05.時期尚早
ひとまず、私のすべきことははっきりした。
神官長を買収すること。
そして、聖女から神具を奪うこと。
丸一日馬車に揺られ道のり半ば、比較的大きな町で今夜は一泊することになった。明日の夕方には、目的地である王都に到着する予定だ。
あてがわれた宿の一室で、荷物の中から金貨の入った袋を確認する。中身はぱんぱんに詰まっていて、ずっしりと重い。
これだけあれば、きっと神官長を金で動かすことができるはず。
領地に追放しても、これまで通り金銭面だけは自由にさせてくれている父に感謝する。父としてはこれ以上余計な問題を起こされては困るので、金はやるから大人しくしていろ、ということなのだろうが。
問題は、神具をどう入手するか──だ。
四つの神具は今、聖女が持っている。そしてその聖女には、シリウスはじめ攻略対象者たちがぴたりと張り付き、更に騎士団までもが警護している。
ノクスにとっては騎士団など相手にもならないだろうが……。
この状況で無理矢理神具を強奪しようとすれば、聖女は力を覚醒させ、恐らくノクスは敗北する。あと私も死ぬ。
時期尚早。
狙うのは、王都帰還後だ。
聖女が神具を身につけているのは、戦闘が予想される状況に限られる。
──というのも、過去に襲われ、神具を奪われそうになったことがあるから。(そう、この件の犯人は私だ)
それ以降、神具は使用時以外、秘密裏に神殿の奥で厳重に保管されている。
なぜ私が知っているかといえば、もちろんゲームの知識だ。
神殿内にある、ということは。
神官長を買収できれば、あるいは────。
私の思考を遮るように、コンコン、と室内に軽いノックの音が響いた。
金貨入りの袋を目につかない場所へ隠し、扉を開ける。
そこに立っていたのは、ルシエルだった。淡い金色の長髪を後ろで緩くひとつに束ねた、中性的な美貌の神官。
聖女を盲信し崇拝する、ヤンデレ気質のキャラクター、という一面もある。
そんな私にとっては少々厄介な存在であるルシエルは、冷えた眼差しでこちらを見下ろしながらも、貼り付けたような笑みを浮かべている。
「失礼、ベルナール公爵令嬢。お食事は済まされましたか?」
「……ええ」
「食器を下げに参りました」
部屋に通し入れると、ルシエルは素早く空の食器を重ねて片付けていく。
その後ろ姿を見ながら、呆れたような溜め息が漏れた。
「宿の配膳係に任せず、あなたが自らこんなことまでするなんて、余程私を信用していないのね。馬車から下りたら今度は宿の部屋に結界つきで閉じ込められるなんて、まるで囚人にでもなった気分だわ」
「万一にもあなた様と周囲に危険が及ばぬように。あくまで、御身の安全のためですので」
私の皮肉にも、ルシエルは全く意に介する様子もない。
ルシエル・アークライト。
ゲームの舞台都合上、私をはじめ他の登場人物も全員聖女と同級生であるのに対し、唯一歳上の攻略対象者。
聖女が身を置くことになった神殿で、彼女に寄り添い、支援する役割を担う。
元子爵令息で、没落貴族。
両親を病で亡くし、また妹も重い病を罹患。治療費を捻出できず、藁にも縋る思いで神に救いを求め、神官の道を選ぶ。
そんな思いが報われて聖女と出会い、彼女の祈りの力で妹の病状が回復。以降、たった一人の肉親を救ってくれた聖女に対し、並々ならぬ感情を抱くようになる。
苦難の過去をもち、影のあるところが魅力という役どころ…………ヒロイン視点では。
静かに食器を回収していたルシエルだが、全て食べ尽くされた綺麗な皿を次々と手にするうち、その顔に困惑の色を滲ませた。
「ベルナール公爵令嬢、……その、こちらは、あなたが全てお召し上がりに……?」
「当然でしょう。他に誰がいるというのよ」
「…………そうですね。失礼しました」
ルシエルが戸惑うのも、もっともだ。
何しろここには、一人ではとても食べきれない量の料理が並んでいた。運び入れる時には、どうせ公爵令嬢の贅沢で、あれもこれも用意させるだけさせる、我儘だと思っていたに違いない。まさか全て平らげるとは思っていなかったんだろう。
…………いや、もちろんそんな量、食べられるはずもないが?
あれもこれも欲しがったのは、ノクスだ。そして全部食べた。
さすがに普通に肯定するのはちょっと怪しすぎるかと考え直して、一言付け足しておく。
「監禁状態が続いて、私もストレスが溜まっていたのね。ヤケ食いしてしまったわ」
「申し訳ありませんが、今しばらくご辛抱ください。あなた様のためにも。それに食事をしっかりとれるならば、体調にも問題はないでしょう」
返ってきたのは、聖女よろしく善意をまぶした勝手な言い分。
…………さすがに聞き捨てならないんだが。
「私のため……ね。聖女様のため、の間違いではなくて?」
無意識のうちに溢れ出た言葉に、ルシエルがぴくりと反応した。
微笑みを消し、汚いものでも見るようなルシエルの目に、自然と口が動いてしまう。
「あなた達はみんな、全てが聖女様のために。……そうでしょう? 私のことはこんな風に『保護』しておいて、清らかでお優しい聖女様は、良いことをしたと満足して、あなた達と共に、笑顔で豪華な食事を囲んだのでしょうね」
「…………何を、おっしゃりたいのですか?」
「別に? 言葉のままよ。聖女様の言うことが全てで、絶対……そう思っているあなたには、私の気持ちや待遇なんて、どうでもいいことでしょう。あの純真無垢な顔をした聖女様もそう。本当は、どうでもいいのよ」
次の瞬間。
がしゃん、とテーブルの上に乱暴に皿を置く音が響いた。
「口を慎んでください」
低く、押し殺した声。
「あなたに、聖女エリシア様を語る資格などない」
怒気を含んだ声が空気を震わせる。
神官らしからぬ狂気的な空気を纏わせて、ルシエルが鋭く私を睨みつけた。
「勘違いしないでください」
言葉だけは丁寧に。けれど、反論を許さない。そんな雰囲気で、ルシエルは続けた。
「聖女様を傷つけたことは裁かれていないだけで、あなたの罪は決して消えない。あなたは、聖女様の情けで生かされているだけです」
聖女に生かされている────。
その言葉は、私にとって何よりも屈辱だった。
でも、反論できない。握り締めた手が、微かに震えた。
「あなたは許されたわけではない。そのことを、お忘れなく」
きっぱりとそう言うと、ルシエルは部屋を後にした。
その瞳に、純粋な怒りと狂信を宿らせて。
ばたん、と音を立てて扉が閉まって。
静寂が落ちた部屋の中で、床を覆っていた影がゆっくりと伸び、人の形をつくった。
「敬虔な聖女の信者であった。そなたもあやつを見習い、余を敬うがよい」
「………………ああ、そうね。…………。もう寝るわ」
力が抜けて、そのままベッドに潜り込んだ。
ノクスのせいと言うべきか、おかげと言うべきか……。緊張感が一気に緩んだ。
もう今夜は、何も考えずに寝たい気分。
────が。
ずる、と大きな体が割り込んできた。
「ちょっと……ノクス。どうしてあなたまでベッドに? 影に入って眠ればいいでしょう」
「そんな寝方をすれば、節々が痛むであろう。余は柔い寝床で眠る」
「それはちょっと……! 狭すぎる」
「ではそなたが床で眠ればよい」
「私は公爵令嬢よ。そんなの無理……って、……ひっ、ひぎゃああああああ!!! つっ、冷たい!!」
ノクスの足が私の素足に当たり、そのあまりの冷たさに、悲鳴をあげてしまう。
……そういえば、いつだったか触れられた手も、酷く冷たかった。悪魔って冷え性だったのか。氷を抱いているようで、震えが止まらないし眠れる気がしない。
同じベッドに入っても、相手が人間ではないということも相まって、男女の云々どころではない。
そして────。
この後、私のこの凄まじい叫び声を聞いて、感じの悪い退出をしたばかりのルシエルが、絶対零度の睨みをきかせて再び部屋を訪れるのだった。
…………今夜はたぶん、眠れない。




