どうせ断罪されるなら先にやってしまえ、と機密書類を社交界にばら撒いたら、断罪が来る前に王子が失脚して恋が始まりました
私の名前は、テリーナ・フォン・ウィンザー。
王国レガリアにおける、宰相家の長女。歳は今年で二十歳。
社交界では優雅に微笑むことが求められる立場だが、内心はといえば……
「いいネタがある。これは面白いな…」
……というときだけ、異常に目が輝く。
前世の職業は、週刊誌の政治・芸能スクープ担当記者だった。
でも細かいことまでは覚えていない。
ただ、「権力者の嘘を暴く」という生存本能のようなものだけが、この身体に移植されたらしい。
ついでに言うと、特技として一度見た書類や聞いた会話を一字一句再現できる、という妙な能力がある。
これは前世でも今世でも便利に使ってきた。
そして……三年かけて、王室の汚い悪事の証拠を集めてきた。
フォルカー第二王子の議会工作と汚職。
その恋人のリリウムによる薬品偽造と証拠隠滅。
レガリア王族と隣国「ヴェルデ公国」への売国書類。
全部、私の手元にある。
その上で、先週……私は王都の夫人会による「パーティー」への招待状を受け取った。
意味としては「負け確の一週間前通告」らしい。
呼ばれた時点で終わり、というのが社交界の常識……だそうだ。
でも……
(そんなの、先に証拠を出せばいいだけじゃない?)
そう思った瞬間から、気持ちはもう決まっていた。
月曜日。
王都で最も格式高いとされる夫人会のお茶会に、わたくしは招かれていた。
出席者は十五名。
うち五名が侯爵夫人以上、三名が議員の妻。
ここで出た話は三日で王都中に広まる、という実績がある。
三十分ほど当たり障りのない会話をした後……わたくしは「うっかり」カバンを落としてしまった。
バッグの口が開き、書類が数枚、テーブルの上に滑り出る。
「あら、ごめんなさい……」
わざとらしく慌てて引っ込めようとしたが……
計算通り、隣の夫人が見てしま手に持ってしまった後だった。
フォルカー王子の筆跡で書かれた恋文。
宛先は、王太子妃殿下ではなく、浮気相手と噂されていたリリウムへ宛てたものだった。
夫人会の「パーティー」はその場では平和に終わった。
しかし…翌日の午前中には、なぜか王都貴族の半分がその話をしていた。
火曜日は、商会組合長との会食だった。
話の流れで、わたくしはさりげなく書類を広げた。
「実はこれ、ずっと気になっていたのですが……数字の読み方をご教授いただけますか」
組合長が帳簿を見た瞬間、顔色が変わった。
「……これは、王室の御用達商会の決算書では?」
「ええ。でも、ここの仕入れ値が市場の三倍なのに輸送費がゼロで、こちらの支払先が存在しない組合名なのは……なぜでしょうか?組合長でしたら何か分かると思いまして」
組合長は三分間ほど黙っていた。
「……写しをいただいてもよいですか」
「どうぞ。わたくしには原本がありますから」
商人ルートは早い。
木曜日の朝には、全土の商会が同じ話題で持ちきりになっていた。
水曜日は、匿名の封書を瓦版屋……いわゆる新聞屋に届けた。
内容は「王族汚職疑惑の証拠資料・一式」。
写しなので、証拠の重さは残りつつ、発信源の特定を難しくしている。
翌朝の一面には、こう書かれていた。
「【特報】王室内部文書が流出……関係者に衝撃走る」
これで五日間の工作は完了になる。
(三年分の証拠を、五日で出し切った。スクープ記者冥利に尽きるわ)
剣を抜くより早く。
槍を構えるより。静かに。
社交界という名の筆舌の戦場で、わたくしはただ「本当のこと」を流した。ただそれだけだ。
金曜日。
宮廷から使者が来た。
「テリーナ・フォン・ウィンザー嬢、フォルカー王子殿下より緊急召集——」
「断罪パーティーの件でしたら、来週に変更になったのでは?」
「……へ?」
「議会の問責公聴会が先に組まれたと、今朝の公報に出ていましたわよ」
使者は顔面蒼白になって帰っていった。
事情はこうだ。
フォルカー王子は「今すぐ断罪する」と激怒していた。
だが……今、王子を支持することは「汚職の共犯者」と認定されることを意味する。
茶番とわかっていても、誰も動けなかった。
リリウムが「聖女の奇跡」で事態を打開しようとした、という話も聞いた。
ただ、わたくしはそれも想定していた。
一週間前からお願いしていた騎士団の化学研究班が、「奇跡」の成分を分析した報告書を出していたので。
リリウムの「奇跡」は、隣国から輸入した希少薬品による視覚干渉だった。
それが、公的文書として議会図書館に提出されていた。
もう、止まらない。
そして今日。王国議会の「緊急王族問責公聴会」。
わたくしは傍聴席の一番いい場所を確保して、座っていた。
証拠はもう全部出した。細かい説明は法学者たちがやっている。
わたくしがすることは、もう何もない。
(さて、後半戦はどうなるかしら……)
そう思っていたら、隣の席に人が座った気配がした。
「失礼、こちらよろしいですか」
振り返ると、精悍な顔立ちの男性が、穏和な微笑みで立っていた。
綺麗な愛想笑いだ、とわたくしは思った。
目が笑っていない。
「どうぞ」
彼は席に座り、しばらくしてから静かに言った。
「我々が三年かけて計画していたことを、あなたは五日でやり遂げてしまいましたね」
「我々」……ということは。
「……ヴェルデ公国の方ですか」
「エラン・ヴォルクです。上級外交使節、ということになっています」
「『ということになっている』とおっしゃったわね」
「よくお気づきで」
彼はかすかに目を細めた。愛想笑いが、一瞬だけ消えた。
わたくしたちは議場正面に目を向けながら、こそこそと話し合った。
フォルカーが弁明を始めている。議員たちが一斉に証拠資料を開く。
「あの汚職帳簿の写し、入手経路が分からなかったのですが」
「商会組合長の人脈は侮れないものです」
「なるほど。では瓦版屋への情報は」
「匿名封書は基本ですわ」
「……テリーナ嬢は、前世で何をしてらっしゃったんですか?」
あまりにも直球すぎて少し笑った。
「……週刊誌の記者だったようです。細かなところは覚えていませんが……権力者の嘘を暴くのが仕事でした」
「……合点がいきました。そんな人間が実在するとは」
エランはそう言いながら、議場を見た。リリウムが証言台に立たされている。
「リリウムについては、薬品分析書が効きましたね」
「成分名一覧を全部覚えていたので、対応が早かっただけです」
「一字一句?」
「聞いた会話も読んだ書類も、そうです」
エランは少しの間、黙った。
「……危険な人だ」
「よく言われます」
「褒めています」
議場の前では王子が何かを叫んでいる。聞こえない。こちらの方が忙しかった。
公聴会が終わったのは、夕刻だった。
フォルカー王子は王位継承権の停止。リリウムは薬品事犯として調査対象。
わたくしへの断罪要求は、取下げ以前に存在しなかったことになっていた。
廊下に出ると、エランが並んで歩いてきた。
「お時間ありますか」
「少しは」
「でしたら亡命の話をしませんか」
足が止まった。
「……冗談ですか」
「本国の命令です。情報部が三年計画を立てていたレガリア案件を、五日で解決した人材を放置しろと言うわけがない」
窓の外に夕陽が落ちていた。
「待遇は、宰相家より上を保証します。業務内容は——まあ、今日やっていたようなことです」
「記者まがいの諜報活動ということ?」
「あなたのやり方で構いません。本国にはいない種類の人材です」
わたくしは少し考えた。
三年間。父が大切にする家名の下で、一人で動いてきた。
信用できる人間はいなかった。
その代わりに、情報と分析と行動で全部片付けてきた。
それが正しいと思っていた。今でも間違いだとは思わない。
「……いや」
エランが静かに言った。
「命令の話は、今じゃなくていい」
彼の声が、少し変わっていた。愛想笑いがなかった。
「ただ、あなたは今日……国一つを動かす規模のことをほぼ一人でやった」
「人脈と証拠があれば、こんなこと誰でも」
「誰でもできない。そして……」
エランが立ち止まった。わたくしも止まった。
「一人でやる必要は、なかったかもしれない」
廊下に夕陽が射し込んでいた。
「公国はあなたのような人材を必要としています」
そこで一瞬、彼は黙った。
「……いや、俺が必要です」
明らかに、言い直した。
エランの目が、わずかに泳いだ。
自分で言って、驚いているような顔だった。
わたくしは何も言えなかった。
そういう言葉が来るとは、思っていなかったから。
「……返事は、後日でいい」
彼は静かに頭を下げて、廊下の先へ歩いていった。
わたくしはしばらく、その場で立っていた。
馬車の中で。
彼が言った「俺が必要です」が、頭から離れなかった。
(……何、あれ)
三年間、一人で動いてきた。
頼ることも、頼られることも、意識的に避けてきた。
誰かに「必要」と言われる理由がなかったし、言われることを想定していなかった。
(「人材として必要」なら理解できる。でもあの言い直しは何?)
夕陽の廊下で目が泳いでいたあの顔が、どうにも消えなかった。
心拍が、少し早い気がした。
(……馬車が揺れているせいよ)
窓の外を見た。どう考えても関係ない。
翌朝。
机の上に、見慣れない封書があった。
ヴェルデ公国の紋章が押されている。
開封すると、便箋が三枚。
待遇・給与・職務一覧が几帳面な字で書かれていた。
公国の情報部への待遇として、かなり破格の条件だった。
最後の行を読んだとき、わたくしは止まった。
便箋の端。几帳面な活字の隣に、それだけ手書きで。
「それから……俺についても、考えていただけると幸いです」
三回読み直した。
四回目を読もうとして、やめた。
窓の外を向いた。
口元だけが、笑っていた。
【完】




