フランカ 8
「おまえの噂は聞いているぞ」
父の声が低くなった。機嫌が悪い時の声だ。
「おまえ、得体の知れない男と関係を持っているそうじゃないか。結婚前の女がふしだらな」
どこから流れてきた噂かはわからないけれど、それは間違いとは言えない。言い訳しない私に、父も事実だと確信したのだろう。父は女性は貞淑で従順でなければならないと思っている人だ。
「おまえのような妹がいることが知れたら、この縁談に差し障る。おまえとは縁を切る。二度とこの家に戻ってくるな」
いきなりの決定に、母も姉も驚いた顔をしていた。
「そ、そんな、お父様…」
「いくら何でも急にそんなこと…」
…まさか、ロベルトさん?
妹との関係が知れると困るから、そんな噂を…?
そんな人じゃない。そう思いたいのに、そうとしか思えなくて、こぼれ落ちそうになる涙を懸命に我慢した。
泣かない。泣いてやるものか。
もう、仕送りも、病気の心配もしなくていい。この家に未練なんてない。
私の努力もお金もお疲れ様でおしまいの姉。どんなに支えてもかわいい方がいいという母。家を守ろうともしないのに家長だと威張り楽ばかり選ぶ父。もう私の足枷にしなくていい。そんな足枷、外してしまえ。
笑うのよ、私。
「お姉様、おめでとうございます。お幸せにね」
私の笑顔を見て、姉はビクッと身を震わせた。張り付いたような笑顔が怖かったんだろうか。でもこれが私ができる精一杯の笑顔だ。
「お父様、勘当を受け入れます。教会への記録のため一筆いただけましたら二度とこの家の門はくぐりません。ご用意願えますか」
父はふん、と鼻息を漏らすと、書斎に向かった。
殴り書きされた絶縁の文にはしっかりと家長の印が押されていた。男爵時代にお祖父様が使っていた物だ。正式な文書、父は本気だ。
内容をしっかりと確認して鞄にしまうと、私は一礼した。
怒りが収まらない父。気まずそうな姉。顔を青くしている母。
「フラン…」
母の差し出す手さえ恐かった。思わず一歩下がり、
「お母様、…かわいい娘でなくて、申し訳ありません」
その一言で、母は手を止め、小さく震えだした。さっきの話を私が聞いていたと気付いたのだろう。
「そうじゃ、…そうじゃないの」
それ以上聞きたくなくて、私は逃げるように家を離れた。
この町の住民は出生の祝福を受けると教会に記録され、かつて男爵家だった我が家は今でも公式の家系の記録とみなされている。
顔なじみの司祭様に父が書いた絶縁の文を見せると、司祭様は痛々しげに文字を目で追い、短い祈りを唱えた後、私がラツォーリ家から絶縁されたことを記録した。
今後相続にも私は関与しない。ロベルトさんから援助を受け、どんなに家が豊かになろうとも私は無関係でいられる。
あんな家でもこの町では有数の地主だから、姉がバルトリーニ家に嫁ぎ、私がいなくなれば、我が家は誰かが養子に入るだろう。
父が思いつかなかっただけだろうけど、跡継ぎを決められそいつと結婚しろと言われなかっただけましだった。姉の代わりにカルデローネさんの所に嫁げと言われる可能性だってあった。どんな人か知らないけど、婚約して二年も経つのにまだ結婚に至らないのは何か訳ありなんだろう。今の私の男運の悪さには自信がある。
仕送りのために貯めていたお金も私のもの。
父の浪費に苛つかなくてもいい。母の病気を心配しなくていい。姉は元々病気じゃなかったみたいだけど、強欲病は生涯続くだろう。もうたかられることはないだけでも救いだ。
早く町から離れたかったのに、帰りの馬車は行きの倍以上かかったように思えた。
一番後ろの端の席に座り、あふれてくる涙をそのままにした。泣いたら忘れよう。酔ったはずみの恋なんて、そんなもの続く訳がないんだから。
「恋」。
思いついたその言葉にはっとした。
あんな始まりだったのに、私はロベルトさんのことを好きになっていたんだ…。
今更、…ばかみたい。
ロベルトさん、さようなら。
私の元家族のこと、よろしくお願いします




