第六話
もうちょっと悲しい場面が続きます。
エレス様とウィンデル様がほぼ同時に目覚めたのは翌日の昼。
「あれ? 私の部屋?」
「あれ? エレスの、部屋?」
二人して訳が分からないと言った様子だったが、エルディン様によって『大樹の部屋』から助けられたのだと言うと、二人は「しまった!」といった様子で眉を下げた。
「怒られるな」
「怒られるね……」
ほどなくして知らせを受けた王と王妃が、そして間を置かずにエルディン様も部屋に到着した。治療師以外は外へ出されたのだが、廊下で待つ間、エルディン様のしゃがれた怒声が漏れ聞こえてきた。お二人は何かやってはいけない事をしてしまって怒られているのだろうと容易に想像が出来た。
何があったのか知りたかったが、私達の立ち入る事の出来ない事だし、何も聞くことは叶わなかった。お二人が何事もなく、無事であったのだからいいのだと思うことにした。
怒声が止み、静かになってすぐ、王、王妃、エルディン様の姿が現れた。
世話役一同は、三人をお見送りするべく廊下に一列となる。
王の右腕に王妃がそっと手を添え、私達の横を通り過ぎる。エリアノーラ様がチラリと私の方を見たような気がしたが、王妃は何も言わなかった。
「エレーナ、二人の体には問題はなさそうじゃ。しかし様子を見るため、三日ほど訓練は休みにする。その間にまたこのような事がないようしっかりと目を光らせてくれ」
「はい、エルディン様」
「頼むぞ」
「あの……エルディン様!」
呼び止めた非礼を詫び、発言の許しを請う。エルディン様は私に振り返った後で片手を上げ、私に先を促した。
三人の同僚達が私を驚愕の眼差しで見つめているのが分かった。何をローラが言い出すのかと目を見開いていた。
「この度の事は、全て私一人の非でございます。どうか、どうか罰は全て私に……」
「なんだと?」
エレーナ、マージ、エリカが息を呑むのが分かった。
「ウィンデル様がエレス様のお部屋に来られ、お二人をお部屋に残したまま私はお二人から離れてしまったのです。もし、あの時私がお二人の側に居たのなら、このような事は起きなかったはずですから」
「ローラさん!」
エリカが私の裾を引っ張る。私は彼女の手を撥ね付けた。
「エリカは私が命じた別の仕事に当っておりました。ですから彼女は関係ありません。エレーナとマージも、ウィンデル様がお部屋から出られた後ですので、二人も関係ありません。全ては私の責任です」
私が話す間、エルディン様は目を瞑っていた。
一瞬、沈黙が私達の間に流れたが、次にそれを破ったのはエレーナの声。
「エルディン様。ローラは全て被ろうとしているだけです。彼女の罪は世話役の長である私の罪でございます。どうぞ、私を処罰してくださいませ」
「エレーナ!」
「ローラ。あんたは何を考えているか知らないが本当に自分の責任だったと心から言えるのかい?」
エレーナは丸い眼鏡の奥で私を見つめる。
額に皺を寄せる癖は、いつも彼女が相手の答えを待つ時。
私を長く知っているエレーナには私の考えなど見抜いているのかもしれない――
でも、こればかりは譲れなかった。ましてや彼女に罪を負わせるなんて、私には出来ない。
「エルディン様。私一人の責任なのです――――」
エルディン様はゆっくりと瞼を開けた。濁った瞳が私を見つめていた。
「昨日も言ったが、誰にも非はない。それを喜ぶのが普通ではないのか? なぜそこまでする。昨日の事は明らかにウィンデルとエレスが悪い。あいつらもそれを認めている。よってお前達には、ニールも含めてだが、今まで通りの職務についてもらう。しかし、ローラ――――」
エルディン様が白い髭をなで、杖をドンと音を立てて廊下に突き立てる。それに一同の体は揺れた。
「罰を受けると言ってお前がここから逃げ出したいというのなら、別じゃ。留まるも去るもお前の好きにするがよい。今までエレスによく仕えてくれた礼だ。理由は聞かん」
私には何もエルディン様に返す言葉がなかった。
エルディン様の姿が廊下を曲がって見えなくなった時、エレーナはエリカとマージに命じて部屋へエレス様とウィンデル様のお世話へと入らせた。そしてエレーナは私の腕を取ると、彼女の部屋へと私を引っ張った。
彼女が扉を閉めた途端、平手が私の頰を打った。
パンッと乾いた音がして、痛みが走る。
「さっきのは何だい? さっきのを聞いたら誰だってあんたがただ罰を受けたがってるだけだと変に思ったさ。でもそれはウィンデル様とエレス様を守れなかった責任感からじゃない」
私はエレーナの目を見ることが出来ない。何も言う事が出来ない。
頰を打った手で今度は私の顔を優しく両手で包み込んで、彼女は私の顔を上げさせた。
「何があったんだい? あんたらしくもない。今まで何を言われても、どんな酷い事を影で言われてもあっても、じっと耐えていた強いローラはどこに行ったんだい? 罰と称して本気でここから逃げ出そうとしてるのかい?」
泣きたくなんかないのに、私の思いに反して涙が私の両目に貯まる。エレーナがもう一度私の名前を呼んだ時、とうとう涙が一筋こぼれて頰を伝った。
「ローラ……。あんたは妹なんだから、もうちょっとは甘え上手かと思ったけどね。仕方がないか。姉は早くに居なくなってしまったんだしね。強くならなくちゃいけなかったんだろうよ」
「エレーナ……エレーナ……私は…」
「いつかはこうやってあんたは爆発するんじゃないかと思って心配だったんだよ。だから、エリカみたいなのが一緒ならあんたもその強張った顔も緩んでちょっとは楽しくなるかと思ったんだけどさ。まあ、あの子は手がかかる子だし、あんたに対してこちらが期待した効果はあまりなかったみたいだね」
エレーナは苦笑いを浮かべ、私の頭を働き者の小さな手で撫でた。
零れてくる涙をそっと拭いてくれ、彼女の小さなベッドに私を座らせる。
彼女らしい小ざっぱりとした部屋だった。
小さな文机と椅子。姿見と物入れの扉には替えの服が掛かっている。小さな本棚には色褪せた本が何冊か並び、何枚かの姿絵が飾られてあった。黄色の花が好きだと言う彼女らしく、中庭で咲き乱れていた花が窓際で揺れていた。
「私がウィンデル様の教育係に雇われた時、あんたの姉さんはもうすでに王の手の中にいた。彼女は昔、エリアノーラ様の世話役だったんだけどね、男女のそういう仲になってからは、彼女は王の世話役として働いていたのさ。私とは働く場所も違ったし、姿もほとんど見ることはなかったけどね、今のあんたと同じ、豊かな金茶の髪を細く幾重にも編んで、一つに結わえていたね」
何度も何度も私の頭を撫でるエレーナ。母が昔優しかった頃、私にしてくれたように温かくて、優しい手つきだった。
「大きくて蒼の瞳をしていた。綺麗な子だったよ。あんたとはちょっと瞳の濃さが違うけどね、姉さんによく似てる」
「そんな、筈はありません……両親は私達は全く違うとよく言っていました。周囲も……王だって……私を……」
「聞いたよ。王にお声を掛けられたんだってね」
「はい……」
背中がピリリとまた痛んだような気がした。知らず知らずに手が腰に伸びていて、昨日の打ち身を庇っていた。それをちらりと横目で見たエレーナはずれた眼鏡を押し上げて言った。
「さて。どうしたもんかね。これといったお咎めはこの件に関してはないし。一方で罰を受けたいという者がいる。この者には……罰よりも今まで人以上に苦労してきた、それに値する休暇が必要だと、私は思うんだけどね。どう思う、ローラ?」
「休暇だなんてそんな物は必要ありません。その者にはきつい仕事をたくさんしなければならない役柄を与えるべきです。世話役だなんて……その者には荷が重すぎたのです」
「違う役? エレス様と離れるっていうのかい?」
エレス様――――
時に妹ができたように思った。自分が縫い上げた服を嬉しそうに来て下さる時は心が満ち足りたような気がした。彼女の笑顔を思うと止まりかけた涙がまた溢れてくる。そして彼女の笑顔に重なって見えるあの人の笑顔までも……。
エレーナに頷いて、私の固い意思を伝えようとするも、彼女は口を固く引き締めた。彼女は私の目を眼鏡の奥からじっと見つめたまま、まるで私の秘めた想いまでも見抜こうとしているようで、私はとっさに彼女から目を外らす。
「それを……エレス様に言えるのかい? ウィンデル様にも?」
エレーナの目を見ては駄目だと分かっていたけれど、彼女が無理やり私の顔を彼女に向けたので、結局彼女の目を見ることになる。眉を寄せていたエレーナは私と目が合うと、はっとした顔つきになった。
「ローラ……もしかして……」
「違います。違います、エレーナ。もし万が一あなたが考えているような事だとしても、何かの間違いなのです……絶対に……」
「ローラ、私は何もまだ言ってないよ」
「――――――っ!」
さっと頬に熱がこもるのが分かった。
これ以上惨めな姿を彼女に見られなくて私は立ち上がった。窓際に行くと子どもたちの歌声が楽しげな聞こえてくる。歌なんてうたったのいつだった? エレス様を寝かしつける時に子守唄ぐらいを歌ったのを覚えているけれど……記憶が朧気で、頭が痛み出して上手く思い出せない。
後ろでエレーナが大きく息を吐いたのが分かった。
「とにかく。もうこれ以上あんたを尋問しない。エルディン様が言われたように好きにしたらいいさ。休暇をとるならあんたの分の仕事を割り振るから早めに言っておくれ。もし、実家に帰るというなら、その時は突然いなくならないでもらえると嬉しいよ。それから――――最後に一つだけ」
ギシッとベッドが音を立てた。彼女が立ち上がったのだ。
「きちんとエレス様に話すこと。ウィンデル様にもだよ」
私はエレーナを振り返る。
彼女は丸い眼鏡を取って、息を吹きかけるとそれを前掛けの端で拭き取った。再び眼鏡を掛けるなり、にこりと微笑む。
「なぜ、ウィンデル様、にもなんですか……私の主はエレス様で……」
「主じゃないから言わないのかい? それはちょっとおかしいだろう? ウィンデル様はあんたに色々力になってくれたお方じゃないのかい? 彼のお許しがなければ全く駄目だね――――さぁ、仕事に戻る前にちょっと汗をかいたのを着替えたいから出て行っておくれ。マージとエリカの様子を見に行ってくれるかい? 助かるよ。私は遅れて行くと伝えておくれ」
部屋がある廊下の角を曲がった時、ちょうどエリカが部屋から出て来たのが見えた。
私の顔を見るなり、赤い顔をさらに赤くして扉を後ろ手で閉め、私に走り寄ってきた。
「ローラさん! どうしてさっきはあんなことを?! あれ……頰、痛そう……どうしたんですか」
ああ、そういえばエレーナにぶたれたのをすっかり忘れていた。
昨日から私の体はあちこちをぶつけてばかりで、すっかり痛みに慣れてしまったらしいわ……と思ったら、気にした瞬間から頰がシクシクと痛み出した。
「エレーナにね。怒られたの」
「そんなの、エレーナさんが怒るの当然ですよ! 私だって怒ってます! あんな庇い方されても嬉しくありません! 私のせいです。私が眠ちゃったからお二人に気づかなかったんだから……」
「エリカ。さっきエルディン様にも言ったけど私の責任なの――――ああ、もう止めよう……これ以上続けたら、私の体が痣だらけになりそうだから」
エリカは首を捻ったが、私はあいまいに笑うことで、ごまかした。
心も体も極限まで疲れていた。
それでもなんとか最後の気力を振り絞ってやるべきことをしなくてはと思っていた。
――――お二人に、どうやって話せばいいの?
扉を開けて一番に飛び込んできたのはうめき声。
何事かと入ってみたら……マージがお二人に茎水を飲ませていた。それは大人でも苦いとされる桃色の花の茎から取れる即効の薬。エレス様はそれが嫌いでいつも効果の劣る花弁水を使われていた。今日だけは強く嫌だと言えなかったのだろう。
「うぇぇぇ……」
「これ飲むほうが気分悪くなるよ……」
涙を溜めて鼻をつまんで飲むエレス様と顰め面のウィンデル様。
マージが部屋に入ってきた私に気がつくと、彼女の視線に気づいたお二人も私の方を向いた。
「ローラ! なにか甘い飲み物をくれるかしら!」
「僕にも、もらえる、ローラ?」
「お二人とも、それを飲んでしばらくは何も飲まれてはいけません」
「マージ、僕達は元気なんだよ!」
「お願い! 舌がピリピリするの、ローラ」
眉を下げるマージだったが、少しかわいそうだと思っているのが顔を見れば分かった。大人でも嫌なのだ。お二人はもっと苦いと思われているに違いない。
彼女は私にかるく頷いて合図をする。それに私も頷き返した。
「蜂蜜水をお持ちしますね。それなら効果も半減しないでしょうから……」
「ありがとう、ローラ! 優しい!」
「助かる! ローラ」
向けられたお二人の笑顔が眩しくて、私は目を細めた。
この笑顔をしっかりと目に焼き付けておこう――――私は拳を胸に当てた。
胸の奥の痛みを押し殺すように。ぎゅっと。