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Rehearts  作者: If
怒の章
34/71

2:黒を纏う者 【Ⅱ】   窮地

 切れてきた息を繋ぎながら、ユウラは駆け続けていた。敵は、追跡されていることには気付いているはずだった。場所は森、視界は悪い。振り切ろうと思えばいくらでも振り切れるはずなのに、敵は黒衣をはためかせながら真っ直ぐ真っ直ぐ走る。いったいどこへ? 追いつつ、ユウラは頭に地図を描いた。エルティから北東の方角には、森を出たところに町が一つあるだけだ。人の足では一日ほどかかるはず。しかし、子どもを抱えたままそこまで走るつもりでいるのか。目的も分からない。黒獣を従えていたように見えたのも気になる。太い木の根を飛び越えてから、ユウラは背後へ首を回した。森の入り口はもう視認できない。敵は一人とはいえ得体が知れない、深追いは禁物だ。ただ、人質がいる。安易に引き返すわけにもいかない。


 そのとき、敵が足を止めた。槍を両手で握ってからユウラも立ち止まる。なぜ止まった? 意図が全く分からない。軽く身構えて、敵の姿を凝視する。葉がそよいで木漏れ日が揺れた。湿った土の匂いがする。黒衣がゆっくりと振り返って、片腕を上げると、ぱさりとフードが落ちた。


「君が追ってきたんだね」


 見覚えのある顔に、聞き覚えのある声だった。思わず、ユウラは構えを解いていた。


「あんた……」


「覚えていてくれたんだね、嬉しいよユウラ。久しぶり。ハリアル支部長とセトは元気かい?」


 育ちの良さをうかがわせる上品な笑みは、昔と変わらない。けれども支部内の女性陣が絶賛していた彼の容貌は、ユウラの記憶とは大きく違ってしまっていた。頬はこけて青白く、落ち窪んだ目がぎらぎら輝いている。面影から彼と理解はできるが、まるで人が変わってしまったかのようだ。


「どうしてあんたが?」


 ユウラは槍を身体の前に戻した。改めて警戒する。


「どうしてかって? もちろん北支部の皆にお礼をしに来たんだ。僕に新しい道を示してくれたから……特に、ハリアルさんとセトには世話になったね」


 かつての仲間は喉を鳴らした。こんな笑い方をしていただろうか。走った寒気に、ユウラは槍を持つ手に力を込めた。目を動かして子どもの姿を探す。じっくり探したが見当たらない。


「あんた、子どもを一人連れてったでしょ? 返して」


「返す? まるで自分の子どものような口ぶりだね。ああ、もしかして。誰の子かな?」


「御託はいいからさっさと返しなさい。支部に復讐しに来たんなら、町民は無関係なはずよ」


「復讐って言葉を使ったということは、君は僕の無実を知っていた。そうだね?」


 全く話の通じないところは変わっていないらしい。溜息を一つ落として、ユウラは再度言った。


「だから、先に返して。話はそれからいくらでも聞くわ」


 歯を見せて、歪んだ笑みを浮かべる。やはり、記憶の中の彼とは随分違う。支部を追い出されてから二年ほど経つはずだが、その間に、彼——デリヤの身に何が起こったのだろうか。枝葉がざわめいた。


「そういうところ、君はセトに似てきたね。虫唾が走る」


 やはり、北支部を相当恨んでいる。だが。ユウラは顔を俯けた。確かにあの件は少々強引だった。デリヤと中央と通じている確固とした証拠なんてなかった。四年間やってきて支部長の命を疑問に思ったのはあの一件だけだったが、あれだけは今でもユウラの胸にしこりとして残っている。おそらく、セトも。デリヤに対する罪悪感がないわけではない。けれども、今はそれとは別の問題だ。


「子どもはいない。いや、最初からいなかったと言うべきだね。君の見間違いじゃないかな」


「とぼけるのはよして。あたしが見間違うとでも?」


「なら、その子どもは今どこにいるんだい?」


 デリヤは纏った黒衣を解いた。確かに、どこにも子どもの姿はない。エルティの門の傍で姿を見かけてから、ユウラはずっとデリヤの後背を追っていた。子どもを解放するいとまなどなかったはずだ。一体どこへやったのだろう。最初からいなかったということには頷けない。子どもを攫う現場はこの目で見た。あれが見間違いだとは思えなかった。デリヤはまた不気味な笑い声を発する。


「人質を背負って走るなんて、重いじゃないか。だから人質には、自分で来てもらうのが一番だって思ってね」


「あたしを人質にするつもり?」


「もう少し手軽な人質が良かったんだけど、仕方がないからね」


「できると思ってんの?」


「さあ。やってみないと分からないね。でも、覚えてるよね。君が僕に勝ったことはあったかな」


 懐かしい映像が蘇った。型にはまった、名のある者に手ほどきを受けたのであろう流麗な動き。彼は確かに強かった。瞼を落として記憶を追い払う。二年間、遊んできたわけではない。


「大体、あたしを人質にしてどうするつもり? あんたの目的は何? どうして黒獣とつるんでるの?」


 ユウラが一挙に尋ねたが、デリヤは微笑むのみで一つとして答えない。槍を寝かせた。やるしかなさそうだ。素早く辺りを見渡す。ここは大木が数多い森、長物は分が悪い。うまく立ち回って、槍を自由に扱えるだけの空間を常に確保しなくてはならない。傍の幹から距離を取った。槍を二度回転させるのはいつもの癖だ。


「君たちが悪いんだよ」


 デリヤが緩やかに剣を抜いた。弧状に反った刃の特別な剣を使うのは今も同じらしい。相変わらず腕は確かのようで、構えも刃も美しかった。


「僕が中央の内通者だなんて、ひどい冗談だよね。誰よりも中央を憎んでいたのはこの僕だったのに。あのときの僕の怒りが、君たちに分かるかい? 分からないだろうね。だから、分からせてあげるんだ」


 次の瞬間、デリヤはユウラの懐に迫っていた。


「まずは、君から」


 ユウラの目前で白刃が煌いた。引き寄せた槍の柄でどうにか防ぐ。しかし、槍を容易く扱えない間合いに入り込まれてしまった。以前の彼には、ここまでの速さはなかったはずだった。


「ほら、そのままじゃ防戦一方だ。どうするんだい?」


 二振り目、三振り目も何とか捌くが、回を重ねるたびに猶予が短くなっている。現に三振り目は右の二の腕を掠って、鈍い痛みが広がった。このままでは押され負けてしまう。どうにかしなければならない。四度目を受けると同時に、力一杯押し返した。そのまま後ろへ下がって距離を取る。一息ついた。


「相変わらずの怪力だね」


「誉め言葉として受け取るわ」


 今度はユウラから仕掛ける。距離を詰めて足を払うように槍を薙いだが、読まれていたらしく跳んで避けられた。しまった、と思うが遅い。槍が流れた状態で懐に入られる。


「見え見えなんだよ。僕を殺したくないんだろう?」


 蹴りを入れようとして振り上げた足が、デリヤに届く前に止まる。身体から力が抜けて、そのまま横に倒れた。鳩尾に剣の柄が食い込んだのだ。


「くっ……」


「これで十八勝二分けだ」


 立ち上がろうとするが、足に力が入らない。立てた腕が震えて、どうにか持ち上げようとしていた身体が再び落ちた。視界が黒く濁っていく。


「セトは間に合うかな」


 無抵抗な身体が持ち上げられるのが分かった。人質などになって堪るかとは思っても、身体は鉛のように重たくて、指一つ動かすことも叶わない。


「君が死ぬまでに、来るといいね」


 最後にその声を聞いたきり、ユウラの意識は闇に沈みこんだ。




 黒い霧が晴れていく。瞬く。どうやら建物の中らしい。ユウラはゆっくりと身体を起こした。二の腕からの出血は止まっているが、鳩尾に鈍痛が残っている。


 手枷も足枷も、呪封じさえもなかった。そういえばデリヤはユウラが呪を使えることを知らない。彼女自身はもともと素質に恵まれていなかったのだが、テイトに助けてもらいながらなんとか精霊と契約までこぎつけ、それから繰り返し鍛練を積んだ。拙いながらもどうにか操れるようになったのは、つい最近の話だ。さすがに武器は取り上げられたようだが、これはチャンスだ。敵の目を盗んで抜け出そう。ユウラは目を凝らしてみるが、明かりはほぼない。闇に慣れるまで時間がかかりそうだ。


 と、察知した複数の生き物の気配にユウラは身を硬くした。周囲を囲まれている? まだ目はしかと見えない。だが、耳は確かに四方で何か重いものの動く音を拾っている。ユウラは息を殺して、目が慣れるのを待った。徐々に浮かび上がってきた光景に、愕然とする。周囲はすべて檻になっていて、そのどれもに黒獣が捕らえられていた。血に飢えた獣はユウラへ牙を剥くが、届かないことは悟っているらしい。動こうとはしなかった。なるほど。吐息を漏らす。これなら手枷も足枷も必要ない。生身の人間がこれだけの黒獣を相手にできるわけがない。遠隔呪が使えるなら話は別だが、高度な技術が必要になる。無論、ユウラには扱えない。


 けれども大人しく捕まっておくこともできないわけで、ユウラは立ち上がった。ただでさえ大変な時期だ、支部に、仲間たちに迷惑をかけるわけにはいかない。どうにかしてここを抜け出さなくては。頑丈な柵だが、間隔は広い。もとより人をとざすことを目的として作られてはいないのだろう。なんとか通れそうだ。やはり問題は黒獣の方だった。まだまだ初級レベルのの呪だけで、どうやってこの数に立ち向かおうか。それにしても、デリヤはどういう方法を用いて黒獣を従えているのだろう? 黒獣は狂暴にして凶悪、何者にも従わずただ己の本能のままに行動し、人を食らう。教官にはそう教えられたし、巷でもそう言われている。一人でこれほどの数を捕らえたのだろうか? だとしても、この巨体を一人で運ぶことは難しい、いや、不可能なはずだ。


 それに、ここはエルティからそう離れていないはずだ。途中で意識を失ったから確かではないが、あれからそう時間は経っていないように思える。森を出るところまではまだ到底来ていないはずだ。森の中に建物が? 記憶を探って、一つの可能性に行き当たる。予想が当たっているなら、そんなに大きな建物ではない。この場所さえ突破できれば後は簡単に抜け出せそうだ。


 無茶はできない。怪我でもすれば、かえって迷惑をかけてしまう。黒獣の関心が薄れるのを待って隙をついて抜け出さなくては。ユウラは慎重に四方を窺った。


 ——君が死ぬ前に、来るといいね。


 ふいに耳に蘇った声に背が冷える。もしこの状態で黒獣たちの前に放り出されたら、と考えて、慌てて首を振った。不安になっても脅えても、何にもならない。どんな状況でも冷静でいた方が良いに決まっている。分かっていても、中々身体に熱は戻らなかった。弱い自分に苛立ちながら、ユウラは深呼吸を数回繰り返す。


 守られる側ではなくて守る側でありたい。己を奮い立たせるときは、いつも初めて槍を取ったときの気持ちを思い出す。数年前の自分は、今回もまた、ユウラを励ましてくれた。


 落ち着いてきた頃、扉を開く音が耳に届いた。それから靴音が響く。やがて姿を現したデリヤは、柵の向こう、黒獣たちの間を悠然と歩み、ユウラの前まで進み出た。その間、黒獣たちは微動だにしない。


「……こいつら、あんたが操ってんの?」


「そうだよ。僕が作り出し、僕が従えている」


 言い、デリヤは恍惚とした表情で黒獣たちを順に眺める。悪寒が走った。


「いつからそんな芸当ができるようになったの」


「僕は選ばれたんだ」


「選ばれた?」


「そう。僕だけが選ばれた」


 すっと、デリヤが黒衣から右腕を伸ばした。身構えたが彼は指を鳴らしただけだ。広間に光が溢れる。おびただしい数の黒獣の姿があらわになった。しかし、それよりも。ユウラは息を呑んだ。


「光呪?」


「何かおかしいことがあるかい? 君たちだろう、僕が中央と組んでいると言ったのは」


「あんた……本当に?」


 彼は血色の失せた唇だけで、笑う。


「本当に? 君たちは中央の密偵だと確信していたから、僕を追い出したんだろう? それとも違ったのかい」


「あんたの部屋に中央からの指令書があった」


 見つけたのはセトだ。ユウラも傍にいた。その事実に間違いはない。だけど、中央とデリヤとの繋がりを示すものはそれだけだった。それだけだったのに、支部長は即デリヤを連行させた。


 ——本当にデリヤを連行するの?


 ——……それが、支部長命令。


 答えたセトは、珍しく迷っていたと思う。その一件以降、支部長命令至上主義だった行動方針が変わったことも合わせて考えれば、おそらく彼もユウラと同じ考えだろう。あの追放は早計だった。


「そう、指令書。たったそれだけだ。それだけで僕を追放したんだよね。半年以上も一緒に仕事をしてきた僕を」


「……あんたが無実だったとして、それならどうしてそう言わなかったの? 黙ってちゃ分からない。庇いようもないわ」


「仲間に疑われるのがどれだけ辛いことなのか、君には分からないんだ」


 思わず言葉を失った。そんなユウラに冷たい一瞥をくれてから、デリヤが鼻で笑う。


「今さら分かってもらっても困るけどね」


「無実だったの?」


「そう、僕は無実だった。支部を放り出されて僕は一人になった。町にはいられなくなって、でもどこにも行くところはなかった。復讐を果たそうと中央へ乗り込んで、そのときに僕が認められ、選ばれたんだよ」


「復讐?」


「母上の故郷はワグレだ。ちょうど里帰りしていて……戻られなかった。ワグレは中央の仕業だ。母上はいつも仰っていた。中央は民を欺いている、正さなくてはならないと」


「……そう」


 デリヤは、誰よりも早く真実に辿り着いていた。あのときの追放がなければ——もっと早くにデリヤからこのことを聞き出せていたとしたら。エルティを襲撃させる前に何か手が打てたかもしれない。


「その分だと、気づいていたのかい?」


「最近ね」


「ワグレが潰されたときに理解するべきだと思うけどね。本当、無知で暢気な奴ばかりで腹が立つよ」


「あんたも相変わらず腹の立つ奴よ。それで、ならなぜ中央へ加担したの?」


「簡単な話さ、僕の復讐対象が君たちに変わったからだよ」


 おかしい。追放された直後は中央へ向かったのに、なぜその後に目標が変わった? 問う前に、デリヤが背を見せる。ユウラから遠ざかっていく。


「面白いものを見せてあげるよ」


 立ち止まったところに、大きな四角い鏡があった。鏡なのに何も映していない。奥で黒いものが絶えず入り混じり、渦を成している。なぜか、身が震えた。あれは、何だろうか。とても嫌な予感がする。


「黒獣は黒い思念の結晶。こうして取り出して、僕が形にするんだ」


 デリヤが腕を鏡の中へ伸ばす。面が波立ち、黒い靄が流出して、ユウラの目の前まで漂ってくる。一歩、足を引いた。靄は集まり、渦巻き、増殖し、脈打つ。冷えるのに、手のひらにはじんわりと汗がにじんだ。これは、何だ?


「セトたち、着いたみたいだ。君の役目は終わった」


 目。目だ。見られている。猛烈な飢餓に喘ぐ目に。背中に手を回す。立ち向かうための武器は、そこにはない。今度聞こえた心音は、きっと、ユウラ自身のものだ。間近で上がった咆哮に、身がすくんだ。どういう仕組みか、他の黒獣を捕らえていた檻も、残らず形を崩していく。


「目障りだから、もう、いいよ」


 質量だけ持つ声が、そっと、ユウラに告げた。

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