2:白い魔手 【Ⅲ】—1 疲労
入り口付近に繋いでいたミンを厩へ戻しに行ったダーフと一度別れ、ランテはセトと食堂を目指していた。その途中で剣を返してもらった。腰に提げる。この先これを使わなければならない事態になる可能性が高いことを考えると、自分から引き受けたとはいえ気が重かった。しかも、きちんと扱えるかどうかも分かったものではないのだ。こんな自分が本当に役に立てるのだろうか。不安に胸が曇る。気づかれたのか、セトが言った。
「中央軍と戦闘になっても今回は後方支援を頼む予定だから、なくても大丈夫だとは思うけど一応な。心配なら手合わせでもしとくか? 相手になるけど」
「ありがとう。でも遠慮しとく。たぶんオレ、まだ手合わせなんて出来るレベルじゃないと思うんだ。ちょっと一人で練習してみる」
「そっか。だけどお前の場合は、これまで積んでた経験を思い出せばいいんだから、実戦練習の方が勘を取り戻しやすいかもしれない。気が向いたら言えよ」
「ありがとう。そのときはお願いする」
これだけ広い支部なら、一人で剣を振り回せるスペースなどいくらでもあるだろう。せめて自分の身は自分で守れるようにして、セトたちに迷惑をかけないようにしなくては。
「了解。それじゃ、まずは食事だな。そこの渡り廊下の先が食堂だ」
分かれ道に来て、先へと伸びる二つの渡り廊下のうち右手側を指したセトに従い、ランテは右に折れた。廊下の奥から食欲をそそられる匂いが流れてくる。昨日の晩もたらふく食べさせてもらったはずなのに、またもや腹が減ってきた。
食堂はかなり広くて、昼時をいくらか過ぎた時間であるにもかかわらず、結構な数の白軍たちで賑わっていた。厨房で料理をしているノタナがランテとセトの姿を認めて、にっと笑う。
「よし、来たね? すぐ並べるからどっか適当に座って待ってな。ダーフも後から来るんだろうね?」
ランテが頷くと、ノタナはそうかいと満足そうに笑って鍋に顔を戻した。すぐ近くに空いてる席を見つけて腰かけようとしたら、向こうから二人がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。セトがランテの視線に気づいて、それを追う。
「よう、セト。久しぶりじゃねぇか」
「セトー! 久しぶりー! あれ、隣の子は?」
男女一人ずつだ。先に声をかけてきた男は、セトと同じくらいの身長だがセトよりも体格がいい。軽鎧を着て、大きな鉾を背負っている。快活そうな目に、茶色い髪の若者だ。戦い慣れしているのだろう、露出した腕には多くの傷跡が刻まれている。女の方は黒い髪をポニーテールにしていて、茶色い目は大きく丸い。こちらはセトやユウラたちよりも少し年下のように見え、弓を持っている。北支部の戦士たちだろう。
「お前ら戻ってたのか? ……ああ、こっちはランテだ。ランテ、男の方がアージェ、女の方はリイザ。リイザの方は幼く見えるけど、二人ともオレより長く白軍やってる。北支部はオレのが長いけどな」
「お、セトの推薦か? こいつぁ楽しみだ。おいお前、後で一戦やろうぜ」
「あら、新入り? かわいいわね。どうぞよろしく。ところで、お姉さんと遊ばない?」
セトに紹介されて、アージェは背中の鉾を鳴らし、リイザは満面の笑みを浮かべながらランテに手を差し伸べた。アージェの方は笑いながら今にも切りかかってきそうな気がするし、リイザの方はただの挨拶にしては危ない気配が漂っていて、そのまま握手をしてしまっていいのか迷う。困惑したランテは、セトを見上げた。笑っている。
「適当に答えとけばいいよ。大丈夫、二人とも馬鹿だから」
「あ? お前喧嘩売ってんのか?」
「いやーん、セトったら、私が別の男口説いたからって妬いてるの? かわいいわねえ、もう」
即刻答えた二人を見てまた笑い、セトがほらな、と続けた。アージェの方は本気で怒っているようにも見えるが大丈夫だろうか。とりあえずリイザと握手を交わし、アージェとも同じように握手してから、ランテも挨拶しておいた。
「ランテです。よろしく」
「おう、よろしくな」
「ランテちゃんね? 了解、了解!」
ちゃん付けはやめてほしいけれど、言えばもっと悪化しそうな気配がしたのでやめておいた。困った顔をしていたからか、またもやセトに笑われる。二人とも人は良さそうだけれど、なんというか、初対面から強烈すぎる印象を受けた気がする。特にリイザはランテがこれまでに見たことがない――とは言ってもほとんどの記憶を失っているのだけれど――タイプである。
一段落したところで少し真剣な顔に戻って、セトがアージェを見遣った。
「で、アージェ、お前まだ支部長に報告行ってないだろ」
「俺は真っ直ぐ行くつもりだったんだ。でも、さっきそこでばばあに見つかっちまってよ」
「だーれがばばあだって?」
ちょうど料理を運んできていたノタナと目が合ったアージェは、はっと息を呑んで一歩後退した。ものすごい剣幕でにらまれて、先ほどまでは大きな態度を取っていたアージェでさえも肩をそばめる。その様子がおかしくて、悪いとは思いながらランテはつい吹き出してしまった。ノタナの鋭い視線が、今度はランテに飛んでくる。
「ランテ! あんたも何笑ってんだい?」
「あ、いえ。その……すみません」
真っ直ぐ睨まれて始めて、アージェの気持ちが分かった。これは怖い。今度はセトだけでなくアージェにもリイザにも笑われる。釣られてランテも笑った。記憶を失ってから始めて、楽しいと思えた瞬間だった。
「大雑把に言えば、こんな感じだ。後は支部長から直接聞いてくれ」
ざっくりとこれまでの経緯を説明し終えて、セトが一息ついた。ランテ、セト、アージェとリイザ、そして戻ってきたダーフとで囲った食卓は食べきれるか不安なくらいの料理の数々で埋められていたが、今はもう数品を残して皆の胃袋に納まった。ノタナの料理は本当においしい。最も多く食べたはずのアージェは、今もなお手を止めていない。彼はそのままで尋ねた。
「支部長は今何やってんだ?」
「たぶん策を練って……情報収集も始めてるかもれない。お前たちが早めに帰ってきてくれて助かったよ。ほんと人手不足でさ。兵はいても、部隊を率いる奴がいない」
セトの声には、わずかに疲労が滲んでいた。三日も寝ていないのなら当然だろう。心配になって、ランテは横から声をかけた。
「セト、ちょっと休んだ方がいいよ。さっきのハリアルさんの話では、中央も今日は動かないみたいだし」
「大丈夫だ。これくらいなら慣れてる。じゃ、皿も全部空になったし、もっかい支部長のところへ――」
言いながら椅子を引いて立ち上がったセトが、瞬間、ふらりとよろけた。負荷を受けて揺れた椅子が、がたり音を立てる。背もたれに捕まったおかげで倒れはしなかったが、それがなかったら危なかったかもしれない。
「セト!」
四人の声が重なった。さん付けのダーフはその分だけ遅れたが。食堂が一瞬静まる。皆の視線がランテたちのテーブルに集まった。ノタナも厨房からこちらへ心配げな顔を向けている。右手で背もたれを支えにしたまま、左手は額を押さえて、セトは少しだけ笑んだ。その指の間から垣間見える目は、まだ焦点を定められていない。
「そんな心配するなって。ただの立ちくらみ。すぐ治るから」
声はしっかりしているが、よろけるほどの疲労なら尋常ではない。ランテは首を振った。
「理由もなく立ちくらみしたりしないと思う。セト、やっぱ休んだ方がいいって。休めるときに休んどかないと」
「新入りの言うとおりだ。おめえはすぐ無茶しやがるからな。黙って休んどけ」
「この私もいるし、大丈夫よ。ゆっくり休んできて」
「支部長も、きっとそう言われると思います」
ランテ、アージェ、リイザ、ダーフに口々に言われ、セトの笑みは苦笑に変わった。背もたれから腕を放して、立つ。もう目ははっきりと焦点を定めていたが、顔色は悪い。昨日会ったばかりのランテにも分かるほどなのだから、よほど調子が悪いのだろう。
「こんなときに、休んでる場合じゃ」
「焦らなくたって、おめえの代わりは俺が十二分に果たしてやるから気にするな。いざってときに足手まといになられたんじゃ、堪ったもんじゃねぇ」
アージェが言う。言葉だけを聞いていると冷たく聞こえるが、セトを慮ってのことだろう。セトはも分かっているらしく、少しの間迷ってから折れた。
「……分かった。なら、ハリアル支部長のところで話を聞いて、テイトの様子を見てから、少しだけ休ませてもらうよ。悪いな」
「ちゃんと休んでくださいね」
ダーフに念を押されて、セトは苦笑を深めて頷いた。