ITQ量子コンピュータ
ITQ量子コンピュータ_Version_0.7.1
「ITQ?何でITQ??」
言葉に真っ先に食いついてきたのは祐子だった。
祐子は大学時代に量子コンピュータの研究を行っていたため、政一の作成したNimbusAlertを全て把握し、共鳴型量子コンピュータの開発を担い、システムのフルメンテナンスを行う事が出来る唯一の社員であるためNimbus Technologyにとってなくてはならない存在だ。
そんな祐子がITQ量子コンピュータに反応しないわけがない。
「どうしたんだ?」
雄大が祐子に質問する。
「え、ITQってIterative Quantization、つまり反復量子化の事・・・違うの?」
「俺にはさっぱりわからないが、どう違うんだ?」
「ITQは主に古典的な信号処理やモデル圧縮で使われる技術なのよ。量子コンピュータではIQPEっていうアルゴリズムがあるんだけど、ある種の最適化問題を解くために「反復」っていう枠組みを使う点ではITQとの共通点があるかもしれないけど、IQPEの目的は量子状態の特性、位相や振幅なんかの高精度な推定や、最適解の探索であって、古典信号の離散化や圧縮を狙うITQとは根本的に異なるの。」
祐子は考える仕草をしながら続けた。
「そうねぇ、例えば、ウェブ上の何百万とかある画像から「似た画像」を素早く探すのって、膨大なデータの中から類似性を計算しないといけないから、とても時間がかかるわよね?そこで、各画像を「特徴ベクトル」っていう高次元の数値データに変換するのよ。例えばCNN、畳み込みニューラルネットワークとか聞いた事あるでしょ?」
「あー、AIのなんかだろ?」
「そうそう、AIの画像認識技術のアーキテクチャね。それを使って、画像の内容を表す特徴量を抽出するの。で、高次元の実数値ベクトル同士の距離を直接計算すると、計算負荷が大きいから、特徴を0と1の短いバイナリコードに変換することで検索が高速化されるのよ。バイナリコード同士なら、ハミング距離で類似性をとても早く計算できるからなのよ。でもここで一つ問題があって、高次元の実数値特徴をそのままバイナリコードに変換すると、元の画像の類似性がうまく保てない可能性があるのよ。これは、そうねぇ、グレーの濃淡が100段階あったとして、どのグレーも微妙な違いがあって、実際の画像ではスムーズなグラデーションになるでしょ?このグレーの濃淡を、ただ明るければ白、つまり1ね、暗ければ黒、これは0ね、こんな感じで2段階に変換するとしたとき、ほとんど同じグレーの色でも、しきい値のちょうどのあたりから、片方は白に、もう片方は黒になっちゃうでしょ?これを画像検索で単純に0と1にすると、ちょっとした違いが大きな違いと同じように扱われてしまう事になる。当然検索結果は間違ってくるでしょ?そこで、ITQは、まず全ての画像に対してCNNで特徴ベクトルを抽出した後、元の特徴ベクトルに対して回転を行い、各軸方向に沿った分布がバイナリ化しやすい形に変換し、0か1で表現する際の誤差が小さく、似た画像がより近いバイナリコードになるように調整するの。初期の回転行列やしきい値の設定で一度バイナリ化して、その後、元の特徴ベクトルとの誤差を評価するの、そして、その誤差を小さくする方向で、回転行列やしきい値のパラメータを少しずつ改善していくの。この、試しては調整して再度評価するプロセスが反復的に繰り返されて、最終的に近似誤差が最小の状態になるの」
「つまり、なんだ、ユーザーが検索したい画像も同じようにITQでバイナリ化して、あらかじめITQでバイナリ化したデータベースで検索掛けるから早いって事か?」
「そうそう、そんな感じ」
「でも、これって普通のPCでも出来る事だろ?」
「そうね、ウチの共鳴型量子コンピュータなら精度も速度も上がるかもだけど、でも、共鳴量子コンピュータ使うならもっと別の方法もあるだろうし、だからITQ量子コンピュータって言葉に違和感があったのよ」
祐子と雄大は怪訝な表情を政一に向けるが、政一はそれをバッサリと切り捨てる。
「祐子の分かりやすい解説ではあったが、非情に残念だがITQ量子コンピュータのITQはIterative Quantizationのことじゃないからな、壮大な勘違いだ」
「なっ、だったら早く止めなさいよっ、思いっきり解説しちゃったじゃない」
祐子は自分の勘違いを指摘され顔を真っ赤にしながら恥ずかしさを隠そうとあがくが、その姿を見た雄大は思わず吹き出してしまう。
「ゆぅだあぁぃ」
恨みがましく雄大は名前を呼ばれ、「悪い悪い」と片手で謝る仕草してみせる。
「あんなに真剣に熱弁を振るってるのを途中で止めるのも悪いと思ったんだが、まぁ、おかげで雄大も勉強になったろ?画像検索は今じゃ誰もが当たり前の様に使う技術だからな、基本は知っておいて損はない」
「うっさい、いじわるっ」
祐子は、政一のフォローでさらに恥ずかしくなったのか、悪態をつきながら椅子に座ると「はぁぁぁぁぁ」と深いため息をついてみせた。
雄大は祐子の振るまいが矢鱈と可笑しかったらしく一頻り笑っていた。
「くっそー、おぼえてろよぉ」
雄大もまた、手近な椅子に座ると体を背もたれにあづけた。それを見計らい、政一は話し出した。
「じゃぁそろそろITQについて話そうか」
「そうよ、何なのよ」
「正直、このシステムを知ったとき言葉を失ったよ」
「ちょっと、もったいぶらないで早く教えて」
「ITQ、Imaginary Time Quantum Bit、すなわち虚数時間量子ビットの事だ。正確性や、誤解を回避するためには、ITの後にQubitを付け加えてITQubitとするのが最善だと思うが、まぁ、ITQ量子コンピュータと言えばこれを意味すると思ってくれ」
政一の言葉には若干の皮肉も含まれていたが、そんな事など祐子にとってはどうでも良いことになっていた。それは、自分の持つ知識をフル稼働させ、その言葉から理論や構造、システムを推測しようとしているが、全くとどかない。
完全に固まる祐子。
「な、なんか祐子フリーズしてないか?なんなんだその虚数時間ってのは?」
雄大が固まる祐子を少し心配しながら政一に質問する。
「通常の量子コンピュータ、もちろん共鳴型量子コンピュータも含まれるが、通常は実時間状で量子状態を表現するのに対し、ITQは「虚数時間軸」上で量子状態を表現する。この量子状態の表現によって、ITQに時間反転対称性の破れを利用した量子演算能力を実現する技術だ。」
「ありえない」
再起動した祐子は正直な気持ちを口にしていた。
ありえない、政一もまたサリーニから話を聞いたときは同じ事を口にしていた。だが両手のひらより少し大きい回路基板を手にしたとき、政一の全てが変わった。
「すまん俺にも分かるように説明してくれ」
雄大はもまた正直な気持ちを口にした。
「そうだな、「虚数時間」という言葉自体が、通常の時間感覚からすると少し理解しにくいかもしれない。量子コンピュータの話に入る前に、この「虚数時間」という概念について、簡単に説明しよう」
政一はホワイトボードに、イラストを書き込みながら解説を始めた。
「まず時間とは何か?」
「時間?時間って、あれだろ、時を表す・・・なんて言ったらいいんだ」
「実時間、私たちが毎日で体感している、過去から未来へと一方向に流れるもの」
答えに悩む雄大に祐子が変わって答える。
「そうだ、物理学的には、時間は空間と並び、宇宙の構造を記述する基本的な要素の一つだ」
「スケールがでかいな」
祐子と政一の言葉に雄大はたじろいだ。
「では虚数とは何か?」
「ああ、それれは分かる、数学の虚数(imaginary number)は、2乗すると負の数になる数のことだろ。具体的には、i、虚数単位だっけ、i²=-1になるやつだろ。」
雄大が答えた。
「そうだ、虚数は実数だけでは表現できない数学的な概念を記述するために導入され、複素数論など数学や物理学では欠かせないツールだ」
ホワイトボードに次々と質問と回答が書き出される。
「では虚数時間は?」
「物理学、特に量子力学や相対性理論の分野では、時間を虚数で表現する数学的な操作がつかわれる事があるわ。」
祐子が即答する。
「そうだ、それが虚数時間だ。虚数時間は、通常の時間つまり実時間だが、それとは異なり、人が直接体感できる時間ではなく、あくまで数学的な便宜上の概念として導入されることが多い。そして虚数時間は、物理現象を数学的に記述する際の便利なツールとして利用される。例えば、量子力学における経路積分形式主義や、熱力学における統計力学形式主義など、虚数時間を導入することで、複雑な物理現象をよりシンプル、かつ優雅に記述できる場合がある。」
「相対性理論でも、時間と空間は密接に関連付いた概念として扱われていて、虚数時間を導入することで時間と空間の数学的な対称性を明確に表現できるメリットもあるのよ」
「では時間反転対称性について説明できるか?」
政一は祐子に尋ねると、「OK」と答えホワイトボードの前に立った。
「そうねぇ、まず時間の流れと物理法則から説明していくと、私たちの日常経験では、時間は過去から未来へと一方向に流れているように感じられるわね。でも、基礎的な物理法則の多くは、時間の向きを逆転させても形を変えない性質を持っているの。この性質が時間反転対称性なのよ。」
「時間の向きを変えたら、ビデオの巻き戻しみたいになるんじゃないのか?」
「ビデオ?巻き戻し??」
雄大の質問に祐子が質問で返す。仕方の無いことだ、ビデオデッキどころか、ビデオテープすら見たことないだろう。
「ニュートン力学や電磁気学(マクスウェル方程式)など、古典物理学の基本的な法則は時間反転対称性を持っている。ニュートンの運動方程式において、時間変数tを-tに置き換えても方程式の形は変わらない。これは、ニュートン力学で記述される現象、例えば物体の運動は、時間の向きを逆にしても物理的に矛盾が生じないということだ。」
「マクスウェル方程式も光や電磁波の伝播現象は、時間の向きを逆にしても、物理的に問題なく記述できるの。」
政一と祐子が立て続けに解説すると、雄大は困った顔をして見せた。
「安心しろビデオの巻き戻しで合っている。ニュートン力学の場合、リンゴが木から落ちる時ニュートンの運動方程式を使ってその運動を説明できるだろ。時間を逆にすると、リンゴが地面から木に戻る様子を想像できる。つまり、リンゴが落ちるのも、木に戻るのも、同じ物理法則に従っているためどちらのシナリオも成立する。つまり、時間の向きを変えても物理的に矛盾が生じないということだ。」
「マクスウェル方程式の場合も同じよ、リンゴが落ちることで周囲の空気中に波が発生し、その波が伝わる様子をイメージして。もし時間を逆にして、リンゴが地面から木に戻るとき、光や電磁波がその過程を伝播していることを考えると、時間を逆にしても波の振る舞いは変わらない。つまり、リンゴが落ちる現象も、逆に戻る現象も、同じ物理法則で説明づけられるの。ビデオは知らないけど」
「なるほどなぁ、ビデオは知らないようだけど、分かりやすかったな」
「知らないわよっ」
祐子は持っていたペンを雄大に投げつける振りをして見せた。
「では、時間反転対称性の破れについてだ。まれに、この世界では時間反転対称性が破れている現象がある。これは特に弱い相互作用と呼ばれている素粒子間の相互作用で時間反転対称性の破れが確認されている。」
政一の解説に祐子が続いた。
「素粒子物理学の四つの基本的な力、重力、電磁気学、強い相互作用、弱い相互作用のうち、弱い相互作用だけが時間反転対称性を破るの。弱い相互作用は、放射性崩壊なんかの現象に関与してたり、素粒子の世界で時間の非対称性の起源の一つって考えられているのよ」
「じゃぁ、その時間反転対称性と虚数時間に関係性があるって事なのか?」
「そうそう、数学的に、虚数時間変換は時間反転操作と正式に同等だって言える場合があるの。この性質が、虚数時間が物理学で有効活用される理由でもあるの」
理解を深めていく雄大に祐子のテンションが上がる。
「さて、長らくお待ちかねのITQだ」
「お、いよいよだな」
「ありえないんだけどなぁ」
「通常の量子ビットが実時間軸上で量子状態を表現するのに対して、ITQは虚数時間軸上で量子状態を表現する、まぁ非現実的と言うかぶっ飛んだコンセプトに基づいて設計されている事は先に話したとおりだ」
「具体的にどうやって虚数時間軸上で量子状態を表現するのよ?」
「トポロジカル絶縁体(Topological Insulator)は知っているな?」
「えーと、内部が絶縁体、表面が導体を示す物質でしょ」
「そうだ、雄大、メビウスの帯はわかるな?あれは、表と裏が区別のつかないねじれた構造を持っているだろ。トポロジカル絶縁体の表面状態も、メビウスの帯のように、内部の絶縁体と表面の導体が継続的に繋がり境界が曖昧な状態である事をイメージすればいい。そして、その表面の伝導電子状態は、電子スピンと運動量が強く結びついているスピン運動ロッキングという特徴を持っている」
「スピン運動ロッキングってなんだ?」
雄大が訊ねると、祐子がそれに回答する。
「スピン運動量ロッキングっていうのは、内的な回転のような特性を持った粒子のスピンと、運動量、つまり運動の方向と速度が強く結びついている状態の事よ。この状態だと、スピンの向きが運動量の向きに依存して、互いに固定された関係になるの。例えるなら、そうねジャイロスコープは、回転することでその向きを保持するでしょ。そのジャイロスコープが特定の方向に回転しているときに、その回転軸が常にその方向を指し続けるような状態かな」
「物理的な意味で言えば、粒子のスピンが運動方向に「ロック」されているから外部からの影響、つまりデコヒーレンスの影響を受けにくく、安定した状態を保つことができる。これは、トポロジカル絶縁体の重要な特性なんだ」
政一はデスクの引き出しから回路基板を取り出し、2人が見えるように置いた。
「みせてっ」
祐子が逸早く基板を手に取り、基板構成を確認する。
「メインコア綺麗・・・いやそうじゃないそうじゃない」
祐子は子供の手のひらサイズのメインコアの内部構造が放つ屈折と散乱の織りなす光と極小の真空管のような形をとるクライオスタット(cryostat)が放射状に並ぶ未知のシステムに触れられる喜びに一瞬飲み込まれそうになる。
「未完成の状態で手に入れたITQのテスト基板だ、とりあえず十分な動作テストが出来る程度には手を入れてはある」
「へぇ、どの程度の処理が出来るんだ?」
雄大が質問する。確かにテスト基板だとしてもその性能は気になるところだ。
「とりあえず、NimbusAlertを10台同時に動作させる程度の処理は可能だ」
「は?10台!?」
「凄いだろ?」
「いやちょっとまってくれ、これテスト基板なんだろ」
「そのぐらいの処理はしてもらわないと困る、でなければ必要ないだろ?」
「いや、だが・・・」
雄大の量子コンピュータの知識は確かに豊富ではない、だが、NimbusAlertや共鳴型量子コンピュータが行っている処理の量は十分理解している。ITQが如何に飛び抜けた技術であるか、言葉でどう表現すればいいのか迷うのも無理はない。
「ここからはCortex Dynamicsが発見し未発表な事だが、トポロジカル絶縁体は特定の条件下で特殊な量子フィールド、虚数時間場(ImaginaryTimeField:ITF)で満たされる事が分かった。ITFは、通常の時空とは異なる虚数時間軸に沿って振動する量子フィールドであり、時間反転対称性を破る性質をもっている。つまり、トポロジカル絶縁体表面の電子状態は、このITFと強く相互作用し、ITFの影響を受けて非可逆的な振る舞いを示す」
「特殊な条件下って?」
祐子が問う。
「極低温フォノンと強磁場ゼーマン準位が量子共鳴状態になると、エネルギーが効率よくトポロジカル絶縁体内部に伝達される。このエネルギーが、トポロジカル絶縁体内部に潜在的に存在している虚数時間場 (ITF) を励起させる。具体的な温度は絶対温度1ミリケルビン (mK)から100マイクロケルビン(µK)程度。1mK、これはヘリウム3-ヘリウム4希釈冷凍機で継続的に達成可能な最低温度に近い値だ」
「わりい1mkって何度なんだ?」
「絶対零度、-273.15度にとても近くて、セ氏温度に換算すると約-273.149度。で、磁場強度は?」
「30テスラ(T)から100テスラ(T)程度、30Tは、超伝導磁石で継続的に発生可能な最大磁場強度に近い値だ。地球の磁場、約0.00005テスラの60万倍の強さだな。100T、これは抵抗電磁石や爆縮型磁場発生装置で、瞬間的に、あるいは非常に制限された空間で達成可能な磁場強度だ、まさに超強磁場の領域といっていい」
「そりゃウチじゃ無理だろ」
雄大が呆れる。
「ウチの共鳴型量子コンピュータと同程度の施設が必要になるわね」
「使うためには莫大な費用が必要そうだな」
祐子と雄大は、政一がNimbusAlertを売却して得た資金を、ITQ量子コンピュータを動作させる設備に投資したかったのではないかと想像した。が、政一の次の言葉で想像は打ち砕かれる。
「いや、施設は必要ない、ITQ量子コンピュータは実家の俺の部屋で動作させる」
「、ちょっと意味分からない・・・」
祐子は想像もしなかった政一の言葉に本音がこぼれる。
「はぁ」とため息をついて政一は続けて言った。
「お前達、さっきから何を聞いてたんだ?」
「ITQを使うために非常識な冷却とイカレタ磁場が必要だって事だろ?そんな環境お前の自宅で使えるわけないだろ」
雄大は率直な意見を述べた。
「お前達は全くITQを理解していない。その基板のメインコア。」
政一はテスト基板の中央横に鎮座する、ガラスのようなシールドに保護されたメインコアを指さして続けて言った。
「このメインコア内で、冷却と強磁場が同時に行われるんだ」
「政一、正直ITQの技術はまだ意味不明な部分が多いんだけど、さすがにそれは無理、理解できない、ありえない」
「ITQコアの内部は、大きく分けて3つの層で構成されている。最外層は、古典的な制御回路と量子ビットインターフェース。中間の層が、トポロジカル絶縁体で構成された量子演算層。そして最内層が、極低温冷却層と強磁場発生層だ。(*1)」
「極低温冷却層と強磁場発生層がコア内部に…信じられない」
祐子は依然として信じられないといった表情で呟いた。雄大もまた、ポカンとした顔で政一の話を聞いている。
「無理だ、ありえない、か… その反応はもっともだよ。正直初めて聞く人には、そう思われて当然だ。最初は私も全く信用してなかったからな。だが、ITQ技術の肝は、まさにそこにあるんだ。」
政一はそう言って、ホワイトボードにテスト基板の構造を簡略して描いていった。
「これがITQコアの断面構造だ。先ほど言ったように、3層構造になっている」
祐子と雄大は、腕組みしてホワイトボードを覗き込む。複雑な回路構成が、色分けされて層状に描かれている。
「一番外側の最外層は、古典的な制御回路と量子ビットインターフェースだ。ここは、従来の半導体技術で作られていて、我々にも比較的理解しやすい部分だ。役割としては、外部からの制御信号を受け取り、量子演算層に適切な形で伝えるインターフェース、そして演算結果を古典的な電気信号に戻して出力する部分だ。」
政一はペンで図の外側の層をなぞりながら説明する。
「問題は、その内側、中間の層だ。ここがITQ量子コンピュータの心臓部、量子演算層になる。この層は、特殊なトポロジカル絶縁体で構成されている。」
政一は少し声を強めた。
「トポロジカル絶縁体というのは、表面は電気を通すけれど、内部は電気を通さないという、不思議な性質を持つ物質だ。そして、ITQでは、このトポロジカル絶縁体に虚数時間場(ITF)を充填することで、量子ビットとして機能させている。」
雄大が眉をひそめて尋ねる。
「虚数時間場?トポロジカル絶縁体は特定の条件下で特殊な量子フィールド、虚数時間場(ITF)で満たされるってやつだろ?」
「おぉぉ」
雄大の言葉に政一と祐子は感嘆の声をあげると、雄大は「いや、俺だってちゃんと聞いてるから」と少し怒って見せた。
「ITFは喩えるなら、時間という概念を拡張した新しい空間のようなものだと思ってもらえればいい。この虚数時間場の中で、ITQubitは量子状態を表現し、時間反転対称性を破る特殊な量子演算を行うことができる。」
「いや、ちょっとまって、さらっと言ってたけど時間という概念を拡張した新しい空間のようなものって、それは間違った喩えだと思うわ。」
新しい空間は物理的な別の空間であり。自分たちが3次元空間として認識している空間とは異なり、数学的な抽象空間であると祐子は言いたいのだろう。
「時間と虚数時間は理解しているな?」
「ああ、時間は実時間、過去から未来へ一方向に流れる奴だ。虚数時間は実数に虚数単位iを掛けた時間だ。」
「うーん、まぁそんなところだろう。虚数時間軸は、実時間軸とは直交する方向に存在している。私たちの日常的な時間感覚とは異なる、数学的な空間として捉えることいいだろう。この虚数時間軸を導入することで、時間という概念を複素数の領域に拡張し、より自由度の高い時間を取り扱うことが可能になる。この虚数時間軸を包含した時間概念の拡張が、「ITFは時間概念を拡張した、新しい空間のようなもの」という表現の意味するところだな。だが、」
政一は再び図を指し示す。
「一番内側、最内層。ここが、極低温冷却層と強磁場発生層が同居する場所だ。」
祐子その図を見つめ、再び疑問を口にした。
「そんなこと、どうやって実現してるのよ?」
政一はニヤリと笑った。
「怖っ!」
普段から余り表情を変えない政一が笑うのだ、それは2人にとって恐怖と驚きでしかない。
「そこがまさにITQの秘密、そして革新性が凝縮されている部分の一つだ。まぁ落ち着いて聞いてくれ。」
政一は説明を続けた。
「まず、極低温冷却層についてだが、ITQコアでは、従来の冷却方式とは全く異なる、特殊多層膜構造における量子トンネル効果を利用した、非常に洗練された?いや、非常に非常識な冷却システムだ。」
「なんで量子トンネル効果が冷却につながるのよぉ、意味わかんない・・・」
「ITQコアの冷却素子は、特殊な多層膜構造でできている。この多層膜構造は、性質の異なる非常に薄い量子材料の層と絶縁体の層が、原子レベルで交互に積み重ねられた非常に精密な人工構造物だ。量子材料層は、熱エネルギーの担い手であるフォノンを効率的に運び伝える役割を担うことになる。ビスマス系トポロジカル絶縁体、グラフェン、カルコゲナイド超伝導体など、熱を伝えやすく、特異な量子物理的な性質を示す材料が使われる。これらの量子材料層は、熱エネルギーを多層膜構造全体に素早く拡散させる熱伝導路として機能する。絶縁体層は、量子材料層の間に挟まれた非常に薄い絶縁体の膜だ。二酸化ケイ素(SiO2)、酸化アルミニウム(Al2O3)、窒化ケイ素(Si3N4)といった材料が使われる。この絶縁体層は、量子トンネル効果を引き起こす上で最も重要な役割を果たす。絶縁体層は、古典力学的には熱エネルギーの移動を妨げる熱的な壁として機能するが、量子力学的には量子トンネル効果が起こるトンネルの壁として作用する。」
「あああーっ、ちょっとまってくれ、色々と分からんまずフォノンってのは何だ?」
「ITQコア内部で発生した熱エネルギーの粒子だ。とはいっても量子力学的な擬似粒子なのだが。波としての性質と粒子としての性質をあわせ持ち、エネルギーと運動量を運ぶのがフォノンだ」
「光みたいだな」
「雄大にしては鋭いな、確かにフォノンと光、つまり光子のフォトンには似ている点があるな。だが大きく異なる点もある。フォノンもフォトンも波動と粒子の二面性を持つ存在として捉えられている点が共通している。まずは波動性、波としての性質だな。分かりやすく光から説明すると、電場と磁場の振動が波として空間を伝わる現象が光りだ。電波、マイクロ波、可視光線、X線、ガンマ線なんかが電磁波の総称だ。つづいてフォノンは、物質中の原子の振動が波として伝わる現象だ。音波のように、媒質(物質)中を伝搬する弾性波の一種だ。」
「なるほど、俺にしてはってのは気になるが」
政一はあからさまに素知らぬふりをしてみせていると、祐子が続きを話し出した。
「じゃぁ次は粒子性ね、光は、電磁波のエネルギーも連続的ではなくて、光子、つまりフォトンというエネルギーの最小単位に量子化されてるの。フォトンはエネルギーと運動量を持っていて、空間を粒子のように跳び回るのよ。つぎにフォノンね、原子振動のエネルギーは連続的ではなくて、フォノンというエネルギーの最小単位に量子化されているの。つまり、フォノンもエネルギーと運動量を持って、物質中を粒子のように振る舞うのよ。」
「じゃぁ、違いは何なんだ?」
「まずは媒質、光は電磁波だから、媒質が必要ないのよ。真空中でも光速で伝搬することができるでしょ?もちろん物質中を透過する事もかのうだけど、本質的に媒質に依存しないのよ。そしてフォノンは物質、つまり媒質の振動そのものなのよ。フォノンが存在するためには、原子や分子が規則的に配列した結晶や、それに類する擬縮系が必要なの。だから真空中では存在できないの。」
「なるほどなぁ」
「速度も違うわ、光は真空中を約30万km/秒で伝搬するでしょ。これは宇宙で最も速く、フォノンの速度とは桁違いに速いの。物質の中では、物質との相互作用で速度が遅くなる事もあるけどね。そしてフォノンは物質中を音速で伝搬するのよ。音速は物質の種類や状態で変化して、当然光速より遙かに遅い速度なのよ」
「似たような名前で似たような性質だが、本質的に違うんだな」
「そうだな」
「つまり、メインコアの熱、つまりフォノンがその、何とか膜のトンネルの穴の中を抜けて排熱されるって事か?」
「うーん、まぁ、そんなところだ」
「いやいや、違うでしょ」
雄二の理解に、OKを出す政一だが祐子は納得いかないようだ。
「そうか、じゃぁ多層膜構造から話すか。雄大、ミルフィーユは好きか?」
「ミルフィーユ?あのパイ生地の重なった奴だろ?まぁ嫌いじゃないな」
「つまりメインコアの熱であるフォトンが、ミルフィーユのトンネルの穴を通って」
「せぇいいちぃ」
「仕方が無い、祐子に怒られるのは嫌だからな」
「ははは」
「別に怒らないけど、要は多層膜構造っていうのはミルフィーユみたいにサクサクパイ生地とクリームが何層も交互に重なっている様に、非常に薄い量子材料の層と絶縁層が交互に重ねられて、原子レベルの超精密なミルフィーユみたいな人口構造を作ってるのよ」
「なんでミルフィーユにする必要があるんだ?」
「いい質問だな、それはITQ量子コンピュータの冷却が、ただ冷やすだけでなく量子力学的な効果を最大限に活用した特殊な冷却方法だからだ。 この複雑な多層膜構造こそが、その秘密の本質なんだ」
「実際重ねてる順番は分からないけど、カルコゲナイド超伝導体を最外層、つぎにグラフェン、最後にビスマス系トポロジカル絶縁体、そして絶縁体層ってところじゃない?」
「なぜそう思うんだ?」
政一は祐子に尋ねる。
「グラフェンは内面方向の熱伝導率が非常に高いし、多層膜構造全体を均熱化するには最適だけど、二次元材料だから層間方向の熱伝導率は比較的低いから。だったら、カルコゲナイド超伝導体を最外層にした方がいいと思ったのよ。カルコゲナイド超伝導体は、その名前にもあるように超伝導体だから、低温状態環境下で超伝導状態になれば極めて高い熱伝導率が得られるわけ。つまり、メインコアの熱を一気にカルコゲナイド超伝導体で吸熱、グラフェンで拡散均一化、そしてビスマス系トポロジカル絶縁体と絶縁体層でトンネル効果を最大化させる感じかな」
「なるほど」
「なるほど?違うの?」
「そうだな、10点を上げよう」
「はぁ?嘘でしょー」
祐子の無残な悲鳴がオフィスに響く。そんな中、雄大が質問を投げかけた。
「なぁ、ビスマス系トポロジカル絶縁体と絶縁体層ってどういう事だ?そんなに絶縁体が必要なのか?ビスマス系トポロジカル絶縁体があれば絶縁体層は必要ないんじゃないか??」
「すごいじゃないか、何か変な物でも食べたか?」
「失礼なやつだなぁ」
「いやすまんすまん、本当に感心してるんだ。特にビスマス系トポロジカル絶縁体があれば絶縁体層は必要ないんじゃないかというのは中々どうして、普通に考えれば無理な発想ではあるが、非常に面白いというか理解しようとしている努力が見られる。80点を上げよう」
「ちょっと酷くなーい」
「酷くない。祐子には期待しているんだ、もう少し頑張って欲しい。ちなみにオレは30秒で答えに行き着いた。」
「マジかよ、さすがというか凄いな」
「うそね」
「うそだ」
「・・・こいつ」
政一の知識に本心から感心した雄大を小馬鹿にしたようなやりとりに、雄大は小さな怒りを覚えた。
「だが、雄大の質問には本当に感心したよ、これはビスマス系トポロジカル絶縁体の内部の非常に薄い絶縁体でトンネル効果を高め利用すればいいって事だ。これは絶縁体層を独立して作製する手間を省き、ビスマス系トポロジカル絶縁体という多機能な材料一つでトンネル障壁と熱拡散の二役を担わせる簡略化と高機能化を両立できる可能性があるのではないかという発想に至ったという事だろ」
「いや、そんな大層な発想には至ってない、ただ絶縁体絶縁体って繰り返し聞いてたら一つぐらい必要ないんじゃないかと思っただけだ」
「・・・」
「ぷぷっ」
雄大の言葉に愕然とする政一を祐子は見て小馬鹿にしたように笑ってみせた。
政一は一連の流れを有耶無耶にするように咳払いし祐子に話しかけた。
「さて、祐子は答えが出たか?」
「無理、トンネル効果を利用してフォノンを外に出すっていうのは理解できるけど、確率的にトンネル効果が効率的に排熱に利用できるとは思えない、当然超低温状態を維持するのも無理」
政一は「はあぁぁぁ」と深いため息をわざとらしくつくと、
「いや、まぁ無理もない、知らない事は罪じゃないからな」
と意地悪そうに笑いながら言うと、祐子は悔しそうに拳をプルプルと震わせて見せた。
「この多層構造膜の構造だが、そもそもミルフィーユのように正確な重なりを持っていない」
「はぁ?」
政一の答えに2人の声がハモる。
「ITQの冷却素子の目的は量子トンネル効果の方向制御と熱エネルギーの効率的な虚数時間軸方向への排出だ」
政一はホワイトボードに描き足しながら解説する。
「結論から言えば、多層構造は膜厚、材料、積層パターンを意図的に変化を持たせ意図的に非対称性を持たせている」
「非対称設計って、内部でフォノン流路に偏りが出来るじゃない、そんなことしたら一部にフォノンが集中して局所的なフォノン密度の上昇が起こるじゃない」
「それって熱が籠もるってことだよな」
祐子と雄大は政一の答えに納得がいかないようだ。しかし、政一は表情一つ変えずに解説をつづけた。
「その通りだ、フォノン飽和は熱エネルギーが特定の領域に蓄積されることを意味する。冷却効率は低下し、局所的な温度上昇、構造の不安定化などを引き起こすだろう。だが、この非対称多層膜構造におけるフォノン飽和誘起型強制量子トンネル冷却機構(Phonon Saturation Induced Forced Quantum Tunneling Cooling : PSI-FQT Cooling)はそんなリスクを根底から逆転してしまうんだ。」
「いいから、はやく教えなさいよ」
祐子が我慢できないといった感じで政一を急かす。
「本来対称的な多層膜構造では、量子トンネル効果は実時間軸方向と虚数時間軸方向に等方的に発生するため、熱エネルギーは拡散するのみで、効率的な虚数時間軸方向への排出は困難なことはわかるな?非対称設計によって、フォノン密度が局所的に上昇し、フォノン飽和状態が誘起される。当然フォノン飽和状態では、フォノン同士の相互作用が増強され、フォノンエネルギーの密度は高まる。この時、エネルギーの密度の増大は、熱エネルギーが特定の領域に蓄積されることを意味すると同時に、類推的にフォノン圧力の上昇として捉えることが出来る。」
「・・・フォノン圧力・・・!?」
祐子が何かに気づいたのか、自問自答しながらホワイトボードに描き足し始めた。
「フォノン密度が高まるということは、フォノン同士の衝突頻度が増加すると言うこと。非線形な相互作用が顕著化する。それは、フォノンの散乱が活発化する事になるから、熱伝導特性も変化する可能性があるわね。それに量子トンネル効果のトンネル確立に影響を与える可能性があるかもしれない。雄大、よく聞きなさいっ」
名前を呼ばれ雄大は今度は何を言われるのかたじろいだが、そんなことはお構いなしに祐子は話しを続けた。
「量子トンネル効果は、量子力学的な現象なのよ、粒子の波動性に依存するけど、周囲の粒子の状態、つまりここではフォノンの密度によって、その波動関数の振る舞いが変化する?トンネル確率が変動する?したとしても・・・でも、虚数時間軸方向へどうやって・・・ああっもうっ、あと少しなんだけど可能性の壁があぁぁぁ!!」
祐子は悔しそうにペンを置くと、イライラを体全体で表現して見せた。が、何かを思い出したようにその場で固まると、ぽつりとつぶやいた。
「ITF」
祐子は置いたばかりのペンを掴み取りホワイトボードに対峙する。
「ITF・・・、虚数時間場・・・整理しないと」
虚数時間軸、トンネル効果、ポテンシャル障壁、フォノンが古典力学的に乗り越えられないエネルギーの壁。古典力学の世界ではボールが坂を転がり上がり坂を越える為には、坂の高さに相当するエネルギーを与える必要がある。もしエネルギーが不足していれば、ボールは坂の途中で跳ね返されて坂の頂上を超える事はできない。しかし、量子力学の視点で考えると微小な量子であるフォノンは、量子力学の法則に従って古典力学とは異なる振る舞いをする。たとえエネルギーがポテンシャル障壁の高さよりも低くても一定の確率で障壁をすり抜け、反対側へ到達することがあるのだ。つまり絶縁体層は、フォノンにとってこのポテンシャル障壁として機能して層間の熱輸送を妨げる要因になるということだ。だが、量子トンネル効果によって熱エネルギーの一部は絶縁体層を透過する事が可能になる。だとしても、この問題の解決には至らない。なぜなら量子トンネル効果の確率が低すぎるから。そして、多層膜構造によるフォノンの密度上昇、温度上昇はITQ量子コンピュータのメインコアにとって致命的な問題となってしまう。だが、フォノン密度の上昇は類推的にフォノン圧力の上昇として捉えることができる。それは、フォノン飽和によるフォノン圧力の上昇が、絶縁大層の量子トンネル効果に影響を与える可能性が考えられ、フォノン圧力の上昇によって量子トンネルの効果確率が上昇するならその分だけ熱を多く排出できる可能性が考えられる。
祐子はホワイトボードを使い順を追って思考を整理してゆく中で、一つの可能性にたどり着いた。
「・・・絶対にあり得ない事なんだけど、ITFが量子トンネル効果のポテンシャル障壁に影響を与えるとしたら?」
「正解、花丸を上げよう。フォノン圧力の上昇は、量子トンネル効果のポテンシャル障壁を動的に変調させる。特に、ITFによって虚数時間軸方向へ歪曲されたポテンシャル障壁に対し、フォノン圧力が局所的に作用することでトンネル確率が非線形に増大するんだ」
政一は祐子の書き出した可能性に赤ペンで花丸を書いた。そして、さらに情報を書き加える。
「フォノン圧力の集中とITFによるポテンシャル障壁の歪曲が相乗的に作用することで、絶縁大層において強制量子トンネル効果(Forced Quantum Tunneling Effect: FQT Effect)が発現する」
「強制量子トンネル効果・・・何その頭がおかしくなりそうな現象、そもそもITFが量子トンネル効果のポテンシャル障壁に影響を与えるとしたらっていうのも、私は仮説というより、それしか選択肢がなかっただけなんだけど」
「いや、正直凄いよ、この少ない情報からよくITFが影響する事にたどり着いたと思う」
政一の賞賛の言葉に普段の祐子なら大はしゃぎしそうなものだが、苛立った口調で政一に質問した。
「なんで、ITFがポテンシャル障壁を歪曲させるのよ」
「励起されたITFは、その状態変化に伴い、時間反転対称性(T-対称性)を自発的に破る。つまり、ITFが基底状態から励起状態へ遷移する際、系は熱力学的な非平衡状態へと移行するんだ。非平衡状態において、系の時間発展は可逆性を失い、すなわちT-対称性が破れるんだ。ここからはまだ仮説な部分も含まれるのだが、T-対称性の破れは特定の秩序変数の出現を伴うということ。ITFの場合、虚数時間軸方向への指向性を示す秩序変数が出現すると考えられる。えーと、そうだな、例えるなら、風向きを示す風見鶏、人が集まる方向のような、バラバラだった物がある方向に揃ったり偏ったりといった特徴付けられる様になる時に現れる物が秩序変数だ。T-対称性の破れが起こると、ITFに今までなかった「方向性」が生まれるという事だ。」
「鉄の棒は、ただの棒であって特に方向性はないが、磁石になると、N極とS極という方向性を持もつみたいな感じか?」
雄大の例えに政一は感心しながら驚きつつ話を続けた。
「その通りだ、磁力線はN極からS極へ向かうという偏りが生じる、つまり対称性が破れる事になる。この場合、「磁化」が秩序変数になり、磁石の方向性を示すんだ」
「なるほどね、ITFの場合は、T-対称性の破れによって「虚数時間軸方向への指向性」という新しい秩序変数が現れるってことなのね」
「そうだな、ITFが虚数時間軸方向を特別な方向として区別し始めるという感じが分かりやすいだろう。さて、つづきだが、T-対称性が破れた状態では基底状態が一意に定まらない、複数の不安定な準安定状態が存在する可能性が考えられる。この時、系の状態はこれらの準安定状態間を遷移し、時間的な非可逆性を示すんだ」
「うーん、俺にはちょっとわかりにくいな」
雄大がうなると、祐子が解説する。
「確かに少しわかりにくい概念かもしれないわね。基底状態の非一意性っていうのは落ち着き先が一つじゃないって感じかな。例えば、盆地のような、周りを山に囲まれた低い土地をイメージすると、普通の山に囲まれた谷であれば一番低い場所は一つ、谷底だけよね。でも、盆地のように、広くて複雑な地形の場合は、低い場所が谷底だけでじゃなくて、何カ所も存在する事があるわよね。小さな池があったり、平らな草原があったり、すこし窪んだところがあったり、色々な「低い場所」があるわけよ。そこで、準安定状態っていうのは、この盆地の地形をITFのエネルギー状態だとイメージすると、低い場所はエネルギー的に低い状態、つまり安定な状態の事なのよ。谷底が基底状態に一番近いんだけど、池や草原、窪地も、周りにクララベレバ低い場所だから、比較的安定な状態と言えるわよね。これが複数の準安定状態のイメージかな。完全に安定した基底状態が一つだけじゃなくて、準安定状態っていう比較的安定な状態が複数存在するのが基底状態の非一意性って事なのよ。」
「盆地ねぇ、じゃぁ準安定状態間の遷移っていのは、盆地の中で、そうだなぁ、ボールを転がしたとき、ボールが一番低い谷底に落ち着くのが一番安定しているんだが、途中の池や草原やら窪地にも一時的に留まる感じか?」
「そうそう、それに、少し外部から力が加わっても、別の低い場所に移動する事もあるわね。ITFの状態も同じように、完全な基底状態だけでなく、複数の準安定状態の間を言ったり来たりするイメージね。これが、「系の状態は複数ある準安定状態を遷移する」ってことなの」
「祐子の解説は、なんか凄い分かりやすいな」
「ふふーん」
雄大が褒めると、祐子は胸を張って見せる。すると、政一は「では祐子先生にまとめてもらおう」と祐子に促した。
「つまり、ITFにエネルギーが加わると非平衡状態に移行して、T-対称性の破れによって、エネルギー的に低い状態、つまり準安定状態が複数発生し、一番安定な状態が一つに定まらなくなって、”ITFの状態”は、”複数の準安定状態の間を遷移”しているため、時間を逆さにしても元通りにならない、時間的に非可逆な変化、つまり時間の非対称性を生み出すってことね」
「さっきまで凄いわかりやすかったのに、まとめるとわかりにくいのはなぜなんだ」
「おバカさんだからよ」
「おまえなぁ」
祐子は雄大をからかうと、政一に言った。
「何となくITFが分かってきたような気がするわ、たぶんT-対称性の破れは、ITFのエネルギー準位構造に擾乱を引き起こすんじゃないかしら?T-対称性が保たれている場合、エネルギースペクトルは時間反転に対して対称性をもつけど、T-対称性の破れによって、エネルギー準位の分布が非対称になるのよ。つまり、虚数時間軸方向と実時間軸方向で、エネルギー準位の密度や間隔が異なる分布になるってことじゃない?」
「ということは、エネルギー準位の縮退は?」
政一は祐子の考えに質問で返した。
「縮退?えーと、T-対称性ってことは縮退していたエネルギー準位が、対称性の破れによって分裂する。縮退度の高いエネルギー準位が、複数の近接したエネルギー準位へと分岐する。つまりは、エネルギー準位は縮退解消 (Splitting)するってことでOK?」
「全然OKじゃないんだが?何を言ってるかさっぱりなんだが?」
「雄大ってほんと雄大よね」
「おいちょっと待て、雄大よねって何だよ」
「いいから黙って聞きなさい、T-対称性が保たれている状態では、エネルギー準位は縮退していることがあるの。縮退っていうのは、複数の異なる状態が「同じエネルギー準位」を持つ事なの。たとえば、一車線の高速道路が複数同じ場所に重なっているみたいな感じかな。車は何処の場所にいてもエネルギー的に同じ、つまり区別が付かない状態。そして、ITFが励起するとT-対称性が破れるわよね。そのとき、縮退していたエネルギー準位が「分裂」するのよ。この「分裂」っていうのは、今まで「同じ」だったエネルギー準位が、複数のわずかに異なるエネルギー準位に分かれることなのよ。」
祐子はホワイトボードにイラストを描きながら解説し始めた。
「高速道路で言えば、「一車線」だった道が「複数の車線」に分裂する状態。そしてその各車線ごとに僅かに高さが異なって、エネルギー的に少しづつ区別がつくようになるのよ。これを、エネルギー準位の縮退解消っていうのよ」
「では、エネルギー準位の擾乱つまり分裂の結果どうなるか予測できるか?」
「余裕ね、エネルギー準位の分布が変化するのよ。徒弟の一部のエネルギー準位、特に虚数時間軸方向に対する準位が全体的なエネルギースペクトルの中で、相対的に低いエネルギー値へシフトするのよ。つまりは、虚数時間軸方向がエネルギー的に有利な状態へと変化したことを意味するのよ」
「雄大は分かるか?」
「あー、高速道路で言えば、分裂した複数の車線のうち、特定の車線、つまり虚数時間軸方向に対する車線が、他の車線よりもわずかに低い位置に移動するって感じか?」
「そうだ、ITFの励起は、T-対称性を破り、エネルギー準位構造を変化させる「ルール変更」のような役割を果たすんだ。ルール変更によって、系の自由度が増加し、エネルギー準位が分裂したり、シフトしたりするポテンシャルが顕著化するんだ。これらを量子力学的解釈するなら、T-対称性の破れは、系のハミルトニアン、即ちエネルギー演算子がエルミート性を失う、あるいは有効ハミルトニアンが非エルミート性を持つ形で記述される場合ある。非エルミートハミルトニアンは、エネルギースペクトルを実数から複素数へと拡張し、エネルギー準位の分裂やシフトを引き起こすといえる。また、虚数時間場におけるT-対称性の破れは、位相空間における座標と運動量の非可換関係に影響を与える可能性があると言える。位相空間の非可換性は、エネルギー準位の量子化条件を変化させ、エネルギースペクトルの構造を修正する。エネルギー準位の局所的低下は、虚数時間軸方向への量子力学的確率振幅の隔たりを意味する。フォノンなどの量子は、より低いエネルギー準位に遷移する傾向があるため、虚数時間軸方向への運動が確率的に優位になると言える」
「しゅっ・・・しゅごいのきたぁ」
祐子は政一の言葉一言一言が、全身を突き抜ける快感となって押し寄せるのを感じた。
「一体何がしゅごいのか全く分からないから、解説を頼みたいんだが」
「あとで全部教えてあげるけど、すっごく簡単にまとめると・・・」
祐子はホワイトボードに箇条書きでざっくりとまとめて見せた。
1.ハミルトニアンってなぁに?
・ハミルトニアンは、量子力学でエネルギーを管理する「司令塔」のようなもの。
・普段はエルミート性(特殊な性質)があり、エネルギー値(固有値)が実数になる。
例:普通の鏡は自分の姿をそのまま写します。エルミート性がある場合、エネルギーは「本当の姿」を保っている状態。
補足
・ハミルトニアンはエネルギーだけでなく、系の構造そのものを記述する「設計図」のような側面も持っている。
・「エルミート性」は、エネルギーが時間とともに変化しない、所謂エネルギー保存則とも深く関連している。
2.T-対称性が破れるとどうなるの?
・エルミート性が無くなって、「非エルミート性」という歪んだ性質が表れる。
・この歪みによってエネルギーが実数から複素数(虚数部分を含む数)になり、新たな物理現象を数式や物理モデルで表現することが出来る。
例:歪んだ鏡で自分を見たら、顔がぐにゃっと別人みたいになります。それがエネルギー準位に起こります。
補足
・正確には、ハミルトニアンそのものが非エルミートになるというより、有効ハミルトニアンが非エルミート性を持つ形で記述されることが多い。
・複素数のエネルギー準位の「虚数部分」は、エネルギーの不安定性や寿命、散逸などを表す物理的な意味を持つことが重要。
3.非エルミート性の効果
・エネルギー準位に「分裂」や「ずれ(シフト)」が起こる。
・虚数部分が登場すると、不安定性やエネルギーの増幅、減衰といった現象を数式や物理モデルで表現できる。
補足
・「分裂」は、今まで同じだったエネルギー準位が複数に分かれる現象。
・「シフト」は、エネルギー準位全体の位置がずれる現象。
4. 位相空間と非可換性
・位相空間とは、量子の位置や運動量を扱う抽象的な「状態の地図」。
・ここでの「非可換性」とは、位置と運動量が単純には交換できない特別なルールがある。
例:信号が青でも赤でも同時に進めないように、位置と運動量も同時に「ぴったり分かる」ことはできません。
補足
・位相空間は、量子の「状態全体」を記述する、より抽象的な空間。
・「非可換性」は、量子力学の基本的な原理であり、古典力学とは大きく異なる量子力学特有の性質。
・交通信号の例えは分かりやすいですが、非可換性は「同時には正確に定義できない」という、より基本的な制約を表している点に注意が必要。
「って感じにまとめられるんだけど、やばいでしょ?」
「うーん、どのあたりがやばいんだ?」
「いやいやいや、全部でしょ!”エネルギー準位擾乱の量子力学的解釈ができる”っていうのは、単に現象を記述するだけじゃなくて、その根源的なメカニズムを量子力学っていう基本的な理論に基づいて理解できるということなのよ。これは、科学的な進歩において非常に重要な事なの!!」
「そ、そうなのか」
祐子は一気にまくし立て、その勢いと迫力に雄大はたじろいだ。
「ここまで理解できたなら、さっきまでの違和感や苛立ちの原因も理解できたんじゃないか?」
政一がテンション爆上がりの祐子に問うと、祐子は一瞬で冷静になり答えた。
「そうね、理論体系がおおよそ確かになったからね、原因は卵が先か鶏が先かって事よ」
「どういうことだ?」
雄大は祐子に尋ねた。
「そのままよ、ITQ量子コンピュータには致命的で典型的な逆説、つまりパラドックスがあるってことよ」
「それはまずいことなのか?」
「まずいとかそういうレベルの話じゃなないのよ」
祐子は雄大の反応にぐったりとうなだれながら続けた。
「ちゃんと話してあげるからちょっとまって、ねぇ、政一、強磁場生成の過程を先に聞きたいんだけど」
「わかった、ざっくりと要約すれば、メタサーフェス型カイラルメタマテリアルがITFエネルギーと相互作用し、ITFエネルギーを効率的に磁場エネルギーへと変換。円環された磁場エネルギーを電磁誘導結合等で超伝導マイクロコイルへ効率的に伝達し、励磁電流を超伝導マイクロコイルに印可、電気抵抗ゼロの超伝導状態により電流が永久的に流れ、強磁場を生成するという過程だが、」
政一はここまで話すと、ホワイトボードから離れ椅子に座ると、ペンを弄びながら話を続けた。
「なぜCortex DynamicsやComplex.incがこのプロジェクトを停止したかわかるか?」
唐突な質問に2人は顔を見合わせた。
「答えは、テスト基板が動かなかったからだ」
「何だそれ、テスト基板は未完成だったのか?」
雄大が質問する。
「いや、テスト基板としては完成していたよ、メインコアも完璧に設計され製造されている、ITQ量子コンピュータのテスト基板として申し分ないものだ」
「そりゃますます不可解だなぁ」
「原因はパラドックスね」
「そういや、さっきもそんなこと言ってたな、卵が先か鶏が先かって」
「そう、このパラドックスがある限り、ITQは動作しないわ」
「祐子、本当に君は凄いな、雄大はこのパラドックスがなんなのかわかるか?」
「わかるわけないだろ、そもそも専門外だし、正直解説だってすべて理解できたわけじゃない」
雄大は腕組みして疲れたようにぼやいた。だが、諦めきれないのか必死に記憶をだどっている。その粘り強い姿勢を政一や祐子は気に入っている。
「あぁ・・・冷却、強磁場・・・ITF、あれ?」
しばらく考えていた雄大が何かに気づく。
「冷却も強磁場生成もITFが関わってるよな?」
「そうだ」
政一は答えた。
「ITFの動作条件って・・・」
「冷却と強磁場よ」
「え、えぇ?」
祐子の答えは雄大が気づいた内容と一致し、その内容があまりにも酷い事に呆れてしまった。
「いや、まて、政一はさっきNimbusAlertを同時に10台動かしたとか言ってなかったか?」
「言ってないぞそんなこと」
「言ってないわね」
「いやいや、言ったって」
「NimbusAlertを10台同時に動作させる程度の処理は可能だと言ったんだ」
「はぁ?じゃぁお前は動かせないガラクタを買ったのか?」
「ほんと信じられない、理論も、設計も呆れるほど驚かされてたのに、この馬鹿にするような設計は何なの?」
雄大と祐子は少なからずITQ量子コンピュータに魅力と期待を感じ始めていたが、この致命的なパラドックス、それも冷静に考えれば誰でも気づくほどの単純な事実を知り一気に気が抜けてしまう。
しかし、政一はそのな2人の顔を見て笑みを浮かべながら言った。
「この程度の循環依存パラドックスの解決方法、2人なら簡単に導き出せると思うがな」
「簡単に言うなよなぁ、お前や祐子が無理なもの俺が出来る訳けないだろ」
雄大は手を振って否定する。
「そうか?ITQ量子コンピュータは虚数時間場、ITFだな、このITF励起状態に基づく量子情報処理技術を実現するシステムだ。ITF励起状態が量子ビット、つまりITQubitの形成と量子演算プロセスの根幹をなす重要な要素になる。だが、ITF励起状態を維持するためには、超極低温環境と超高磁場生成という特殊環境が必須なんだ。だが一方でこれらの特殊環境の生成自体にも、初期段階でITF励起が不可欠。つまり従来の意味での起動方法は循環に造成パラドックスに陥ることになり起動すらしない。だが、理論も設計も完璧なものだった、なぜ動作しない?」
「パラドックスがあるからでしょ」
気の抜けた声で祐子が答えた。
「だが、理論も設計も完璧なものなんだぞ?なぜ動作しない?」
「堂々巡りだな、理論も設計も間違ってるんじゃないのか?」
雄大はテスト基板を手に取って眺めた。
だがそのとき、抜け殻のようだった祐子が、雄大の言葉に息を吹き返した。
「ちょっ、ちょっとまって、あれ?ITF励起には、超低温状態と超高磁場の特殊環境が必須よね」
「そうだ」
政一は祐子の言葉に短く答える。
「そしてその特殊環境を作り出すにはITF励起状態でなければならないのよね」
「そうだ」
「ITF励起なしには超低温と超高磁場環境は得られない、逆に超低温と超高磁場がなければITF励起状態は維持できない、起動しないという事は理論も設計も成立していない、起動しているという事は理論も設計も成立している・・・違う、違うわ理論も設計も間違ってないのよ」
祐子は暗闇の中で小さな光を発しながら跳び回っているはずの螢を見つけ出そうとするかのように思考を巡らせた。
そして、祐子はすでに自分の手の中に小さな光の主がいることに気づいたのだ。
「量子の重ね合わせだ!そうなのよ、政一そうでしょ!!」
政一は椅子から飛び出すと、祐子とハイタッチして賞賛の言葉を向けた。
「最高だよ」
「うしゃぁーーーーっ」
2人のテンションの高さに圧倒される雄大だったが、その解決方法が気になって仕方がなかった。
「おいっどういうことなんだよ、俺にも分かるように説明してくれ。俺だけ蚊帳の外だなんて寂しいだろっ」
「ごめんごめん、雄大がヒントをくれたんだよっありがとっ---」
祐子は子供のように燥ぎながら雄大の手をとってぶんぶんと振り回す。
「確かに、凄い的確なヒントだったな」
「えぇ?俺そんなヒント出したのか?」
「当の本人は全く分かってないって感じが雄二らしくていいわね。”堂々巡りだな、理論も設計も間違ってるんじゃないのか?”って言ったじゃない」
「あ、あぁ確かに言ったなぁ」
「これは、量子力学的性質の量子の重ね合わせなのよ。”理論も設計も間違っている、理論も設計も間違っていない”、”成立していない、成立している”、”動作していない状態”そして”動作している状態”」
「う・・・ん?」
祐子はテスト基盤を手に取ると、雄大の顔の前に突き出して言った。
「このITQ量子コンピュータは今どういう状態か分かる?」
「今どういう状態って?動いてない状態だろ」
「そうだけど違うのよ」
「意味が分からない」
「つまりこのITQ量子コンピュータのテスト基盤は今、”動いていない状態でありながら、動いてる状態でもある”のよ」
「政一、祐子が壊れたぞ」
「ぶっ」
雄大の言葉に、政一は珍しく吹き出し声をだして笑った。
「ひっどい、壊れてないわよ、このITQが非常識なのよ、いや、もう非常識とかじゃなくて狂ってるわ」
祐子は笑った政一に膨れっ面で怒ってみせる。
「いやすまん、で、雄大は祐子が言いたいこと分かったか?」
「量子の重ね合わせに似てるのは分かったが、それがなぜ動作状態に持って行くのかがぁ・・・想像つかないなぁ」
「そうか、じゃぁ祐子に解説してもらおう」
「わかったわ、雄大、このテスト基板、今、動いてないでしょ?」
「ん、ああ」
「でも、実は動いてもいるの」
「いや、いやいや、何もつながってないし、そもそも電源入ってないだろ」
「電源とか関係ないの、このITQ量子コンピュータっていうのは、この状態で、動いていない状態と動いている状態が一体になって存在しているの」
祐子の言葉に雄大は気味の悪そうな顔をしてみせる。
「大丈夫、私もこれに気づいたとき正直頭が変になりそうになったわ」
祐子はため息をつくと、続きを話し出した。
「このITQ量子コンピュータは理論を形にした段階で、動作していない状態と動作している状態が重ね合わせとして共存しているの、そしてこの状態のとき、内部ではITFも励起していない状態と励起している状態が同じように重なり合ってるんじゃないかしら?」
「内部でITFも励起していない状態と励起している状態が同じように同時に存在する、すなわち重ね合わせ状態にあるのではないかという考えは調べる必要がある。そうなると、従来の二律背反は量子力学特有の重ね合わせにより、あたかも”未起動状態”と”起動状態”が一体となって存在するという、特異な状態として解釈することができ、よりスマートな解釈になる」
「なんなんだ、この気味の悪いコンピュータは・・・」
2人の会話を聞いていた雄大の顔が引きつる。
「分かった?この物体の非常識さが」
祐子の言葉に雄大は黙ってうなづくと、呆れたように言った。
「ITQ量子コンピュータの理論や設計に関わった者たちも、まさかこんな非常識な形で出来上がるとは誰も気づかなかったんだな」
「その問題に気づいて答えを出してた政一もぶっ飛んでるけどね」
「お前、もうこの問題解決してたのかよ?」
「まぁ、そういうことだ」
「いつ?」
「サリーニにITQ量子コンピュータの話を聞いた日に問題にも気づいてね、コイツを受け取った日に自宅で動作させたよ」
「どちらも非常識ね」
「間違いない」
「ひどいな」
オフィスには酷く疲れた2人と、まったく疲れの見られない、普段と何も変わらない1人の声がまだまだ続いていた。
ITQ量子コンピュータの設定がまだ完全に理想的でないこと、共鳴型量子コンピュータの設定もイマイチ納得いかないので、色々変更されるとかされないとか。
あと読みづらさや、分かりやすい表現とか、何とかしたいと。
誤字多いし、なんか、最初の勘違い展開、優秀な祐子が、ITQのQをQubitに結びつかないというのも何か違和感ある・・・どうしよう・・・何か色々修正したい。
*1 層構造は良いにしても、なんか順番とか表現とか違和感あるし、修正予定。