06.王都帰還
馬車が規則正しい音をたてて走る。
公爵領から王都まで、整備された街道は延々と続く。
陽も沈みかけた頃、旅の終わりを告げるように、馬車はこれまでにない賑やかな喧騒に包まれた。
忙しなく行き交う人々。整然と並ぶ石造りの建物。高くそびえる城壁と、風に翻る王家の旗。その向こうに見える王城の尖塔。
見慣れた王都だ。
懐かしさと共に、胸にちくりと痛みが走る。
私が、全てを失った場所。
「まことに緻密につくられた造形だ。破壊しがいがあるというもの」
馬車の窓、鉄格子越しの街並みに、ノクスが興味深げに見入っている。
悪魔らしく不敵な笑みを湛え、狭い馬車の中で長い足を組み替える。その膝の上に、ローズピンクの生地にたっぷりのフリルがついた、おおよそ悪魔には似つかわしくない丸い塊を乗せ、大事そうに抱きしめて。
私がつくった即席湯たんぽだ。
あまりの寒さに、ゆうべ私の悲鳴を聞いて再来したルシエルに、熱湯を持って来させたのだ。それを陶器の容れ物に入れて、そのままだと熱すぎたので適当な布を巻いて……。ちょうどいい布などなかったので、ドレスが一着、無惨な姿と成り果ててしまったが。
私が暖を取るためにつくったその湯たんぽを、冷え性な悪魔はいたく気に入ったようで、ゆうべから離そうとしない。
絵面が強烈すぎて、そろそろ勘弁してほしい。
やがて馬車はゆっくりと止まった。
王城、もしくは神殿に到着した──と、思ったのだけれど。
馬車の扉が、外側から開かれる。
「長旅、お疲れ様でございました」
労りの言葉をかけたのは、相変わらず冷え切った目をしたルシエルだ。いや、ゆうべの一件で、むしろその温度は下がる一方。
義務感のみで動いている彼の手を借り、降りた先に佇むのは、見覚えがありすぎる大きな屋敷。
重厚な鉄門に、広大な前庭。整えられた生垣。
王都でも屈指の敷地を誇る、ベルナール公爵家の本邸だった。
「…………どうして、ここに?」
「シリウス殿下と聖女様は、今回の件について王城へ報告に行かれました。その際、ベルナール公爵令嬢も、王都へお戻りになったことを公爵様へ報告されてはどうかとおっしゃられて」
「報告なんて……私が訪れなくても、既にされているでしょう?」
「殿下と聖女様のご温情でしょう。久方ぶりに王都へ戻られたのですから、ご家族とお会いできるように、と。お二人の寛大なお心遣いに、礼を尽くされることをお勧めします」
ルシエルは、シリウスと聖女の提案が素晴らしいものであると疑ってもいない様子だ。なんなら誇らしげに胸を張っているようにも見える。
思わず、ぽつりと本音が漏れた。
「…………余計なことを。恩着せがましいわね」
私の小さな声が耳に届いたのか、ルシエルの目が鋭く吊り上がった。
門が開き、屋敷の中へ案内される。
よそよそしく出迎えた公爵家の使用人に従い、通されたのは応接室。あくまでも客としての扱いに、ここに私の居場所などないのだと思い知らされる。
ルシエルと、数人の騎士と共に待っていると、しばらくして静かな足音と共に扉が開かれた。
そして現れたベルナール公爵──私の父の目に、一切の温度は感じられなかった。
立ち上がり、挨拶をしようとするルシエルなど眼中にないように、父は冷たく言い放つ。
「セラフィーナ。二度と王都へ足を踏み入れるなと言ったはずだ」
「ええ。そのつもりでしたが、殿下のご意向ですので。お父様も、聞き及んでおりますでしょう?」
不満げに溜め息をついて、父は眉をひそめている。
「王子殿下と聖女様の温情に甘え、再び王都を訪れたことは不問とする。だが、これ以上ベルナール家の名に泥を塗るようなことがあれば、期限を待たずして北の修道院におまえを送る」
「……存じておりますわ」
「ならば今すぐこの家を出て行け。おまえの顔など、見たくもない。くれぐれも、決して問題を起さぬようにな」
そう言うと、父は応接室から足早に出て行ってしまった。
残されたのは、気まずい空気感だけ。
口を挟む暇も与えられなかったルシエルが、ほんの少しだけ気遣わしげな視線を寄越した。
「…………北の、修道院。まさか、本気ではありませんよね……?」
北の修道院とは、国内で最も戒律に厳しく、過酷な環境であることで有名だ。
入会すれば、一年以内に半数の者が命を落とす。その内の半分が、精神的に追い詰められたことによる自殺。残り半分が、肉体的に衰弱してのもの。
訳あって裁かれずにいる罪人を始末するには、これ以上の場所はない。貴族の体裁としても。
ルシエルの心底わからない、という様子に、つい乾いた笑みが零れた。
「何を今更。あなたも元貴族なら、家の名を貶めた娘が辿る末路など、わかり切っているでしょう?」
ルシエルが、はっとしたように目を見開いた。
神も、家族も。
救うものだと信じていた彼が、いつの間にか見落としていた残酷な現実。
「平民の聖女様は、処刑よりも辛い生き地獄があるなんて、考えもしないのでしょうけどね」
命を救った。
裁かれるべき人間に温情を与えた。
そんな聖女の自己満足が、どれだけ私の尊厳を踏みにじったのか。いっそ殺してくれと願ったことか。
断罪されたあの時に、私は死んだも同然だった。少なくとも、私の未来は死んだ。
父にとっては、私も駒のひとつ。
期限を設け、私に利用価値があるなら──つまり、父も納得する相手から求婚でもされれば良しとしている。しかし、聖女と王子を敵に回した私に婚約の打診をする者など、現れるはずもない。
このまま領地で大人しくしていても、待っているのは修道院へと送られる未来だけ。
聖女のことまで言及され、不快感をあらわにしたルシエルだったが、続く言葉が見つからないのか、眉を寄せ、何かを言いかけては結局口を噤む。
理解が得られるなんて思わない。
私にも、聖女の高尚な思いなんて理解できないから。
「……参りましょうか。神殿へ、お連れします」
異を唱えることを諦めたように、ルシエルが目を逸らして歩き出す。
私とて、ここに用はない。
逃げ場なんて、どこにもないのだ。
私は黙って彼の背中を追いかけた。




