11-復讐の始まり
――――それは、眠れない夜のことだった。
カーテンの隙間から月明かりが差し込む部屋で、莉子はひとり、ノートパソコンの前に座っていた。
検索窓に打ち込む文字は、迷いの果てだった。
神谷圭太
投資 詐欺
結婚 被害者
外資 ファンド 偽名
婚約詐欺 手口
最初のうちは、まったく関係のない記事しか出てこなかった。
だけど、ページを何十枚もめくった先に――ひとつだけ、心に引っかかるスレッドがあった。
匿名掲示板に、こう書かれていた。
「神谷圭太って名前、詐欺師だよ。都内で“婚約”ちらつかせて金巻き上げて逃げたって話、聞いたことある」
「同じ被害に遭ったって子が港区でいた。名前もたぶん偽名。複数使ってるって」
莉子の指先が止まった。
鼓動がうるさくなる。
“自分だけじゃなかった”。
その事実に、怒りではなく、異様な安心を覚えた。
この苦しみを、他にも味わった誰かが、確かにいる。
翌朝、莉子はまた会社を休んだ。
髪をきちんと整え、いつものスーツを着て鏡の前に立った。
「何か、変わった?」
問いかけても、鏡の中の自分はただじっとこちらを見返すだけだった。
けれど、目の奥だけが違っていた。
もう、ただの“被害者”ではない光が宿っていた。
莉子は警察にも行った。
相談窓口で事情を話し、被害届の提出を求めた。
だが、担当者は冷静だった。
「個人間の金銭トラブルですね。詐欺の立証には“最初から騙す意思があった”と証明する必要があります」
「婚約指輪や同棲の話など、“交際の実態”があった場合、立件は非常に難しいんです」
「じゃあ、泣き寝入りしろと?」
「申し訳ありません。被害が他にもあれば、状況は変わるかもしれませんが……」
他にもいれば。
その言葉だけが、莉子の中に残った。
帰宅した莉子は、匿名掲示板に初めての書き込みをした。
――――――――――――――――――
都内で神谷圭太という名を名乗る男に、
婚約をちらつかされて金銭を奪われました。
他に被害者の方がいたら、話を聞かせてほしい。
確認できる情報は持っています。
本気で、奴を追い詰めたい。
――――――――――――――――――
「送信」を押した指先が、かすかに震えていた。
だが、その指にはもう指輪はなく、代わりに、復讐という言葉が、指先に棲みついていた。
莉子は立ち上がった。
部屋の空気が変わっていた。
まるで、長い冬のあとにほんの少しだけ風向きが変わったように。
その風はまだ、冷たい。
でもその冷たさは、もう“悲しみ”ではなく、“始まり”の冷たさだった。