18.瘴気対策
玄関前で待っていたルシエルと共に、足早に屋敷を出た。ノクスの忠実な配下であるリーネに見つかってしまえば面倒だ。
敷地内のお散歩──。その目的地は、私が燃やしたあの納屋の跡地。ノクスを召喚し、その証拠を消し去るために火を放った、あの場所。
あの日と変わらず、焼け焦げ崩れ落ちた納屋の残骸が、今もわずかに残っている。
火事の名残りの焦げ臭さが風に乗って届く。
隣に並び立つルシエルを見上げ、肩を竦めた。
「使用人が後片付けをしてくれようとしたらしいんだけど、そのたびに体調を崩して、そのままになっているの」
「この場所には高濃度の瘴気が漂っています。無理もありません」
調査の結果、この場所だけ、瘴気が異常に濃いということがわかっている。
────ノクスの言った通り。
私がここで、悪魔召喚を行ったから。ノクスの魔力とぶつかって、器にひびが入った。そこから瘴気が漏れ出ているということだろう。
でも、ここで魔獣の被害は出ていない。
瘴気はここに留まっていないのだ。
「…………風」
強い風が吹き抜けて、ドレスの裾がはためく。領地の東側は海に面している。ここにも常時、潮風が流れ込んでくる。
ノクスは何と言っていただろう。
確か──瘴気が、流れ出る。
「流れる?」
…………そうだ、ガス。
地下に溜まった有毒ガスが、何かの拍子で地上に漏れ出すように。瘴気も、ガスと同じだとしたら?
「ルシエル。瘴気と魔獣による被害は、領地の西側広範囲にわたっていると言っていたわね」
「ええ、その通りです」
東から西へ、風が吹く。瘴気も流れる。
最も被害が深刻だった場所のひとつ、あの牧草地は、奥に山がある。つまり、瘴気のたまり場となっていた。
…………そういうことなら。
「ここに穴が空いているんだわ。その穴を塞げば、地下に溜まった瘴気が漏れ出ることもない。時間の経過と共に、領内全体の瘴気も薄まるはずよ」
「穴……ですか?」
「そうよ」
一歩踏み出すと、ルシエルが慌てた様子で制止した。
「あまり近づき過ぎると危険です。それに見えない穴を閉じるなんて、どのように……」
「これを使うわ」
右手を掲げてみせると、ルシエルが驚きに目を見開いた。
私の右手首には、星環の聖鎖が輝いている。
「それは、私がノクス様に献上したものですが」
「ちょっと借りただけよ。すぐに返すわ」
────そう。
ノクスが眠っている間に、全て片付ける。
神具『星環の聖鎖』
鎖で、繋ぐ。それがこの神具の力。
ゲームのラスボス戦──つまり対ノクス戦では、ノクスの影を地面に固定し、動きを封じることで有利な戦況となっていた。
私の知る限り、神具は当たり前に聖女が所持していたけれど、彼女にしか使えない──なんて設定はなかったはず。
せっかく神具がここにあるのだから、聖女の力を削ぐという目的だけで所持しているのはもったいない。今がその使い時だ。
焦げた木材を踏み越え、納屋の中心部へと足を進める。
空気がずん、と重く感じて、喉にひりつく痛みが走る。
「セラフィーナ様! それ以上は」
ルシエルの声が、やけに遠くで聞こえた気がした。頭が重いような、痛いような。妙にぐらぐらする。
…………そして。
目の前に、明らかな異変。
地面の一点だけ、空気が歪んでいる。
熱気のように揺らめき、薄く黒い靄が立ち上っている。
「…………ここだわ」
右手をゆっくりとかざす。
星環の聖鎖が、かすかに震えた。まるで反応するように。
「器の亀裂を、閉じる」
私の言葉に呼応するように、聖鎖が光を帯びた。その光が地面に落ちて、円を描くように広がっていく。
黒い靄が、じゅう、と音を立てる。まるで水に触れた火のように、瘴気が揺らぐ。
…………良かった。私にも、ちゃんと使える。
────『栓をすれば圧がかかる』
ノクスの言葉が頭をよぎった。
完全に塞ぐ必要はない。
大きな穴を、ごく小さくする。
世界中のあちこちで瘴気の存在が確認されている。
つまり、器には穴があるのだ。ごく小さな穴なら、大きな問題にはならない。
だから隙間は残しても大丈夫。むしろ無理に閉じ込めれば、ノクスの言うように圧力がかかり、逆に危険かもしれない。
聖鎖の光が、亀裂に絡みつく。
縫い止めるように。裂け目を、閉じるように。
光はいつの間にか白銀の鎖として、実体を持つようにはっきりとした姿を現した。細く、しかし確かな重みを伴って、空中に幾重にも伸びる。
その一端が地面へと突き刺さった。
次の瞬間、鎖は亀裂の縁をなぞるように走り、黒い歪みに絡みつく。
「……縫い合わせる」
もう一端が、少し離れた地面へ打ち込まれた。
星と星を結ぶように、光の線が張られる。
その時、亀裂がわずかに軋んだ。黒い靄が反発するように膨らむ。
「っ……!」
右腕に、焼けつくような痛みが走る。
瘴気が、鎖を通して逆流してくる。
「こんなの、聞いてない……!」
「セラフィーナ様!」
「……っ、大丈夫、たぶん!」
息が浅くなって、視界が滲む。
ぎり、と鎖が手首を締め付ける。
苦しい。でも、きっとあと少し。
穴は完全には塞がない。圧が逃げられる程度に、中央に、細い隙間を残す。
意識を聖鎖に集中させる。
鎖を、もう一本。亀裂の上に交差させる。星形を描くように固定する。
そのたびに光が強まり、黒い揺らぎは次第に細く、細く収束していく。
やがて靄は糸のように細くなり、最後には、ゆら、と頼りなく揺れるだけになった。
ふ、と空気が軽くなった気がした。喉の痛みも引いている。
「…………。うまく、いった……?」
ついさっきまで、はっきりと目に見えていた地面の亀裂も、聖鎖から現れた光の鎖も、今は何も見えない。
でも、ここにある。確かに繋いだ。
「セラフィーナ様……瘴気が、確かに薄れています……」
「……良かった」
崩れ落ちそうになった私の体を、駆け寄ったルシエルが支えてくれた。
…………もう大丈夫。
きっと領内の瘴気も、だんだんと薄まっていく。
ルシエルに体重を預け、安堵の息を吐いた──その時、だった。
西の空が、白い光に包まれた。きらきらと輝く、神聖な光。
遠くからでもはっきりとわかる。見覚えのある、あの光は────。
「聖女…………」
聖女の、祈りの光だ。
聖女はとうとうこの公爵領までやって来たのだ。
あの辺りは、牧草地。瘴気の濃い地域に差し掛かり、すぐに祈りでの浄化を試みたのだろう。
幸い、この屋敷までは聖女の力は届かない。
穴は閉じた。このまま聖女には王都にお帰りいただけば、ノクスに危険は及ばない。
────けれど。
右手の聖鎖が、激しく震えた。
鎖から伝わる。地下の瘴気に、圧がかかっている。それも、急激に。
縫い合わせたはずの穴に、膨張した瘴気が押し寄せる。
「…………何かが、おかしい……?」
聖鎖が、ぎり、と軋むような感覚。
目には見えないはずの光の鎖が、確かに張り詰めている。
西側での祈り。
瘴気は浄化される。
……でも。
「聖女の浄化は……瘴気を消すものじゃない!」
リーネの魂と同じ。
聖女の祈りは、閉じ込めて、蓋をする。
瘴気が地下に押し戻されている。
西から、行き場を失った瘴気がこちらに戻ってきている。
私が縫いとめた穴。わずかに隙間を残したことで、最も圧がかかる地点となっている。
聖女が浄化を繰り返せば、無理矢理塞いだこの穴が、再び破裂する。
そうなれば──。
次は手の施しようがないほどに、巨大な穴が空く。
「聖女を止めなきゃいけないわ……!」
聖女の祈りを。
世界の希望を。
聖女が正義で正しいという常識を壊さないと、本当の救いはない。




