第三話
私の下に世話役見習いの子がつくことになった。名前をエリカと言った。
私よりも四つ下で一五。私が王宮へ来た時と同じ年。
これで一五? と思うくらい彼女は幼く見えた。蜂蜜色のふんわりとした癖毛をゆんわりと二つに編んで背中へと流している。大きな焦げ茶色の瞳は女の私から見ても可愛らしい。そんな外見もさることながら、彼女を余計に幼く見せたのは、私が一言言う度に両目に涙が浮かび上がる時。そんなにきつく言っているつもりは全くないし、嫌がらせをしてるわけじゃないし……といつも思うが、彼女がめそめそする度に私はいつも慰める羽目になってしまっていた。
なぜ、あなたこの仕事を選んだの? と仕事初日に聞いたことがあった。
それに彼女は、
「私、ウィンデル様をお慕いしているんです。でも、ウィンデル様の世話役には年の近い女性はなれないって聞いて。だったら、エレス様の世話役だったらウィンデル様の妹君ですし、接点も近いから丁度いいわと思ったんですよね」
丁度いいわ……って……
私はそれに対して呆れながら一言言おうとしたのだけど、自分の王宮勤めの動機も彼女と対して変わらないんじゃないかと思って、言うのを止めた。
――――姉の失踪の理由を突き止める。
未だに達成出来ていなかった。
王族の方々には最低でも一人以上の世話役がついている。
王と王妃には三人以上の世話役がついているが、王太子であるウィンデル様には未だに健在で、世話役の長でもあるエレーナとエリカと同時期に配属されたマージだけ。姫君のエレス様には私とエリカだ。
エレーナの下についたマージは以前エリアノーラ王妃の世話役だったのだという。結婚と共に王宮を離れ、子どもが大きくなった今、再び王宮から誘いがあり戻ってきたのだ。
王妃付きの世話役だったということは、もしかしたら姉を知っていたのかもしれないという期待を持っていたのだけど、マージの答えは否。姉が王宮へ勤め出したのはマージが王宮を辞した後だった。
エレーナは時折腰が痛いと言っては休みがちになっていた。よって彼女を補助する形でマージが再び雇われた訳だったが、私の場合、なぜエリカがついたのかよく分からなかった。
もちろん体は健康そのものだし、仕事量は変わってないし、きちんとこなしていると思っている。私自身の休憩時間がほとんど無い時だってそれについて不満は全くなかった。強いて言えば、エレス様が大きくなるにつれて、母君と過ごされる時間が増えたので私の自由時間は多少なり増えたとさえ感じていた。
一つ理由が考えられるならば、エレス様の体調管理に人出がいるようになったとエレーナが考えたからかもしれない。
エレス様が八つになった時から、ウィンデル様がされているのと同じ『訓練』とやらが始まったのが大きな変化だった。その訓練は体力気力と共にとても消耗が激しいらしく、翌日にはエレス様はベッドに寝たきりとなる。そのお世話に私自身が慣れるのに初め少し戸惑ったことは否めない。
私が世話役として働き始めてからというものエレス様が体調を崩されたことは一度もなく、それ故に初訓練後に真っ青な顔をされていた彼女に私が狼狽えたのは今でも記憶に新しい。
エリカがこれで五度目になる、ばらついた縫い目を「も~!」と言いながら渋々解いてまた初めからやり直すのを見ながら、私は彼女に知られないようにそっと溜息をついた。
しかし、今ではエレス様の訓練後のお世話だって上手くなってきてると思ったけど……
特に手伝いなんていらないし、これじゃ手伝いどころか仕事が増えただけだわ……
理由をエレーナに聞いても「下を育てるのも上の仕事の内だよ」と言って肩を叩かれただけで、それに素直に納得するのは難しかった。
今日も具合の悪いエレス様に花弁水をやっと全部飲ませて、ベッドへ寝かせる。
彼女の青白い顔を見ながら、私は先日の事を思い出していた。
この小さな体に起き上がれなくなるほどの訓練を課されるとは一体どういうことなのかと、一度だけ抗議にエルディン様が住まわれる離宮へ向かったことがあったのだ。
入口近くの部屋でしばらく待っていると、私を呼ぶ声と共に、音を立てて扉が勢い良く開かれた。
聞こえた声と現れた姿に私は一歩後退る。
「ウ、ウィンデル様!?」
「ローラ、どうしたの? 僕に会いにわざわざ来てくれたの?」
「あっ、いえ、私は、その、エルディン様に少しお話がありまして……」
ここしばらくエリカの指導とエレス様の看病で大忙しだった。
ウィンデル様もエレス様に会いに来られることが最近全くなかったし、偶然ばったり王宮内で彼に会うこともなかった。
だからといってそんなに長い間会ってなかったわけじゃないのに……ずいぶんと長いような気がするのは……きっと彼の短く切られた髪と伸びた身長のせいだ。
今まで彼を見る時は私の方がやや見下ろす形だったのだけど、今日こうやって彼が隣にいるとそうしないでいいことに気づく。視線がほぼ同じなのだ。長かった白銀の髪は耳の上まで短く刈られ、汗ばんできた最近の天気に涼しそうだなと思う。
それに……ああ、これね、エリカが言っていた耳飾りとやらは……
ちらりと彼の左耳に視線を向けた。そこにはいままで見たことのない耳飾りが、あの時の七の樹の出来事を私に思い出させるように七色の光を振りまいていた。
一瞬胸がドキンと跳ねたような気がしたけど、それについて深く考える前にイライラが胸に込み上がってくる。――――エリカの言葉を思い出したからだ。
「とーっても綺麗な石なんですよ。一見、王宮の建物に使われているような乳白色の石なんですけど、でも違うんです! それ以上にキラキラって輝くんです! まるでウィンデル様のあのお美しい瞳みたいだわ……」
彼女はある朝、エレス様の部屋を掃除中に手にした箒を椅子に立て掛け、ご丁寧に身振り手振りを混じえつつその輝きとやらを説明してくれたのだった。
「ローラ? 眉間に皺が寄ってる」
ウィンデル様に顔を覗きこまれて私は我に返り、彼の蒼の瞳が目の前にあるのに驚いて後退る。
「ああ! す、少し考え事をしていました……」
「そう?」
柔らかな笑顔を見せるウィンデル様。彼が小さかった頃に見せてくれた笑顔の面影がまだ残っていることに私はほっとする。
「で? お爺様に会いに来たって? 僕じゃないのが残念だね」
「え? はぁ……申し訳、ございませ……」
「冗談だよ。謝らないで。お爺様は今、お部屋で休まれてる。今日は足が痛むと言われててね。僕が部屋までの案内役を買ったんだよ。行こう」
そう言われたウィンデル様は私の手を素早く取る。繋いだのではなく、掴んだ、と言った方がそれに近いかもしれない。
なんで!? と思い、「幼子じゃありませんから、ちゃんとついて参ります!」と言ったものの、「そう? でも一応ね。迷いやすいから」と言って離しては下さらなかった。
確かに離宮と言っても王宮と同じくらい中は広く、大きく王宮と違うのは造りが煩雑だということ。途中、扉を抜けて、さらにまた扉という不可思議な道順を通り、いくつも階段を上っては降りた所でようやく私たちはエルディン様のお部屋に辿り着いた。
ここまで来る間ずっとウィンデル様に手を掴まれたままだったけど、道中誰にも会わなかったのが幸いだったわね、と私はこっそり溜息をついた。
見た目は弟が姉を引っ張っている図。でも本当は王太子が世話役を案内しているという変な図だったから。
「ウィンデルです。入りますよ、お爺様」
少し開けた扉から弱々しく聞こえてきた返事。
長椅子に上半身だけを起こして座るエルディン様は私たちの姿を認めるなり、手元にあったカップを脇のテーブルへと置いた。
「やっと来たか」と言って手招きをする彼は最後に会った時よりも小さく見えた。彼の髭は灰色から白へとすっかり変わってしまっていた。
「ローラ、と言ったかの? エレスの世話役じゃったな。エレスに変わったことでもあったかの?」
「ご加減の悪い中、会って下さりありがとうございます、エルディン様」
エルディン様は片手を振り、私へ要件を話すよう、促す。ウィンデル様がエルディン様の隣へ素早く移動し、彼の体勢を変えてやる。ウィンデル様がそんな事をしなくても世話役が、と思ったが、私がここへ来たことで人払いをしているのだと気がついた。早く済ませて退出した方がいいわねと思いつつ、エルディン様に一礼した後、私は要件を切り出した。
「エレス様は今日で三日起き上がることができません。今朝、やっと体を起こして花弁水を口にされることが出来ましたが、まだすぐに横になられてしまいました」
「三日か……ウィンデルも訓練を始めた時はそれくらいだったか?」
「四日ですね。四日目にやっと部屋の中を動き回れるようになれたのを覚えています」
「儂が始めた時はもっとひどかった気もするが、まぁ、始めは皆、そんなもんじゃの……。で、お前さんは何が言いたい?」
二つの蒼が私を見つめる。一つは私を心配そうに見つめる蒼。そしてもう一つは私の内面を射抜く白がかった蒼。
私はこくりと喉を鳴らした。
「私が申し上げるべきでないのは分かっています。無礼を承知で申し上げております。でも、苦しんでいるエレス様を見ていると居てもたってもいられないのです。あんなに小さなお体で苦しまれている様子に私は何のお力にもなれないのが耐えられないのです」
「と、いうと……エレスの世話役を、辞めたい、とでも言うのか?」
ウィンデル様がはっと息を呑むのと同時に私は前へ一歩進み出る。
「違います! 私はただ、あんなにまだ小さなお体だから、もう少し、エレス様が成長されてから訓練を再開されてもいいんじゃないかと! もう少し経てばエレス様の体力も増すでしょうし、あそこまで苦しむこともないんじゃないかと! もしくは、体にあまり響かない程度にして頂けないかと……あそこまでは、見ている方も本人も……辛すぎます……」
「ローラ……」
「私は……エレス様が毎回にこやかに訓練に向かわれるのを知っています。でも、毎回お部屋でお迎えする度に、ぐったりされて戻って来られる。歩くのがやっとなくらい。部屋に帰り着くなり、倒れておしまいになるのです……代わってあげられるのなら代わってあげたいくらい……なんです……」
言えば言うほど私の言葉から勢いが消えた。
エレス様の姿が思い浮かんできたからだ。
今日だって彼女は「徐々に体は慣れていくってみんな言ってたわ、大丈夫よ、ローラ、大丈夫」と無理に笑っていらっしゃった。
こんな拷問なような事を繰り返すようなら世話役だって黙ってはいないわ! と勢いで出てきたものの……こうやってエルディン様を目の前にすると、やっぱり私のような者が出過ぎた事をしていると思ってならない。ウィンデル様の時は彼が直接言われたからエルディン様が彼の要求を飲んで下さっただけだ。私がエレス様の為に、王族のみが関われる訓練とやらに口出すのは間違っているのだ……
エルディン様は私が言い分を言い終えたと分かると蒼の瞳を閉じた。そして私の名前を呼んだ。
「お前さんが代わるのは無理じゃな。それに訓練を変えるつもりもない。エレスが回復次第また訓練再開じゃ」
「しかし、それではエレス様が!」
「お爺様! ローラはただ、エレスが心配なだけなんです。僕の時だって、初めエレーナがとっても心配していたのをよく覚えております。でも、彼女はローラのようにお爺様の所まで訴えに来ましたか? いえ、きっと来なかった筈です。でも、それが悪いとエレーナを責めているんじゃないんです。ローラは、ローラは……そこまでエレスを想ってくれているということです」
「ウィンデル」
蒼が蒼を見つめる。
まるで二人の間に何かが走り抜けていったみたいで、それが一瞬にして部屋の雰囲気を変えたのが私には分かった。沈黙で二人は会話をしていた。
「ローラがエレスを心配していることはよく分かる。お前が熱弁せんでもな。でもここで、ローラの願いを聞いたら、エレスの思いはどうなる? あいつは訓練が少なくなったり、儂が手を緩めることを望んではおらんのじゃぞ。訓練開始がお前より早かったのも、あいつがそう、望んだからじゃ。エリアノーラも止めはしたが、エレスの決意は搖らがなかったしな」
ウィンデル様の頬と耳先が徐々に赤くなっていったのが分かった。私は彼が私の思いを支えてくれたのが嬉しかったが、それが結果として彼に嫌な思いを抱かせてしまったのではないかと、ただただ私は申し訳なかった。
私はなんとか口を開こうとするけど、何をどのように話していいのか分からなくなってしまった。
「エルディン様、私はただ……」
「ローラ」
「は、はい……エルディン様……」
「孫によく仕えてくれて礼を言うぞ。だが、訓練に関してはお前の要求は飲めん。これは王族しか出来ぬ王族だけの問題だ。お前が口を出すことでは無い。さっきのは聞かなかったことにするから今日はもうエレスの元へ戻ってやれ」
「お爺様! そんな言い方!」
「ウィンデルも」
エルディン様は手元にあった小さな鐘を鳴らす。
その音に反応したかのようにウィンデル様は渋々立ち上がった。
「今日はもう終わりじゃ。ローラと共に王宮へ戻れ。また明日じゃ。明日」
手で私達を追い払うような仕草をしたエルディン様は再び目を閉じ、ぐぅと唸り声を上げた。痛まれるのか、右手で膝を摩っておいでだった。
ウィンデル様と部屋を出ると、外で控えていた世話役三人が入れ替わりに部屋へと入っていく。
後ろで扉が閉まると同時に私達は橙色の夕焼けが差し込む廊下を歩き出した。
私達は無言だった。
ウィンデル様にお礼もお詫びも言いたい事は沢山あったのに、何も言葉に出来なかった。
彼も私と同じだったのだろう、一度口を開いたが、何も言葉を紡がぬまま閉じてしまう。
そうして無言のまま二つ目の角を曲がった時、どちらからともなく私達は手を寄せ合った。
今度はしっかりと繋いでいた。