存在していないように一面的であり、声と呼ぶにはいささか稀薄すぎた。朱塗りの鳥居に身を寄せ、恐る恐る参道の方を見る。


「…な、なに…?麻奈?あゆみ?からかっているの…」


 先ほど御社の神域に入って行ってしまった二人の名を呼ぶが返事はない。由布子にもわかってはいた。二人であるはずがないということは。ノイズのような耳障りな音は、人が出せるような類には思えなかった。

 由布子の困惑など関係なしに、音は淡々と言葉をつづける。


「不死を、願うか」


 その奇妙さにぞくりと肌が粟立つ。逃げたい、と思った。けれども同時に逃げられないとも思った。手足が何かに絡め捕られているかのように動かない。

 そんなことは願っていない。不死、など唯のお伽噺でお狐様も人びとが神と崇めるお飾りに過ぎないのだ。だから、だから、これは、ちがう。

 ちがう!

 由布子の額から一筋、汗が流れ落ちた。


「その願い、叶えよう」


 由布子の耳に届いたのは、由布子を愕然とさせるには十分たる理不尽さを孕んだ応えだった。

 どこからともなく漂ってくる甘い匂いが、霞のように思考を妨げる。

 それは、あまりに突然の出来事であった。そして一瞬の出来事でもあった。

 カラン、と鈴を鳴らしたかのような軽やかな音が一つ。


「お前は、代償を払わねばならない」


 不可解な音が急にクリアな声となった。

 そして。


「いぬ…?」


 いつの間にか漆黒の艶やかな毛皮をもつ獣が、尻餅をつき座り込んでいた由布子の足の上に行儀よく座っていた。重みは感じられないが、柔らかな毛並みが肌くすぐる。黒々としたまあるい瞳が、ほんの間近から由布子を見上げていた。

 いつだったか麻奈とあゆみが言っていた、不老不死とか超ファンタジーという言葉が由布子の頭中には浮かんでいた。


「なんと失敬な。この高貴な姿を見て犬畜生と見間違うとは。お前の目は節穴か」

「ひっ…」


 ひくひくと動く湿った鼻の下、まるでしゃべっているかのように開閉する口元に由布子は釘付けとなった。


「我はお前たちの大好きなお狐様である」


 すまし顔をした黒い犬、改め狐は心もち金色に輝く瞳を細めて由布子の顔を覗き込んだ。


「有難く思え。お前の願い、叶えてやろう」

 



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