No.3 守られる場所
「とりあえず、ここまでくれば安心だよ」
ダージリンは柔らかく微笑んだ。
「疲れただろう? 空き部屋を案内するよ」
その声は、追われていた緊張を少しずつ溶かしていく。
華は小さく頷き、赤い屋敷――紅の騎士団本部へ足を踏み入れた。
中に入った瞬間、思わず息を呑む。
「……すごい」
高い天井から吊るされた、大きなシャンデリアに、壁には金縁の装飾。
廊下の端には、見るからに高そうな壺。
赤い絨毯はふかふかで、靴音すら吸い込まれる。
まるで本物のお金持ちのお屋敷に来たみたいだった。
(会社の寮とは大違い……)
現実味がない。
ついさっきまで残業帰りだったのに。
「こっち」
ダージリンが歩き出し、華は慌てて後を追った。
長い廊下の先、彼が立ち止まる。
木製の扉があり、そこには一文字、綺麗な筆跡で書かれていた。
――『桜』
「さくら……?」
華が小さく呟くと、ダージリンは微笑む。
「この屋敷の客室には、それぞれ花の名を付けているんだよ。オシャレでしょ?」
そう言ってダージリンは、静かに扉を開ける。
「今日から、ここが君の部屋だよ」
中は広く、明るい。
大きな窓に、白いカーテン。
そしてなにより、ふかふかのベッド。
化粧台に、本棚に、ゆったりとしたソファ。
本当に“客室”というより、姫の部屋だ。
「……私にはもったいないです」
思わず本音が漏れたが、ダージリンは首を横に振った。
「そんなことはない。君には、それだけの価値があるんだよ」
胸が、少しだけ熱くなる。
「後でまた呼びに来るから、それまでゆっくり休むといい。部屋にある物は好きに使ってくれて構わないから」
まるで当然のことのように言う。
遠慮という言葉を知らないのだろうか。
彼はそのまま踵を返し、帰ろうとする。
「あ、あの……!」
華が思わず声を上げると、ダージリンが足を止める。
「どうしたのかな?」
振り向く仕草すら優雅だ。
華はぎゅっと手を握る。
「助けて頂いて、ありがとうございます!」
深く頭を下げた。
森で、街で、あの腕の中で、本当に怖かった。
だから、ちゃんと伝えたかった。
しばらくの沈黙が走ったが、やがてくすりと柔らかな笑い声がした。
「礼を言われるほどのことではないよ」
顔を上げると、彼の瞳はあたたかかった。
「それじゃ、また後でね?女神様」
一瞬だけ、いたずらっぽく微笑むと、華は心臓が跳ねる。
「ち、違いますって……!」
思わず否定するが、ダージリンは楽しそうに笑っただけだった。
「ゆっくり休んでね」
そう告げて、静かに扉を閉める。
部屋に一人きり。
華はその場に立ち尽くした。
ベッドに腰を下ろすと、柔らかさに身体が沈む。
「……女神様、か」
普通の会社員だったはずなのに。
何も特別じゃなかったはずなのに。
けれど今、“守られている”と確かに感じている。
窓の外では、赤い旗が風に揺れていた。
その下で、きっと彼は戦うのだろう。
自分を守るために。
その事実が、胸の奥をじんわりと温める。
だが同時に、遠くで鐘が鳴った。
低く、重い音。
それは、平穏の終わりを告げる音のようにも聞こえた。
華はまだ知らない。
自分の存在が、この屋敷の均衡を揺るがし始めていることを。




