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最終話

「ローラ」


 小鳥の代わりに後ろから聞こえてきたのはザントの声。

 拭いた筈の彼の体はまた頭から濡れてしまい、前髪からは雫が滴り落ちている。


「それは、アレンダ?」

「そ、そうみたいです……」

「なんでそれがここに?」

「分かりません……ここに落ちていたんです」

「王宮内にだけ育つ花が、街の外れで落ちてたなんて……誰かが持って来たとしか考えられないけど?」

「き、きっと近所の子がこれを手に入れたけど誤って落としてしまったんだと思います」

「ほんとに、そうか?」

「……えっ」


 ザントは雫を絞り落とすと前髪を後ろへと掻き上げた。額には古い傷と思われる跡が露わになった。雨を避ける為、腕を掴まれて軒下へと移動させられる。


「ほんとは、誰か分かっているんだろ」

「そんなの、分かるわけ……」

「いや、お前は分かってる。というかそうであって欲しいと願っている筈だ。悲しいが、それをお前に届けさせたのは俺じゃない」


 ザントはアレンダを持つ私の右手首を持ち上げた。


「ちょっと!」

「普通だったら、女から男に、なのにな……まぁ、こんなやり方もありか? でも、それの送り主はここにはいない。だから何の意味も成さない」

「離して、ザント!」


 ザントが私からアレンダを奪おうとする。

 奪われまいとして力を込めると――数枚の葉っぱが引き千切られ、六枚の花弁が辺りに散った。手元にはまだ葉っぱがついた茎が残っていた。


「あっ……!」


 私は慌てて屈み込み、地面に散らばる花弁と葉っぱを一枚一枚拾った。雨に濡れ、何枚かは泥が付いて汚れてしまっていた。


「四枚、五枚……あと一枚……」

「六枚」


 ザントの手の平にあった最後の花弁は彼が握りしめたことで私の手には届かない。


「ちょっ……ザント!」

「ローラ……聞いてもいいか」


 ポーシャとダントが心配そうな顔をして窓から私達を見ていた。


「今、俺がここで誓いを捧げたら……そのアレンダの葉を、俺にくれるか」

「えっ……」

「ははっ……年甲斐もなく手が震えてる……。今までからかっているように聞こえたかもしれないけど、でも、俺の言ったことは全部本気だった。……兄さん、そこの花束を取ってくれないか」


 ダントさんとポーシャの姿が窓際から消えると、ダントさんだけがもう一度現れ、手には花束を持って窓を開けた。


「俺達は向こうの部屋に行ってるから……せめて中に入れよ」

「ありがとう。でもいいんだ。ここで」


 ダントさんは力無げに笑って見せて室内へと消えた。

 雨の音が鼓動の音と重なって耳についた。


「俺はローラを笑顔にする自信がある。これからずっと隣でお前を笑顔にする許しをこのザントにくれないだろうか……」


 笑顔……

 私を笑顔に……?


「もし緑を選んでくれたら俺は変わらぬ愛をお前に誓う――――これを」


 目の前に差し出されたのは空色の花々。一度大好きな色だと言った事があってザントはそれを覚えていたのだ。

 自分の震える手を持ち上げて開くと……そこには五枚の汚れた花弁があった。その内の一枚が小指の近くで穏やかな熱を放っていた。

 初めて繋いだ手。温かな唇が初めて触れた小指。それを「小さい」と言って笑った彼。


「ローラ」


 『ローラ、笑って』

 離れてしばらく経つのに、彼の声が耳から離れない。いつでも彼が私の側にいるみたいに。

 私が悲しい顔をしているとそれを戒めるように彼が耳元で囁くのだ。

 『笑顔だよ、ローラ』

 きっと七の樹の葉っぱをくれたのは彼だ。このアレンダの花と葉っぱも。

 いつも私が笑顔でいられるようにと、彼が側にいなくてもこうやって遠くから私を笑顔にしてくれる。


「ロー……ラ?」


 彼しかいないのだ。

 私を笑顔に出来るのは彼だけなのだ。

 だったら……私も彼を笑顔にしたい。いつも微笑んでいてもらいたい。

 大好きな空の瞳を細めて――出来れば私の隣で。


「ザント」

「お、おう……いや、はい」

「私の手を見て何か気づくことがありますか」

「えっ?」

「手、です」


 目の前で開いてみせた私の何もない手の平にザントの視線が落ちた。


「何だ? 綺麗で、働き者の手だ、と思うけど」

「そう」

「何かあるのか?」

「……ある人が、言ったんです。私の小指がとても小さいって。生まれてからずっとこの手と付き合ってるのに、そんな事誰からも一度も言われた事もなかったし、私自身気づいたこともなかった。でも、その人は気づいたんです」

「小指……」

「可愛いって一度も言われた事のなかった少女が、その人から初めて可愛いって言われました。笑顔もそう。笑ってると皆が嬉しい気持ちになるんだって。これはその人が小さかった時に教えてくれました。心から笑うことをしなくなった少女がその人のお陰で笑顔を取り戻したんです。全部、その人のお陰です」


 私はザントに差し出した――アレンダの白い、『満たない』花弁を。


「いつも私が与えられてばかりだった。でも、何もその人に返さないまま私は逃げてしまった。もしまたその人の所へ戻れるなら、今度こそ私は彼がいつも笑顔でいられるようにしたい……そうしてあげたいんです」

「お姉さんのようになるかもしれないのに? それでも戻ると?」

「私は私。彼は姉の恋人とは全く違う人だわ。それに、私は姉のようになる為に戻るんじゃないんです」


 ザントがゆっくりと手を伸ばす。大きくて日に焼けた手の中に私は白の花弁を落とした。


「彼の笑顔が大好きだから。だから、戻らなくちゃ」


 ザントはしばらく私を真っ直ぐ見つめていた。私も彼を見つめ返した。いつもより暗めの黄緑の瞳が揺れていた。受け取ったアレンダを握りしめてザントはくるりと私に背を向けると、何も言わずに庭へと歩き出した。


「ザント!」

「振られたらいつでも言ってこいよ。少しくらいなら待っておいてやる。まだ約束も果たしてもらってないしな」

「な……そ、そんな約束してません!」

「もう泣くなよ。しっかり笑わしてもらえ」


 片手を上げて見せたザントは柵を軽やかに超えるとそのまま街の方へと消えていった。


「ありがとう……ザント。ごめんなさい……」


 雨が小降りになって雲の割れ目から陽が顔を出す。

 七色の虹が遠くの空に架かるのが見えた。



 イアンが手と膝をついて一人で動き回れるようになった頃、エリカから手紙が届いた。

 どうやらエリカはザントの後に入った同じ年頃の警備係と恋に落ち、男が故郷の街に帰るのを決めたので一緒について行くらしい。出発まであまり日がないので、私に新しいエレス様の世話役を指導してもらいたいのだと言う。

 私が王宮を離れてからはずっとエリカが一人で世話役を務めてきたので、今度来る予定の人は全く経験がなく、年はまだ十四。エレーナは他の新しい世話役への指導で忙しいし、マージはそんな忙しいエレーナの補佐とウィンデル様の事で手一杯。


『お願いします、ローラさん! とっても困ってるんです! 私には人に教えるなんて出来ないけど、ローラさんだったら短期間で新しい人を立派な世話役に仕上げてくれると思うんです。ほら、ローラさんが私に教えてくれたように、ね』


 ね……って、エリカ……。

 こめかみを抑えながら、二枚目をめくる。それはエレス様からの手紙だった。


『ローラに会えるのをとても楽しみにしています。ウィンデル兄様も待ってるわ』


 王宮へ戻ると決めてから、でもどうやって戻ろうかと考えあぐねていたが、これはとてもいい機会だと思った。

 ポーシャとダントさんに全てを話すと、二人はとても喜んでくれた。


「まぁ、上手くいかなかった時の為に、しばらくは誰も雇わないようにするわ。まぁ、でもそんな事にはならないでしょうけどね」

「いつでも遊びに帰っておいで、ローラ。ああ、ほら、イアンがもうローラを恋しがって泣きそうだ」


 私の顔をじっと見て大きな瞳を潤ませたイアンは、私の方へ手を伸ばして別れを悲しんでくれた。これからの成長を側で見られなくて私も悲しかった。休みには必ず会いに来ると約束して私はイアンの薄桃色の頰に唇を寄せた。




 朝早くに王宮の正門に着いた私はエレーナ、マージ、そしてエリカに温かく迎えられた。三人一緒に強く、それでいて温かく抱きしめられた。


「待ってたよ」

「やっぱりあんたには王宮生活が似合ってるよ」

「会いたかったです、ローラさん!」

「皆、ありがとう……ただいま戻りました」


 髪をいつものようにきつく編んで一つに纏める。着替えを済ませた後でエレス様の部屋に入ると、今日は訓練の翌日だったらしく、エレス様は寝台で横になっていた。


「ローラ!」

「エ、エレス様! ああ、起き上がらないで、そのままで!」

「ううん。とうとうローラの顔が見れたから、元気になったわ! ありがとう。戻ってきてくれて」

「そんな……私の方こそ……お手紙、ありがとうございました。とても……嬉しかったです」

「私もローラが戻ってきてくれて嬉しい。いっぱいお話したい事があるわ! でもね、今日はまた体が言うことを聞かないの。さっそくローラの花弁水が必要になりそう」

「は、はい! さっそく準備して参ります」

「あ、それからね、ローラ」


 エレス様は側にあった空っぽの花瓶を指さして片目を瞑った。


「エリカがこれだけ忘れたみたいなの。中庭で摘んで来てくれる?」




 こうして王宮へ帰ってきてすぐ、私は七の樹の前に立っている。

 七色の光を振りまいて目を開けていられないくらい。前と変わってない筈なのに久しぶりに見る七の樹は一段と輝いて見えた。

 陽が上ってすぐはまだ各々が塔内で忙しい朝を過ごしている時間なので、今の所、中庭に居るのは私だけ。

 落ちていた青色の葉っぱを手に取る。

 ここを去る時一緒に連れて出た葉っぱと同じ――形も色も。

 風が吹いてアレンダがさわさわと音を立てて揺れた。


「また戻ってきました……泣きたくなったらまたここに来てもいいですか」


 両手を思いきり伸ばして七の樹に抱きつく。

 目を閉じて耳を当てると、聞こえてきたのは――


「僕には帰ってきた報告と抱擁はないの?」

だった。驚いて後ろを振り向けば――――そこには愛しい、年下の王太子が微笑んでいた。


「ウ、ウィンデル様……」

「おかえり、ローラ」

「戻り、ました……」

「遅いよ」

「す、すみません」

「理由も言わず、僕の許しも得ず、無理矢理ここから出て行った。それで今頃帰ってきて今まで通りにまた仕事が出来ると思ってるの?」

「えっ……あ……」

「それ、都合良すぎない?」

「は、はい……」


 自分の顔が一気に赤くなって熱を持ってくるのが分かった。

 ウィンデル様の言うことはもっともだ。

 同僚はそれとなく私がここを去った理由を知ってるとはいえ、エレス様とウィンデル様は本当の理由を知らないのだ。今回は指導の為に戻ってきたと言っても、逃げるように出て行った私がこうやってのこのこと戻ってきたら、不快になるのは当たり前だ。


「申し訳……」

「謝らないで」

「申し訳、ございません、ウィンデル様。申し訳……」

「謝らないでって言った!」


 白銀の髪が撥ねる。真っ赤な顔をしてウィンデル様が私に迫ってくる。


「ローラ!」


 彼の大きな手が私を抱き寄せる。

 知らない間に私の背を追い越したウィンデル様。肩幅も広くなって、声も心なしかもっと低くなっている。ほんの少し離れていただけなのに、ここには私の知らないウィンデル様がいた。


「姉、なんかじゃないからね」

「え……?」

「ローラは僕にとって姉なんかじゃないって言ったんだ。そりゃ、初めに会った時は僕は十にもなってなかったんだ。姉のように思ったことも……あったかもしれない。でも……それも初めだけだ。それに」

「それに……?」

「妹のただの世話役だとも思っていない。妹をいつも助けてくれる、そ、その……僕の……僕の愛しい女性ひとだと思っている」


 葉っぱの間から光が落ち、地面に虹色の模様を描いた。見上げると長めに切り揃えられた前髪の間から空の瞳が覗く。

 私の大好きな笑顔。その笑顔を見るといつでも胸が熱くなって幸せな気持ちになるのだ。


「ローラのお姉さんの事は知ってるよ。でもね、ローラはローラだ。僕も僕でしかない。それにね、僕と父の決定的な違いを教えようか」

「王、との違い?」

「そう。父は複数の女性を愛せる人だ。でもね、ローラ。僕にはそんな事は出来そうにない。気がついた時からローラしか僕の目の前にいないんだよ。それからずっとローラだけだ。昔も今も……」


 熱い唇が私の唇の上でちゅっと音を立てた。


「これからも」


 また一つ。今度は頬に。


「これは傷を治す為じゃないからね、言っとくけど」

「えっ……あ」


 額に一つ、そして頭の上にも。私の手を持ち上げて、小指へも熱が落ちる。


「残念ながらそんな力は僕にはないんだ。もしあったとしても愛しい人に初めて口付けするのに傷の治療なんかじゃ……悲しいし、嫌だよ」


 ウィンデル様はくすりと肩を震わせると、私の顎に手をかけた。彼の息が唇にかかる距離で、小さく私の名前を呼んだ。


「は、い」


 またもう一度。


「はい」


 七の樹から光の粒が落ちてくる。

 赤、橙、黄、青、茶、紫。私達の周りを嬉しそうに飛び跳ねて地面へと吸い込まれていく光の粒達。


「あれ……」

「どうしたの?」

「緑がないんです」

「緑?」

「赤、黄、青……あれは茶色だし、橙に紫。やっぱり、緑がない」

「……それはね、ローラ。七の樹もあなたの方から『緑』をくれるのを待ってるんじゃないかな」

「私から……緑を」

「そう。僕も七の樹だってこんなに愛を伝えているのに、本人は一向に答えてくれないから」

「あ……それは……」

「アレンダ…………届いたでしょう?」

「は、はい!」


 どうやってこの想いを伝えたらいいだろうか。ずっと準備してきた言葉がすぅっと消えてしまって頭の中は真っ白なのに。

 どうしたら。どうしたらこの想いが彼に届くのだろうか。


「泣かないで、ローラ」

 

 私の頰を流れた涙を唇で掬い取って彼は空の瞳を細めた。


「笑って、ローラ」


 私は微笑む。涙でぐしゃぐしゃの笑顔だけど、今の私の心からの笑顔。


「ああ、ローラ……大好きだ……大好きだ!」


 ああ、まずはこの大好きな笑顔から私達ははじまったんだと話すところからやってみよう。

 そしていつの間にか笑顔がこんなにも愛しい気持ちを育てたんだと伝えるの。

 想いに気づいてこうして伝え合う時が来るまでこんなに長い時間がかかったんだもの。

 これからも同じようにゆっくり、ゆっくり私達の愛を育てればいい。


「私も……私もウィンデル様が――――」


 だって二人の時間はたくさんあるんだから。



















最後まで読んで下さりありがとうございました。

お気に入りや評価を入れて下さった方へも心からの感謝を申し上げます。


川乃 亜由


追記:サブタイトルのみ変更しました。(8/26)


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