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第一話

 

 姉は王の恋人だった。

 それは許されない関係だった。なぜなら王にはすでに王妃と呼ばれる存在が隣にいて、その王妃は王の子どもを身籠っていたからだ。

 そんな三角関係に周囲の人々が気づかないわけがない。

 私がなにより残酷だと思ったのは、姉は王妃の世話役だったという事実。




 姉は私より十も上で、姉は十五で家を出て王宮で働き始めたので、私が覚えている姉はただ、時折遊んでくれた優しい姉だった、としか記憶がない。

 姉が十九で、私が九つの時、突然王宮から通達が来た。

 両親と共に王宮へ向かい、両親が中で話をしている間、外で待っているように言われ、仕方なく中庭で待つことになった。

 なぜか人に見られている、と感じたのは『七の樹』と呼ばれるとても大きな樹の前に立った時だった。 振り返って見れば、人はさっと視線を避け、私を避け、四方に散るように去ってゆく。

 急な知らせだったので、とにかく一番良い服を両親が慌てて探して着せてくれた。だから、格好に可笑しな所はないはずだと我が身を見て確認する。顔にでも何か付いているのかなと思ったけど、人々が去り際に「……の妹……」と姉の名前を口にしたことで、私は「ああ」と合点がいった。

 皆は私が王宮で働く姉の妹と知って避けているのだ。とすれば、きっと姉になにか良くないことがあったに違いない。私はなんとか人目を避けられる場所を探して、そこにうずくまり、ただとにかく両親が一刻も早く迎えに来てくれることを願っていた。


 そんな時。

 隣の茂みがざわざわと揺れた。なんだろうと目を凝らして見てみると、突然茂みの間から、真っ白の髪をした愛らしい子どもが飛び出してきた。

 私と目が合うなりその子どもはにっこりと微笑む。

 こちらもついついつられて微笑んだ。


「ぼく、ウィン。あなたのなまえは?」


 舌足らずの言葉でその子どもは右手を私に差し出す。

 手を取れ……ということかな? そう思って白く、小さな手を握る。


「わたしはローラよ」


 またまたにっこりと微笑む子ども。か、かわいい!

 その子の真っ白の髪は肩につくぐらいで、毛先は丸く、四方八方に跳ねていた。きっと三つか四つくらいだろう、その子が男の子だと分かったのは着せられていた服の様子からで、もし男の子と分からない服を着せられていたら、女の子と思ったに違いない。

 大きな蒼の瞳はその子が笑う度にきらきらと輝いて、それは王宮の壁が七色に輝くのと同じようだなと思った。

 彼の体のあちこちに泥やら葉っぱやらが付いていたので、それを払って落としてやる。ついでに髪も撫で付けるが、癖があるのか柔らかいせいなのか真っ直ぐにはならずに私は諦めた。

 私がする行動をウィンは大きな目をさらに見開いて見つめる。

 綺麗にし終わると、ウィンはたちまち笑顔になった。それに私もまたつられて笑顔になる。

 だが、彼の笑顔を見つめていたら、自分の笑顔はなんだか偽りのような気がするな、と心の隅でちらりと思った。そしてそれをウィンは感じたのかもしれない。なぜなら彼は


「どうしてかなしいおかお?」

 

と言って眉を下げたからだ。


「かなしい? そんな顔してないよ」

「かなしいおかお、みんな、かなしくなるよ。にこにこ、みんな、うれしい!」


 胸にツキンと刺さる棘。私は少し彼から顔を背けた。


「別に……笑ったからといって皆嬉しくなんかならないわよ。きっと私が悲しい顔をしている方が嬉しいわ。誰も私のこと好きじゃないもの」

「すきじゃない?」


 唇を尖らせながらウィンは首を傾げる。


「そうよ。母も父も姉が大好きで、私なんかどうでもいいの。かわいくない、ローラ。私なんか……」


 自分で言っておきながら、悲しくなってきた。その事実が胸に響いて、さっきの棘がズクズクと痛む。 私は思わず俯いた。


「ローラ、かわいい! ぼく、ローラ、だいすき!」


 ウィンはそう言うなり小さくて温かい手を私の頭に当てて、何度か撫でた。


「ウィン……」


 こんな小さな子にかわいいだの、大好きだの言われても別に嬉しくない! と一瞬思ったのだけど、ウィンの真っ直ぐで澄んだ空の色の瞳を見ていると、やっぱり心のどこかで嬉しいと思っている自分がいることに私は気づいていた。


「わらって、ローラ」


 これが私とウィンの出会いだった。




 私は一五になった。

 両親の反対を押し切ってでも王宮へと赴こうと思ったのは少々両親に対する反発の心があったかもしれない。

 姉が失踪したと分かった後の家はなんだか火を失くしたように静かで、それ以来、母と父の口論が絶えなくなった。家を出る手段としては結婚するか職を得ることの二通り。迷いなく私は職を取った。

 もしかしたら姉の失踪の理由を知りたいという思いが心のどこかにあったせいかもしれない。

 今までに分かっていた事と言えば、姉は王妃の世話役として働く内に王と男女の関係になったが、王には王妃がいた。子どもがいたにも関わらず二人は人目を忍んで会い続け…………姉は突如として消えてしまったということだけ。死んでしまったのか、誰にも告げず、誰にも見つからぬように王宮を去ったのかは分からない。彼女の行方を知るものは誰もいなかった。

 詳しい事実を知っているだろう王や王妃に直接聞くことももちろん叶わない。

 三人の間に何があったのか、それを詮索するつもりはなかったけど、どことなしか興味があったと言えば、それは嘘じゃない。

 姉が過ごした四年ばかりの時間はどんなものだったのか。なぜ姉は居なくなってしまったのか。

 真の理由は分からずじまいだった。

 歳の離れた姉と決して親しいと言える関係じゃなかったけれど……それでも姉だったから。姉と呼ぶ存在だったから――――無視出来なかったのだ。

 彼女は滑らかな金に薄茶が混じった髪をいつも細く幾重にも編み、それを後ろに一つにまとめていた。胸を張って、堂々と歩く姿は幼い私の脳裏にこびりついて今でも離れない。

 そんな姉の姿を追い求めるように、私は家を出た。

 そして、私は王と王妃の第二子である、姫君エレス様の准世話役として働くことから私の王宮での生活は始まった。




「ローラ、次はこれよ」

「ローラ、あれやっといて」

「ローラ、さっきの仕事は終わったの?」

「ローラ、もっと早く動けないの?」

「ローラ、これはこうするのよ」


 ローラ、ローラ、ローラ……!

 仕事初日からずっと朝から晩まで私の名前が呼ばれない時はなかった。

 私を指導してくれているのはエレス様の世話役のポーシャ。

 初めはたんなる嫌がらせで厳しいのかと彼女の事を嫌になりかけていたのだけど……

 ある日の夜、任された仕事がきちんと出来た時によく出来たお祝いだとして彼女が中庭で摘んだ色取り取りの小さな花束を私にくれた時、『ああ、この人は私をちゃんと見てくれている人なんだ』と思ったら涙が溢れた。


「あたしは近々ここを出るのさ。それで、ここを去る時までに必ずエレス様の世話役を育てるって王妃様と約束したんだよ。なんの力が働いたのか、よりによってどうしてあんたが王妃様の娘であるエレス様の世話役に選ばれたのか分からないけどね、あんたは言われた仕事はきちんと最後までやり遂げる根性のある女だ。あたしはあんな噂信じてない。あんたに期待してる。今まで、色々きつかったかもしれないけど、それはまあ、あたしなりの……愛情ってことでさ。あんたなら心残りなくエレス様を任せられるよ。エレス様を妹だと思うつもりで、まぁ、姫君だけどさ――愛を持ってお世話をして差し上げるんだよ。」


 ポーシャは唯一私の味方になってくれた人でもあった。

 どこから漏れたのか、私が働き始めてすぐ、私がかつての王の恋人であった女の妹だということが周囲に広まってしまった。

 いたたまれなかった。

 私自身が王の恋人だったわけじゃないのに、廊下をすれ違う度に人々は

「まあ、あの女とよく似て王をたぶらかしそうな顔をしてること」

だの

「おいおい、最近新しく王に恋人が出来たらしいぜ――――まさか妹だったりしてな」

と去りゆく私の背後でわざと私に聞こえるように声を張り上げた。

 そんな声を聞く度にポーシャだけが私を庇ってくれた。励ましてくれた。

 だから、私は彼女がいる間になんとか強くなろうと涙を流す事をこらえた。彼女はもうすぐここを去るのだからその後はどうするの。一人で耐えなければならないのだから。


 しばらくしてポーシャは王宮を去り、私はエレス様付きの正式な世話役として働き始めた。

 そんな中、中庭であの男の子と再会したのはポーシャが去ってすぐの頃――――

 

 私は初めて王宮を訪れた時のように七の樹の端にある茂みの近くで丸くなっていた。

 ここはいつも人の行き交いが激しい中庭でもほとんど人が来ない場所だった。七の樹を見て楽しむには正面に開けて座れる芝の上が人気だ。七の樹の後ろ側は背の高い木々が植えられ、また別の区域の庭へと繋がっている。その木々の間の茂みの中にぽっこり空いた空間があるのだ。

 地面に座っていれば木々が私を隠してくれる。そこは王宮での私の唯一の憩いの場所でもあった。上を見上げれば木々の隙間から蒼い空が、後ろを向いて木々の間に目を凝らせば見事に七色の葉っぱを茂らせた七の樹を見ることが出来る。

 主であるエレス様が母君と過ごされる時間だけが唯一の私の自由時間だった。

 その間に自分の身の回りの事を一気に済ませてしまう。溜まった繕い物をしたり、寒くなる季節に備えて編み物を始めたり、両親に短い手紙を用意したりする。ちくちくと続く同僚達からの嫌がらせから逃れて色んな事を片付けているとあっという間に時間は過ぎ、そしてまた再び仕事へ戻る時間がやってくる。


「戻りたくない。でも戻らなきゃ……ああ!……だめよ。そんなこと口にしたら本当に戻りたくなくなっちゃう……」


 エレス様は今、三歳で、朝から晩まで元気いっぱいのお姫様だ。

 いつも一生懸命私に何かを伝えようとしてお話をして下さるのだが、その半分は支離滅裂。私はいつも笑顔を顔に貼り付けて相槌を打つ。そうすれば、エレス様はたちまち笑顔になってもっともっとお話をしようとするのだ。彼女が幸せに健やかに毎日を過ごせることが私の仕事だから、話の内容が分からなくても彼女が笑顔ならいいか、と思っている。

 長くて細く真っ直ぐな髪は毛先だけ丸くなっていて、彼女が歩く度に、風が吹く度にあちらこちらに揺れる。肌は白いが、彼女の頰と唇は桃花のように桃色をしていて、愛らしい。

 もしこんな妹がいたのなら私の家族はもうちょっと違ったのかな……と思ってみるけど。

 もしもなんて考えないのよ、ローラ。惨めになるだけなんだから――――といつも考えを切り替える癖がついた。


 そのエレス様には六つ年の離れた兄がいる。

 ウィンデル王太子様だ。

 そして彼こそが私がかつて出会った、あの愛くるしい男の子だと気づいたのは、私が休憩時間をもうすぐ終えようとしている時だった。


 繕い終わった服を片づけ、立ち上がろうとしていた時。

 斜め正面の茂みがザワザワと音を立てた。そして現れたのは、一人の少年。白に銀が混じった髪を持つ男の子だった。


「―――――――えっ!?」


 彼は私を見つけるなり、悲鳴を出しかけていた私の口を塞ぐ。


「しーーーーっ!」


 静かにしろということなのだろう。彼は私が頷くのを見て手を私の口から外す。


「ごめんなさい。誰かいると思わなかったから。ちょっと動かないで静かにしてて」

「は、はい……でも、どうして?」

「ちょっと逃げてきたんだ。だから、見つかるとやばい」

「逃げて?」

「訓練だよ」

「訓練?」


 王宮を預かる警備係の訓練生なのかと首を捻るも、彼は少々幼い様子に見えたし、彼が纏う服も訓練生のものとは思えないほど立派である。では、この子は一体誰なのかと素性を聞こうとした私の耳に彼を探す声が届いた。


「ウィンデル! まだ訓練は終わっとらんぞ! 出てこーい! 出てこんなら明後日の遠出はなしにするぞ!」


 私は目の前に座る少年を見る。


「ウィンデル? ウィンデル様、です、か。もしかして……」

「え? ああ、そうだよ?」


 いまさら気づいたのかという素振りを見せた少年は膝を立てて座り、丸まった。

 唇をとがらせ、蒼い目を瞬かせる。


「お爺様の訓練は大変なんだ。明日はきっと一日中起き上がれない。明後日だってきっと体がだるい筈なんだ。せっかく楽しみにしてる遠出に元気なままで行きたいのに」

「でもさっき、出て来なければ遠出はなしにするっておっしゃってましたよ」

「ずるいよ……」


 ますますウィンデルは膝を抱え、両目には涙が光っていた。


「僕は訓練あんまり好きじゃないんだ。エレスが大きくなれば同じ事をしなきゃいけないんだから、僕はあいつに任せるんだ。僕にはどうせ素質がないんだし」


「ウィンデル!」


 二度目の怒声が響く。

 あまりの声の大きさと激しさに私達の肩は同時に跳ね上がった。そして彼を再び見下ろせば彼の赤くなった頰にとうとう涙が伝ったのが見えた。

 私はくすりと笑いを零した。

 ここは私だけの隠れ家と思っていたのに。どうやら彼も時に利用するらしいわ。

 私がいない時に来て時折こうやって涙を流すに違いない。私がいつもするように。

 彼と私がここを利用するのは全く違う理由だけど、なんだか自分自身を見ているようで、私はこの時、彼の為に何かしたいと思った。


「ウィンデル様。男の方がそんなに簡単に泣いては笑われてしまいます」


 ウィンデルは俯いていた顔を上げる。


 私はこの時、気づいたんだ。

 初めて王宮へ来た時に私を励ましてくれたのはこの少年だったんだって。

 ああ、彼の空の色の瞳は私の心を捉えて離さない。なんて吸い込まれてしまいそうな蒼。


「その思いをお爺様に伝えてみられてはいかがですか。お爺様だってウィンデル様に嫌がらせをしたくて訓練をしろと言っているのではないと思います。訓練が嫌いなこと。どうして嫌いなのか、その理由を付けて。そして明後日の遠出に行きたいが、今日無理をしたらそれは叶わない。だから、いつもより程度を押さえた訓練、それでいて中身の充実した、翌日体に響かない訓練にしたいこと――――ここでこうして座っていては何も前には進みません」


 自分で言っていて、それは自分に言い聞かせているようでもあった。


「涙を拭いて、土を払って。髪と服を整えて、ね? 逃げては何も始まらない。はい、笑って」

「笑う?」

「笑えば、みんなが嬉しくなるんです。はい、笑顔」


 私は笑顔を作る。

 それを見たウィンデル様は、「なんかそれ、作り笑いだな」と呆れた顔をしたが、袖で涙を拭うと服に付いていた土や葉っぱを払って私に向き直った。


「笑えばみんなが嬉しくなるか……でも、それは間違いだね」

「間違い?」

「ここにいるのは僕達だけだ。だから、僕が笑えばあなたが嬉しくなるし、あなたがその作り笑顔じゃなくて心からの笑顔を見せてくれる時は僕が嬉しい」

「は、はぁ……」


 なんだか分かったような分からないような理屈に私は気の抜けた返答をする。

 そんな私の様子にくすくすと肩を揺らしてウィンデル様は笑顔を見せてくれた。


「ありがとう。元気が出た。僕、お爺様と話してみるよ。お爺様は父様とは違うから、話せば分かってくれる人だ。それは知ってる」


 ウィンデル様は立ち上がる。そして私に右手を差し出した。

 これは……手を取れということなのかな? 

 私はおそるおそる右手を重ねる。


「あなたは誰? ここで働いてるの?」


 彼は私を引っ張り上げ、私を立たせる。まだ幼い彼の中のどこにこんな力があったのか不思議に思わせる。


「ローラと申します。エレス様の……」


 世話役だと言いかけて、続きは三度目の怒声に阻まれる。


「ああ! 行かなきゃ! またね、ローラ!」

「は、はい!――――きゃっ!」


 元来た茂みを走り抜け、ウィンデル様はあっという間に居なくなってしまった。

 風の様に現れて去っていった年下の王太子。


 私の右手にほんわりとした唇の温かさを残して。














誤字のみ修正しました。(8/28)

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