08.実力不足
乙女ゲーム『白百合の冠と漆黒の契約』
ストーリーを読み進めるため、各所でミニイベント──ミッションが発生する。クリアすれば、続きが読める。
────ルシエルの妹を救う。
その展開も、ミッションのひとつ。
コマンド「祈る」を選択し、「大成功」または「成功」ならば、クリア。「失敗」すれば、やり直し。
普通に学園生活の中でレベル上げをしていれば、「失敗」することは少ない。
終盤ではほぼ「大成功」という結果を叩き出すことが可能だが、序盤ではレベル上げが間に合わず、辛うじて「成功」という結果になりやすい。
ルシエルの妹、リーネを救うミッションは、彼と出会ってすぐ、ストーリーの序盤にやって来る。
つまり──。
リーネの今の状態は、「成功」の結果。
重い病の症状は落ち着き、命は救われた。
──けれど。
「…………実力不足」
はっきりと、そう言える。
聖女のレベルが足りず、完全に病を治すことができなかったのだ。
…………それでも。
この結果は、「奇跡」と呼ばれる。
命が助かった。歩けるようになり、働けるようになり。それ以上が叶わないのは、決して聖女のせいではない。
聖女は常に完璧で正解で、絶対だからだ。
ゲームの中なら、それで問題はなかった。
「成功」ならミッションは達成扱い。次のルートが解放され、物語は前へ進む。
聖女に救われたはずのリーネがどうなろうと、誰も気に留めない。スチルも存在しない、ただのモブキャラだ。
イベントが消化されれば、それでおしまい。
でも、私が生きるこの世界は現実だ。
リーネもまたここに生きて、息をして──壊れたまま、存在している。
この世界は、聖女を中心にまわっている。
「成功」と表示された瞬間に思考は止まり、それ以上は踏み込めない。
その歪みを、リーネは一人で受け止めている。
感情を失い、罪を背負って。
「…………は…………」
乾いた笑みが漏れた。
胸の中がすっと冷えて、その直後、抑えきれない怒りが込み上げる。
────だから私は、聖女が嫌いだ。
この歪んだ世界を壊してしまおうと決意した、あの日の激情が蘇る。
リーネは私の表情の変化に気付くことなく、静かに頭を下げた。
「私は毎夜、大聖堂で罪を懺悔しなくてはなりません。これで失礼します」
そう告げて、重い大聖堂の扉を押し開き、その中へ消えて行った。
扉の閉まる音が、薄暗い回廊に響いた。
残されたのは、私とルシエルと──そして影と一体になり、柱にもたれかかるノクスだけ。
ルシエルの死角で、ノクスが嘲笑う気配がした。
ずっと耐えるように沈黙を保っていたルシエル。今も、苦しげに眉根を寄せている。
大切な妹にかける言葉ひとつ見つけられずにいるのに、何を被害者ぶっているのか。
…………馬鹿馬鹿しい。
小さな溜め息が、静かな回廊に落ちた。
「没落貴族となったのは、リーネのせい。あなたも、そう思っているの?」
私の問いに、ルシエルが驚いたように顔を上げた。
「違います……! 私が爵位を継いだあの年、両親を亡くしたのと同じ流行病が領内で蔓延し、多くの人が命を落としました。時期を同じくして災害に見舞われ、領地経営に不慣れな私では、領民を守ることができなかったのです。……妹に責任はありません!」
「だったらそうはっきり言ってあげればいいのに。病が完治していないのはリーネのせいじゃない。…………聖女の、力不足だと」
その瞬間。
ぐいと乱暴に肩を掴まれて、背中に強い衝撃が走った。
「……!」
私の体は、ルシエルの手で回廊の壁に押し付けられていた。怒りに支配された彼の瞳が、至近距離で危うく光る。
「聖女様を侮辱するな……!!」
…………やっぱり。
聖女のこととなると、ルシエルは正気を失う。
それは彼女を溺愛するヤンデレキャラとしての気質なのか、それとも──。
普段は物腰柔らかく、穏やかな笑みを絶やさないルシエルの激昂する姿は、恐ろしい。普通の令嬢ならば、震え上がっているところだ。
が、本物の悪魔と契約した私からすれば大したことはなかった。
どんなに怒ったって、どうせこの男は私のことを殺さない。
「何を恐れているの?」
ルシエルの目が見開かれる。
想定外だ、と言わんばかりの顔。
「完全無欠の聖女様が、実はそうではなかったと知ってしまうこと? それとも」
ぐ、と押し付ける手に力がこもる。
「そんな彼女を盲信してきた自分自身を、否定されること?」
「…………っ…………!」
ルシエルのこれまでの苦労ははかり知れない。
重い病を患った妹。たくさんの領民たち。若くして重い責任を一人で背負って、しかし力及ばず手放すしかなくなって。
無念や罪悪感、自己嫌悪。様々な感情に潰されそうになったのかもしれない。
でも。
それは神や聖女が絶対なのだと盲信することで、リーネに責任転嫁していい理由になるはずがない。
まして聖女の実力不足を見て見ぬふりをしながら、自分も辛いのだという顔をするなんて、卑怯だ。
「毎夜リーネに懺悔をさせて、あなたは何をしていたの?」
ルシエルは何も答えない。
「今の彼女が幸せだと思うなら、目を逸らさずに俯かずに、堂々と笑っていればいいわ。二度と被害者面しないで」
怒りの中に悔しさを垣間見せて顔を歪めて、でもルシエルは何も言い返さなかった。力を緩めた彼の腕を引き剥がし、その場に放置して歩き出す。
その背後。
影の中の悪魔が、愉しそうに息を殺して笑っていた。




