フランカ 1
王都の南聖堂では、三ヶ月に一回無料で診察を受けることができる。お薬代は実費がかかるけれど割安で、この日は長蛇の列ができる。華やかな王都でも庶民にはまだ気軽に医者にかかることはできないのが現状だ。
私は今、王都で一人暮らしをしている。
実家は小さな地主で、祖父は一代限りの男爵だった。祖父が生きていた頃はそこそこ裕福だったけれど、祖父が亡くなり父が家を引き継いでからは傾く一方で、祖父の興した会社は今では全て人手に渡っている。甘やかされて育った父は汗水垂らして働くことを貧乏くさいと思っていて、土地を貸して得た収入以上を得ようとする気概はなく、そのくせ何かにつけて見栄を張りたがる。収入に合わない生活に、不足する分は換金できる物を売っていたけれどそれも尽き、今では母や姉、私が働いて収入を得ていた。
稼いだところで父に贅沢品の購入や遊興費に使われてしまい、生活はいつも困窮していた。
父はかわいくて父に歯向かわない姉のことは気に入っていた。金持ちの婿が欲しいこともあって時々服や靴を買って着飾らせ、近隣の金持ちの家のパーティに連れて行くこともあった。父に反抗心を持ち、時に反論するかわいくない私は憎まれ役。そんな生活にうんざりして、私は独り立ちし王都に行くことにした。食いぶちが減ると両親も反対しなかった。
元男爵家とはいえ貴族っぽく暮らしたのは幼い頃だけ。大した付き合いもコネもなく、紹介状もない私は大きなお屋敷に勤めることはできなかった。それでも何とか仕事を見つけ、自分の部屋を借り、一人悠々自適に暮らすはずだった。
家を出て三年ほど経った頃、母が病気になった。めまいで時には起き上がることができない日もあり、南聖堂の無料診察の日をあてにして王都に来るようになった。
王都に来るには馬車で二時間ほどかかるけど、往復の馬車代を考えても一般的な治療費より安い。王都での買い出しも兼ねていて、母が来る日は仕事を休み、診察の予約を取り、母を迎えに行き、診療が終われば買い出しの手伝いをする。薬代は三ヶ月分を払うので結構高額だった。全額は無理だけど半分は私がもち、買物代も少しだけだけど出した。いつも母は
「すまないわね」
とつらそうにしながらも笑顔を見せた。
母の病にはもっとよく効く薬があると言われているのだけど、その薬は特別な素材を使っていて、一ヶ月分で一瓶金貨二枚もかかる。六ヶ月は続ける必要があり、とてもじゃないけど今の我が家に出せる金額ではなかった。なので庶民にも手の届く薬を処方してもらっているけど、その薬は症状を抑えるだけで、それも徐々に効きが悪くなっているようだった。
南聖堂の無料診察の日、今回も一日休みを取った。いつも通り早起きし、聖堂の受付に並んで整理券をもらう。券を配る人とも顔なじみになっていて、
「おはよう、いつも早いねぇ」
と笑顔で券を渡してくれた。
券を入手すると、駅馬車の駅で母を待った。ところがいつもの時間の馬車に母は乗っていなかった。
乗り遅れたのかと思い、もう一本後の馬車を待ったけれど、やはり母はいなかった。降りた客も待っていた人もいなくなり、一人ぽつんと取り残されている私の元に駅馬車の馭者が近づいてきた。
「あんた、フランカさんかい?」
「はい、そうですが」
馭者は私に小さな紙のメモを手渡した。
「お母さんの体調が悪くて、今日は来られないそうだ。もし待っていたら伝えてほしいと預かったんだよ」
「ありがとう、…ございます」
馭者はすぐに私が見つかって安心したようで、空になった馬車に乗り込むと奥にある待機所へと移動させた。
メモには、さっき言われたのと同じく、
今日はめまいがひどく、行けそうにありません。
とあり、続けて
薬だけもらって送ってください。
と書いてあった。
診察を受けずに薬だけ買うと割高で、送料もかかってしまうけれどやむを得ない。
私は診察の予約を取ってあった南聖堂に戻り、お薬だけをお願いした。
せっかく朝一番に並んだのに診察はキャンセル。薬だけの処方は並び直しになり、薬を入手した時にはお昼をかなり過ぎていた。
母と行くつもりだった食堂も閉まっていた。もう食事は昼夜兼用でいいかとグウゥとなるおなかを抱えて歩いていると、目の前に見覚えある人が…。
一呼吸置いて、もう一度見てみたけれど、間違えではなかった。
マテオが女の子と一緒にいる。女の子は知らない子で、黄色いパステルカラーのフリフリひらひらのワンピースを着て長い髪を同じ色のリボンで結び、いかにも愛らしいお嬢様タイプ。腕をしっかりと握り、頭をもたれかけて、露店のネックレスを指さしていた。マテオはそれをにやけ顔で手に取ると、金を払って彼女の首につけた。
喜ぶ彼女が抱きつき、頬にお礼のキスをすると、マテオはデレデレ顔。あんな顔するんだ。
一応私の恋人だったはず、なんだけど。違ったっけ?
近寄る私に気が付いて振り返ったマテオは顔を引きつらせていた。
「ふ、フランカ…、」
やっぱりマテオで間違いなかった。
悪びれない顔で私を見てにっこり微笑む女の子は、私がマテオの特別な相手だと察したようだった。男の前では華奢を装いながらも、ほんわかした笑顔の口角がきゅっと上がった。女の前では自分は恋の勝者だと見せつけるタイプか。
心の奥は穏やかではなかったけれど、悔しそうなところなどみじんも見せるものか。
「新しい彼女ね? こういう子が好みだったんだぁ」
二人に向けてニコッと笑い、通りすがりにマテオの耳元で
「……二度と顔見せんな」
とつぶやき、去って行く私はきっとかわいくない女なんだろう。
結論、今日は最悪の日だ。