剣塚
アーデント王国の首都ノヴァリスの中央にある首都議事塔の廊下の窓から、一人の警備兵が、華やかに飾られた広場に集まる人々を見守っていた。
今日は、大世界大戦が終結してから百年を祝う祝賀祭の最終日だ。
五日続く祝賀のの行事は、神殿での祈祷から始まり、竜騎兵隊や白兵隊の軍事パレード、議事塔での宣誓と続き、今日の祝賀祭で終わる。
鍛えられた体躯を儀典用の装備に包んだ警備兵は、微かに顔を傾けて空を見上げた。日焼けした褐色の肌に、暗い琥珀の瞳が印象的だった。
今日は夜まで晴れそうだ。夜の花火まで、持ってくれればいいのだが。
「おい、そこの警備兵」
後ろから呼ばれ、振り返ると祝賀の為の礼服をまとった議員が立っていた。その足元には着替えや休憩の合間に吸うのだろう、煙草一式を入れているであろう鞄が置かれている。
「この鞄を中に運んでくれ。従者の手が空かなくての」
持ち場を離れるのは良くないが、どうしたものか。反対を振り返り、議会の入口を一緒に警護している相方を見た。警備兵という兵士は、その内面を表に出さずに仕事をしなければならない。大体はその視線で判るようになっている。
(行けよ)
相方に頷いて、警備兵は議員の後へ続いた。
丁度議事塔の下の広場にいる音楽団が、華やかな輪舞を奏でている。周囲を市民が取り囲み、踊る者達もちらほらと出始めていた。が、その景色とは裏腹に、塔の中では、祝賀のための美しい装いに身を包んだ議員達が不安げな表情で話し込んでおり、その何とも不釣合いな光景が警備兵を不安にした。
「竜人が、動き出したやも知れぬ」
この国を含む大陸の5つの国は、王家が互いに婚姻などで繋がりながら、この地の果てにある砂と岩山の『ランド』という砂漠地帯にいる竜人族と対峙していた。
竜人族は、人の形に似た、人ではない種族だ。
身体は大きく、大きな翼と腰から伸びる太い尾を用いて空を羽ばたき、しかも知的能力も人より高い。竜人一人で人間の十人に匹敵するとはよく聞く話だ。
そんな竜人に永らく抵抗出来たのは、ひとえに彼らの繁殖能力の低さのおかげでもある。彼らはよく人の子を伴侶に欲しがり、国境付近の村々では竜人に子を攫われることが多かったと聞く。その竜人族に深い打撃を与え、不可侵条約締結にこぎつけたのが、ちょうど100年前だった。
「まさかと思うが、あのお方を狙ってのことだろうか」
青磁様か、と警備兵は心の中で呟いた。
日が落ち、祭りは最高潮に達していた。
この国の王に当たる宗主と、その娘の青磁姫がバルコニーに出て、謁見と報奨を行ったら、この後は舞踏会と花火で締めくくられる。
警備隊長が警備の状況を見回りながら、急ぎ足で大広間の中へ小走りで入って行った。扉が閉まる瞬間、その奥に、光を纏った青磁姫の張り詰めた横顔が見えた気がした。
警備兵は思い出す。木漏れ日の中、幼い金糸のような艶やかな髪と、輝く碧い瞳。あれは姫が9歳の頃だ。
「ねえ、あの小川の向こうへ行きましょう。向こうには、『ランド』という場所があるのよ」
こんな事知られたら叱られるのは判っているくせに、試すようにそう耳元で囁いた姫の、転がる鈴の音のような声と甘い香り。
彼は、その年の夏に騎士見習いとして家を出る予定であり、青磁姫は、世継ぎの姫になることが決まっていた。自由を求め、何度も執拗に問いかける姫が、彼は眩しいのと同時に恐ろしかった。
(私があの時返した答えは、合っていたのだろうか)
今となってはもう、判らないだろう。
歓声が議事堂を包み、警備兵ははっと顔を上げた。恐らくバルコニーに宗主と姫がご臨席されたのだろう。
地響きが微かに足許に伝わってきたのは、その直後だった。
最初は微かな振動。次に、低い地鳴りのような響きに変わった。警備兵は、横の相方に声を掛けた。
「何かあるぞ」
「ああ」
「入るか?」
「まだだ」
なにか異変があると認識し、警備兵は大広間の扉に手を掛けられるよう、姿勢を変えた。
いつしか広場の歓声は止み、不安気な声のうねりに替わっている。
扉が開き、いつも冷静な警備隊長が、強張った顔で出て来た。
「エルデ湖の辺りに妙な灯りが見える。宗主様と姫を避難させるぞ」
「――祝賀の花火では?」
「いや、今年はエルデ湖からの打ち上げは無いはずだ」
その声が終わるやいなや、爆発音が響き渡り、塔が揺れた。
「何だ、一体?!」
「宗主様、姫!」
警備兵は隊長達と共に議会の中に駆け込んだ。議会の扉の反対側に開く窓とバルコニーの向こう側に、大きな炎が立ち上っているのが見えた。
湖の辺りから、花火が一斉に町と塔目掛けて打ち放されたのだ。
ちょうど窓の下、広場の辺りから赤い炎と黒い煙が立ち上ってくるのが見える。人々が恐怖で叫びながら逃げ惑い、倒れ込んだ者たちが、起き上がれずに群衆に踏み潰されていく。
この国がここまで蹂躙された記録は、ここ百年の間一度もない。最後の戦争は――竜人と争った世界大戦の時だろう。
警備兵が何とか大広間に入った時、血と炎に染まった広場を見下ろすバルコニーで青磁姫は一人、空から降りてくる竜人と対峙していた。
「……姫様。その竜人は」
バルコニーに降り立った竜人は、禍々しいような美貌の雄だった。時空が歪むような感覚にふらつきながら、警備兵は青磁姫の側へ近づこうと試みた。
「この者は、竜人の族長の息子。貴方では敵わないわ」
「危ない、こちらへ!」
姫は、竜人に微笑んだのち、眼下の血の海を見下ろした。
「沢山死んでしまったわね」
その声音に、警備兵は何かに気付き、背筋が凍るのを覚えた。宗主様は……彼女の父は、どこにいる?
町のあちこちで上がる炎に、姫の冷徹な横顔が照らされている。
「これが、あの時私と貴方が選んだ答えの結末よ」
これが? 私の選んだ答えだと?
「私はあの時、小川の向こうに行こう、と聞いたわ。そして貴方は何故、行かないの、と」
……僕は、騎士になりたい。この国のために。
「合鐵。あなたの名前」
警備兵は、弾かれるように顔を上げた。そう、私が遥か前に奪われた名前だ。
「貴方はあの時、私のことを父様へ話すべきだったわ。そして今も、私を殺せない。今夜の事は、本当はもっと心が痛むのかと思ったの。でも、何も響いてこなかった。だから…今の私が正しい私なのよ」
竜人の雄は、ゆっくりと青磁姫のもとに近づいていた。翼を広げ、そっと両手で青磁姫を抱き上げた。姫が、愛おしそうにその胸に顔を預けるのを見て、警備兵はその意味を悟った。首筋の毛が恐怖と嫌悪でそばだつ。
震えながらゆっくりと剣を抜くも、動けない警備兵を一瞥し、青磁姫と竜人は、ふわりと空へ飛びあがった。
「青磁様!」
あのお方は、私を試したのだ。私は間違ったのだろうか?
「合鐵。貴方も私も間違ってなかった。それに…貴方は名を呼ばれるべき人よ。忘れないで」
警備兵は、抜いた剣を手離せないまま、その場にへたり込んでしまった。
数年後、五大国は再度連合軍を率いて、辺境の「ランド」に侵攻した。
両者とも全面衝突を回避し、再度不可侵条約を締結。その立役者となったのは、竜人族の女王青磁と、五大国総司令合鐵であった。
今でも国境には、異なる者同士悪戯に踏み込まぬよう、戒めのための合鐵の剣塚が残されている。
了




