15.暗雲低迷
馬車の向かいに座るルシエルは、相変わらず胡散臭い笑みを湛えている。ただ一つ決定的に違うのは、私を前にすると常時氷点下を観測していたその目が、春の日差しのように柔らかいことだ。
…………不気味すぎる。
聖女の祝福を受けここまでやって来た馬車は、瘴気をものともせず公爵家のカントリーハウスへ向かって走り続けている。
倒れた護衛たちと馬は、ルシエルと共に現れた騎士たちにお任せした。
そして私は、絶体絶命のところを物語のヒーローのように助けてくれたルシエルに、ご丁寧に屋敷まで送り届けてもらっている最中なのだった。
────そう、ルシエルに助けられた。
しかしそれは、あくまで彼が正義側の人間だから。正義のヒーローは、たとえ憎くて仕方のない相手だとしても、目の前で死にかけたなら助けずにはいられない。
ただそれだけ……の、はずなのに。
気まずい沈黙が流れているところへ、ふとルシエルの視線が私の手元に落ちた。
血の滲んだ指先に、少しだけ眉をしかめる。
「失礼します」
ルシエルが手袋を外し、おもむろに私の手を取った。重なった手が淡く発光し、じんわりと温かくなる。
痛みが引いて見れば、勢いあまって切りすぎた指の傷口は、綺麗にふさがっていた。
「聖女様ほどの力はありませんが、この程度なら」
微笑むルシエルの瞳は、やたらめったら優しさに溢れている。
…………おかしい。こういう表情は、聖女様にこそ向けられるはずなのに。
「無茶をなさいましたね。私が偶然通りかかって良かった」
「……偶然?」
そんなはずはない。
聖女付きの神官が彼女のそばを離れ、公爵領内の街道を通りかかるなんて、偶然では有り得ない。
…………と、いうことは。
「ここに来たのは、聖女様やシリウス殿下の命令?」
私の問いに、ルシエルは笑顔のままに頷いた。
「半分正解です。ベルナール公爵領の被害については聞き及んでおりますが、現在ちょっとしたトラブルのため、聖女様は王都にて足止めをされております。そこで先んじて状況確認を行う役目を、私が自ら志願致しました」
どうしてまた、ルシエルが?
……という疑問が浮かんで、すぐに自己解決した。
ここにはリーネがいる。大切な妹の身を案じ、彼女の安全を確認したいと思うのは自然なことだ。
──それにしても。
「聖女様が離れられないなんて……。王都はそんなに酷い状況なの?」
「いいえ。浄化は済んでおります。こちらの方が、余程深刻かと。街道沿いで魔獣被害が出るほどとなると、王都との往来にも影響が出ましょう」
「…………そうね」
これ以上状況が悪化したら……と思うと、胃が痛い。
「でもそれなら、どうして聖女様は王都に留まっているの? もしかして、父のゴリ押しでうちの領地を優先させようとしているけど、もっと他に大変な地域があったりする?」
「いいえ。瘴気の濃度が異常に増したのは、王都周辺と、ベルナール公爵領のみです」
「…………。王都と、ここ、だけ…………?」
────嫌な予感がする。
「それは、どう、して……?」
「……憶測ですが」
そう前置きして、ルシエルは核心をつくようにはっきりと言った。
「聖女様が感知した、悪しき魔力と関連しているのではないかと言われております」
「…………!」
私たちが一時滞在した王都。そして、現在最も瘴気が濃くなっているのが、ここ、ベルナール公爵領。
原因がノクスだとするなら、確かに説明がつく。
まさかこの世界に存在するだけで瘴気に影響を及ぼすなんて……。
悪魔というものは、なんて厄介なんだろう。決してここにいてはいけないのだと、世界から彼自身が拒絶されているみたいだ。
言葉を失った私に、ルシエルが遠慮がちに続ける。
「あなた様への疑念の声は、日に日に大きくなっております」
「…………私?」
「あなた様のいらっしゃる場所で、瘴気は濃くなる。浄化の儀式を受けてもなお、あなた様から悪しき魔力を感じると、聖女様がはっきりとおっしゃいましたので。疑わしいのは……瘴気の元となる悪は、あなた様であると」
…………ああ、そうか。
結局私はどう足掻いても、悪という役割が割り当てられているということだ。
浄化の儀式を乗り切ったからといって、逃げられはしない。
「……そう。じゃあ聖女様がここへ来ないのは、疑わしい私がいるからということかしら」
「それは違います。別の理由です」
「別の理由?」
想定外に否定されて、首を傾げる。
続くルシエルの言葉は、信じられないもので。
「神具のひとつが盗まれました。聖女様がすぐに動かないのは、そのためです」
「!」
────まさか、神具が。
盗まれた? 神殿の奥で、厳重に保管されていたはずなのに?
動揺する私に、ルシエルは更に驚きの言葉を告げる。
「神具盗難の件も、あなた様の仕業に違いないと言われております」
「なっ……」
確かに、私はどうにかして神具を奪おうと画策していた。どころか、未遂ではあるが前科もある。
…………でも!
「……っ私じゃない!!」
「存じ上げております」
ルシエルが即答した。その表情は、確信に満ちている。
…………いや、まって。なんでそんな自信満々なんだ…………?
私の疑問が口から零れる前に、屋敷への到着を告げるように、馬車がゆっくりと止まった。




