2-6 気持ち
またまた更新が遅くなってしまいました。申し訳ありません。
次はいつに更新できるやら、ちょっと不安ですが途中で投げ出すのもいけないので、次話更新します。
翔太は安奈のあとについて、体育館の廊下を歩いていた。すれ違う生徒はみなジャージやユニフォームを着て、試合独特の緊張感が廊下にもあふれている。
しかし、そんな興奮したような緊張感とは全く別種の緊張感を、翔太は感じていた。どこかうれしい気もするのだが、しかし後ろめたさと気恥かしさが入り混じったようなこの感覚。思わず周りを歩く人の視線を気にしてしまう翔太は、無意識のうちに挙動不審になってしまう。試合前に緊張することはよくあることだが、なぜ試合とは別のことに対して緊張しなければならないのか。
そんなことを考えているうちに、多目的トイレに到着した。通常ならば、車いすの方や障害者の人が利用するような場所であり、翔太や安奈のような人が入るような場所ではない。しかし、安奈は何のためらいもなくその横開きの扉を開けた。中は車いすの人が入っても十分なスペースが余るように、広々としたつくりになっていた。
「ほら、早く入って。人に見られたくないでしょ」
さすがの安奈も小声で促す。今はたまたま廊下に人はおらず、入るには絶好のタイミングだった。翔太は周りを確認してから、安奈の顔を見る。
「先輩、本当にやるんですか?」
「いまさら何言ってるの! ほら、早く」
グイッと手を引っ張られて、翔太は多目的トイレの中に強引に連れ込まれた。扉が閉まり、安奈がカギをかける。
二人入っても、十分ゆとりがあるスペース。これなら楽に着替えもできるだろう。
そこまで考えて、翔太は頭を振ってその考えを打ち消す。着替えるって、この密室で二人きりの状態で、着換えろというのか。上半身ならまだしも、下半身をである。ハーフパンツの下にはトランクスを履いているとはいえ、抵抗が全くないわけではない。
それは安奈も同じはずである。そもそも、一緒に着替えるといってもどうするというのだろう。この状況下では、翔太だけでなく、安奈もハーフパンツの下を見せることになってしまうのだが。
「それじゃ、翔太は後ろを向いて、ハーフパンツを脱いで」
鍵がしっかりしまっていることを確認した安奈は、翔太にそう指示した。ええ? と翔太はうろたえる。
「でも、それじゃ僕ハーフパンツの下見せることになるんですけど…」
「別にいいじゃない、男なんだし。まさかノーパン?」
「ち、違いますよ!」
顔を赤くして、翔太は反論する。冗談よ、と安奈は笑ったが、それでもすぐに笑いを引っ込めた。
「まあ、ちょっと嫌かもしれないけど、時間がないから協力して。ほら、早く」
まだ少し抵抗は残っていたが、翔太は覚悟を決め、安奈に背を向けてからハーフパンツを脱いだ。そのまま、顔を後ろに向けずにハーフパンツだけ後ろに差し出すと、そのハーフパンツがすぐさま手からもぎ取られた。
「ありがとう。いいっていうまでこっち見ちゃだめよ。しっかり見張りながら着替えるから」
「わかりました」
心臓が早鐘を打つのを感じながら、翔太は答える。その答えを聞いてから、後ろでハーフパンツを脱ぐ音が聞こえた。
ごくり、と思わず翔太は唾を飲み込む。ハーフパンツを脱いだ状態を安奈に見られている恥ずかしさが先ほどは強かったが、全く別の意味で今は緊張している。自分がハーフパンツをはいていないとか、それを安奈に見られているとか、そんなことはどうでもよくなり、無意識のうちに体全体が耳になり後ろの音を聞こうとする。わずかな衣擦れの音だけで、意識してもいないうちに変な妄想が膨らみ、口の中が渇く。後ろを向いてしまいそうになる首を理性で必死にコントロールし、音を聞かないようにと言い聞かせる。しかし、そうしようとすればするほど、耳は敏感に音を感じ取っていく。
「ねえ、翔太はさ」
だから、安奈からそう声をかけられた時は、思わず「ひゃい!」と変な声をあげてしまった。
「ちょっと、大丈夫?」
「は、はい! 大丈夫です!」
翔太はそう答えながらも、声は自然に上ずってしまっている。普通にしゃべることなど、今はできる気がしない。
それを察してか、後ろからため息が漏れるような音が聞こえた後、安奈の言葉が再び聞こえてきた。
「この前連れてきた、清泉、さんだっけ? あの子のこと、どう思ってるの」
いきなり楓の名前が出てきて、翔太の心臓がさらに跳ね上がる。どう思っているのかって、どう答えればいいんだ? 好きだとか? 嫌いだとか?
「この前あの子、部活に入ること断ったじゃない。翔太としては、それどう思ってるの?」
安奈のその言葉で、翔太の頭は少し落ち着く。内容で、安奈の聞こうとしている事が自分が思っていたことと違う気がしたからだ。
「翔太はさ、自分の気持ち相手にいうのヘタでしょ。どっちかっていうと、他人の意見に合わせて行くタイプじゃない。だから、自分の意見いうことってそんなに得意じゃないんじゃない?」
それはその通りだ。今まで生きてきた中で、翔太は自分から積極的に意見を発したことはない。それは、誰に対してでも同じだった。友人にだって、教師にだって、家族にだって。こうしようと提案されれば賛同するし、こうしなさい、ああしなさいと言われれば素直に従う。自分が多少苦しい思いをしても、そうしていれば周りの人は怒らないし、変な争いごとも起こらなかった。
「でも、女の子って、案外そういうのって不安になることもあるのよ」
翔太はその言葉に、すこし疑問を覚える。不安とは、一体何の事だろうか?
「相手が自分の子とどう思ってるのか。どう考えてるのか。そういうのって、女の子は敏感に感じやすいけど、反面言葉にしてもらえないと不安になる時もある。清泉さんみたいにおとなしい子は、特にそうだと思うの」
翔太は楓のことを思い出す。いつも表情の変化が乏しく、何を考えているのかわかりにくい楓。そんな楓が、実はいろいろと悩んでいるのではないだろうか。
「清泉さんを、どう部活に連れて来たのかは知らないわ。たぶん、夏目先生に連れて来いって言われたからって行ったんでしょうけど。結局、彼女は部活に入るのを断ったけど、じゃあ、そのあとあの子と部活について話した? もし、翔太が楓に部活に入ってほしいと思っているなら、それを相手に伝えるべきであるとは思うの」
そこで言葉がいったん途切れて、手にハーフパンツが触れる。安奈が差し出した、安奈がはいていたハーフパンツだ。それを手に取り、翔太はハーフパンツをはく。その間も、安奈の言葉は続いた。
「あの子がどんな理由で入部を断ったかは分からない。けど、もし翔太が入ってほしいと願っているのなら、入りたいと思っていたかもしれない。けれど、それを言葉で聞けない以上、確信は持てない。逆に、誘ってこないということは自分は部活に入ってほしくないと思われているのではないだろうか」
「そ、そんなことは…!」
翔太はハーフパンツをはき終え、思わず振り返る。すると、すぐ間近に、安奈に顔があった。翔太は驚いて、一歩、後ろに下がる。安奈はその翔太の目を真正面から見つめて、真剣な表情でこういった。
「なら、そう行ったほうがいいわ。さっき言った、私の言葉が本当にあの子の気持ちだという保証はない。むしろその可能性のほうが低い。ただ、私がいいたいのはね」
そこまで行って、顔を離してから、安奈は扉に向かう。鍵を外して、取っ手に手をかけてから、こう続けた。
「自分の気持ちはしっかり伝えないと、離れていっちゃうものもあるのよ」
そう言ってから、安奈は勢いよく扉を開けた。その瞬間、それまで多目的トイレの中にあった空気が一掃される。
「さ、早く行きましょう。試合に送れるわ」
何事もなかったかのように、安奈はそう言って外に出る。翔太はあわてて安奈の後を追いかけるが、安奈の言葉が胸にしこりのように残っていた。
気持ちをしっかり伝えなければ、離れていくものもある。
楓も、やはりそうなってしまうのだろうか。